五輪退陣ジンクス今回も 日本開催、菅首相4人目に
2021年9月4日 中日新聞夕刊
日本で五輪が開催された年は、必ず首相が退陣する−。永田町でささやかれる言い伝えが、にわかに注目を集めている。日本が開催地となったのは夏と冬合わせて四回。新型コロナウイルス禍、無観客で開催を強行した菅義偉首相も「退陣ジンクス」の四人目に名を連ねる見通しとなった。
日本初の五輪は一九六四年十月、高度経済成長に沸く中で開かれた前回東京大会。時の首相は、国民所得を十年で倍にする「所得倍増計画」を掲げた池田勇人氏だった。
しかし、池田氏は同年九月から入院し、病名を「前がん症状」と公表。閉会式翌日の十月二十五日、療養に専念するため「首相の地位を辞任する」と声明を発表した。
七二年二月の冬季札幌大会時は、佐藤栄作氏。七年八カ月にも及んだ長期政権は既にレームダック(死に体)化しており、就任当初から目標としていた五月の沖縄返還を花道に引退した。
二回目の冬季五輪となった長野大会は九八年二月。前年に消費税率を5%に引き上げた橋本龍太郎氏は「経済失政」と批判を浴び、九八年七月の参院選で大敗、退陣に追い込まれた。
今回の東京大会は昨年夏に開く予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、安倍晋三氏が一年延期を決定。安倍氏から首相のバトンを受けた菅氏は、新型コロナ禍が収束しない中、批判を浴びながらも今夏の開催に突き進んだが、パラリンピック閉幕前に身を引く意向を示した。
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2021.9.4 Sat〉
偶然なのだろうが、何かいわくありげに考えたがるのが、不安を抱える人間の性か。