訃報:やしきたかじんさん64歳=歌手、タレント
毎日新聞 2014年01月07日 23時24分(最終更新 01月08日 01時03分)
「関西の視聴率男」と呼ばれた歌手でタレントのやしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが3日に死去していたことが分かった。64歳だった。葬儀は近親者で営んだ。しのぶ会などの開催については今のところ未定という。
大阪市生まれ。1970年代から弾き語りや作曲などを開始。「やっぱ好きやねん」(86年)、「なめとんか」(90年)など、高く澄んだ歌声による大阪色の濃いバラードでヒットを飛ばした。
一方で、地のだみ声で繰り出す歯に衣(きぬ)着せぬトークも人気に。深夜テレビ番組「たかじんnoばぁ〜」(読売テレビ、92〜96年)が高視聴率を記録し、数々のトークバラエティー番組に出演した。芸能界や政財界の話題が書かれたボードを棒でたたきながら、批判したり、ちゃかしたりするスタイルがお茶の間の支持を集めた。司会を務めていた「たかじんのそこまで言って委員会」(同、2003年〜)に出演して顔を売った弁護士の橋下徹氏(現・大阪市長)が、08年の大阪府知事選に出馬する際に後押ししたことでも知られる。
12年1月末、初期の食道がんの治療のため休養すると発表。その時点で、「そこまで言って委員会」、「たかじん胸いっぱい」(関西テレビ、94年〜)と「たかじんNOマネー」(テレビ大阪、11年〜)の計3本のレギュラー番組に出演していた。いずれの番組も看板を下ろさずに継続。たかじんさんは13年3月に1度は復帰したが、同年5月に再び体調不良に陥り、番組の収録を休んでいた。その後も復帰を目指して闘病を続けてきたが、願いはかなわなかった。
たかじんさんの死去を受け、テレビ大阪は「心より哀悼の意をささげます」とのコメントを発表。「番組タイトルには引き続き『たかじん』さんの看板を使わせていただきたいと考えております」とした。関西テレビ、読売テレビも当面、番組名を変更せず、放送を続ける予定。
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「安倍晋三さんのFB」(1月8日)より
安倍 晋三
人には出会いと別れが有ります。
初めて やしきたかじんさんとお目にかかったのは私が幹事長の時でした。
その際「いつか一緒に温泉に入ろう」と約束し、それが実現したのは総理の職を辞した後でした。
政治的に尾羽打ち枯らした状況の私を誘って頂いたのはたかじんさんの気遣いだったと思います。
三宅久之さんに続き、たかじんさんの訃報に接し本当に悲しい思いです。...
この写真に写っている友達: やしきたかじん
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◇ 安倍首相、復帰たかじんにエール 「たかじんのそこまで言って委員会」 24日放送 2013-03-22 | メディア/ジャーナリズム/インターネット
◇ 勝谷誠彦 読売テレビ「そこまで言って委員会」を降板へ 事実上の「クビ」 2013-03-05 | メディア/ジャーナリズム/インターネット
◇ 「たかじんのそこまで言って委員会」安倍晋三総理&飯島勲参与が出演 2013/1/13 読売テレビ 2013-01-20 | 政治
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◇ 光市事件 弁護団の19人 『たかじんのそこまで言って委員会』橋下知事発言につき提訴 2009-12-03 | 光市母子殺害事件
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“たかじんさんと最後にお目にかかったのは、昨年の春だった。まだ寒い日であったように記憶している。スタジオで、ではない。彼の自宅にお邪魔したのである。復帰される直前のことだった。このことは、あなたや、あなただけに、いま初めてお伝えすることだ。私はずっと黙っていた。
対座した部屋を含めて室内はまことに美しく整っていて、たかじんさんの内面の繊細さと美意識が感じられた。最初から最後まで座っていたご本人はまだ本調子でないようで、これでスタジオに戻られて大丈夫なのか、と不安が頭をよぎったことを覚えている。はたして、復帰されたものの、またすぐにお休みに入ったのはご存じの通りだ。
お目にかかった理由はもちろんその直前に『たかじんのそこまで言って委員会』から出演打ち切りを通告され、ならばと自分から降りたことについて挨拶するためだった。挨拶ということでわかるように、私の降板はたかじんさんの全く、あずかり知らぬことだったのだ。「なんでやねん」「誰が決めとんねん」「何考えとんねん」などとたかじんさんは連発しておられた。”
“何人かで会食したことは、いちどだけある。たかじんさん、三宅久之夫妻、金美齢さんなどと山口県の俵山温泉に行ったのだ。思えばあのオンエアは3年前の明日、1月9日だった。たかじんさんと安倍さんが露天風呂で対談をしているので待っていると「おまえも来い」とたかじんさんからお呼びがかかった。「ふたりだけやったらのぼせるわ」と、良くわけのわからない理由である。3人で湯の中で語り合った。
あの時のメンバーから、これでわずか3年のうちに、三宅さんとたかじんさんが先に逝かれてしまったわけだ。同じ釜の飯を食って風呂に入っただけに、私などとは年齢も格も違う方々に申し訳ないが、まるで同級生を喪ったような気持ちがする。「彼の分も頑張らなくては」と思いませんか、そういう時に。安部晋三首相はいま、どういう感慨を抱いておられるのだろうか。”
私的には、中高校生の頃、ラジオでのたかじんと鶴瓶の掛け合いを噛り付くように聞き入っていたことが思い出されました。 大阪は相当重要な人物を喪ってしまったように感じられます。 合掌。
勝谷誠彦氏のメールマガジンを読ませて下さり、心よりありがとうございます。たかじんさんのやさしさ(正義感)、繊細さが伝わってきます。それから、安倍総理も述懐している「心遣い」。すばらしい方だったのですね。多くの人が泣いています。橋下徹さんも泣いていましたね。
rice_showerさんのおっしゃる通り、だいじな人を喪いましたね。