オウム死刑執行 上川法務大臣の胆力に脱帽 あの暴君ネロにしても、自分の署名で人の命を奪うことが大きな負担になることもあった

2018-08-01 | オウム真理教事件

 産経ニュース 2018.7.22 12:00更新
【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】〈30〉上川法務大臣の胆力に脱帽
*貫徹された法の正義
 オウム真理教の元教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚ら7人の死刑が6日に執行された。
 どういう事情でこの時期に執行されたかについて、事情通がもっともらしいことを言っているが、そんなことはどうでもよい。肝心なのは、上川陽子法務大臣によって粛々と法の正義が貫徹されたということだ。
 ひさしぶりに胆力のある政治家を目にした気がした。執行後の記者会見でも冷静に必要最小限のことのみを端的に答えた。政策通を気取る政治家や揚げ足取りの得意な政治屋は掃いて捨てるほどいる。しかし、胆力を感じさせる政治家はほとんどいないのがわが国の政界である。上川氏のホームページには「腰のすわった政治をめざす」「難問から、逃げない」とあった。この言葉にウソはない。私の中では、ポスト安倍の第一候補に上川氏が急浮上した。
 モンテーニュが興味深いことを第2巻第1章「我々(われわれ)の行為の定めなさについて」に記している。
 《あの残酷の標本ともいうべきネロまでが、或(あ)る日、例のように家来から、一人の罪人の死刑の宣告に署名をしてくれと言われると、「おお字などを学ばなければよかった!」と嘆息したとは。それほどまでに、人ただ一人を死刑に処することが、彼の心を悲しませたとは》
 虐殺で知られるあの暴君ネロにしても、自分の署名で人の命を奪うことが大きな負担になることもあったのだ。芸術の愛好家という一面を持ったネロらしいエピソードともいえる。スターリンや毛沢東にこんなエピソードがあったら教えてほしいものだ。
 10年ほど前、法務大臣として勇気を持って次々と死刑執行命令書に署名した鳩山邦夫氏が「(死刑執行が)自動的に客観的に進む方法を考えてはどうか」と悲鳴をあげたのも、人間の生命を奪う署名がとてつもない重圧となっていたからだろう。その鳩山氏に朝日新聞の「素粒子」は、わが国の新聞史上、前例のない忌まわしい言葉を投げつけた。
 《「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」》(平成20年6月18日付)
 上川氏が署名したのは、国内のみならず世界も注目する異形の犯罪集団幹部の死刑執行である。ハレーションが起こるのは当然として、教祖殺しの「下手人」として、オウム真理教の残党に命を狙われる可能性だって否定できない。署名には相当な覚悟が必要だっただろうと推測する。
*法務大臣に不適格な人々
 ここで思い出すのは、死刑制度に反対する真宗大谷派の信徒で弁護士出身の杉浦正健氏だ。第3次小泉改造内閣の法務大臣就任時、記者会見で「私は死刑執行命令書にはサインしない」と語った。その1時間後に、前言は個人の信条を吐露したもので、法務大臣の職務執行について述べたものではないとこれを撤回、その後は会見などで「適切に判断する」と言い続けたものの、結局死刑執行を命じることなくその任期を終えた。杉浦氏は執行を求められると、法務官僚に対象となる死刑囚の膨大な記録を大臣室に運ばせて自ら精査し、署名を拒否したという。これを「誠実さ」ととらえるか、「ずるさ」ととらえるかは、その人が死刑制度をどう考えるかにもかかっている。私には法務大臣の職務から逃げた卑怯(ひきょう)な人間にしか思えない。
 ここで現行の刑事訴訟法を眺めてみよう。475条は死刑執行について次のように記している。「死刑の執行は、法務大臣の命令による。/前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但(ただ)し、上訴権回復若(も)しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であった者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない」
 判決確定から6カ月以内に執行を命じなければならないという項自体は死文化しているが、現在の日本の法制度において、死刑執行は法の正義の貫徹であり、法務大臣に託された重大な職務であることは間違いない。
 それゆえ、自分の政治的信条や信仰に基づいて死刑に反対している者は、法務大臣就任を打診されても断るのが当然だ。信念を貫くには職務放棄、つまり法をゆがめるしかないからだ。杉浦氏は就任すべきではなかった。同様に民主党政権時代に就任した仙谷由人氏、江田五月氏、平岡秀夫氏も断るべきだった。そして死刑制度は必要と考える者であっても、署名によって人命を奪うという現実に自分が耐えうる器かどうか、十分に考慮すべきだろう。
*死刑で誰が幸せになる?
 こう書くと、私自身が死刑容認派ととられそうだが、正直なところ、いまだに死刑制度をどうすべきか判断できないままでいる。
 作家の安部譲二さんは「冤罪(えんざい)の可能性がある被疑者がいるのだから死刑は廃止すべきだ。死刑にしたあとで冤罪ってことが分かっても取り返しがつかないじゃないか」とよく言っていた。それはそうだと思う。
 加えて、犯人を死刑にすることで、被害者やその遺族、さらに社会が得るものが本当にあるのか、とも考えてしまう。逆に、凶悪事件の犯人とはいえ、法務大臣を筆頭に、その生命を奪うことに携わる人々に精神的なダメージを与えるだけではないかと。死刑廃止論者は、死刑を廃止した欧州のデータをもとに、死刑は犯罪抑止力にはならないと訴える。それはそうだろう。凶悪事件を起こす者は、死刑を恐れて踏みとどまるとはとても思えない。
 そう考えながらも、自分が、平成11年4月に山口県光市で起きた母子殺害事件の被害者遺族であるMさんの立場になったらどうするかを想像してしまう(いやな想像だ)。
 犯人が自分の手の届くところにいるのであれば、間違いなく武器を手に復讐(ふくしゅう)をしにゆくだろう。あとは野となれ山となれだ。現在の日本ではそれがほぼ不可能なのだから、せめて裁判で極刑(死刑)を求めるしかないと思うだろう。
 しかし、犯人が死刑になったところで、壊された被害者や遺族の心は、それでわずかでも修復されるのか…。ふと気がつくと、私は同じところをグルグルと回っている。
 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。=隔週掲載 (文化部 桑原聡)

産経ニュース 2018.7.30 08:17更新
【目線~読者から】(7月18~27日)オウム死刑執行 「職責を果たした法相に敬意」
 平成の日本を震撼(しんかん)させた一連のオウム真理教事件で法務省は26日、教団元幹部ら6人の刑を執行。元教祖の麻原彰晃元死刑囚ら7人と合わせて死刑が確定した13人全員が執行されました(27日付)。
 「いくら死刑囚でも一度に6人とは、あまり気持ちのいいものではない」(千葉県、66歳男性)▽「テレビでは数を挙げて上川陽子法相を批判していたが、法で定められたことを実行した。批判されることはない」(東京都、70歳男性)▽「上川法相に心の葛藤があったことは容易に想像できる。職責を果たしたことに敬意を表したい」(千葉県、80歳男性)▽「20年以上かかって決着した。当時の取材記者にも書いてほしかった」(男性)
 26日の会見で「身勝手な教義の下、2度にわたる無差別テロに及んだ」「慎重な上にも慎重な検討を重ねた上で執行を命令した」と語った上川法相。金曜隔週連載「モンテーニュとの対話」の20日付「上川法務大臣の胆力に脱帽」は読者から高い関心を集めました。
 16世紀のフランスの思想家と対話(随想録を引用)しながら、現代社会を切り取る企画で、筆者の桑原聡記者は、皇帝ネロさえも死刑宣告の署名に悩んだという項目を紹介し、《死刑で得るものは》《自分が被害者遺族だったら》と死刑制度の是非を自問。その上で上川法相が託された職務、法の正義の貫徹を相当な覚悟を持って実行したことを「胆力」という言葉で評しました。
 「政治部でも社会部でもない、文化部記者だから書ける文章だと思った。死刑執行の記事には違和感を覚えることが多いが、腑(ふ)に落ちた気がする」(東京都、60代男性)▽「いつもは読み飛ばすが、最後まで一気に読んだ。筋が通っている」(東京都、70歳男性)▽「久しぶりに骨のある話。ただ、『ポスト安倍の一番手に』は言い過ぎ」(男性)
 台風一過。再び暑い夏が始まりました。23日付産経抄では、平成19年に最高気温35度以上の日を「猛暑日」と定めたことを詠んだ《ほらごらん猛暑日なんか作るから》という句を紹介。すると作者の中原幸子さんから「やけっぱちの句も、こういうふうに取り上げていただけるなら、作っておいてよかったなあ、とつくづく実感、ちょっと涼しくなった気が致しますから不思議です」。こう軽妙かつ涼やかなメールをいただきました。(読者サービスグループ)

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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