死刑の判断
基準無視、極刑相次ぐか 「避けられぬ国民的議論」
約20年前に2人を殺害し、無期懲役が確定した男性受刑者が、元弁護人の安田好弘弁護士に近況などを伝えた手紙に次の一節がある。
「償えない罪を背負って生きていくということは大変なことです」
受刑者は事件当時19歳。1審判決は死刑だったが、2審で無期懲役と判断された。刑務所から被害者の遺族に謝罪の手紙を出し続け、ようやく一方の遺族から返事をもらえるようになった。
▽時間かけ償いも
「時間をかけた2審の証人尋問や被告人質問を通じて、彼は何とひどいことをしたのか、遺族にどれだけ悲しい思いをさせたかに気付いた。裁判は怒りをぶつける場所じゃない。事実を明らかにし(罪を認めた)被告は罪と向き合い、人として育たなければならない」と安田弁護士は言う。
この手紙で、受刑者は広島高裁で死刑を言い渡された山口県光市の母子殺害事件の被告(26)がどのように罪を償い、どう遺族と向き合うかについて気にかけていた。
光市事件の被告は、殺害した被害者の数や少年当時の事件で死刑を求刑されたこと、安田弁護士が弁護人であることが受刑者と共通している。
しかし全く違っていたのは、光市の事件では、安田弁護士の事務所に嫌がらせの電話やファクスが24時間続き、安田弁護士を脅迫する手紙も相次いだことだ。中にはカッターの刃を入れたものもあった。
▽「リンチ社会に」
「感情でものを見るリンチ社会になった。以前なら被告は悪いが弁護士にも役割があるという見方をしてくれたが…」
安田弁護士は裁判員裁判で、死刑をやむを得ない場合に限定してきた従来の基準が無視され、死刑判決が相次ぐことを恐れている。
従来の基準は、連続4人射殺事件の永山則夫元死刑囚(1997年刑執行)への最高裁判決で示されたので「永山基準」と呼ばれている。元死刑囚も事件当時少年だった。
「永山基準を緩め、感覚的に判断すれば結論がばらつく。2人殺したら死刑というように少し基準的なものをつくると、事件によっては酌量の余地があり実情に合わないケースが出てくる。結局、真にやむを得ないかどうかで判断するしかない」と本庄武一橋大大学院准教授(刑事政策)。
本庄准教授は「これからは死刑についての国民的議論をせざるを得なくなる」とみている。(共同通信社 2009年03月13日)
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バッシング渦中の安田好弘弁護士に再び聞く
2008年4月10日 中日新聞朝刊記事より抜粋
いま、この人の言葉に耳を傾けるだけで、むち打たれそうな空気が世の中にはある。安田好弘弁護士。二十二日に差し戻し控訴審判決がある山口県光市の母子殺害事件の主任弁護人だ。被害者遺族は「(被告が)調子に乗るのは、あの弁護団のせい」と憤り、メディアの弁護団たたきも過熱した。二年前に続き、判決を直前に控えた安田氏に再び迫った。(田原牧)
* 事実解明が第一
この裁判は異例ずくめだ。差し戻しを命じた最高裁の判断は、過去の少年事件の死刑基準を揺るがした。遺族の発言がこれほど報じられた例もなく、タレント弁護士がテレビで呼び掛けた弁護団への懲戒請求は8200件を超え、銃弾付きの脅迫状まで届けられた。
物色し、言葉巧みに上がり込み、罪のない妻を姦淫し、乳児まで殺害する---。検察側が描いた「鬼畜の所業」は1、2審では争われなかった。
だが、安田氏ら現弁護団は、当時18歳の被告に殺意も強姦の意思もなかったと主張。中学1年のときの母の自殺の衝撃で精神的な成長が滞り、それが被告の犯行の根底にあったと説いた。
検察側はこの主張を「荒唐無稽」と断じ、ちまたには弁護士の良心を問う声がわき上がった。たしかに死後の姦淫を「復活の儀式」、乳児を天袋に入れたのも「ドラエモンが何とかしてくれると思った」という被告の言葉は唐突に聞こえる。
「ほぼ大人の普通の18歳ならそうだ」と安田氏は切り出した。この指摘は弁護団の新説ではないとも言った。「逮捕直後の家庭裁判所での調査報告では、亡き母に被害者を重ねた被告の幼児性の強さ、さらに犯行時は混乱で精神的な退行が進んだ状態だった可能性が指摘されていた」
実際、家裁の検査結果には「(被告の)善悪の判断は、4,5歳程度」と記録されている。
「被告は父親から逆さに水風呂に漬けられたり、同様に暴行を受けていた母親とは『結婚して子をつくろう』と言われるほどの共依存関係に陥っていた」
それでも「母を重ねて被害者に抱きついた」という弁護団説にうなずける人は少ない。安田氏は「性経験のなかった元少年に強姦を意図できるか」と前置きし、「自宅から犯行現場まで直線で200メートル、物色を始めたとされる地点なら50メートル。同じ社宅。勤め先の名が入った作業着。
これが犯行を計画する者の行いか」と疑問を呈した。
* 償いのため
口を塞ごうとした片手が首にずれて圧迫死させたという弁護団の反論に対し、検察側は両手での絞殺と譲らなかった。ただ、弁護団依頼の鑑定書では絞殺の痕跡はなく、光署の調書には「右手で絞め続けた」とあった。
それでも、世論は弁護団を疑問視した。安田氏は「何が何でも無罪なんて考えていない。被告のウソも当然疑う。もし被告に一見不利でも、事実は隠すべきではない。真剣さは裁判官に通じる。それが私の信条」という。
家族を失った夫の本村洋さんは「二人の死をむだにしないことが私の免罪符」と語り、妻の母は「家庭環境が悪ければ殺人も罪にならないのか」と涙を流した。弁護団は「遺族らの人権を侵害している」と責められた。
安田氏は「遺族を苦しめたくはない。が、事実をないがしろにはできない」と淡々と話した。
「なぜ、事実に固執するのか。被告に償わせるためだ。やってないことは誰も反省できない。覚せい剤事件が典型だが、都合の悪い面を隠せば、被告は過ちを繰り返す」「人の死に徹底的に謙虚になること。奪われた尊い命を社会の教訓として生かさねばならない。そのためには事実解明が不可欠だ」
でも、仮に犯意はなかったにせよ、元少年が二人の命を奪ったのは事実だ。自らの命で償うのが人の道では、という感情に安田氏はこう語る。
「遺族の悲しみは交通事故でも深い。ならば、その加害者も皆、処刑するのが正しいのか。結果責任の足し算引き算だけで人生を計ってよいのか。それは武力で物事を解決する論理だ」
弁護は死刑廃止運動の一環との批判も、やまなかった。「手弁当で集まった弁護団(21人)には死刑継続論者もいる。死刑廃止は政治運動。法廷では動かないし、考えるべきものでもない」
* 接見は1回
審理を差し戻した最高裁が「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と判断したことで「事実関係でもはや争えない。なぜ、情状面を強調しないのか」という批判もあった。
「反省は何をしたかが前提だ。それを抜きに情状はない。被告への弁護士接見は逮捕から、家裁による検察への逆送までに1回だけ。検察は好きに物語を作り、弁護士は事実検証を怠り、裁判所は『ご相場判決』で一件落着。こんな司法の怠慢を看過できない」
一方、被告の所作も遺族の怒りを買った。友人あての手紙にある「かわいい犬と出会って『やっちゃった』という1節は繰り返し報じられた。
安田氏は「手紙は隣の房の小説家志望の収容者あて。あの1節は自分が何をしたと言われているか、という問いへの答えだった。戦闘服のズボンで出廷したことも騒がれた。あれは護送車のいすが別の人の失禁で濡れ、仕方なくはき替えただけだった」と振り返る。
それでも死刑がちらついてから本村さんに謝罪の手紙を出した、被告の反省は命ごいのための「偽装」と指弾された。
* 犯人は孤立
「2年前に初接見で、彼の生きる意欲の稀薄さに驚いた。死刑はいまも恐れていない。謝罪の手紙は初めてではない。前の手紙は1審の弁護士が『文面が拙い』と握りつぶした。それ以来、書けなくなっていた。いま書けば、遺族の怒りに油を注ぎ、逆効果なのは明らか。それでも私は謝罪を続けろと彼に言った」
安田氏は結局「性善説」論者なのか。「性善も性悪もない。多くの人を殺した事件を扱ってきた。そこで感じたのは大半の殺人事件が悪い偶然が重なった結果であり、犯人は犯行時点では孤立していたことだ」
この事件を担当した結果、安田氏は銃弾まで送り付けられた。ワイドショーでは「最低レベルの人格」と罵倒された。
* 善か悪かの社会 世の中が2色刷りに変化
「感情に反対尋問は通用しない。弁明は『荒唐無稽』、反省も『フリ』で片付けられてしまう。かつては善悪や喜怒哀楽が混在して現実があるという常識があった。いまは善か悪か、憎いか憎くないかだけ。カラーだった世の中が次第に2色刷りに変わってきている」
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