ウイグル族が迫害される理由 Massimo Introvigne 2018/11/22

2019-06-15 | 国際/中国/アジア

ウイグル族が迫害される理由

2018-11-22 マッシモ・イントロヴィーニャ

 中国共産党が実施している、イスラム教徒のウイグル族への迫害は、2000年代に法輪功に対して実施された大規模な弾圧以来最悪の醜態となりつつある。中国共産党が迫害を続ける理由について考察する。
 2018年11月6日に行われた中国に対する普遍的・定期的レビュー(Universal Periodic Review: UPR)において、「教育による改心」強制収容所で約100万人のウイグル族を収容していることは、2000年代に行われた法輪功への弾圧に続く、中国共産党にとって最悪の醜態であるとされた。中国の外交官と外務次官は、各国から次々と挙がるウイグル族迫害に対する非難の声に耳を傾けるよりしかなかった。なぜ中国でこのようなことが行われているのだろうか?
 簡単には2つの答えを挙げられるが、1つは間違っており、もう1つは不完全だ。まず、中国共産党には宗教を嫌悪するきらいがあるから、といえる。これは事実ではあるが、迫害を受けたウイグル族の数が近年、劇的に増加した状況を説明していない。中国共産党の宗教嫌いは何も今に始まったことではない。それではなぜ今、ウイグル族に対して、これほど大規模な取り締まりが行われているのだろうか?
 もう1つ考えられるのは、中国共産党がウイグル族の「分離主義」と「テロリズム」を恐れているから、というものである。もちろんこの答えは党として目指す方向性に一致するし、中国共産党も、この説明を国際的なメディアや各国政府に遮二無二売り込んでいる。中国共産党の望む成果が得られているとは言い難いが、一部のメディアではまだこの説明が繰り返されている。
 これらの主張は真実に基づいてはいるが、中国共産党がプロパガンダとして使う2つの偽りを提唱するために作り出されたものである。中核にある真実とは、新疆にはイスラム原理主義を説くテロ組織がいくつか存在するということである。この分野の統計はすべて、政治的な色づけがある数字だが、当局は、2000年以降に発生したテロ攻撃の犠牲者は700人強に上ると主張する。ウイグル族は、その数字は誇張されている、と訴える。けれども、テロ攻撃が何度か発生したことも事実である。またウイグル族の中には、アルカイダに同情を寄せる者もいるうえ(アルカイダはその見返りに、ウイグル族を助けることをプロパガンダで謳い利益を得ようとしている)、「イスラム国」(IS)に加わったウイグル族も少数ながらいた(中国当局は300人とするが、独立したオブザーバーは100人程度とみる)。2009年、新疆ウイグル自治区の首都ウルムチで暴動が発生した。ウイグル族が警察の残虐行為に抗議し、(当局の統計によると)197人(そのほとんどが漢民族)が命を落とした。けれどもその後中国共産党が展開してきた暴力的な弾圧は、恐らくそれと同じぐらいの数の犠牲者を生み出してきた。

 これらの事実から、中国共産党のプロパガンダは2つの誤った結論に帰結する。
 第一に、ほとんどのウイグル族がテロリストに共感しているという点である。この主張は証明する証拠も何もないのに、「教育による改心」強制収容所に百万人ものウイグル族を収容する大義名分に使われた。実際には、ウイグル族のほとんどの指導者や組織は、テロリズムを断固拒否している。
 第二の間違った結論は、新疆では恐怖で縛る政権を発足させて、人口の大多数を収監すればテロを根絶やしにできる、というものだ。真実は、その真逆である。ウイグル族の状況を研究している国際テロ学者の大半は、無差別な抑圧が続く現在の流れが、小規模で見向きもされないテロ集団が新疆で新兵の募集を可能にする最高の呼び水になってしまっている、と結論付けた。

 また、中国共産党は、あらゆる形式の政権への批判や、地域の独立や自治を求めるすべての政治的な活動を、「テロリズム」に分類していることにも留意すべきである。これは、通常の「テロリズム」の概念から外れたものだ。

 事態のより深い理解には、ウイグル族について知る必要があろう。
 「ウイグル族」は、8~9世紀にかけて存在した広大な帝国、回鶻(かいこつ)に属する人々を指した名称である。中国の唐王朝が汗国(かんこく)を倒して征服したことで、ウイグル族は現在のモンゴルから新疆への大規模移住を余儀なくされた。そこでもともと暮らしていた土着の人々との混血が生じ、10世紀からは徐々にイスラム教への改宗が進んだ。当時、「ウイグル族」という呼称はほとんど使用されておらず、トルコ系イスラム教徒が住んでいた地域は、ふつうアルタシャハル(「六城」)と呼ばれていた。

 仏教徒のジュンガル汗国(今日の新疆北部)は、17世紀にアルタシャハルを征服したことが、その地域の一部のイスラム教徒が中国の清朝と同盟を結ぶきっかけとなり、清はジュンガルに対して宣戦布告を行った。一連の戦争が終わりを告げたのは18世紀、ジュンガルの虐殺(Dzungar Genocide)という出来事があったときだった。その時、中国の弾圧、疾患や飢饉が原因で、50万~80万人のジュンガル人が命を落とした。アルタシャハルのイスラム教徒は、ジュンガルの支配下から中国の支配下へと移り変わる。一時期、ウズベキスタンの軍人で指導者のヤクブ・ベク(1820~1877年)が、この地域のイスラム教徒を集めて中国に対抗し、イスラム教国家を樹立した。中国は1866年にベクを討伐し、1874年にその地域を併合して「新しいフロンティア」あるいは「新しい国境地域」を意味する「新疆」と名付けた。この段階では、「ウイグル族」という名称は、中世の回鶻の住民を指していたに過ぎなかった。中国が「新疆」と呼んでいたイスラム教徒は、「トルコ族」、「ターバン頭」、または単に「イスラム教徒」と呼ばれていた者たちであった。

 「ウイグル族」という呼称は、新疆の中国への併合に抗した動きの中で再び登場したもので、中国の植民地主義とその地域を「新疆」と呼ぶことに抵抗して、独立を求めた(彼らは「東トルキスタン」の呼称を望んだ)。
 その味方となったのが、当時のソビエト連邦である。「ウイグルスタン」は、近隣のキルギスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンと同様、イスラム教徒が多数派を占めるソビエト連邦の属州にできると考えたのだ。
 これは、ソビエトと中国の国民政府の間で、複雑な政治的、外交的、軍事的な緊張感を生み出した。ソビエトの支援と保護を受けて、東トルキスタン共和国が独立国家として新疆で二度樹立された。最初は1933~34年、そして二回目は1944~49年にかけてであったが、どちらも短命に終わった。

 中国共産党が中国を掌握したことで、この試みは潰えるところとなった。毛沢東国家主席(1893~1976)は、新疆を「自治区」と宣言したが、自治とは名ばかりで机上の空論に終始していた。実際に中国の漢民族が大挙して新疆に移住するように送り込まれたが、統計情報は疑いの余地を残すものである。新疆ウイグル自治区のウイグル族の数にも異論があり、研究者の中には中国国勢調査の860万人であると唱える人もいれば(カザフ族など、他に新疆ウイグル自治区に住むイスラム教徒の合計人口が1100万人)、海外のウイグル族の組織は1500万人であると主張する。新疆の住民の総数は、2100万人である。

 ほとんどのウイグル族は自分たちのことを「中国人」であるとは考えていない。中国人とは異なる民族性、宗教、言語を持っているためで、ウイグル族のほとんどは中国語を全く話さない。ウイグル族のほとんどが政治的に 「分離主義者」であるとか、中国からの独立を支持しているという証拠はないが、ここでも弾圧と迫害が明らかに分離主義に拍車をかけている。
 余談だが、Bitter Winterは人権と信教の自由に焦点を当てた雑誌である。どの地域が中国に属しているか、といった政治的な問題については中立的な立場を取っている。「新疆」は、この地域の最も一般的で分かりやすい名称として用いているに過ぎない。

 ウイグル族の分離主義的な傾向が、過去十年余りの間でより顕著になったことを示す証拠はない一方、中国共産党がウイグル族を迫害している証拠は十分にある。
 繰り返すが、問題は、その理由だ。ほとんどの研究者は、その理由が政治的なものよりも宗教的なものにあると考えているが、私もそれに同調する。
 鄧小平(1904~1997年)が、(わずかに)寛容な政策をとったため、中央アジア全土に影響を及ぼしたイスラム教の復活が新疆にまで波及することを許した。同時に、新疆ウイグル自治区のイスラム教徒に対する取り締まりを強化することで、戦略的な要衝でソビエト連邦が支配する「ウイグルスタン」を立ち上げるプロジェクトが再燃してしまうかもしれないという恐れが、ソビエト連邦の崩壊を受けて消え去った。
 習近平国家主席が政策上、宗教全般に対して取り締まりを強化したことは、現在の状況を作り出す最後の一押しとなった。

 ウイグルはなぜ迫害されるのか?
 「分離主義」への懸念という側面もありうるが、根底には、強いイスラム教の復権が政権を脅かさないかと恐れているからである。
 中国共産党は、今も昔も、イスラム教徒が力を復活させれば、ウイグル族以外の部族にイスラム教が拡大、宗教全体が活力を取り戻してしまい、各宗教の信者が力を合わせて中国共産党の支配を凌駕する日が来るのではないか、と恐れているのである。
 論理的な結論としては、迫害の理由は純粋に宗教的なものではないが、ウイグル族は本当に宗教的な迫害を受ける被害者なのだ。

*マッシモ・イントロヴィーニャ
 マッシモ・イントロヴィーニャ氏(Massimo Introvigne、1955年6月14日、ローマ生まれ)はイタリア人の宗教社会学者です。新宗教の研究者の国際的なネットワーク「Center for Studies on New Religions(新宗教研究センター: CESNUR)」を設立し、理事長を務めています。
 イントロヴィーニャ氏は宗教社会学の分野で70冊の著書と100本以上の論文を発表してきました。Enciclopedia delle religioni in Italia(イタリア宗教百科事典)の主要著者の1人でもあります。
 また、イントロヴィーニャ氏は、Interdisciplinary Journal of Research on Religion(宗教研究の学際的ジャーナル)の編集委員であり、カリフォルニア大学出版による「Nova Religio」の理事でもあります。
 2011年1月5日~12月31日にかけては、欧州安全保障協力機構(OSCE)の「キリスト教徒およびその他の宗教の信者への差別に着目した、人種差別、排外主義、差別の根絶活動の代表者」を務めました。そして、2012~15年には、世界規模での信教の自由に関する問題を監視するために、イタリア外務省が設置した「信教の自由の監視」委員会の議長を務めました。
 http://www.cesnur.org/

   ◎上記事は[Bitter Winter]からの転載・引用です

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