日本の原子力信奉はまだ終わっていない
JB PRESS 2011.05.20(Fri)Financial Times(2011年5月19日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
過去25年間で世界最悪の原子力事故による放射性のちりが降り積もり続ける中、日本と原子力エネルギーとの恋愛関係が正式に終わったことは容易に想像がつくだろう。
確かに、両者の関係からロマンスは消えた。3月の地震と津波の後に起きた福島第一原子力発電所の機能不全は、安全を約束した政府の言葉に対する信頼を打ち砕いた。
2カ月経っても作業員たちはまだ、不可欠な冷却システムを復旧させ、放射能漏れを食い止めるために奮闘している。
何万人もの避難者が一時的な施設で散り散りになっている。苦境に喘ぐ農家と漁師からは、補償を求める要求が洪水のように押し寄せている。東京電力の将来は実に不確かだ。
菅直人首相が先週、2030年までに総電力に占める原子力の割合を50%以上にするという従来の日本のエネルギー基本計画を放棄すると発表した時には、反原発運動家たちの胸が少しときめいた。計画は「白紙の状態から」議論される必要がある、と菅首相は述べた。
*菅首相は「白紙の状態」から議論すると言うが・・・
しかし、これまでのところ、福島第一原発の危機が日本政府の長期的な政策に対して与えた影響は、遠く離れたドイツに与えた影響ほどには大きくないように見える。ドイツは地質学的に日本より安定しているにもかかわらず、政府は今、原発の段階的閉鎖を2036年まで先延ばしする計画を覆そうとしている。
一部の観測筋は、計画中または建設中の14基の新たな原子炉すべてを停止する合図だとして菅首相の発言に飛びついたが、首相は、個別のプロジェクトや原子力全般の運命については何の決定も下されていないと主張している。
エネルギー消費の大幅削減と再生可能エネルギーの「最大限」の利用に依存していた2030年までのエネルギー基本計画の放棄も、かなり見掛け倒しだ。この計画を達成するために必要となる原子炉建設計画には、福島第一原発での2基新設も含まれていた。今となっては、これは明らかに不可能だろう。
東京にあるテンプル大学現代アジア研究所の日本のエネルギー政策に関する専門家、ポール・スカリーズ氏は、当初の計画でさえ、恐らく50%という目標を達成するには十分でなかっただろうと話す。
菅首相は5月18日、原子力が引き続きエネルギー政策の「柱」になることに変わりはないとの立場を明確にした。民主党の有力議員は既に、新たな原子炉を計画通り稼働させるよう強く求めている。
民主党の岡田克也幹事長は、青森県北部のある原子力発電所を訪れた後、その原子炉がわずか2年後に稼働できる状態になると指摘し、「これほど完成間近のものが廃棄されるべきだとは思わない」と述べた。
*浜岡原発一時停止の狙い
東京の南にある浜岡原発の一時停止を求めた菅首相の要請も、必ずしも大がかりな方針変更を示唆するものではない。浜岡原発は断層に近い場所にある。
方針決定に関与した一部の政府当局者は、浜岡原発の運転停止の1つの目的は、政府が安全を優先している姿を示すことで、他の比較的損傷を受けにくい原子炉に対する国民の信頼を高めることだとほのめかしている。
実際、浜岡原発の運転停止は支持されたことが判明し、原子力に対する国民の信頼は福島原発の危機によって明らかに揺らいでいるが、原子力業界に対する、制止できないほどの国民の反発が起きているようにはまだ見えない。
世論調査によれば、すべての原子炉の廃棄を支持する有権者は15%にも満たず、政府当局者は、それよりはるかに大きな割合を占める、原子力の利用削減に賛成する有権者の多くを、安全を高めるという約束によって味方に引き入れることができると考えている。
政府当局者と政策立案者に関する限り、彼らは当然のように、資源に乏しい日本の輸入化石燃料への依存を減らすためには原子力に頼る以外に選択肢はないと考えている。彼らは、原子力の基本的な発電コストは依然として、太陽や風といった再生可能エネルギーよりもまだはるかに安いと言う。
*行動によって言葉を裏づければ、原子力信奉の終わりの始まりも
現在の危機は、そうした計算を変える一助になる可能性がある。
日本は長らく、ソーラーパネルや風力タービンに使われる主要技術で他国をリードしてきたが、実際の利用では、ドイツなど他の先進国に後れを取ってきた。
菅首相は先週、再生可能エネルギーの積極的な開発を約束した。
もし菅首相が、政府が手厚く支援する大規模な電力買取制度という形で、実際の行動によって自らの言葉を裏づければ(そして、そうした制度が、再生可能エネルギーが原子力に代わる実際的な代替エネルギーとして有効であると証明されることにつながれば)、福島第一原発の惨事もやがて、日本の原子力信奉の終わりの始まりになるかもしれない。
By Mure Dickie in Tokyo