うたの泉
(941)くろがねの人屋をいでし君のため 筍鮓(たけのこずし)をつけてうたげす/正岡子規(まさおか・しき)(1867~1902年)5月16日
タケノコもそろそろ終わり。掲出歌には「鼠骨の出獄を祝す」という前書きがあります。寒川鼠骨(さむかわそこつ)は俳人で、足尾銅山鉱毒事件の筆禍に巻き込まれ入獄していました。「人屋」は牢屋(ろうや)。「くろがね」は鉄格子のことでしょうか。ようやく牢屋から出てきた自分の俳句の弟子のために「筍鮓」を用意し「うたげす」る子規。日本各地のタケノコがスーパーで手に入る現代とは異なり、本当に短い期間しか味わえない春の喜びの味覚だったのでしょう。 (駒田晶子)
◎上記事は[河北新報]からの転載・引用です
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〈来栖の独白〉
河北新報を読んでいて、上の歌に感慨。「人屋」という語句は、二十年余も前になるだろうか、坂口弘死刑囚が朝日新聞歌壇投稿歌に使っていた。人屋における孤囚の佇まい…。
* 元連合赤軍死刑囚坂口弘氏の歌 “後ろ手に手錠をされて執行をされる屈辱がたまらなく嫌だ”
ずいぶん古めかしい言葉ですね。
私が、この言葉を知ったのは、クリスマス聖歌の『もろびとこぞりて』の
二番の歌詞『悪魔の人屋をうちくだきて、、、』で知りました。
(※ただし、この聖歌の歌詞は、翻訳者や教会によって、少し違ってるかもしれません。)
その鼠骨というひとは、反社会的犯罪者やテロリストではなかったのでしょう。
政府によって弾圧をうけた人なんですね?
私は、明治時代の歴史は、日本人として誇るべきだと思いますが、
一面的には、理不尽なことも有ったかも知れません。
しかし、それにしても、投獄されていた人を堂々と迎え入れ、
出所祝いをなさっていた、正岡子規というかたは、義侠心のあるかただったんですね。
本当に気概のあるかただったと思います。!
◎罪人(つみびと)の 烙印おされし 者さえも
受け入れしひと こそ義人なれ