『ユダヤとアメリカ 揺れ動くイスラエル・ロビー』立山良司著 中公新書

2018-01-02 | 本/演劇…など

『ユダヤとアメリカ 揺れ動くイスラエル・ロビー』立山良司著 中公新書 2016年6月25日発行

帯より
アメリカの明日が いま、変わる
 年30億ドルを超えるイスラエルへの軍事援助、
 ネタニヤフ政権を批判する新世代ロビー組織の台頭---
変わりつつある「最強のロビー団体」
 イスラエルとアメリカは「特別な関係」といわれる。その結節点にあったのが、強い結束と豊富な資金により、政府や世論に絶大な影響力を見せてきたイスラエル・ロビーだ。彼らはイスラエルのためにアメリカの政財界に働きかけを行う連合体である。しかし近年、若年層を中心に「イスラエル絶対支持」を疑問視する声が増えている。アメリカの外交、経済、さらには大統領選をも左右する彼らの実態を、今明らかにする。

第2章 米国とイスラエル--その「特別な関係」
p46~
 なぜ「特別」なのか
 米国とイスラエルの関係はよく「特別な関係」と形容される。両国関係がいつから「特別な関係」と呼ばれるようになったかはっきりしないが、1962年に当事件の大統領ジョン・F・ケネディがイスラエルの外相ゴルダ・メイア(後に首相)と会談した際に、この表現を使ったといわれる。「特別」という以上、通常の二国家関係よりはるかに緊密で、特別な「何か」があることを意味している。米国と英国の間も「特別な関係」といわれる。(略)
 では米・イスラエルの関係はどうだろうか。(略)よく語られるのは、1948年5月にイスラエルが独立を宣言した時のエピソードだ。米大統領ハリー・トルーマンは宣言からわずか11分後にイスラエルを承認した。アラブ諸国との関係悪化を危惧した国務省は承認に強く反対し、国防総省にも反対論は強かった。それでも(p47~)トルーマンは承認に踏み切った。この決定は通常、再選を目指すトルーマンがユダヤ票の動向に配慮したためと解釈されている。実際、その側面は強かったのだろう。
 しかし、異なった解釈も出されてきた。(略)トルーマンはホロコーストの全貌が明らかになるにつれて、ユダヤ人の苦しみに同情を寄せるようになった。さらにトルーマンは時に旧約聖書を引用しながら、ユダヤ人はパレスチナの土地に正当な権利を有していると述べたという。(略)トルーマンのユダヤ人観には、米国とイスラエルが「特別な関係」を築いてきた根本的な理由が示されているように思える。米国人一般が持っているユダヤ人の苦悩に対する同情と、キリスト教の教義や解釈に基づいたイスラエルに対する宗教的な支持である。
 いずれにしても、わずか11分後の承認がその後の「特別な関係」の重要な起点になったことか確かだ。これ以降、米国はイスラエルを支持し続けてきた。国連安全保障理事会で米国は毎回のように、ヨルダン川西岸でイスラエルが行っている入植活動を非難する決議案に拒否権を行使し、決議成立を阻止してきた。2014年夏にイスラエルがガザ地区のハマースなどど軍事衝突を起こした際にも、米国議会はほとんど実質的な審議なしに圧倒的多数で(p48~)イスラエルへの2億2,500万ドルの追加援助を承認した。極端ともいえる米国の対イスラエル支持に対し当然のようにアラブ諸国から批判が上がり、イスラーム過激派によるテロの口実にもなっている。(略)
p49~
 「戦略的資産」--イスラエルへの支援拡大
 米国は初めからイスラエルを全面的に支援してきたわけではない。アラブ・イスラエル紛争の拡大を恐れた米国は、1950年代まで双方に武器を供与しなかった。当事、イスラエルへ武器を売っていたのは主にチェコスロバキア、次いでフランスだった。イスラエルと英国、フランスの3ヵ国は1956年、共謀してエジプトに軍事侵攻し、スエズ戦争(第2次中東戦争)を引き起こした。これに対し当時の大統領ドワイト・アイゼンハワーはイスラエルを含む3ヵ国に強い圧力を加え、各国の軍をシナイ半島から撤退させた。米国がイスラエルに強い圧力を加えて軍を撤退させるという事態は、現在ではなかなか想像できない。
 しかし1960年代後半に、米国はイスラエル支持へと大きく舵を切った。
 アラブ・イスラエル紛争が冷戦構造に完全に覆われてしまったからである。1967年6月に勃発した第3次中東戦争を契機に、ソ連はイスラエルと断交し、アラブ諸国への肩入れを強化した。特にソ連がエジプトへの軍事支援を拡大したことは、スエズ運河を挟んでエジプトと断続的に軍事衝突を繰り返していたイスラエルへの米国の支援を本格化させた。
 これ以降、米国の歴代政権はソ連の影響下にある親ソ派アラブ諸国に対抗するため、親米国のイスラエルを支援するという冷戦の視点から、アラブ・イスラエル紛争を見る傾向を(p50~)強めた。さらに1973年の第4次中東戦争で発動されたアラブ産油国による「石油戦略」は、世界のエネルギー供給源である中東の重大さを改めて世界に示した。
 この頃からいわれ始めたのが、「イスラエルは米国の戦略的資産」という表現である。(略)
p51~
 加えて1979年にイラン革命が起き、米国に敵対的なイスラーム共和国が樹立されると、米国はますますイスラエルを戦略的資産と見るようになった。この結果、米国の対イスラエル援助は一気に増大した。1960年代の平均援助額は8348万ドルだったが、1970年代半ばには20億ドル前後にまで膨れ上がり、さらに1980年代後半には30億ドルを超えるようになった。1986年のイスラエルの国内総生産(GDP)が320億ドルだから、米国の援助はGDPの1割に相当していた。しかも1980年代以降、イスラエルを支持する米国議会の立法措置によって、イスラエルに対する援助は経済援助も軍事援助もすべて借款(ローン)ではなく、返済する必要がないグラント(贈与)に切り替えられた。
 米国が対ソ戦略、さらに中東戦略の上でイスラエルを重視し支援を拡大した時期は、ちょうど米国ユダヤ社会がロビー活動を本格化させた時代とも重なっている。AIPACの前身は1950年代にすでに結成されていたが、初めから行政府や議会に対し強い影響力を持っていたわけではない。(p52~)しかし1970年代になると、AIPACを中心とするさまざまなユダヤ団体が米政府に対し、イスラエルにとって有利となるような中東政策をとるよう働きかけを強めた。背景にはいくつかの理由がある。
 第一は1967年の第3次中東戦争でイスラエルが大勝したことだ。イスラエルがこの戦争を6日間戦争と呼ぶように、イスラエルはわずか6日間でエジプトやシリア、ヨルダンに勝利し、さらに東エルサレムを含むヨルダン川西岸、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を占領した。この勝利が米国ユダヤ人の「祖国愛」に火をつけ、イスラエル支持の運動が全米のユダヤ社会に拡大した。
 第二に米国議会が外交政策に対する発言力を強めたことである。外交は伝統的に行政府、つまり大統領の専権事項とされていたため、議会の発言力は弱かった。(略)しかし、ベトナム戦争で泥沼に陥った結果、行政府だけに外交や安全保障問題を任せておくことはできないという雰囲気が強まり、外交政策などに関する議会の発言力が強化された。この結果、議会に対するイスラエル・ロビーの働きかけが、米国の外交政策にも反映されるようになったのである。
p53~
 第三に従来は民主党だけがユダヤ社会の票や政治献金を重視していたが、ニクソン時代から共和党もユダヤ票の取り込みに力を入れ始めたことである。1970年代は同時に、政治献金の制度が変わり、ユダヤ社会からの献金がより大きな意味を持つようになった。
 こうした要因を背景に1970年代以降、米国ユダヤ社会は民主、共和両党とのパイプ拡大に成功し、米国の中東政策、なかんずく対イスラエル政策に大きな影響力を誇るようになったのである。
p57~
 一方、軍事援助は年度によって多少の違いはあるが、全体的に見て増加している。これも対イスラエル援助の特徴の一つで、米国はイスラエルが周辺諸国に対し軍事面で「質的優位」を保つように援助しているからだ。特に2008年以降、イスラエル以外の中東諸国へ(p58~)の兵器提供は、イスラエルの軍事面での「質的優位」を損なわないように行うことが兵器輸出管理法で義務づけられている。ただ、「質的優位」が何を意味しているかは必ずしも明確でない。法にも明確な記述がないからだ。
 この結果、米政府にとってサウジアラビアなど親米アラブ諸国への兵器供与は以前にもまして難しい問題になっている。「イスラーム国」などへの対応を含め、米国はサウジアラビアやエジプト、ヨルダン、レバノンなど親米アラブ諸国に兵器を供与し続けている。親米アラブ諸国への兵器供与が増えれば、「質的優位」を保つためイスラエルへの軍事援助も増えることになる。
 軍事援助でイスラエルは、他の国には与えられていないもう一つの特権を有している。米国から軍事面での資金提供を受けた国は、必ず米国製の兵器を購入しなければならない。ところがイスラエルは例外で、約4分の1の援助をイスラエル製の兵器などの購入に充てることができる。イスラエルは現在、世界でも有数の兵器輸出国になっているが、米国の軍事援助による自国製兵器の購入がイスラエルの軍事産業の発展に貢献していることは間違いない。

 幅広い軍事協力
 シリアが現在のような悲惨な内戦に陥る前の2007年9月、イスラエルがシリア北部の(p59~)何らかの施設を空爆したとの報道が世界を駆け巡った。シリアはイスラエルを非難したが、イスラエルは空爆した事実を認めただけで、何が標的だったかはいっさい公表しなかった。しかし、7ヵ月後の2008年4月下旬、米政府がこの件で突然、声明を発表した。イスラエルが空爆した施設はシリアが北朝鮮の協力を得て秘密裏に建設していた原子炉だったというのである。米政府が公開した資料には建設中の原子炉内部や、技術協力をしていた北朝鮮の専門家とされる写真も含まれていた。米政府はこうした写真をどのようにして入手したかを明らかにしなかったが、イスラエルの情報機関モサドが施設内部に協力者を送り込んでいたというのがもっぱらの見方だった。
 この施設が本当に北朝鮮の協力を得てシリアが建設していた原子炉だったとの確証は今のところない。国際原子力機関(IAEA)も調査に乗り出した。しかし空爆直後にシリア政府自身が破壊された施設の残骸を完全に撤去し、証拠を“隠滅”してしまった。更にその後の内戦で、IAEAは十分な調査ができていない。
 いずれにしても米国政府の発表はかなり詳細を極めたものだった。

p62~
 核兵器に「見て見ぬふり」
 オバマは「核なき世界」を政策目標に掲げ2009年のノーベル平和賞を受賞した。その平和賞授与が発表されるわずか1週間前に、米紙『ワシントン・タイムズ』はイスラエルの核問題に関係して意味深長な記事を掲載している。オバマとネタニヤフはこの年の5月に、就任後としては初の首脳会談を持った。その際、イスラエルの核兵器に関する1969年以来の両国間の秘密了解事項をオバマがネタニヤフに再確認したというのだ。
 この秘密了解事項とはイスラエルの核兵器保有問題に関し、米国は情報開示を求めることも核拡散防止条約(NPT)への加盟を求めることもしないという内容で、1969年9月に当時のリチャード・ニクソン大統領とゴルダ・メイア首相との間で交わされたとされている。両国政府とも了解の存在を認めておらず、了解内容を示す文書も公開されていない。
 ただニクソン大統領記念図書館は2007年に、当時の国家安全保障担当大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーがニクソンに宛てた1969年7月19日付けのトップ・シークレットのメモを秘密解除している。メモの結論部分には「イスラエルの核兵器保有を阻止することが、我々(米国)の利益である。しかし、我々はイスラエルの核開発プログラムを(p63~)コントロールできないし、イスラエルは核兵器をすでに保有しているかもしれない。よって我々が達成すべき目標は、保有を秘匿するよう彼ら(イスラエル側)を説得することである」という一節がある。(略)
 イスラエル南部は砂漠地帯だ。その北端、砂漠地帯が始まる付近にディモナという町がある。町の郊外にはフェンスで囲まれた広大な軍事施設がある。(略)イスラエルはフランスの協力を得て1950年代から、このディモナの施設で原子炉と再処理施設の建設を始めた。当初は秘密裏に行っていたが、次第に隠しきれなくなり、1960年末には「平和利用」の目的で原子炉を建設していることを認めた。
 1961年に大統領に就任したケネディは核拡散防止を重要政策に掲げ、イスラエルに対しても国際原子力機関(IAEA)の査察を受けるよう、強く迫った。イスラエルはこれに激しく抵抗し、結局、妥協の産物としてIAEAではなく米国チームが何回か査察を行った。いわば「お茶を濁した」格好だ。両国関係を「特別な関係」と表現したケネディらしい着地(p64~)点だったのかもしれない。だが米国による査察も1969年以降はまったくおこなわれなくなった。ニクソン・メイア秘密合意の成立以降、米国の歴代政権はイスラエルの核開発にずっと「見て見ぬふり」を続けてきたからである。
 その間、イスラエルはNPTに加盟せず、IAEAの査察を受けることもなく核兵器開発・製造を進めたといわれている。(略)
 当のイスラエルは核兵器の保有に関し、「中東に核兵器を持ち込む最初の国にはならないが、2番目に甘んじることもない」と明らかに矛盾する立場をとってきた。背景にあるのは、核兵器の保有を否定も肯定もしない「不透明政策」「曖昧政策」である。(略)
p65~
 にもかかわらずイスラエルは不透明政策をとり続けている。その理由は、核保有を公然化すると①米国政府としては制裁措置など何らかの対応策を迫られ、両国関係を大きく損なう、②アラブ諸国を刺激し中東に「核のドミノ」が起きる、という2つの危険を回避するためと考えられている。この2つの危険は米国もまた直面したくないものだ。キッシンジャーがニクソンに提言した「秘匿」保持の利点はまさにこの点にある。その意味で、米国の「見て見ぬふり」とイスラエルの不透明政策は表裏一体といえる。
 「核廃絶」を掲げたオバマ政権の登場で、イスラエルの核問題に関し両国関係に一時、緊張が走った。オバマ政権発足直後の2009年5月初めに開催されたNPT再検討会議準備会合で、担当の米国務次官補が「インド、イスラエル、パキスタン、北朝鮮を含むNPTへの普遍的な支持達成が米国の基本的な政策目標である」と発言したからである。この発言でイスラエルは、オバマの核問題への対応に強い懸念を抱いたといわれる。
 それだけに『ワシントン・タイムズ』の報道が正しいとすれば、ネタニヤフは最初の首脳会談でオバマから、核兵器問題で「圧力をかけない」という確約をとることに成功したことになる。おそらく米国の歴代大統領はオバマと同様、1969年の秘密了解事項を繰り返し保証してきたのだろう。まさにイスラエルの核兵器の開発・保有問題でも「特別な関係」が維持されてきたことになる。首脳会談以降、オバマ政権はイスラエルの核問題についてまったく発言していない。

第7章 米国キリスト教社会とイスラエル

p194~
 イスラエルへの熱いまなざし
 1891年、米国大統領ベンジャミン・ハリソンに1通の嘆願書が出された。「ユダヤ人のためにパレスチナを」というタイトルが付いたこの嘆願書には、政治家や実業家、判事など多数の有力者の署名があった。署名者には、すでに石油王としての地位を確立していたジョン・ロックフェラーも含まれていた。
 嘆願書は「ロシアのユダヤ人のために何をすべきか?」という問いかけで始まり、「各民族を(世界に)配置した神の計画のとおり、パレスチナはユダヤ人の故郷である。パレスチナの地に対する彼らの所有権を奪うことは誰もできない。にもかかわらず、彼らは強制的に追放された」として、パレスチナをユダヤ人の手に戻すよう訴えている。
 嘆願書提出のイニシャティブをとったのは、ウィリアム・ブラックストーンというキリスト教長老派の米国人牧師だった。ブラックストーンはキリスト再臨前にユダヤ国家がパレスチナに再建されるという終末論の一つである前千年王国説に傾倒し、パレスチナをユダヤ人に与えることが米国の使命であると呼びかける運動を始めたのである。この時代、ちょうど帝政ロシアでユダヤ人迫害が激化して、ロシアからのユダヤ人移民の波が大西洋を越えて米国に押し寄せ始めた時代でもあった。(略)
 第一次世界大戦中の1917年、英国の外相アーサー・バルフォアは「パレスチナにユダヤ人のナショナル・ホームを建設することを英国政府は支持する」といういわゆる「バルフォア宣言」を出した。この宣言への支持を米国ユダヤ社会の指導者から求められた米大統領ウッドロー・ウィルソンは、「牧師の息子として私は、聖地を(ユダヤの)民の手に戻すようにしなければならない」と述べ、宣言への支持を表明した。
 シオニズム運動やイスラエルに対して米国の政治家や国民一般が注いでいる熱いまなざしは、その後も連綿と引き継がれている。大統領や上下両院の議員候補は党派に関係なく、イスラエルの安全を守る決意を選挙戦で繰り返し強調する。候補者の発言は政治的なレトリック(p195~)の側面が強いが、見方を変えれば、米国の有権者の多くがイスラエルへの支持姿勢を政治家に求めていることを意味している。(略)
p197~
 この調査結果をそのまま受け入れれば、米国民の半数近くは米国の国益よりもイスラエルの国益を優先すべきだと考えている。世論調査を実際に行った調査会社の関係者はこの結果に関し、「イスラエルは感情的な問題であり、ユダヤ票よりも広範な層に影響している」と述べている。このコメントにあるように、イスラエルに対する米国民の意識は人口2%強のユダヤ人人口をはるかに超えたところで醸成されているようだ。
 ただこのブルームバーグの調査結果でもう1つの興味深い点は、共和党支持者の67%が「イスラエル支持を優先すべき」と回答しているのに対し、民主党支持者の64%は「米国の国益を優先すべき」と回答していることである。イスラエルに対する見方はこれほどまでに党派支持で分かれている。
 米国では共和党支持者を中心に何故、これほどまでにイスラエルに対する共鳴や支持が高いのだろうか。さまざまな理由が指摘されている。中東においてイスラエルは米国が最も信頼できる同盟国であり、唯一の民主主義国家であるという表現は、政治レベルでよく用いられる。第2章で見たように兵器産業や情報戦略の面でも、イスラエルとの関係は重視されている。
 ただそれ以上に大きな意味を持っているのは、ウィリアム・ブラックストーンやウッドロー・ウィルソンのエピソードが示しているように、キリスト教の教えや信仰が、広範なイスラエル支持を生み出す基盤となっていることだ。

p198~
 イスラエルを支持するエバンジェリカル
 ではキリスト教徒の中で、どの宗派、あるいはどのような教会や集団(教派、デノミネーション)がイスラエルを強く支持しているのだろうか(略)

p200~
 この表(略=来栖)で興味深い点の1つは、米国ではユダヤ人全般よりも、「神はイスラエルをユダヤ人に与えた」と答えているキリスト教徒の割合が15ポイントも高いことである。それだけユダヤ人の方が世俗化していることがわかる。
 ただ、そのことはここでは本題ではない。キリスト教徒の中でも宗派・教派別の違いを見ると、プロテスタントの場合、半数を超える64%が「与えた」と答えている。なかでも白人のエバンジェリカルは82%と、(p201~)ほとんどといってよいほど圧倒的多数が「神はイスラエルをユダヤ人に与えた」と考えている。1891年に米国大統領ベンジャミン・ハリソンに「ユダヤ人のためにパレスチナを」という嘆願書を出した長老派の牧師ウィリアム・ブラックストーンの考えは、120年以上たった現在も白人のエバンジェリカルのほとんどに受け継がれている。

 聖書を字句どおり解釈
 この2つの調査結果から推論できるのは、白人のエバンジェリカルの多くは「イスラエルの地」とユダヤ人との宗教上の結びつき、つまり「約束の地」という教えを信じ、それを現在の米国とイスラエルの国家関係にそのまま当てはめていることである。
 エバンジェリカルの多くがイスラエルを強く支持している信仰上の理由は、次のように説明されている。
 第1はキリスト教徒一般に共通していることだが、イスラエル(パレスチナ)はキリスト教発祥の地であるばかりでなく、イエスが生まれ、十字架にかけられ、復活を遂げた場所だという特別な思いを持っていることである。実際、エルサレムやベツレヘムなどに行くと、米国からの聖地巡礼ツアー客がひっきりなしに訪れていて、キリストの足跡に触れたことに感動している姿をよく見かける。やはりキリスト教徒にとって、聖地であるイスラエル/パレスチナは特別なのだろう。(p202~)エバンジェリカルの場合、さらに第2、第3の理由から、イスラエルへの愛着がいっそう強いようだ。
 第2の理由は、エバンジェリカルは聖書の記述をそのまま受け入れる傾向が強く、聖書に書かれたユダヤ国家についての教えと約束をそのまま信じているためである。多くのエバンジェリカルは、現在のユダヤ人も神が選んだ「選民」であると信じている。さらに神がアブラハムに「あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う」と約束したという聖書の記述(創世記12章3節)に基づき、エバンジェリカルの多くはユダヤ人を気にかける者には、神の祝福が与えられると信じている。また、ユダヤ人にカナンの地(約束の地)を「永久の所有地」として与えるという約束(創世記17章8節)も、多くのエバンジェリカルにとっては「絶対的かつ永久的な」約束であり、「ゆえに今も有効だ」と信じている。
 第3にエバンジェリカルの中には、終末論に基づいてイスラエルを支持する者もいる。キリストがこの世に再び現れる(再臨)ためには、離散したユダヤ人によるイスラエルの完全な再建が必須条件であると信じ、その延長線上で現在のイスラエル国家の安全と繁栄を政治的に支持している。後で述べるキリスト教シオニストの場合、特にこの傾向が強い。(略)
p205~
 キリスト教シオニズムの歴史は思想的には、宗教改革直後の16世紀にまでさかのぼることができる。米国では19世紀にプロテスタントの間で前千年王国説が拡大するにつれて、章冒頭で紹介した長老派の牧師ウィリアム・ブラックストーンは19世紀末の米国で、最も活発に運動したキリスト教シオニストの1人とされている。
p206~
 前千年王国説はキリストがいつ再臨するかという終末論の1つで、「ヨハネの黙示録」にある千年王国が打ち立てられる前にキリストが再臨するとしている。キリスト教シオニストの信仰はこの前千年王国説に基づいており、「約束の地」でユダヤ国家が再建されることこそ、キリスト再臨の前提条件であると信じている。ただそうはいっても、米国のキリスト教シオニストの多くは20世紀半ばまで、ユダヤ国家の再建は現実には起きないと考えていた。
 ところがキリスト教シオニストにとって、「預言」は現実となった。1948年にイスラエルが独立し、さらに1967年の第3次中東戦争「約束の地」に対する支配を拡張したからである。その結果、教会史研究者のティモシー・ウェーバーによれば、1970年代以降、キリスト教シオニズムは米国で「大衆文化」となり、関連する多くの小説がベストセラーとなり、メディアに取りあげられ、さらに政治運動へと発展した。
 つまり現在のイスラエルはキリスト教シオニズムの神学的、終末論的な思想に現実性を与えたといってよい。だからこそキリスト教シオニストは、イスラエルとそこに住むユダヤ人を支持し支援することは宗教的な義務であると主張している。例えば有力なキリスト教シオニスト団体の一つ「スタンド・フォー・イスラエル」のウェブサイトには、「なぜイスラエルのために祈るのか?」というページがある。ウェブサイトの答えは明確で「神が聖書を通じ、イスラエルへの支持と支援を命じているから」と断言している。


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