毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』

2012-06-29 | 死刑/重刑/生命犯

毒カレー、オウム真理教、光市母子殺害……“悪魔の弁護人”と呼ばれる男の素顔『死刑弁護人』
日刊サイゾー 2012.06.27 水 深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.177
 悪徳弁護士=高級車での移動、のイメージがあるが、安田弁護士はもっぱら電車での移動。いつも質素な身なりだ。
 悪魔の弁護人。マスコミは弁護士・安田好弘のことをこう呼ぶ。「オウム真理教事件」の麻原彰晃、「和歌山毒カレー事件」の林眞須美、「光市母子殺害事件」の元少年……。どれも安田弁護士が担当している死刑事件だ。マスコミや世間は、凶悪事件の弁護を請け負う安田弁護士のことを猛烈にバッシングする。それでも彼は法廷に向かう。刑事事件、しかも死刑事件を引き受ける弁護士はそうそういないからだ。裁判に勝つ見込みは限りなく少なく、国選でない場合は身銭を切ることがほとんど。ではなぜ、安田弁護士は極悪人とされる被告人たちの弁護を続けるのか? その真相に迫ったのが、ドキュメンタリー映画『死刑弁護人』だ。マスコミぎらいで知られる安田弁護士の密着取材に成功したのは、東海テレビの齊藤潤一ディレクター。戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長を追った『平成ジレンマ』(10)に続いて、齊藤ディレクターが再びバッシングの渦中の人物をクローズアップした、ローカル局発の問題提起作となっている。
 1998年に4人の死者を出した「和歌山毒カレー事件」。夏祭りに提供されたカレーの中から大量のヒ素が見つかり、カレー鍋の近くにいた林眞須美に疑いが向けられた。林眞須美はヒ素を使った保険金詐欺の常習犯だった。マスコミの報道は連日過熱し、マスコミに突き動かされる形で警察は逮捕に踏み切った。留置中の林眞須美は故三浦和義を介して安田弁護士に助けを求める。このときの安田弁護士が弁護を引き受けた理由は明快。「林眞須美はこれまで保険金詐欺で稼いできた。だから、一銭の得にもならないことをやるとは思えない」と安田弁護士は語る。だが、最高裁は直接証拠や犯行の動機が見つからないまま、林眞須美に死刑を宣告する。
 オウム事件の麻原彰晃も弁護の引き受け手がいないことから、安田弁護士が国選弁護人として選ばれた。当初、麻原は接見にきた安田弁護士と友好的な関係だった。しかし、教団幹部・井上嘉浩の反対尋問の際に、麻原が打ち切りを要求し、安田も休廷を申し入れるが、裁判所はこれを認めなかった。この後、麻原は態度を一転させる。弁護人との接見を拒否し、意味不明の言語を口にするようになる。麻原の精神は崩壊していった。やむをえず安田弁護士は法廷を欠席しての引き延ばしを図る。麻原の量刑を早急に決めることよりも、社会を揺るがした大事件の真相を明らかにすることが何よりも大事だと安田弁護士は考えた。ところが、安田弁護士は1998年に強制執行妨害の容疑で身柄を拘束され、麻原の弁護人から解任されてしまう。オウム裁判の早期終結を目指していた司法にとって、“悪魔の弁護人”の存在はひどく目障りだったらしい。この事件は“安田事件”と呼ばれ、国家権力がひとりの弁護士を潰しに掛かったことを物語っている。
 そして、安田弁護士へのバッシングが最高潮に達したのが、「光市母子殺害事件」。排水検査を装った当時18歳だった元少年は、同じ公団アパートに住んでいた主婦の首を絞めて殺害した後に陵辱。さらに生後11か月の赤ちゃんの首にヒモを巻き付けて殺害。遺体をそれぞれ押し入れと天袋に隠した。未成年者の犯罪ゆえ一審二審の判決は無期懲役だったが、遺族感情を考慮した最高裁が審理の差し戻しを命じたため、死刑判決の可能性が強まった。ここで前任弁護士に代わって元少年の弁護に就くことになったのが、安田弁護士を主任とする21人の弁護団だった。それまで殺意を認めていた元少年だが、接見した安田弁護士に「殺意はなかった」と話したことから、法廷は混沌と化す。精神鑑定の際の「ドラえもんが助けてくれると思った」「『魔界転生』の復活の儀式のつもりだった」という供述を持ち出したため、世論の怒りの火に油を注いだ。安田弁護士らは鬼畜、悪魔と罵られ、カッターナイフの刃や銃弾が送り付けられた。それでも安田弁護士はひるまない。オウム事件と同様、懲罰の度合いよりも事件の真相を徹底的に究明することが自分の使命だと考えているからだ。再び悲惨な事件が起きることを防ぐには、事件の問題点をすべて明るみにしなくてはならない。そのために“悪魔の弁護士”の汚名を甘んじて受けている。
 曲げることのない信念を持つ安田弁護士にとって、重大な事件があった。1980年に8人の死傷者を出した「新宿西口バス放火事件」だ。子どもを施設に預けて東京へ出稼ぎに来ていた丸山博文は、お盆にも子どもに会いに行けなかった罪悪感や福祉に対する後ろめたさから朝から酔っぱらい、停車中の路線バスにガソリンと火の点いた新聞紙を放り込んでしまう。「死にたい。むごいことをした」と悔やみ続ける丸山には死刑が求刑されたが、若手時代の安田弁護士は心神喪失状態にあったと訴え、無期懲役を勝ち取った。裁判に勝利し、安堵した安田弁護士だったが、事件はそれで終わりではなかった。獄中にいた丸山は自殺を遂げてしまう。安田弁護士は半年後に新聞記事でそのことを知る。裁判で勝っても、丸山の心の闇はずっと晴れることはなかったのだ。
 マスコミを毛嫌いする安田弁護士から取材OKを取り付けるのに2年間を要したという東海テレビの齊藤ディレクターに企画・取材の経緯を聞いた。
齊藤 「2008年にドキュメンタリー番組『光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日』を作った際に、主任弁護士だった安田さんの存在に興味を持ったんです。あれだけバッシングされながらも、決して自分の信念を曲げない人。『平成ジレンマ』の戸塚宏校長にも通じるところがありますね。それで2年ほど前に懇親会の場で取材を打診したのですが、『ふんッ』と鼻先であしらわれました(苦笑)。『平成ジレンマ』を作りながらも、安田さんの取材をやりたいなと考え続けていたんです。それで、正式に企画書を作成して取材を申し込んだんですが、『俳優でもタレントでもないのに密着取材なんてありえないし、取材に対応している余裕もない』と断られました。一度は諦めたんですが、安田さんの周囲にいる方たちが、『安田さんの言動は一度きちんと映像として記録されたほうがいい』と協力してくれたんです。『安田さんひとりじゃなくて、4人くらいの弁護士を取り上げる企画だと話せば、安田さんは断りにくくなるはず。最悪、放送前に謝ればいい』とアドバイスされました。それで偽の企画書を渡し、『仕方ない。そこまでしつこく言うなら』と安田さんはOKしてくれたんです。偽の企画書で弁護士を騙してしまった(苦笑)」
 ひと筋縄ではいかない死刑弁護人のドキュメンタリーを作るためには、きれいごとだけでは企画は前に進まなかった。また、取材のOKはもらったものの、安田弁護士の素顔を追うのは簡単ではなかった。
齊藤 「弁護士というとお金持ちなイメージがありますが、安田弁護士はブランド品など身に付けず、いつも質素な服装です。赤坂の事務所に寝泊まりして、自宅に帰るのは月に1~2度。毎日、深夜3~4時まで仕事をして、3時間だけ休んでから近くのサウナで汗を流し、また働き始めるという生活です。でも、安田さんはそういう普段の姿をカメラで撮ろうとすると『オレは芸能人じゃない、やめろ』と言うんです。どうしたものかと頭を抱えました(苦笑)。毎晩、取材が終わった後は安田さんに誘われて一緒に夕食を摂っていたんですが、安田さんがお酒を呑んで気分よくなっているとき、カメラマンがさっと小型カメラを持ち出して、安田さんの了承なしで撮り始めたんです。安田さん、お酒を呑むとガードが低くなるんですよ。そのことが分かってからは、安田さんと一緒にカメラマンもボクもお酒を呑んでからカメラを回すようにしました(笑)。いつもは取材対象者と親しくなり過ぎないよう、一定の距離を保つために一緒に食事などはしないようにしていたんですが、今回は特別でしたね」
 安田弁護士は“死刑廃止論者”として知られ、光市母子殺害事件など担当する死刑裁判を政治的に利用していると非難する声もある。
齊藤 「ボク自身は、冤罪の人が死刑になるなんて許されないことだと思います。かといって被害者の遺族を取材していると、簡単には“死刑廃止”とは口にできない。そんなグラグラした心境の中で、安田さんの『どんな悪人でも、必ず更生できる』という言葉を聞いて、深く考えさせられるものがありました。死刑制度が是か否か、ボク自身は今でも悩み続けています。死刑事件を取材していると、明るい気持ちにはなれませんね。どんどん暗い性格になっていきます(笑)。それでも、安田さんはバッシングに負けずに弁護を続けている。安田さんの人間としての魅力に惹かれて取材を続けたように思います」
 司法関連の作品を度々手掛ける齊藤ディレクターに、聞いてみたいことがあった。マスコミは世論を誘導し、バッシングを引き起こすトリガーの役目を容易に果たす。そんなマスコミが司法の過ちをただし、冤罪事件を救済する力を持っているのだろうか。
齊藤 「マスコミは裁判の判決が出ると、一斉に報道し、その後はさぁーと引いてしまいます。『平成ジレンマ』と同様、そのことに対する自戒の念も込めたつもりです。その一方、足利事件や布川事件はマスコミがキャンペーンを張ったことで、無罪を勝ち取っています。ただし、足利事件も布川事件も無期懲役刑でした。死刑判決を覆すのは非常に難しい。そこには大きな分厚い壁があるように感じます。死刑判決が覆ると、それは司法制度そのものの存在を根底から揺るがすことになるからです。でも、マスコミには権力を監視する役目があります。冤罪の可能性がある事件なら、徹底的に解明しなくてはいけないはずです」
 齊藤ディレクターが初めてドキュメンタリー番組を手掛けたのが『重い扉 名張毒ぶどう酒事件の45年』(06)。さらに『黒と白 自白・名張毒ぶどう酒事件の闇』(08)『毒とひまわり 名張毒ぶどう酒事件の半世紀』(10)と冤罪の可能性が高い“名張毒ぶどう酒事件”を題材にした3本のドキュメンタリー番組を発表している。さらに6月30日(土)には、仲代達矢、樹木希林、本作のナレーションを担当した山本太郎らが出演するドラマ『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』が東海エリアで放映される。一度取材した事件は、その真相が究明されるまで追い続ける。『死刑弁護人』は安田弁護士を礼賛するための作品ではないと話す齊藤ディレクターだが、おのれの信念に従って一本道を突き進む安田弁護士の姿に深く共鳴しているのは確かなようだ。 (文=長野辰次)
 『死刑弁護人』
 ナレーター/山本太郎 プロデューサー/阿武野勝彦 音楽/村井秀清 音楽プロデューサー/岡田こずえ 撮影/岩井彰彦 音声/伊藤大介 スクリプター/河合舞 音響効果/久保田吉根 編集/山本哲二 アソシエイトプロデューサー/安田俊之 監督/齋藤潤一 配給/東海テレビ放送 配給協力/東風 6月30日(土)よりポレポレ東中野、名古屋シネマテークほか全国順次公開 http://shikeibengonin.jp
※ポレポレ東中野にて、6月30日(土)~7月6日(金)夜9時10分より『光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日』『毒とひまわり 名張毒ぶどう酒事件の半世紀』を二本立て上映。7月7日(土)~8日(日)、10日(火)~13日(金)は『平成ジレンマ』を夜9時10分よりアンコール上映
=========================================
「死刑弁護人」安田好弘弁護士の人間像に迫る/東海テレビ 2011/10/10/ 00:45~

      

東海テレビ「死刑弁護人」安田好弘弁護士 人間像に迫る
 山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で主任弁護人を務めた安田好弘弁護士の人間増に迫るドキュメンタリー「死刑弁護人」を東海テレビが制作した。10日午前零時45分から東海エリアで放送する。引き受け手の少ない死刑求刑事件の被告の弁護を数多く担当する姿を通じ、裁判員制度導入後の司法の在り方を問う。(服部聡子)
職責全う 格闘描く
 コンビで秀作ドキュメンタリーを生んできた阿武野勝彦プロデューサーと斉藤潤一ディレクターが放つ司法シリーズの8作目。2008年に放送した3作目の「光と影~光市母子殺害事件 弁護団の300日」の取材を通じ、安田好弘弁護士と出会ったのが制作のきっかけだ。
 「弁護士の職責を全うしようとする生き方をきっちり描きたいと思った」と斉藤ディレクター。マスコミ嫌いの安田弁護士を説得し、昨年8月から9か月間、カメラを回した。
「死刑は解決にならぬ」
 安田弁護士は63歳。従来の供述を覆して殺意を否定する主張を展開し「鬼畜」とバッシングを受けた光市の事件以外にも、和歌山毒カレー事件の林真須美死刑囚やオウム真理教事件の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚らの重大な死刑求刑事件を数多く担当してきた。
 番組では「死刑は何の解決にもならない。事実を出すことで本当の反省と贖罪が生まれる」と、現場を徹底的に歩き、資料の山と格闘する多忙な日常や、死刑廃止運動の取り組みを追う。その一方で、生死に直結する死刑事件を背負う重みや、被告が生きた社会的背景も浮き彫りにする。
 無期懲役の判決を受けながら服役中に自らの命を絶った新宿西口バス放火事件(1980年)の丸山博文受刑囚に対し「ちゃんと弁護してなかった」と悔やむ表情が印象的だ。「死刑の絡む事件の弁護は、最後まで背負うこと」との言葉が重い。
 過去の事件の関連映像を盛り込み、放送時間は1時間45分とシリーズ最長。ナレーターは、反原発活動で注目を集める俳優の山本太郎が担当した。斉藤ディレクターは「少数派の意見をしっかり伝えることが裁判をいろんな見方で考えることにつながる」と語る。
            ◇      ◇
 放送は当初、9月上旬の予定だったが、東海テレビの「ぴーかんテレビ」の不適切なテロップ表示問題を受けて延期に。さらに同コンビが手掛けた番組「記録人 澤井余志郎~四日市公害の半世紀~」は日本民間放送連盟賞最優秀賞辞退に追い込まれた。阿武野プロデューサーは複雑な心中を明かしながら「信頼を回復していくのは大変だが、番組以外にお返しできるものはない。礎となるような番組をこつこつ作っていくしかない」と語った。
------------------------------------
安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利 』 ・ 『光市事件 裁判を考える』 
〈来栖の独白2008/05/13〉
 昨日セブンイレブンで、『死刑弁護人 生きるという権利 』 ・ 『光市事件 裁判を考える』の2冊を受け取る。
 『光市事件 裁判を考える』(現代人文社編集部)は、『光市裁判』『あなたも死刑判決を書かされる』(共にインパクト出版会)を読んだ者には、つまらない。佐木隆三氏の頁は、分けても不快である。
 『死刑弁護人 生きるという権利 』の安田さんの記述は、幾つかの箇所で強く共感を覚えるものだ。
 昨年だったか、愛知県で元妻を人質に男が立て籠もり、警官に発砲して死亡させた事件があった。投降する犯人の姿に、私は、〈ああ、この瞬間から、この人は、一人になることは出来なくなるのだな。常に監視のなかに置かれることになる〉と感じた。この事件ではないが、『死刑弁護人 生きるという権利 』 のなかに、安田さんの以下のような記述があって、奇妙に切ない。
 “大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
 と慨嘆する。”  
 安田さんは、次のようにも、言う。
 “いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
 他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
 私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
 そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
 私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。”
-------------------------
安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』講談社α文庫

  

p3~
 まえがき
 いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
 他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
 私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
 そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
 私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。
 それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。「同情」ではなく「思い入れ」と表現するほうがより正確かもしれない。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。
 どうしてそうなのか。自分でも正確なところはわからない。
 大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
 と慨嘆する。その瞬間に、私の中で連行されていく人に対する強い共感が発生するのである。オウム真理教の、麻原彰晃さんのときもそうだった。
 それまで私にとって麻原さんは、風貌にせよ、行動にせよ、すべてが嫌悪の対象でしかなかった。宗教家としての言動も怪しげにみえた。胡散臭いし、なにより不遜きわまりない。私自身とは、正反対の世界に住んでいる人だ、と感じていた。
 それが、逮捕・連行の瞬間から変わった。その後、麻原さんの主任弁護人となり、彼と対話を繰り返すうち、麻原さんに対する認識はどんどん変わっていった。その内容は本書をお読みいただきたいし、私が今、あえて「麻原さん」と敬称をつける理由もそこにある。
 麻原さんもやはり「弱い人」の一人であって、好むと好まざるとにかかわらず、犯罪の渦の中に巻き込まれていった。今の麻原さんは「意思」を失った状態だが(これも詳しくは本書をお読みいただきたい)、私には、それが残念でならない。麻原さんをそこまで追い込んでしまった責任の一端が私にある。
 事件は貧困と裕福、安定と不安定、山の手と下町といった、環境の境目で起きることが多い。「強い人」はそうした境目に立ち入らなくてもじゅうぶん生活していくことができるし、そこからしっかり距離をとって生きていくことができるが、「弱い人」は事情がまったく異なる。個人的な不幸だけでなく、さまざまな社会的不幸が重なり合って、犯罪を起こし、あるいは、犯罪に巻き込まれていく。
 ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、一個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。
 私はそうした理由などから、死刑という刑罰に反対し、死刑を求刑された被告人の弁護を手がけてきた。死刑事件の弁護人になりたがる弁護士など、そう多くはない。だからこそ、私がという思いもある。
 麻原さんの弁護を経験してから、私自身が謂われなき罪に問われ、逮捕・起訴された。そういう意味では私自身が「弱い」側の人間である。しかし幸い多数の方々の協力もあり、1審では無罪を勝ち取ることができた裁判所は検察の作り上げた「作文」を採用するのでなく、事実をきちんと読み込み、丁寧な判決文を書いてくれた。
 多くの人が冤罪で苦しんでいる。その意味で、私は僥倖であった。
 この国の司法がどこへ向かっているのか、私は今後も、それを監視しつづけていきたいと思っている。「弱い人」たちに、肩入れしつづけていきたいと思っている。(~p5)
......................


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。