
『賢者の戦略 生き残るためのインテリジェンス』手嶋龍一×佐藤優 新潮新書 2014年12月20日発行
p169~
第4章 集団的自衛権が抱えるトラウマ
安倍総理と岸家の「深い傷」
手嶋 安倍晋三総理の強い意向を受けて、日本の安全保障論議の中心テーマだった集団的自衛権の行使が戦後初めて国家の現実的な選択肢となりました。集団的自衛権とは、日本と密接な関係にある外国が武力攻撃を受けた場合、日本は直接攻撃を受けていないにもかかわらず武力を使って攻撃を阻止する権利をいいます。(略)
p170~
2014年の7月1日、安倍内閣は、こうした従来の憲法解釈を変えて、集団的自衛権の行使は可能だという見解を閣議で決定しました。これでいよいよ日本は戦争に突き進むと心配する人もいて、安倍内閣の支持率に一時陰りが生じました。安倍総理をここまで集団的自衛権の行使に突き動かしたものは何だったとみていますか。
佐藤 「二つのトラウマ」が重なり合って起きた現象だと思います。
一つ目は、総理の祖父・岸信介という政治家が抱えていたトラウマです。1960年の新「日米安全保障条約」で十分な双務性を担保できなかったという無念の思いがあるんだと思います。安倍総理もそのトラウマをそっくり引き継いでいる。
手嶋 いま「双務性」というキーワードが出ましたが、詳しい内容に立ち入る前に、まず日米安保体制にまつわる「双務性の政治学」について簡潔に触れておきましょう。
p171~
岸信介という政治家は、日米開戦時の東条内閣の商工大臣であり、戦前は満州国を舞台にした革新官僚でもありました。戦後はA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監されます。獄中にいたにもかかわらず、国際情勢が次第に本格的な米ソ冷戦へと移り始めていることを察知したのでしょう。アメリカの占領当局ともしたたかに渡り合って、左翼勢力が台頭するなかで保守政治家の存在価値を巧みに説いて巣鴨から解き放たれます。戦前の経歴をみれば当然ながら岸信介は反米ナショナリストであったわけです。日本がアメリカの占領下から独立すると政界に復帰し、瞬く間に総理の座に駆けあがります。
ところが、サンフランシスコ平和条約の締結と同時に結ばれた旧「日米安保条約」は、日本の各地に米軍基地を提供する義務を日本に負わせながら、アメリカには日本を防衛する条約上の義務を課していない一種の不平等条約でした。岸信介はこれに強い不満を抱き、日本が真正の独立国になったうえは、日米安保条約も双務的であるべきだと考えたのです。そして国内の反対を押し切り、アメリカ側が果して改定に応じるか定かでないなか、政治的リスクを冒して安保改定に着手したのです。豪胆な政治決断です。
日本側による在日米軍基地の提供とアメリカ側による対日防衛義務の約束。これは双務性のいわば「フェーズⅠ」です。岸信介という保守政治家は、日本が再軍備を果たして (p172~)真の国家主権を取り戻し、アメリカ軍と共に東側陣営に対抗する西側同盟の一翼を担う双務性の「フェーズⅡ」まで視野に入れていたのでしょう。その政治姿勢は筋が通っていました。
佐藤 手嶋さんのおっしゃる通りだと思います。しかし、当時はまだ日本国内にはパシフィズム(絶対平和主義)の空気が色濃く、手嶋さんが指摘した双務性の「フェーズⅡ」は実現できなかった。日米がより対等な双務性へと進む道は遠かった。岸信介の政治信条からすると、新安保条約は不本意なものだったんです。本当に望んだ条約じゃないという思いが残ったんですね。しかも、アメリカ側に対日防衛義務の明記を呑ませたのに対米追従という批判を浴び、国会や首相官邸が連日デモ隊に囲まれ、混乱の中で死傷者まで出し、退陣に追い込まれてしまった。岸、安倍家には深いトラウマが刻まれてしまったはずです。これが一つ目のトラウマです。
そうした無念の思いが安倍総理の「戦後レジュームからの脱却」というテーゼに表れています。そんな安倍総理に何かの機会を捉えて、集団的自衛権の行使に踏み出すことこそ、真の意味での日米の対等性、手嶋さんのいう双務性の「フェーズⅡ」を実現する象徴的なテーマだと囁いた悪い奴らがいたんですよ、きっと。
p173~
手嶋 第1次安倍内閣で挫折を味わっている安倍総理としては、衆参の選挙に大勝したいまこそ、その時と思ったのでしょう。
佐藤 「いま集団的自衛権の見直しに着手しておけば、小さく生んで大きく育てることができますよ」と意見具申をした奴らがいたと私は見ています。「集団的自衛権」という言葉さえ入れておけば、やがてそこに言霊が宿る―そんな“言霊信仰”に憑りつかれたんです。
湾岸戦争の「敗北」
手嶋 それでは二つ目のトラウマはなんだったのでしょう。
佐藤 私の古巣になりますが、いま安倍内閣を支えている外務省の連中が抱えるトラウマです。1991年の湾岸戦争という突然の嵐に見舞われて日本外交は無惨な姿をさらけ出しました。外務官僚がこの時受けたトラウマはいまだに癒えていないんですよ。わが心の傷を安倍総理の傷にすり替えた悪知恵の働く奴がいたはずです。あの時、外務官僚が受けた衝撃は、まさに手嶋さんご自身がノンフィクションとして『1991年 日本の敗北』で (p174~)怜悧な記録を残されていますよね。のちに題を改めて『外交敗戦―130億ドルは砂に消えた』となって新潮文庫に収録され、いまも外交官の必読書です。まさしく130億ドルが白紙小切手として多国籍軍に拠出され、誰からも感謝されなかった。むしろ顰蹙すら買ってしまった。こういった事態は、二度と繰り返したくないと思ったんですよ。だから安倍さんが集団的自衛権を言い始めたこの機会を外務官僚は千載一遇のチャンスと捉えたということでしょう。
手嶋 湾岸戦争で日本が蒙った惨めな敗北は忘れられてはなりません。しかし、あの敗戦訓を引いて、いまの集団的自衛権の見直し論議に援用するのは賛成しかねます。
p178~
「あてはめ」という魔術
手嶋 湾岸戦争で多国籍軍への参加を求められた日本政府は、何とか自衛隊を海外に派遣できないかと急きょ検討を重ねました。(略)しかし、内閣法制局は、従来の国会答弁の積み重ねを持ち出し、「否」と頑として首を縦に振りませんでした。
佐藤 外務官僚にとっては、ひどい負け戦でしたから、皆この時の議論をよく覚えています。だから、第二次安倍内閣が出現したことを絶好の機会と捉え、何とか内閣法制局を押し切って硬直した現状を変えられないかと思案を巡らせたんですよ。その結果、集団的自衛権、個別的自衛権と区別して論じることをこの際やめにして、基本的に自衛権は一つと捉えてみてはどうだろうと考えた。安全保障の概念をポスト冷戦の時代にふさわしいものに組み直し、地球の裏側までも自衛隊が行けるようにしたいと。
手嶋 そのためには、内閣法制局を包囲し、制圧しなければならなかった。そこで安倍総理が断行した最重要の人事が、内閣法制局長官の更迭です。後任には小松一郎氏を充てることだったのです。前著の『知の武装』でもこの人事が持つ意味を詳しく解説しましたが、ここで簡潔におさらいしておきましょう。小松一郎氏は外務省の国際法局長や駐仏大使を歴任した、いわば条約官僚の代表格のひとりです。第一次安倍内閣では首相の私的諮問機関、いわゆる安保法制懇の事務局を率いました。そして集団的自衛権の行使に道を拓くべく動いて、安倍総理の篤い信任を受けた人物です。法制局の長官は内部からというのが不文律でしたから、この人事は霞が関を驚かせました。これによって内閣法制局長官の座を追われた旧通産省出身の官僚には、外務省OB枠の最高裁判事のポストを譲るなどして周到な布石が打たれました。
(略)
p180~
手嶋 鋭いなあ、官僚の内在論理に通じていなければ、その機微は見えてこないんです。ひとことでいえば、小松長官は「別にあなた方が間違ったわけじゃない」と言いくるめることで、難所を乗り切り、辞職を封じてしまったということです。
p181~
佐藤 従来あなた方が国会で答弁してきた見解は誤りでした――内閣法制局としては、こう言われる事態だけは断じて避けたい。そこで、小松長官は、「いや、あなた方が答弁してきたことは別に間違いじゃなかった。ただ、日本を取り巻く環境、客観情勢がすっかり様変わりしてしまったのですから、ここは個別的自衛権、あちらは集団的自衛権と言ってきたこれまでの見解を整理してみましょう」と言葉巧みに説得したという訳です。
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〈来栖の独白〉
私にとって手嶋さんと佐藤さんの対談本はどれも、とても楽しいオピニオン・リーダーでいてくれる。今回の『賢者の戦略』も、その期待に違わないものだった。この対談の中で、最も興味深かったのは、【第2章近代国家を破壊する「イスラム国」】だ。
が、ここに書き写したのは、第4章である。以前読んだ岸信介元総理に関する本が心に残っていたからだ。岸信介という人物を正しく理解している国民は、多くないのではないか。私自身、岸氏を長く誤解してきた。佐藤氏は次のように云う。
>当時はまだ日本国内にはパシフィズム(絶対平和主義)の空気が色濃く、
つい先ごろまで私は国家というもの、防衛ということがさっぱり分からずにいた。手嶋氏は次のように云う。
>湾岸戦争で日本が蒙った惨めな敗北は忘れられてはなりません。しかし、あの敗戦訓を引いて、いまの集団的自衛権の見直し論議に援用するのは賛成しかねます。
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◇ 『知の武装 救国のインテリジェンス』手嶋龍一×佐藤優 新潮新書 2013年12月20日初版発行
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◇ 『動乱のインテリジェンス』著者(対談) 佐藤優×手嶋龍一 新潮新書 2012年11月1日発行
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