オバマ氏広島訪問に思う(阿比留瑠比) 「深い悔悟を胸に…黙祷をささげました」2015年4月 安倍米議会演説

2016-05-12 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

2016.5.12 12:30更新
【阿比留瑠比の極言御免】謝罪や賠償突きつける…日本にはなじまない 成熟した同盟関係に オバマ氏広島訪問に改めて思うこと
 米国のオバマ大統領が被爆地、広島を訪問するとの発表を受けて、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事の言葉をいくつか読み返した。そこには、昭和天皇が「残虐なる爆弾」と呼ばれた原爆投下に対する強い憤りが示されている。
 「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、(中略)ナチス指導者たちの指令に近似した唯一のもの」
 「原爆投下について、これまで米国はいろいろと弁明しているが、(中略)幾千人の軍人の生命を救う代償として、罪のない老人や子供や婦人を、あるいは一般の平和的生活を営む市民を、幾万人幾十万人も殺していいというのだろうか」
 パール氏の存在は、米国にとってはさぞや煙たかったことだろう。また、昭和21年5月の東京裁判公判では、米国人で被告弁護人であるブレイクニー弁護士が、次のように訴えた。
 「(訴因の一つの)真珠湾爆撃による米軍人の死が殺人罪になるならば、われわれは広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。(中略)この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる。その人たちが裁いている」
 ところが、弁論のこの部分は通訳が打ち切られ、日本文速記録でも「以下通訳なし」とされて明らかにされなかった。米国が原爆投下について批判されることに、いかに神経質になっていたかがうかがえる。
 現在、米国では原爆投下を正当化する世論が根強いとされるが、意識の奥底では自国の負の歴史として刻まれている部分があるのだろう。米国内でも、謝罪の要不要をめぐって意見が分かれているようだ。実際には、日本政府は当初から「米国による謝罪は百パーセントあり得ない」(高官)と見切っていたが。
 ただ、いずれにしろオバマ氏を受け入れる側のわが国から、謝罪や賠償などを求める必要はない。それはあくまで米国側が考え、決めるべきことだからだ。相手国に謝罪や賠償を突きつけることで道徳的に優位に立とうとするような流儀は、日本にはなじまない。
 20年前の平成8年にインドネシアで現地の慰安婦問題について取材した際、英字紙「インドネシア・タイムズ」のジャマル・アリ会長(当時83歳)が語ったこんな言葉を思い出す。
 「われわれには、韓国とも中国とも違う歴史とプライドがある。『お金をくれ』などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない」
 安倍晋三首相は10日夜、オバマ氏の広島訪問決定について記者団にこう意義を述べた。
 「唯一の戦争被爆国の首相である私とともに、世界で唯一核兵器を使用した国の指導者が共に犠牲者に対して哀悼の誠をささげる。このことが正に被爆の犠牲となった方々、そして今も苦しむ人々の思いに応えるものだと私は信じている」
 安倍首相は昨年4月の米議会演説では、第二次大戦メモリアルを訪ねた際の思いをこう語っている。
 「私は米国の若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷をささげました」
 そこにことさら「謝罪」の言葉はなかったが、米議会は大きな拍手で歓迎した。日米同盟関係の成熟の一つの表れだと感じた。(論説委員兼政治部編集委員)

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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安倍首相 米議会「演説」全文 2015年4月29日午前(日本時間30日未明)
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