
〈来栖の独白 2018.12.10 Mon〉
本日は夫君と出掛け、夕方慌てて帰ってきて公園へ。猫ちゃんとの「夕食」お約束。もうすっかりBossちゃんは私を覚えてくれていて、食べるよりも体を私の足にすり寄せることに忙しい。抱っこも、いくらでもさせてくれる。
しろちゃん、琵琶ちゃん、茶トラン、黒ちゃん、もう(牛柄・白黒)ちゃんたちとのひとときに、感謝。
駐車場近くまで帰ってきたら、大澤夫人と出会った。ご主人の方は一日一万歩以上のノルマをこなし、夫人の方は私と同じ、ウォーキング&猫ちゃん。
今日はこのところ読んでいる佐藤愛子さんの本の話題。日が暮れかかったので、時刻を気にしながら。大澤夫人も佐藤愛子さん、曾野綾子さんがお気に入り。「私は佐藤さんのような霊体質ではないんだけど、佐藤さんの言われる(書いておられる)ことは理解できるし、共感している」と言うと、大澤夫人が「私、佐藤愛子さんと同じなの(霊体質)よ、(霊的なものが)見えるの。レベルは低いけど」と。「えっ」と私が驚くと、「霊的に、見えるんだけど、そんなこと、誰にも云わないわよ。云えば、『おかしいんじゃないか』って云われるだけだからね」。
それで一気に、佐藤愛子さんの北海道の別荘の話や近年の世相の話になった。また、次のような話もした。
「戦後」と言われた食べるにも事欠く時代、母親は自分の食べたいのを堪えてでもわが子に譲り与えていた。ところが近年は、わが子を虐待する母が増加している。愛人に虐待させたりもする。放縦な性欲に端を発している。テレビは、食べることの番組が圧倒的に多い。食欲も、本能の赴くまま。浅ましい。私はこの浅ましさが嫌でならない。佐藤さんは『私の遺言』で、次のように書く。
p288~
物質の豊かさと自由快適な暮しを追い求めているうちに我々は心を荒廃させていった。理由のない衝動殺人、荒れる高校から中学へ、そしてついに小学生にまで荒廃が及んだと思ったら、この頃は児童虐待が増え出した。かつて我が国で女性の一番の美徳とされていた「母性愛」が変質してきたのである。
かつての男社会では男に都合がいいように「母性愛」を美徳として讃えた、それに女がのせられただけなのだという意見がある。また、男性主体の社会では、女は子供を育てること以外に何の楽しみも情熱の捌け口もない家事の奴隷だったから、生き甲斐を子供に賭けるしかなかったために育っていった観念だ、女性が家庭の桎梏から解き放たれて、自由に社会で力を発揮するようになれば、子供が至上のものでなくなるのは自然のなりゆきだという意見もある。
しかしだからといって、気分、感情に委せて弱い存在である子供を死んでしまうほど(p289~)折檻するのだという理屈は成り立たない。女性は妊娠、出産という肉体的精神的苦痛を通過して母になっていかなければならない。そのため神は男性に勝る忍耐力と強靱さを女に与えられている。その我慢の力に加えて、苦痛と共に産み落した分身への、理屈ではいい切れない情もまた神から与えられていた。自分の思い通りにならない最も強大な存在が嬰児である。泣き声がうるさいからと、いくら怒っても威しても、泣く時は泣く。それを我慢してつき合っていくうちに女は母になっていく。子のために耐え難いことを耐えること、子に尽くすことが当り前になっていくのである。
神はそんなふうに女を創られた。男と女は平等ではあるが、同質ではない。夫が子供の世話をすべて妻に押しつけるといって腹を立てても、だからといって子供をほうり出して知らん顔をしていることは出来ない。その「いうにいえない母の情」というものが今、摩滅してきているのである。
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* 鎖で小2長男監禁 半径1m余しか動けず 両親を逮捕 日常的な虐待の疑いも 滋賀県長浜市 2014/10/8
* 桜井市 吉田智樹ちゃん(当時5歳)餓死事件 虐待の母に懲役9年6月 奈良地裁 2011/2/10 。
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◇ 佐藤愛子著『私の遺言』に見る 神戸連続児童殺傷事件 少年A 酒鬼薔薇聖斗 〈来栖の独白 2018.12.3〉
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◇ 『冥界からの電話』死んだ女の子から電話がかかってくるという実話 佐藤愛子著 2018.12.5
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◇ 佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』司法は人間性を失った。情を捨て、観念のバケモノになった。
◇ 佐藤愛子著『九十歳。何がめでたい』・・・大阪寝屋川・中1殺害事件