
半年ほども左手が痛く、加えてひと月ほど前からは両手人差指に違和感・痛みを覚えて整形外科へ通っていたが、今週に入って症状が目に見えて軽減した。
お昼前、車でひとっ走り、公園へ行った。
日課のように公園を散歩したのは、10年ほどもまえのことだった。自然保有林を擁す広大な公園なので、北のほうへは折にふれ訪れていたけれど、南の(ジョギングコース含む)方へは10年ほども絶えて足を向けなかったのだ。歳月を経て踏み込んでみると、様子が変わっていた。整備が進み、趣のある散策の小径が二つもできていた。「ああ、こんな道ができていますよ。いつ出来たのでしょう」と私は清孝に心で話しかけた。彼の生前、彼のことで考えに余ったり「哀れ」をもよおしてやり場に窮したとき、私は独りここにきて気持を静めたものだった。独り考えた。だから、清孝と一緒に来たことはなかったのだけれど、清孝とともに来たような「記憶」が私にあった。清孝刑死の直後は、よくここに来た。今日は1時間以上も散策した。
五木寛之さんは著書の中で、50歳から75歳までを「林住期」だと書かれている。古代インドの考え方だ。人生を4期に分け、「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という。林住期は、仕事からも家族への責任からも解放され(務めを了え)、自分を生きる時期である、と。実り豊かな黄金期である、と。
因みに釈迦は、29歳で家出(出家)している。25歳から50歳までの、普通なら仕事に精出し、妻子に責任を持たねばならぬ家住期である。実際、釈迦には、幼い子がいた。林住期まで待てなかったのだろう。
今私は林住期にいるが、振り返ってみるなら、40代から林住期を生きたように思う。勤めた(働いた)ことの無い私であったし、子どもたちも健康だった(次男の目のことは懸案としてあったが)。40代で清孝のことが始まった。全神経をフル活動させるような日々だった。読まねばならない書物は多く、考えねばならないことが次々と現れた。繰り返し繰り返し聖書を読み、ミサでオルガンを弾くために歌詩(詩編)を頭に叩き込んだ。オルガンが私を支えてくれた。清孝へは無論のこと、いろんな人に手紙を書き、会った。自分自身を生きることが林住期なら、私は40代から林住期を生きてきたように思う。
今、私にはひとりの友もいない。独りである。独りということ、これも、林住期の特徴だと思っている。