地下鉄サリン事件 直後の交信記録 初公開 警視庁 現場の警察官との緊迫のやりとり

2015-01-15 | オウム真理教事件

サリン事件の交信記録発見 警視庁、緊迫のやりとり
2015/01/14 20:46【共同通信】
 13人が死亡、6千人以上が重軽症となった地下鉄サリン事件が発生した1995年3月20日朝の、警視庁と現場の警察官との無線交信を記録した音声テープが残っていたことが14日、同庁への取材で分かった。約70分の途中には「爆発物によるゲリラ事件」とされるなど混乱も。化学兵器による未曽有のテロ事件に立ち向かった緊迫した様子が浮かび上がった。

    

 「日比谷線の八丁堀駅。病人2名、気持ち悪くなったものが2名いるそうです。詳細、判然としません」。午前8時21分、警視庁通信指令本部に入った急病人の発生の一報でテープは始まる。
 地下鉄の駅などから報告が相次ぐ。「歩道上に何人も倒れております」。「人工呼吸中。救急隊の話によると危ない状況」。被害は拡大するばかりで、現場からの声にも荒い息づかいが交じるように。
 実行犯となったオウム真理教幹部らは、猛毒のサリンを袋に入れて新聞紙で包み、穴を開けて電車内に放置した。だが「爆発物を使用したゲリラ事件が発生した」との誤った見立てが現場に伝えられるなど混乱も。
 「新聞紙に入った液体、これが落ち、ガスが出てきた」。負傷者の聴取に当たっていた警察官が、毒ガス使用をうかがわせる情報をもたらしたのは、一報から約20分後だった。
 乗客が袋を車外に蹴り出したとの情報も伝えられる。現場からは「目が見えない、苦しがっている人がいる」と、サリンの影響で瞳が小さくなる「縮瞳」とみられる症状も報告された。
 救助活動中、多くの警察官が現場で倒れ込んだため「防毒マスク等を使用するなど、二次災害防止の徹底を図られたい」と、繰り返し注意が呼び掛けられていた。
 警視庁によると、交信記録は原則として、1年間の保存期間を終えると処分されるが、このテープは偶然、通信指令本部の保管庫に残され、昨年見つかったという。
 ◎上記事は[47ニュース]からの転載・引用です
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地下サリン 警察無線の音声記録73分公開
 日テレNEWS24 2015年1月15日 0:44 
 20年前に起きた地下鉄サリン事件で、警視庁は発生直後からの緊迫したやりとりが収められた警察無線の交信記録を公開した。
 八丁堀駅(現場の警察官)「八丁堀の女性2名、これによっては現在、人工呼吸中。救急隊の話によると危ない状況」
 通信指令本部「築地どうぞ」
 築地駅(現場の警察官)「20~30(人)くらいが口鼻等から出血、呼吸困難で立ち上がれない状態」
 今から20年前。1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件。13人が亡くなり、6000人以上が負傷した。
 麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の指示のもと、オウム真理教の信者たちが地下鉄の車内で猛毒のサリンをまいたのだ。
 14日、警視庁が公開した1本のカセットテープ。ラベルには「地下鉄サリン」の文字。そこには現場に駆けつけた警察官と通信指令本部の無線のやりとりが、73分あまりにわたって記録されていた。
 テープの音声は、午前8時21分。日比谷線・八丁堀駅の異変を伝える報告から始まっていた。
 通信指令本部(午前8時21分)「場所が八丁堀2丁目22番、日比谷線の八丁堀駅。病人2名。気持ちが悪くなった者、2名がいるそうです。あるいは事件・事故等やもしれませんが、詳細判然としません」
 事件当時の八丁堀駅付近の映像には、体の不調を訴え、路上に横たわる人たちが映し出されていた。
 横たわる男性「頭痛がすごくて、息苦しい」
 すると、八丁堀駅の報告の3分後、隣の築地駅からも…。
 通信指令本部(午前8時24分)「日比谷線の築地駅、現在電車がとまっているもようですが、ガソリンの臭い等がし、車両の中にガソリンをまかれたうんぬんの内容です。最優先で調査せよ、どうぞ」
 報告は日比谷線以外からも。千代田線・国会議事堂前駅では…。
 国会議事堂前駅(現場の警察官:午前8時37分)「千代田線、国会議事堂前駅構内においても、女性1名、男性2名の計3名がホーム上に倒れているもよう。原因については現在、調査中」
 中央官庁が集中する霞ケ関駅に向かう日比谷線・千代田線、丸ノ内線。異変はあわせて3路線・5つの車両で同時多発的に起きていたのだ。
 だが原因はわからず、当初はこんな見立てもあった。
 通信指令本部「警視庁から各局。地下鉄駅構内で、爆発物を使用したゲリラ事件が発生した」
 そんな中、原因に関する重要な目撃情報がもたらされる。
 八丁堀駅(現場の警察官:8時46分)「ビニール袋入りの新聞紙に包んだ液体、これが目の前に落ちた。その液体が溶け出し、ものすごい異臭がした」
 通信指令本部「この液体は当初どこにあったわけですか、どうぞ」
 八丁堀駅(現場の警察官)「了解。先ほどから言っているとおり、『満員の電車内に突然何者かが、この新聞紙に入った液体を落とした』このような言動あり、どうぞ」
 日比谷線の車内で撮影された写真。ぬれた新聞紙が見える。実はこれで、サリンが入った袋を包んでいたのだ。林泰男死刑囚らオウム真理教の実行犯たちは、車内に置いたこの包みを、持ち込んだビニール傘で突いた。そしてサリンが充満し、大きな被害が出たのだ。
 同じ包みは千代田線・霞ケ関駅にも。
 霞ケ関駅(現場の警察官:9時20分)「1個については現在、駅側の金庫、駅側の金庫内に封印をして置いてあります」
 通信指令本部「警視庁、了解。これは液体等漏れる、ガスが漏れる等、状況はいかが、どうぞ」
 霞ケ関駅(現場の警察官)「了解しました。ガスが漏れるような状況がありますので、完全密封の金庫内、金庫内に現在は封印して置いております」
 この、サリンの入った包みの回収にあたった駅員2人が命を落としている。
 発生からまもなく20年。警視庁は今回、テープを公開した理由について、「当時の現場での警察官の活動を理解してもらうため」としている。
 ◎上記事は[日テレNEWS24]からの転載・引用です
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地下鉄サリン、緊迫の交信記録 警視庁が20年経て公開
 日本経済新聞 2015/1/15 0:57
 1995年3月の地下鉄サリン事件から20年となるのを前に、警視庁は14日、事件発生直後約73分間にわたる通信指令本部と現場との無線通信の音声記録を公開した。次々に倒れる乗客の様子を伝える警察官の声、錯綜(さくそう)する情報などから、緊迫した現場の状況が浮かび上がる。
 「日比谷線の八丁堀駅、病人2名。気持ち悪くなった者2名。事件か事故か詳細は判明せず」
 通信指令本部に事件の第一報が入ったのは3月20日午前8時21分。「異臭がして病人4人ほど出たもよう」(茅場町駅)、「現在車両が止まっている。車両にガソリンをまかれたもよう」(築地駅)などと周辺の駅からも次々と異変を告げる連絡が入った。
 「築地駅構内に40~50人が倒れている」「小伝馬町駅から歩道に上がった乗客約30~40人が(不調を)訴えている」。現場の状況を伝える警察官は一様に息を切らし、切迫した空気を物語る。
 「煙が充満している」「シンナーの臭いがした」などと情報は入り乱れ、原因は不明のまま。通信指令本部は同8時40分ごろ、「地下鉄駅構内で爆発物を使用したゲリラ事件が発生」とみて警戒態勢を発令した。
 約5分後、八丁堀駅にいた警察官が重要な目撃情報を伝えてきた。「新聞紙に包まれた液体が目の前に落ち、ものすごい異臭がしたので車外に蹴り出した」。この液体が原因らしいと分かり、防毒マスクを装着した警察官が各駅で不審物の捜索を進めた。
 その後、液体は猛毒のサリンと判明。事件による死者は13人、負傷者は6千人を超えた。
 警視庁は「20年の節目に当時の状況を公開することで、事件の風化を防ぎたい」と異例の公開を決めたという。
 ◎上記事は[日本経済新聞]からの転載・引用です
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