小沢氏に再聴取を要請 ポピュリズム「検察審査会」=実にくだらないもの

2010-05-13 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢氏に再聴取を要請 東京地検、「起訴相当」受け
asahi.com2010年5月12日18時38分
 小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、東京地検特捜部は12日、政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で告発された小沢氏を不起訴(嫌疑不十分)とした処分を検察審査会が「起訴相当」としたことを受け、小沢氏に3度目となる任意の事情聴取を要請した。元秘書の衆院議員・石川知裕被告(36)=同法違反罪で起訴=らにも再聴取を要請した。
 一方、小沢氏らが聴取を受諾しても、小沢氏の関与を補強する新たな供述が得られるかどうかは不透明だ。石川議員らについては起訴後の取り調べになるため、弁護人の意向も踏まえて調整する。
 特捜部は再聴取などの状況を検討して再び処分を決める。改正検察審査会法では、検察が再び不起訴としても審査会が2度目も「起訴すべきだ」と議決すれば、裁判所の指定弁護士が強制的に起訴する。
 特捜部は2月、陸山会の事務担当者だった石川議員と池田光智被告(32)、会計責任者だった大久保隆規被告(48)の計3人の元秘書を起訴した。起訴状によると、石川議員らは2004年に小沢氏からの借入金4億円で都内の宅地を約3億5千万円で買い、07年に小沢氏に4億円を返済するなどした収支を政治資金収支報告書に記載しなかったとされる。
 石川議員らは収支報告書を提出する際、小沢氏に総収入や総支出などの概括的な報告はしたと供述した。だが、いつどこでどのような文言でやり取りしたかという具体性に欠け、虚偽内容を含む記載への小沢氏の関与も否定した。
 特捜部は1月、2度にわたって小沢氏から任意で事情聴取したが、小沢氏は虚偽記載について「秘書の独断」と自らの関与を否定した。
 また、特捜部は4億円は「胆沢(いさわ)ダム」(岩手県奥州市)工事をめぐるゼネコン側からの裏金が含まれるとみて捜査したが、小沢氏は、東京・湯島の自宅を売却した際の残金など「個人資産」だとして完全に否定。石川議員らも否定を貫いた。
 特捜部は「裏金を隠すための虚偽記載」と見立てた構図を十分に立証できず、小沢氏については「虚偽記載を具体的に指示、了承した証拠が不十分で共謀は認定できない」として不起訴にした。
 一方、小沢氏を告発した団体から不起訴処分を不当とする申し立てを受けた東京第五審査会は4月27日、小沢氏を「起訴相当」と議決し、同日公表した。審査会は、石川議員らが収支報告書を小沢氏に報告したとする供述を有力な「直接証拠」と評価し、小沢氏の説明を「不合理で信用できない」と判断。土地取引をめぐる融資書類に小沢氏本人が署名した「執拗(しつよう)な偽装工作」も指摘したうえで、小沢氏を「絶対権力者」として元秘書らとの共謀が成立すると認定した。
類い稀なるポピュリズム「検察審査会」=実にくだらないもの
〔検察審査会の「起訴相当」議決について...とんでもない議決、あぜんとした〕郷原信郎(名城大学コンプライアンス研究センター長)
 コンプライアンス研究センター長定例記者レク4月28日
 昨日、陸山会の不動産取得に関連する政治資金規正法違反についての、小沢一郎氏に対する不起訴処分について、東京第5検察審査会で起訴相当という議決が出ました。よく議決書を読んでみると、とんでもない議決です。驚いたというか、あぜんとしたというのが正直なところです。
 まず、驚いたのが被疑事実ですが、平成16年の陸山会の収支報告書に、小沢一郎氏から現金で4億円借入をしたのに、それが記載されていなかったということが、今まであれだけ問題にされてきた。この年の収入がその分過少だったということが、石川氏の起訴事実になっているはずですが、それが今回、起訴相当とされた被疑事実に入っていないのです。
 何が起訴相当な事実とされているかというと、要するに1つは、16年分の収支報告書に土地代金の支払いを支出として記載しなかった。平成16年10月に3億4260万、土地代金として支払ったのを、この年の政治資金収支報告書に記載していなかったという支出の虚偽記入。それと、そこで不動産を取得したことを、この年の収支報告書に記載しなければいけなかったのに、それを記載していない。それから、翌年の収支報告書に、支出をしていないのに、土地を取得した事実はないのに土地を取得したということと、その土地代金を事務所費として支出したということを記載した。これもウソだということ。これが検察審査会が起訴相当とした事実です。
 要するに、いろいろ書いてあるけれども、土地の取得の時期が2カ月ずれていた。土地の代金の支払いの時期が2カ月ズレていた。それだけです。それはまったく私も、予想だにしなかったことです。確かに、石川氏の起訴事実の中に、虚偽記入として支出がズレていたということも含まれていたと思います。しかし、まさか、支出の時期が、土地代金の取得時期がズレたのに伴って、代金の支払いの事実が2カ月ほどずれていた、たまたまそれが年度をまたいだということが、虚偽記入でとらえられるとはまったく思っていなかったし、それが、国会議員を起訴に値する事実だとは私には到底思えません。
 これは、恐らく、私ならずとも、検察の側も、捜査を進める中で、これだけの事実で起訴するなどということはまったく考えてもいなかったと思います。検察の方も、最初は、4億円の収入の不記載も、それだけだったら身内のお金がぐるぐる回っていたというだけ、単に立替金というだけで、政治資金規制法違反と言っても本当に起訴価値が、処罰価値がないから、そこに水谷建設からの裏金5000万円が原資として含まれているということがあって、初めて4億円の収入の不記載、収入の過尐記載も起訴できる事実に当たる、ということを前提に捜査を進めていたと思います。
 ところが、実際には水谷建設からの5000万円の裏献金のことは全然証拠が固まらなかったということで、私はちょっと、それは無茶ではないかと思いましたが、石川議員を4億円の不記載、収入の過尐記載で逮捕し、そして、それについて小沢氏が起訴できるのか、共謀が認められるかどうかということが問題になったけども、結局検察は小沢氏の共謀は認められないという判断だったわけです。もっぱら4億円の収入の不記載ないし過尐記入というところに焦点が当たっていたはずです、検察の処分では。
 ところが今回はそれについては全然触れていないで、客観的には確かに時期がズレているから虚偽と言えば言えるだろうという支出の時期のズレ、不動産の取得の時期のズレ、ここだけを起訴すべきだという議決です。これは、いくら何でも政治資金規制法の趣旨目的から考えて、これだけの事実で起訴すべきだと言われても、到底起訴はできないと思いますし、検察の不起訴の結論は変わらないと思います。
 再捜査をしたところで新たな証拠が見つかる可能性はほとんどないわけです。ほとんど現時点と同じような証拠を前提にして、再度検察が判断しなければいけないわけですが。既に、検察が組織として証拠が不十分で起訴できないということを決定しているわけです。それを、今回の一回の検審の議決で覆すということはあり得ないと思います。
 しかも、起訴相当の議決で被疑事実とされたのは、単なる期ズレの問題です。時期がズレただけの問題です。これで起訴するということはあり得ないと思います。それじゃあ、4億円の収入の不記載、あるいは収入の過少記入という点を併せて起訴することができるかというと、できないと思います。すでに検察がいったん不起訴にして、今回の検察審査会の議決でも起訴相当とされた事実じゃないわけですから、検察がその点も含めて、改めて起訴すべきだと判断する理由はまったくありません。
 となると、今回の起訴相当の議決はあっても、再捜査の結果、再び不起訴になる可能性が極めて強い。そうすると、今度もう一回検察審査会に行くわけです、今度は、検察官の説明で、ずれの問題だけではとても起訴なんかすることは考えられないんです、ということをよく検察が検察審査会に説明しなければいけないと思いますが、それでも検察審査会の素人的な判断はまた起訴だという判断になる可能性も相当程度あります。そうなると、今度は起訴強制ということで、指定代理人が選任されて、指定代理人が起訴の手続を取ることになります。これは私の立場から言うのもなんですが、検察にとって大変な事態です。
 とりわけ特捜部という組織にとっては非常にやっかいな事態、困り果てる事態になると思います。
 同じ起訴強制でも明石の歩道橋事故とか、JR西日本の福知山線の脱線事故とはまったく意味が違います。今回は特捜検察の問題、特捜部の問題です。もし起訴強制ということになれば、恐らく関連する証拠は全部指定代理人に提供しなければいけないということになると思います。関連する証拠ということになると、去年の3月の西松建設事件のときの押収した資料から何から全てということになります。いろいろな取り調べの結果、得られた供述調書とか、そういったものも、公判に提出する必要がないと考えられるものも全部、指定代理人に渡さなければいけない。これは当然です。検察官がえり好みするわけにはいかない。
 中には、およそ立証には使えないという証拠も、私が推測するに相当あるのではないか。取り調べのやり方に問題があるとか、あるいは前提事実を取り違えているとか、客観的な事実と合っていないとか、膨大な手間暇をかけて捜査してきたことの中にはいろいろなものが含まれているのではないかと思います。その中から指定代理人が公判に提出する証拠を選別していくとすると、従来の検察の常識では考えられないような証拠が出てくる可能性があります。検察にとっては特捜部の事件の強制起訴というのは本当に本来であれば絶対に避けたい事態だと思います。しかし、とは言っても、今回の起訴相当の議決に従って起訴することは、まず不可能だと思います。それをやってしまうと、検察の存在意義自体が問われる事態になってしまうのではないかと思います。
 結局、こういう事態に至った経過を全体として振り返ってみると、何と言っても検察の捜査に無理があったということだと思います。その捜査の無理が、こういう形で跳ね返ってきたということだと思います。大がかりな捜査を展開して、捜査をどんどん前に進めようとマスコミが煽ってきたために、世の中に、小沢氏が起訴されないとおかしいという、素人的な、庶民的な不満を生じさせた。そういう状態で事件を検察審査会に持っていけば、市民感覚では、起訴すべきだと、何でこれで不起訴なんだという意見になってしまうということです。しかし、処分するのは検察です。検察が果たしてそんな素人的な感覚だけでまともな処分ができるのだろうか。2回の起訴相当議決で強制起訴ということになれば、検察の処分の問題ではありませんから、別の問題になりますが、今回の起訴相当とされた被疑事実を起訴することは、尐なくとも、検察が行う刑事処分としてはまったく無理だと思います。
 それからもう1つ、今回の検察審査会の議決書を見て問題だと思うのは、審査申し立て人が甲となっていて、匿名だということです。なぜ審査申し立て人の名前を記載しないのか。これはまったく理解できないです。これだけの大きな影響が生じる事件の審査を申し立てている人間ですから、自分の名前ぐらい出すのは当たり前だと思います。申立人本人が匿名を仮に希望したとしても、そんな希望は絶対受け入れるべきではないし、最初からそれ前提の審査申立であれば、そんなものは受け付けるべきではなかったと思います。
今日、昼に議員会館で開かれた「司法のあり方を検証する議員連盟」の際にも紹介しましたが、最新号の『アエラ』に「検察幹部批判に逆ギレ」という記事が出ていて、この中に検察幹部の非常に率直なコメントが出ています。非常に興味深く読みました。特に興味深かったのは、今の事件で小沢氏を不起訴にした経過です。4億円の小沢氏から入ったとされるお金の中に、ゼネコンからの裏献金が入っているという新たな証拠を得ることが起訴の条件にしたこと、それがなければ、「単なる形式犯」との弁明が成り立つからだと書いてあります。結局、その条件が充たされなかったから、最初の条件どおり小沢氏は「嫌疑不十分」で不起訴という結論になったと書いてありますが。
 しかし、それでは石川議員は単なる記載ミスで形式犯でも逮捕して起訴していいのでしょうか。同じ国会議員。石川議員だって北海道11区で、11万人を越える有権者の支持を得て当選して、初の通常国会に臨みで議員として活動する予定だった現職の国会議員です。なぜ、ゼネコンからの裏金が含まれていることが小沢氏の起訴の条件にはなっているのに、石川議員の逮捕の条件や起訴の条件にこれがならないのか。非常に不思議です。
 要するに、こういう考え方で、自分たちが小沢というターゲットに焦点を当てて捜査を進めていくことしか頭にない、そのための手段であれば、現職の国会議員を逮捕するというのはどういう意味なんだとか、それにふさわしいだけの事実、証拠はあるのかなどほとんど考えないで前のめりに、前のめりに捜査してきたことが、結果的には世の中にいろいろな誤った印象を与えてしまって、これが検察審査会の起訴強制という制度の下で、一気に今度、検察の方にそのとがめが跳ね返ってきてしまった。それが今回の問題だと思います。
 ある意味では、JR西日本の山崎前社長の起訴、あの判断は私は絶対に間違いだったと思いますが、あの事件を無理をして8年前の山崎前社長が鉄道本部長だったときにカーブを急にする際にATSを付けなかったと。そのことによってああいう脱線事故、死亡事故が起きることを予見すべきだったという、ちょっとむちゃくちゃな判断をして起訴したことが、結局、この前も、歴代3社長も起訴すべきだという起訴相当の2回の議決が行われることにつながってしまって、検察にとっては非常にやっかいな事態になってしまったわけですが、これとまったく同じ構図だと思います。一連の事件の被疑者の1人について無理な判断をしてしまって、そこのところで何とか決着付けようと思っても、今の制度はそれだけでは済まないわけです。それだけ検察にとって、今の検察審査会制度の下では選択の幅が非常に限られてきているということを改めて認識しないといけないのではないかと思います。
 小沢氏を不起訴にした段階で、なぜ不起訴にしたのかということをしっかり説明していれば、それが報道されて、起訴できないことの正しい理由が分かっていたはずです。ところが、検察は、それまでの捜査を正当化するために、負け惜しみ的な説明をした。どっちに転ぶか分からないぐらい微妙な判断で、ぎりぎり不起訴になったんだというような説明をしました。私に言わせれば、現職の国会議員の石川氏の逮捕・起訴に重大な問題があるのであって、小沢氏の方は箸にも棒にもかからないです。そこをはっきり言わないから、結局、検審の審査員にも誤った認識を与えてしまう。なぜ言えないかというと、それは捜査が最初から無茶苦茶だからです。
 起訴を目指して捜査すること自体が暴走なのに、それをそうだったとは言えないので、世の中に誤解を与える。それが今回のように検察のところに戻ってくるわけです。
 ずっと時計の針を戻していくと、西松建設のところまで戻るわけです。そもそもあそこであんな事件に手を付けたから、後に引けなくなってどんどん暴走に次ぐ暴走を重ねていったということも全部反省しなくちゃいけなくなるから、処分の段階で誤った説明をせざるを得ない。結局は、元を正せば西松建設事件で大久保秘書を逮捕したところにすべての原因があるわけです。
 そう考えたときに、検察はそもそもなぜこんな制度が導入されてしまったのかということにもう一回思いをいたすべきではないかと思います。なぜかここのところ、その点についてまったく報道されていません。ほとんどの人がそこを認識していません。でも、この検察審査会の起訴強制の制度の導入のきっかけになったのは、2001年に起きた福岡地検の次席検事による捜査情報の漏洩問題です。
 この問題についての調査結果の中で総括として、これは法務省の調査結果ですが、こう書かれています。「公訴権の行使や検察運営に関し、民意を反映させることは、検察が独善に陥ることを防ぐとともに、検察に対する国民の信頼と理解を得る上で大きな意義があり、具体的には検察審査会の一定の議決に法的拘束力を与えることにくわえて」、この中でそういう方針を打ち出しているわけです。要するにあの事件は、大地検の次席検事という検察にとって、要職にある検事にとってあるまじき行為です。捜査情報を被疑者側の裁判官の側に漏洩して、それでうまく事件を不起訴にしてまとめてやろうとした。こんな問題が起きたということで検察に対する社会の信頼を決定的に損なわれたそのために検察の権限が一部制約されることになった。その経過を改めて認識し直さないといけないと思います。
 ところが、今回は、検察が、特捜部が、がんがん無理な捜査をしていって、それがさすがにもうそれ以上は進めないというところまで行って力尽きた。それを「市民感覚」を追い風にもう一回暴走させる方向に向けて検察審査会の起訴強制という制度が使われようとしているわけです。それは、起訴強制という制度の本来の趣旨にまったく反するものだと思います。
 また、起訴、不起訴の判断に関して、検察の場合は黒という確証があったときに起訴するが、検審の判断は白か黒かを公開の法廷で明らかにすべきということで良いのではないかという考え方もあり得ます。刑事司法全体がそういうシステムに変わり、世の中もそれを前提にして動いていくのであれば、それはそれで悪いことじゃないと思います。そうなると、検察という組織がこれまで刑事司法で果たしてきた役割の大部分は失われます。今までの日本の刑事司法はそうじゃなかった。やはり検察が起訴ということに対して一定の責任を持っていたわけです。 ですから、検察の判断というのが基本的に正しいという前提で刑事司法のシステムはできているんです。だから、検面調書というのは、その内容が法廷供述と相反したら情況的な保障だけで検面調書証拠能力がある。それは、検察官の面前では本当のことを話すけど法廷では嘘をつく、偽証をするということを刑事訴訟法の規定自体が前提にしているわけです。
 しかも、検事が立証しようとしていることをずっと否認し続ければいつまでも身柄が拘束できるという、国際的にもほとんど例のないような「人質司法」のシステム。これはみんな検察官のところで適正な捜査が行われ、検察官が適切な事実認定をするという前提で組み立てられているわけです。だから、この間も石川議員が起訴されたと言ったら、当然議員をやめるべきだ、議員辞職勧告決議ということになります。なぜそうなるかというと、これは裁判所の判断ではなく、検察が起訴したということが大きいのだということが前提となっているからです。
 ただ、もし検審の起訴相当2回で、検察審査会の議決の強制力で裁判にということであれば、これは検察の問題じゃないから、まだ捜査が裁判で続いているという考え方もできるかもしれないし、そういう方向に持っていくならそれはそれでいいかもしれないです。ただ、私はそうはあってほしくない。やはり、検察の役割をもっと日本の社会は重視すべきだと思っているし、やはり、検察が本当に適正な判断ができる捜査機関であれば、こんなことにはなっていないわけで。
 だから、改めてこれを何でこんなことになったのかというのを遡って考えてみると、非常に残念なわけです。福岡地検の次席検事が検事にあるまじきこんなことをやった。そして、最近の特捜検察の暴走、それらすべてのとがめが跳ね返ってきているわけです。本当にこんなことをやっていたら検察はおしまいじゃないかと。すごく私は心配しています。 世の中全体としては、いろいろな選択肢はあり得ると思います。でも、日本の国で今までやってきたように、検察が刑事司法に責任を持つ方向でまだまだ努力をしようよと、私は言いたいのです。
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