「熊谷6人殺害事件」ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン容疑者…実兄は25人殺しの“殺人鬼”

2015-09-23 | 死刑/重刑/生命犯

熊谷6人殺害事件のペルー人容疑者、兄は25人殺しの“殺人鬼”
 2015年9月18日 17時12分 ZAKZAK(夕刊フジ)
 埼玉県熊谷市の住宅3軒で計6人が殺害された事件で、14日に刺され死亡した50代夫婦の自宅現場に、血で書かれた外国語のような文字が残されていたことが分かった。県警は、ペルー人の住所、職業不詳、ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン容疑者(30)=住居侵入容疑で逮捕状、意識不明=が書いた可能性があるとみている。ナカダ容疑者の実兄がペルー史上最悪とされる大量殺人事件を起こしていたことも判明。容疑者の精神状態に影響を与えた可能性があるとして、兄の事件にも注目が集まっている。
 現地の報道によると、ナカダ容疑者は10人兄弟の末っ子で、上から4番目の兄、ナカダ・ルデナ・ペドロ・パブロ服役囚(42)は2005~06年にペルーで計17人を拳銃で射殺するなどしたとして07年に懲役35年の刑が確定。09年に精神疾患があると判断され、治療を受けている。事件は現地で“死の使徒”と大きく報じられた。
 パブロ服役囚は実際に殺害したのは25人と明かし、動機を「世界を浄化するために、神の命令で薬物中毒者や売春婦、同性愛者らを殺した」と供述。現地報道によると、複雑な家庭環境で育った。父はアルコール依存症で両親のけんかが絶えず、幼い頃から家族に虐待され、兄たちからは性的虐待を受けたという。犯行前の03年には、日本に行くことを考え、「ナカダ」という名字を取得したという。
 フジテレビの取材に対し、ペルーに住むナカダ容疑者の姉は「弟は普通だったが、日本に行って精神的に病んでしまった。『誰かに追いかけられている、自分は殺される』と言っていた」と証言。容疑者は以前、兄の殺人を目撃し、精神的にショックを受けていたとも明かした。
 県警も同様の証言を把握しており、今後、精神鑑定が必要になる可能性もある。

 ◎上記事は[livedoor・NEWS]からの転載・引用です
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TOCANA > 海外 > ナカダ容疑者の兄も、連続殺人鬼だった!
 トカナ 2015.09.17.
【熊谷連続殺人事件】ナカダ容疑者の兄は、25人を殺したペルー史上最凶のシリアルキラーだった!!
 今月16日、埼玉県熊谷市の住宅2軒で、女性4人が惨殺遺体で発見されるという事件が発生した。付近を捜索した警察は、ペルー人のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン容疑者(30)の身柄を確保したが、民家から飛び降りた際に頭の骨を折り、意識不明の状態にあるという。なお、熊谷市内では14日にも民家で夫婦2人が刺殺される事件が発生しており、警察はナカダ容疑者が6人の殺害に関与しているとみて捜査を進めている。
 実は、一連の事件が起きる前の今月13日、消防から「不審な外国人がいる」との通報を受けた警察はナカダ容疑者とみられる男から事情を聴いていた。しかしその最中、「タバコが吸いたい」と言って警察署の玄関先に出た容疑者は逃走。その後、行方がわからなくなっていた。つまりナカダ容疑者は、逃走中に連続殺人という凶行に及んだ可能性が高い。
■容疑者の兄も連続殺人鬼だった
 そしてここにきて、ネットを通じて恐るべき情報が届きはじめている。ナカダ容疑者の母国であるペルーのニュース番組などで、実は今回の容疑者がペルー史上最悪の殺人犯の弟であると報じられているというのだ。ナカダ・ルデーニャ・バイロン・ジョナタン容疑者の兄とされる人物の名は、ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャ。1990~2006年にかけて、ペルー国内で17人を殺害した罪に問われ、35年の投獄判決を受けたシリアルキラー(連続殺人鬼)だ。
 ペルー全土を震撼させた連続殺人事件の犯人として、その素性はこれまでさまざまな海外メディアで報じられている。ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャは、1973年2月28日、首都リマに生まれた。4歳の時から家族による性的虐待を受けていた彼は、5歳の時に動物を殺しはじめる。牛や馬が苦しみながら死ぬ様子を見ては、快感を覚えていたという。また、一番上の姉から女装を強要されたり、アルコール中毒の父親は母親に暴力を振るうなど、家庭環境は劣悪だったようだ。
 1990年、ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャはペルー軍に入隊するも、2カ月で除隊処分となる。それは「神の命令が聞こえる」と漏らす彼を、軍の精神科医がサイコパスと診断、「社会の脅威である」と判定した結果だった。しかし除隊後の彼は治療を受けることなく、急激に自滅的になっていったという。
 その後、「薬物中毒者、売春婦、同性愛者、泥棒などを街から消し去るように」という神の声が聞こえるようになったペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャは、自らを崇高な任務を負った「死の使徒」であると考えるようになり、連続殺人鬼へと変貌を遂げる。軍隊で火器の扱いを習得していた彼は、スリッパで作った手製のサイレンサーを装着した9mm拳銃を用いて犯行に及んだ。1990年から2006年12月28日に逮捕されるまで、25人が殺害されたと考えられており、20人の殺害を自供しているというが、後の裁判で殺人が立証されたのは17人に留まっている。ちなみに、逮捕時に警察が突入した際は銃撃戦となり、巻き込まれた1名が負傷したという。
 逮捕直後のペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャが、警察の取り調べで語った内容の一部は、以下のようなものだった。
警察「あなたは、地球を浄化するために神から遣わされた使徒であると主張しているようだが、これほどの罪を犯したことに対する後悔はないのか?」
ナカダ「どうして申し訳ないなどと思わなければいけないのか。あいつらは存在してはいけない人間だったのだ」
警察「では、機会があれば殺人を繰り返すのか?」
ナカダ「私は薬物中毒者や同性愛者、泥棒たちを消し去り、街を浄化する任務を負っている。まだ仕事を完遂してはいない」
警察「家族のことを考えたことはないのか? 自分の妻や子どもたちのことなど」
ナカダ「妻のマリアのことは愛している。3人の息子たちも」
 なお裁判では、ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャが妄想型統合失調症を患っているとの訴えも提出された。しかし遺族たちは「投獄を逃れるために精神病を装っている」と大反発、陪審員たちも訴えを却下し、35年の投獄判決が下された。
 そしてもうひとつ、驚くべき事実が判明している。なんとナカダという彼の名前は、いつか日本に渡航する日を夢見て、2003年に日系人風の名前に“金で”改名したものだったというのだ。本来の名前は、ペドロ・パブロ・メシアス・ルデーニャだった。
 兄が果たせなかった日本への渡航を弟が実現し、そして2人揃って連続殺人鬼と化したナカダ兄弟――。彼らが凶行に走った背景には、何らかの共通点があったのか? 熊谷での連続殺人事件の捜査の進展と、動機の解明が待たれるところだ。
 (編集部)

 ◎上記事は[TOCANA]からの転載・引用です
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