「一握の砂」と福永武彦「草の花」

2006-07-11 | 本/演劇…など

〔20〕2006,7,11

腹すこし痛み出しを しのびつつ 長路(ちょうろ)の汽車にのむ煙草かな

乗合の砲兵士官(はうへいしくわん)の 剣の鞘 がちやりと鳴るに思ひやぶれき *

名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の 宿屋安けし 我が家のごと

(つれ)なりしかの代議士の 口あける青き寝顔を かなしと思ひき

今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊まりし宿屋の茶のぬるさかな *

寂寞を敵とし友とし 雪のなかに 長き一生を送る人もあり *

いたく汽車に疲れて猶(なほ)も きれぎれに思ふは 我のいとしさなりき

何事も思ふことなく 日一日 汽車のひびきに心まかせぬ

こほりたるインクの壜を 火に翳し 涙ながれぬともしびの下(もと)

顔とこゑ それのみ昔に変わらざる友にも会ひき 国の果にて

あはれかの国のはてにて 酒のみき かなしみの滓を啜るごとくに

 

 心沈んでグログを開く気にもなれなかったが、本日の「一握の砂」を読んで、深く慰められた。「寂寞を敵とし友とし」・・・、今の私は、寂寞を友としていると云える。振り返ってみれば、長きにわたってかけがえのない友であった。

 福永武彦の作品を思い出す。『草の花』。

“しかし、一人は一人だけの孤独を持ち、誰しもが閉ざされた壁のこちら側に屈み込んで、己の孤独の重味を量っていたのだ。”

“激情と虚無との間にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑する限り、僕は僕の孤独を殺すことはできなかった。そんなにも無益な孤独が、千枝子に於ける神のように、僕のささやかな存在理由の全部だった。この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。”

“孤独、----いかなる誘惑とも闘い、いかなる強制とも闘えるだけの孤独、僕はそれを英雄の孤独と名づけ、自分の精神を鞭打ちつづけた。”

“支えは孤独しかない。”

“僕の青春はあまりに貧困だった。それは僕の未完の小説のように、空しい願望と、実現しない計画との連続にすぎなかった。”

“藤木、と僕は心の中で呼びかけた。藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう。”

 

 私にもあった青春の日。福永武彦の作品に出会ったのは、大学の教養時代だったと思う。青年特有の寂しさと不安(落ち着かなさ)を持て余し悩んでいた私は、この『草の花』にショックを受けた。たまたま前期の試験と時期を同じにしたが、福永作品の世界から抜け出せなかった。単位を落とすことも覚悟した。が、試験を受けることだけはした。アメリカ文学史(アメリカン・フォークロア)の試験で、答えがさっぱり書けず、問題とは関係のない要らぬことを書いて出した。「私はいま福永武彦の小説に夢中になっています。氏の描く『孤独』は、いまの私にとってのっぴきならないことなのです。云々」。単位を落とすことを覚悟しているので、気持ちだけは強かった。ところが、後日発表を見ると「優」をくれていた。びっくりだった。申し訳ない気持ち、自分の高ぶった気持ちが恥ずかしく、単位が貰えてほっとしたのも相俟って、名状しがたい思いに駆られた。

 人は、弱い。いや、私は、弱い。

“一人は一人だけの孤独を持ち、誰しもが閉ざされた壁のこちら側に屈み込んで、己の孤独の重味を量っていたのだ。”“・・・僕は一人きりで死ぬだろう。”

 なんという、ぞっとさせるような孤独だろう。しかし、冷静な理知の眼には、人生の現実はそのような残酷なものだ。『草の花』は知的な青年の孤独を描いたものだ。私はこれから老いてゆく。老いの孤独がいかほどに峻烈なものであるか・・・。人は、そのようにして死に辿りつくことができる。


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