産経ニュース 2018.1.21 23:39更新
【西部邁さん死去】能動的、命かけ「保守のための改革」思想継承 左右問わず言論界に厳しい目
21日に死去した評論家の西部邁さん(78)は「保守主義」を掲げ、一貫して国家と個人の自立を問い続けた。
ドイツの実存主義哲学者、カール・ヤスパースが言った「人間は屋根の上に立つ存在」という認識に立ち、人間は綱渡りのように緊張感と平衡感覚を持って生きてゆかなければならないと主張。大切な平衡感覚は歴史と伝統を学ぶことでしか得られないと考えた。
保守というと、維持するものと考える人は多いが、西部さんの保守思想は、いわば能動的で命がけのもので、「保守するためには改革も必要」と述べた英国の政治思想家、エドマンド・バークの思想の真の継承者であった。
東大在学中は、全日本学生自治会総連合(全学連)の幹部として活動し、逮捕・起訴されたこともある。経済思想史に進み、「ソシオ・エコノミックス」「経済倫理学序説」などを刊行。京大名誉教授の佐伯啓思さんら現在、論壇で活動する多くの論客に影響を与えた。
平成に入ってからは、テレビ出演や「新しい歴史教科書をつくる会」への参加など、保守派の代表的な存在として知られるようになった。
だが、言論界には左右を問わず、厳しい目を向けた。安全保障を米国に依存し、経済大国への道を突き進んだ日本のあり方を痛烈に批判。親米の現実路線を取る保守論壇の中心からは離れた存在だった。
自らの言葉に厳しく、論の人である以前に義と侠(きょう)の人だった。(桑原聡)
産経ニュース 2018.1.21 23:59更新
【西部邁さん死去】文芸評論家・富岡幸一郎さん「専門超えた『思想家』だった」
西部さんが主宰する雑誌「表現者」の編集長で文芸評論家の富岡幸一郎さんの話
「西部さんは雑誌『発言者』、続いて『表現者』を四半世紀にわたり出版し、保守思想という観点から今、起きていることを歴史的に考えようというスタンスでやってこられたと思う。古代ギリシャから近代まで西欧思想を吸収し、それを日本の思想や状況にぶつけ、全体像をみようとした。経済学から出発したが、“○○学者”というスペシャリストを超え、文化や歴史など、日本の近代の土壌で考察した稀有(けう)な“思想家”だったと思う」
産経ニュース 2018.1.22 00:55更新
【西部邁さん死去】「発言者」編集長・東谷暁さん「自分の言葉に殉じたと思った」
西部さんが主宰した雑誌「発言者」編集長だったジャーナリスト、東谷暁さんの話「驚いたが、西部先生は前から『自決する』とおっしゃっていたので、自分の言葉に殉じたと思った。先生の助っ人として雑誌『発言者』創刊に携わったが、『思想は言葉だ。言葉は思想なんだ』と随分聞かされた。一言一言が本気で、自分の思想と行動をつなげることに情熱を持っておられた。これまで何度も自殺すると書いていたし、最近も周囲にそう話していたので、自身の思想を忠実に実行し、完結したという気持ちすらする」
◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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西部邁さん入水自殺真相 短銃入手に3度失敗、衆院選被り「私的振る舞い」先延ばし
zakzak 2018.1.23
覚悟の死だったのか。21日午前に東京都大田区の多摩川から身を投げて溺死した評論家の西部邁(すすむ)さん(78)。妻に先立たれた後、周囲に「死にたい」と語っていたといい、最後の著書では「短銃を3度入手しようとした」とも書き残していた。
保守派の論客として知られる西部さんは21日未明から行方不明になり、同居する家族が探していたところ、多摩川で流されているのを発見し、通報した。目立った外傷はなく、付近で遺書のような文書が見つかった。
西部さんは北海道出身。東大教授時代の1988年には中沢新一氏を助教授に推薦したが教授会で否決されたことに抗議して辞任。「朝まで生テレビ!」に出演するほか、自ら発刊した雑誌「発言者」や「表現者」を舞台に言論活動を展開。1992年には第8回正論大賞を受賞した。
2014年には妻を亡くした。「表現者」でかつて編集委員を務めていたジャーナリストの西村幸祐氏は「奥様が亡くなってから落ち込んで、精神的に相当弱くなったという感じがしている。この2年ぐらいは、周囲に『死にたい』と言っていたようだ」と近況を話す。
「想像だが、覚悟の自殺だと思う。奥様が亡くなってから自殺したという点では、江藤淳さんに近い。何かに抗議するというような社会的な死ではなく、個人的な死ではないか」と西村氏は推測する。
最後の著書となった昨年12月刊行の『保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱』(講談社現代新書)でも、亡き妻や娘に対する思いや、死の覚悟を吐露している。
同書では、右手の神経痛のため《七十八歳にして書記というものをまったくできなくなった》と明かし、最終節には《おのれの生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくない》と病院での死を拒むような心境をつづったほか、3回にわたり短銃の入手を失敗したとも述懐している。
あとがきでは、口述筆記を担当した娘への感謝を示し、《できるだけ僕のことは忘れて、悠々と人生を楽しんでほしい》と呼びかけた。《ある私的な振る舞いの予定日に衆院総選挙が行われると判明(中略)考え直すほかなくなった》と、当初は昨年10月22日の自殺を予定していたと受け止められる記述もあった。
◎上記事は[zakzak]からの転載・引用です
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◇ 西部邁さん死去 2018.1.21 「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 自裁死を選択する可能性を示唆
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