安倍首相が甦らせる祖父、岸信介の憲法解釈 集団的自衛権の行使容認は当然の流れ 筆坂秀世

2014-05-20 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

安倍首相が甦らせる祖父、岸信介の憲法解釈  集団的自衛権の行使容認は当然の流れ
 JBpress 2014.05.19(月) 筆坂秀世
 5月15日、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保懇)から、集団的自衛権行使についての憲法解釈変更を主な内容とする報告書が安倍晋三首相に提出された。これを受けて行われた安倍首相の会見は、なかなかよく吟味されたものであった。
*情勢の変化とともに変化してきた憲法解釈
 憲法第9条の解釈をめぐっては、これまでも多くの変遷があった。国際情勢が変化すれば、憲法解釈が変わるのは当然のことであって、何ら問題にすべきことではない。
 大日本帝国憲法の改正案として現憲法が国会で審議された際、当時の吉田茂首相は「戦争抛棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第9条第2項に於て一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も抛棄したものであります」(1946年6月26日、第90帝国議会衆議院帝国憲法改正案特別委員会)と答弁し、自衛のための自衛権発動まで否定していた。
 だが鳩山一郎内閣になると、「『憲法は自衛権を否定していない。自衛権は国が独立国である以上、その国が当然に保有する権利である』とし、また憲法は『国土が外部から侵害される場合に国の安全を守る』ため『必要な限度』の『自衛力』を持つことは禁止していない」」(2006年3月「自衛権の論点」国立国会図書館調査及び立法考査局、山田邦夫)と変更した。
 集団的自衛権についても同様だ。日米安保条約改定審議の中で当時の岸信介首相は、「一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えています。・・・他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうものはもちろん日本として持っている」(1960年3月31日、参院予算委)と答弁し、集団的自衛権を保持しているだけではなく、広い意味での集団的自衛権は行使していることを認めている。
 それが田中角栄内閣や鈴木善幸内閣のもとで、「集団的自衛権を行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界を超えるものであって許されない」(1972年10月)、「憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」(1981年5月)というように憲法解釈を変更してきた。
 よく「内閣による憲法解釈の変更は立憲主義に反する」という批判を目にするが、だったらこれまでも立憲主義が侵されてきたことになる。だが、これまでそのような批判がなされたことは寡聞にして知らない。
 南シナ海でのベトナムやフィリピンとの対決、尖閣諸島をめぐっての度重なる領海侵犯など、中国の軍備の大拡張や膨張主義、さらには北朝鮮の核兵器開発と長距離ミサイル開発の現状を見れば、日本が一国で対応できないことは明白だ。そのためにも集団的自衛権の行使を可能にするのは当然のことである。
*集団的自衛権は侵略の口実となるのか
 そもそも国を防衛するための自衛権を、個別的か、集団的か、に区別する意味はない。要はどうすることが最も合理的で、効果的かということだ。
 現在の中国の軍備拡張のペースが続けば2040年頃には、アメリカを抜いて中国が世界一の軍事大国になるという見方さえある。その中国は、南シナ海でも他国領土を力で奪おうとしている。我が国の尖閣諸島への領土的野心を隠そうともしていない。
 解釈変更に反対の論者の中には、集団的自衛権が侵略や覇権の口実にされてきたと批判する指摘もある。確かに、これまで集団的自衛権には、負の歴史がある。米ソ冷戦時代、それぞれが勢力圏内で傀儡政権を守るため、集団的自衛権の行使と称して軍事介入が行われてきたからである。旧ソ連のチェコスロバキアやアフガニスタンへの軍事介入がそれである。アメリカのレバノン出兵やベトナム戦争も、集団的自衛権の行使として正当化されてきた。
 しかし、いずれの場合も当該国に対して外部からの武力攻撃があったわけではない。つまり集団的自衛権の行使ではなく、その濫用だったのである。したがってこれらの例をもって、集団的自衛権の行使を侵略の道具だとか、海外派兵だと非難するのは、あまりにも短絡的な議論だと言わなければならない。
 ましてや安倍首相は、後述するように限定的容認の立場を明言しており、朝日新聞のような「近づく、戦争できる国」「遠のく、憲法守る政治」などという情緒的な批判は、まったく的を射ていない。
*首相は「芦田修正論」は不採用と明言
 安保懇報告は、集団的自衛権の行使を可能にする憲法第9条の解釈変更について、2つの提言を行っている。
 1つは、憲法第9条1項が「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定していることを受け、日本が当事国として国際紛争を解決するための武力の行使や戦力の保持は禁止されているが、「個別的または集団的を問わず自衛のための実力の保持や国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきだ」という提言である。
 ややこしい言い方だが、「国際紛争云々」というのは、侵略戦争のことである。こういうことのためには武力による威嚇や行使は禁じられているが、自衛権の行使や国連の集団安全保障にかかわるような国際貢献活動においても、日本の武力行使が許されると解釈すべきだ、というのが安保懇の提言である。
 この考え方は、「芦田修正論」と呼ばれている。どういうことかと言えば、現憲法が作られる過程で第9条2項に「前項の目的を達成するため」という文言を挿入する修正がなされた。これを提案したのが衆議院帝国憲法改正小委員会の委員長だった芦田均によって行われたためこう呼ばれている。これをとらえて「“前項の目的”を達成するため」以外ならば、実力組織を持つことは許されるというのが「芦田修正論」の立場である。
 この立場に立てば、湾岸戦争やイラク戦争で自衛隊が戦闘行動に参加することもあり得るということになる。つまり護憲派が言う「戦争する国」「戦争ができる国」になりかねない。
 しかし、安倍首相は、「芦田修正論」の立場を採用しないと明言した。賢明な判断である。
 安保懇のもう1つの提言は、「政府は憲法上認められる必要最小限度の自衛権の中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は入らないという解釈を打ち出し、今もってこれに縛られている」「(しかし)今日の日本の安全保障が個別的自衛権の行使だけで確保されるとは考え難い。したがって、『必要最小限度』の中に集団的自衛権の行使も含まれると解釈し、集団的自衛権の行使を認めるべきだ」というものだ。要するに限定容認論である。
 安倍首相は「戦争する国」になるということはあり得ない、湾岸戦争やイラク戦争のような場合に戦闘に参加することもあり得ないと明言した。
*祖父・岸信介が50年以上前に述べていたこと
 自民党の高村正彦副総裁が、5月14日の読売国際経済懇話会で「日本の安全保障と集団的自衛権」というテーマで講演し、次のように語っているのを読んで、やはり安倍首相は岸信介の孫だなと痛感した。
 「内閣法制局は法律の専門家だが、安全保障の専門家ではない。集団的自衛権にはいろんな形態がある。典型的な意味の集団的自衛権は必要最小限度のものではないと言うのなら、正しかった
 「例えば、米国に対して隣の国が攻め込んだ時に、日本の自衛隊が米国を守りに行く。あるいは、イラクに行って米国と一緒にサダム・フセインと戦う。これは、国の平和と安全、国の存立を全うするための必要最小限度のものではないからできない
 この説明は、高村氏が安倍首相と確認し合っているものだ。安倍首相が会見で述べたことと全く同じ趣旨である。
 同じ趣旨のことは、安倍首相の祖父、岸信介が50年以上前に国会で明確に述べていた。
 「実は集団的自衛権という観念につきましては、学者の間にいろいろと議論がありまして、広狭の差があると思います。しかし、問題の要点、中心的な問題は、自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵略されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中心的な問題になると思います。そういうものは、日本国憲法においてそういうことができないことはこれは当然」(1960年2月10日、参院本会議、岸首相)
 「日本が集団的自衛権を持つといっても集団的自衛権の本来の行使というものはできないのが憲法第9条の規定だと思う。例えばアメリカが侵略されたというときに安保条約によって日本が集団的自衛権を行使してアメリカ本土に行って、そしてこれを守るというような集団的自衛権、仮に言えるならば日本はそういうものは持っていない。であるので国際的に集団的自衛権というものは持っているが、その集団的自衛権というものは日本の憲法の第9条において非常に制限されている」(1960年5月16日、衆院内閣委、赤城宗徳防衛庁長官)
 この立場は、安倍政権でも全く変わってはいない。その上で日本の安全にとって最小限度の集団的自衛権を行使しようというのが憲法解釈変更の中心点であり、当然、行うべきことなのである。
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