『十二人の死にたい子どもたち』 … 「良い死」で死にたい…賛否両論の「安楽死」いま何が問題か 2019/1/9

2019-01-10 | Life 死と隣合わせ

『十二人の死にたい子どもたち』
  劇場公開日 2019年1月25日
解説
 「天地明察」「光圀伝」といった時代小説や「マルドゥック・スクランブル」などのSF小説で人気の作家・冲方丁が初めて現代を舞台に描いたミステリー小説を、「イニシエーション・ラブ」「トリック」など数々のヒット作を送り出してきた堤幸彦監督が映画化。閉鎖された病院を舞台に、それぞれの理由で安楽死をするため集まった12人の少年少女が、そこにいるはずがない13人目の少年の死体を見つけたことから始まる犯人捜しと、その過程で少年少女たちの死にたい理由が徐々に明らかになっていくことで、変化していく人間関係や心理を描いた。出演には杉咲花、新田真剣佑、北村匠海、高杉真宙、黒島結菜ら人気若手俳優がそろう。脚本は岸田國士戯曲賞受賞経歴を持つ劇作家の倉持裕。

 ◎上記事は[映画.com]からの転載・引用です
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2019.01.09
「良い死」で死にたい…賛否両論の「安楽死」いま何が問題か  日本は「安楽死後進国」なのだろうか  
 美馬 達哉 立命館大学教授
■「良い死」で死にたい
 ウェブに存在する自殺サイトからインスピレーションを受けたという冲方丁のミステリー『十二人の死にたい子どもたち』(文春文庫、2018年)が、堤幸彦監督で映画化される(今年1月25日公開)。
 12人の死にたい中高生たちが自殺サイトを通じた「集い」をするため廃病院で待ち合わせ、睡眠薬で眠りながらの練炭による一酸化炭素中毒で集団自殺を計画するという設定だ。
 そこで、子どもたちが発見したのは13人目の「生あたたかい死体」。廃病院内に殺人者がいるのか、それとも自殺志願者のなかに隠れているのか、とサスペンスは密室ゲームのように進行していく。
 近年ブレイクした若手俳優が数多く(つまり13人キャスト)出演するのでメディアでも話題になっている映画だ。
 わたしが宣伝文句を見て気になったのは、ここでの集団自殺計画が「安楽死」という言葉で表現されていたことだ。
 安楽死「先進国」オランダやベルギーで現在、未成年の安楽死が議論されている事実はあるものの、そこに目が行くのは医師としての職業病の一種だろう。
 かつて医療の界隈で安楽死といえば、不治の病による耐えがたい苦痛をなくすために医師が患者に対して行う生命短縮の行為を意味していた。
 だが、その意味での安楽死を求めているのは、このミステリーに登場する12(13)人のうち入院して闘病している1人だけで、残り12人の死にたい理由はてんでばらばらだ。
 だからフィクションでは安楽死が不正確に扱われていると野暮な指摘をするつもりではない。むしろ、現代社会での「死にたい理由」や「安楽死にあこがれる気分」が、そこには現れていると思えるのだ。
「安楽死」という語は、日本語だと「安楽な死」となるが、もともとギリシャ語で「良い死」を意味するEuthanasiaの訳語だ。
 だから、「良さ」とは何かをそれぞれが自分の価値観で判断する個人主義の現代社会では、安楽死の意味が拡散してしまうのは当然だ。
 いっぽう、自分自身の価値観といっても、健康な人たちの一般的な価値観に流されたり、周囲の介護負担を忖度したり、十分な介護医療費の蓄えがないので諦めたり、もあり得る。
 多くの問題点を含みつつ、いま世界では「死の自己決定」がさまざまな形で受け入れられつつあり、人びとがいかにして自分の死を迎えるかについての考え方やその理想像が大きく変化しつつある。
■安楽死の現状〜本人服薬での自殺は少ない
 安楽死については、海外取材ドキュメントや生命倫理学者による入門書が相次いで出版されている(宮下洋一『安楽死を遂げるまで』小学館、松田純『安楽死・尊厳死の現在』中公新書)。
 それらをもとに世界の現状を簡単に紹介しよう。
 オランダは、世界で初めて2001年に「安楽死法」が制定され、患者本人からの要請に基づく安楽死と自殺幇助が認められた国だ。
 それ以来、安楽死を選ぶ人の数は年々増大し、2017年では年間6000人以上で全死亡者の4.4%に達するというから、身近な死に方の一つ(20〜25人に1人)と言ってもいいだろう。
 処方された致死量の薬物を本人が服用して自殺する方法(自死介助、自殺幇助)と、本人の求めに応じて医師が注射して殺人する方法(狭い意味の安楽死)があるが、自死介助のほうは安楽死全体の3.8%程度だ。
 本人服薬での自殺の割合が少ないのは、病気が重いと(致死量になるほど大量の)服薬ができず、むせたり嘔吐したりするからだそうだ。
 何度も練習して死ぬわけにもいかないからか、案外と自分の力で死ぬのは難しいものだ。
 ちなみに、いま普通に使われる睡眠薬は安全性重視で開発されており、なかなか致死量に達しないため、安楽死にはバルビツレート系薬剤という麻酔剤に近い睡眠薬を用いる(マリリン・モンローの死因ともされている)。
 なお、細かい法律論になるが、安楽死法のあるオランダでも医師による殺人や自死介助が合法化されているわけではない。
 患者が病状を理解し、ひどく苦しみ、他に合理的な治療法や解決法がないことを主治医が確認し、別の医師からのセカンドオピニオンも受けた上で、主治医が安楽死の必要性を判断した場合に限って、「犯罪ではあるが処罰しない」としている。
 また、オランダの隣国ベルギーでは、2002年に「安楽死法」が制定され、2017年では全死亡者数の2.1%となっているという。
 自殺を明確に禁止するカトリックが多いお国柄か、安楽死は認めているものの、法律の上で自死介助は明文化されていない。ただし、致死量の薬物を処方したり手渡したりすることは処罰の対象とならないと規定されているので、実態としては認められているようだ。
■拡大していく安楽死
 そもそも19〜20世紀での安楽死は、治療困難なガンや難病の末期状態で、身体的苦痛を伴う死を避けるためのやむを得ない緊急避難の非常手段として想定されていた。
 だが、安楽死が認められた地域では懸念されていたとおり、安楽死の対象が拡大しつつある。
 たとえば、21世紀の現代的「安楽死」では、数は未だ少ないものの、死を目前にした末期状態ではない精神障害者が、精神的苦痛は治療困難との理由から死を選択している。
 ベルギーでは、肉体的苦痛だけではなく精神的苦痛(自殺未遂を繰り返す精神疾患や治療困難なうつ病)による安楽死に対しても寛容で、それが全体の1.8%を占める。
 オランダの場合はさらに、生命を脅かすほどの病気でなくても、老化による不調の積み重ねで耐えがたい苦しみがあるだけでの安楽死も可能だという。
 精神疾患や老いによる安楽死は、いまのところ日本では考えられないだろう。
 精神障害者の安楽死というとナチスドイツが心身障害者を大量虐殺して「安楽死」と呼んでいた黒歴史がある。
 また、老いを理由にする安楽死というと日本での姥(うば)捨て山伝説を思い起こさせてしまう。
 さらに、安楽死の拡大は、安楽死の対象が精神疾患や加齢にまで拡がっただけではなく、自己決定できる人びとの範囲を広げていく形でも生じている。
 その一つは子どもの安楽死だ。
 ベルギーでは年齢制限無しに判断能力が十分であれば、オランダでは12歳以上の未成年で保護者の同意があれば、本人の求めに応じた安楽死が可能だ。
 たしかに、難病で苦しむ子どもたちは大人より深く死について考えているかもしれないが、安楽死を認めるべきかどうかには当然のことながら異論も多い。
 もう一つは、認知症のように自己決定ができない状態での安楽死の容認だ。
 その場合には、自己決定を時間的に前倒しにして、本人の安楽死する時点での同意ではなく、認知症が進行する前の意志確認だけで安楽死を認める方向に向かいつつある。
 ただし、2016年にはオランダで、事前に安楽死に同意していた認知症女性が、認知症が進行して実際に安楽死を行うときに抵抗したため、家族が押さえつけて医師が薬物注射で殺害(自死介助?)するショッキングな事件が起き、論争になっているという。
■自死介助だけを認める米国とスイス
 医師の手によって直接に死をもたらす(狭い意味の)安楽死は殺人として許可せず、医師が致死量の薬物を処方する自死介助(医師による自死介助)だけを法的に容認しているところもある。
 その代表が米国オレゴン州での「尊厳死法」(実際に施行され始めたのは1997年)である。
 不治の病気によって余命6ヵ月以内で、本人の書面と口頭での要請があった場合に限り、医師による自殺介助を認める内容だ。
 その後、米国では医師による自殺介助を認める州は2008年以降に拡大しつつあり、いまではワシントン、モンタナ、ヴァーモント、コロラド、ハワイ、ワシントンDCでも容認されている1。
 また、スイスでは特別の法律は制定されておらず、刑法で「利己的な動機による」自殺介助が禁じられているだけなので、利己的でない自殺介助は処罰されないという法解釈に基づいて、複数の民間団体が自死介助を行っている。
 原則としては回復の見込みのない不治の病気で苦痛が耐えがたい場合とされているが、民間団体なので団体ごとに違いは大きいという。
 最大の団体であるエグジットはスイス在住者のみを対象とするが、ディグニタスやライフサークルなどの一部団体は外国人の自死介助も受け入れている。
 そのため、安楽死ツーリズム――安楽死の禁じられている地域から自殺目的でスイスを訪れる人びとの存在――が問題化しつつあるのが現状だ。
 グローバル化のなかで、個人の死に方の選択も一国内では解決できなくなっているのだ。
■日本のガラパゴス化?
 いうまでもなく日本において、安楽死法や尊厳死法は存在せず、安楽死は殺人罪で自死介助は嘱託殺人罪である。
 だから、日本は安楽死「後進国」と結論づけたくなるかもしれないが、それは誤りだろう。
 むしろ、わたしとしては、この差異は「良い死」やその反対の「望ましくない死」は文化によって違うことの結果だとの印象を持っている。
 欧米の一部の安楽死「先進国」で行われていることは、身体疾患や精神疾患(ときに加齢)による苦痛と医師が認めた場合に限って、死の自己決定としての安楽死を容認する考え方に基づいている。
 この「死の医療化」は、自殺を罪とするキリスト教文化のもとで、死の自己決定=「自殺」という「望ましくない死」を回避するための技法といえる。
 『十二人の死にたい子どもたち』のように集団自殺を「安楽死」と呼んでも違和感のない日本では、文化的伝統の異なる欧米での安楽死の実情や議論は参考にできるものの、それらをそのまま取り入れることは有益ではないだろう。
 わたしたちは、どんな死を「良い死」として実現したいのか、感情的になりがちな安楽死論争2から少し離れて、じっくり考えてみるのも大事ではないか。
<筆者プロフィール>美馬 達哉
 1966年生まれ。京都大学大学院医学研究科博士課程修了、神経内科専門医(京大病院神経内科)。現在、立命館大学先端総合学術研究科教授。専門は、臨床脳生理学、医療社会学、医療人類学。著書に『リスク化される身体 現代医学と統治のテクノロジー』(青土社)、『生を治める術としての近代医療―フーコー『監獄の誕生』を読み直す』(現代書館)、『「病」のスペクタクル―生権力の政治学』など。

 ◎上記事は[現代ビジネス]からの転載・引用です
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豪の104歳科学者 オーストラリアでは安楽死が認められておらず、スイスで安楽死 2018/5/10

   

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