〈来栖の独白〉
gooよりのメールで、1年前の弊ブログの記事をお知らせ戴いた。たまたま本日、下記のような手紙を旧友に書いたところだった。
**** 様
主の復活を感謝します。 お元気でお過ごしでしょうか。御年賀状を戴き、気になりながら失礼してしまいました。私の方、何とか過ごしています。
折に触れ、お母様のお歌『●●翔びたたしめて』を紐解いています。そしてその度に、このような御本をご恵送くださったことに感謝がわいてまいります。お母様の矜持ある佇まい、そこからお母様の孤独を感じ、私のようなものは癒されるのです。
この歳になりまして、必要以上に(?)来し方を想ってしまいます。幼い頃のことから、若い頃、そして**さんたちとご一緒させて戴いた頃のこと。幼い頃のことを想う時間が多いのですが、母の人生なども思わずにはいられません。そのなかで多分、どの人にも、人には云えず胸の奥深くに蔵った人生があるのだろうと考えるのです。
**さんたちとカトリック正平協で「活動」していた頃、私は同じ方向といいますか、「左巻き」で一致していましたので、随分救われました。正平協にいることで、到底尋常とは云えぬ感性の死刑廃止運動体から護られました。が、今は、正平協からお知らせ(案内)が来ますが、とても参加できるような私ではありません。「正義」だの「平和」だの、恥ずかしくて口にできません。振り返って考えてみれば、相馬司教さんは滅多に政治的なことを口にされなかったように思います。昨年、西宮の或る信徒さんからメールメッセージを貰いました。ミカエル松浦悟郎司教のことですが、「真っ赤な司教(略)露骨にミサ中かつ聖堂で政治発言ならびに投票行動の指示」と。
お母様のお歌が胸に迫ります。どのお歌も凛として私には大きな慰めです。
冬の小面
舞はざれば生命燃やせぬ哀しみにたえてつめたき冬の小面
凍ててなほ山茶花紅し迷ふてもロトの妻にはなるなかれ娘よ
血縁を恃むといへどそれぞれに生きて一途の老は来るべく
ひたすらに迷路の渦をあゆむなり神の声など聴かざりし身は
平均すれば月1回くらいになるでしょうか、名古屋能楽堂へ行くのが楽しみになっています。そんなとき、お母様のことを想います。能の、妥協を一切拒む毅然とした孤独に惹かれます。
面白くもないことを書きました。すみません。
お元気で。
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名古屋教区長に、ミカエル松浦悟郎師(大阪教区補佐司教)
名古屋司教に松浦司教March 29, 2015 教皇フランシスコは、名古屋教区のアウグスチノ野村純一司教から提出されていた退任願いを受理し、後任として、大阪教区のミカエル松浦悟郎...
米川正夫訳『カラマーゾフの兄弟』河出書房新社(世界文学全集19)
【1巻】
p340~
深い闇の中に、とつぜん牢屋の鉄の戸が開いて、老いたる大審問官が手にあかりを持って、しずしずと牢屋のなかにはいってきた。彼はただひとりきりで、戸はそのうしろですぐさま閉ざされた。彼は入り口に立ち止って、長いこと、1分間か2分間か、じいっとキリストの顔に見入っていた。とうとう静かに近寄って、あかりをテーブルの上にのせて口をきった。
『おまえはイエスか? イエスか?』しかし、返事がないので、急いでまたつけたした。『返事しないほうがいい、黙っておるがいい。それに、おまえなぞ何も言えるはずがないではないか! わしにはおまえの言うことが、あまりにもわかりすぎるくらいだ。それに、おまえはもう昔に言ってしまったこと以外に、何ひとつつけたす権利さえ持っていないのだ。なぜおまえはわしらのじゃまをしに来たのだ? ほんとうにおまえはわしらのじゃまをしに来たのだろう、それはおまえ自身でもわかっておるはずだ。しかし、おまえは明日どんなことがあるか知っておるか? わしはおまえが何者か知らぬ、また知りたくもないわ。おまえがほんとうのイエスかまたはにせ物か、そのようなことはどうでもよい。とにもかくにも、明日はおまえを裁判して、一番性の悪い異教徒として烙いてしまうのだ。すると、今日おまえの足を接吻した民衆が、明日はわしがちょっと小手招きしただけで、おまえを烙く火の中へわれさきに炭をかきこむことであろう。おまえはそれを知っておるか? おそらく知っておるであろうな』と彼は1分間も囚人(めしゆうど)の顔から目を離さないで、しみじみと考え込むようなふうつきでこう言いたした」
p341~
「そして、囚人はやはり黙っているのですか? 相手の顔を見つめながら、ひと言も口をきかないんですか?」「そりゃ、そうなくちゃならないよ、どんな場合においてもね」と、イヴァンはまた笑い出した。「老人自身も、キリストは昔自分が言ってしまったこと以外に、何ひとつつけたす権利を持っていない、と断言しているじゃないか。もしなんなら、その中にローマカトリック教の最も根本的な特質がふくまれてる、と言ってもいいくらいだ。少なくともぼくの意見ではね。 『もうおまえはみんなすっかり法王に渡してしまったじゃないか。いまいっさいのことは法王の手中にあるのだ。だから、今となって出て来るのは断然よしてもらいたい。少なくとも、ある時期の来るまでじゃまをしないでくれ』というのさ。
p349~
われわれはおまえの事業を訂正して、それをば奇跡と神秘と教権の上に打ち立てたのだ。そのために民衆は、ふたたび自分たちを羊の群れのように導いてくれる人ができ、非常な苦痛の原因たるかの恐ろしい賜物を、ついに取りのけてもらえる時が来たのを喜んだ。
p350~
われわれがこういうふうに教えたのはまちがっておるかどうか、一つ言って聞かしてくれ。われわれが素直に人間の無力を察して、やさしくその重荷を減らしてやり、意気地のない本性を思いやって、われわれの許しを得た上なら、悪い行いすら大目に見ることにしたのは、はたして人類を愛したことにならぬだろうか。
いったいおまえは今ごろなんだって、われわれのじゃまをしに来たのだ? どうしておまえはそのおとなしい目で、腹の底まで読もうとするように、黙ってわしを見つめておるのだ? おこりたいなら勝手におこるがよい、わしはおまえの愛なぞほしくもないわ。なぜならば、わし自身もおまえが好きでないからだ。それに、何も隠し立てする必要はない。それともおまえがどんな人間かということを、わしが知らぬとでも思うのか? わしが今言おうと思っていることは、すっかりおまえにわかっている、それはおまえの目つきでちゃんと読める。しかし、わしはおまえにわれわれの秘密を隠そうとはせぬ。もっとも、おまえはどうしてもわしの口から言わせたいのかもしれぬ。よいわ、聞かせてやろう。われわれの仲間はおまえでなくて、彼(悪魔)なのだ、これがわれわれの秘密だ! われわれはもうずっと前から、もう8百年の間おまえを捨てて、彼といっしょになっているのだ。ちょうど8世紀以前、われわれは彼の手から、おまえが憤然としりぞけたものを取ったのだ。彼が地上の王国を示しながらおまえにすすめた、かの最後の贈り物を取ったのだ。われわれは彼の手からローマとケーザルの剣を取って、われわれのみが地上における唯一の王者だと宣言した。もっとも、まだこの事実を十分完成する暇がなかったが、それはわれわれの罪ではない。この事業は今日にいたるまで、ほんの初期の状態にあるが、とにかく緒についてはいるのだ。その完成はまだまだ長く待たなければならぬし、まだまだこの地球は多くの苦しみをなめねばならぬが、しかしわれわれは目的を貫徹してケーザルとなるのだ。ところで、おまえは、まだあのときケーザルの剣を取ることができたのに、どうしてこの最後の贈り物をしりぞけたのだ? この悪魔の第3の勧告を採用したなら、おまえは地上の人類が求めているいっさいのものを満たすことができたのだ。ほかでもない、崇拝すべき人と、良心を託すべき人と、すべての人間が世界的に一致してあり塚のように結合する方法である。なぜと言うに、世界的結合の要求は、人間の第3にしてかつ最後の苦悶だからである。
p351~
全世界とケーザルの緋袍を取ってこそ、はじめて世界的王国を建設して、世界的平和を定めることができるのだ。なぜと言うに、人間の良心を支配し、かつそのパンを双手に握っている者でなくて、だれに人間を支配することができようぞ!
われわれはケーザルの剣を取った。そして、これを取った以上、むろんおまえを捨てて彼の跡について行った。おお、人間の自由な知恵と、科学と、アンスロポファジイ(人肉啖食)の放肆(ほうし)きわまりなき時代が、まだまだ幾世紀もつづくだろう。
*強調(太字・着色)は来栖
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