神戸製鋼も---名門企業が起こす不正の元凶は「世界一病」だ 窪田順生2017.10.12

2017-10-12 | 社会

DIAMOND on line 2017.10.12
神戸製鋼も…名門企業が起こす不正の元凶は「世界一病」だ
窪田順生:ノンフィクションライター
 神戸製鋼所で相次いで不正が発覚し、騒動になっている。三菱自動車や東芝など、日本を代表する基幹産業の名門企業で、なぜこうした「不正ドミノ」が発生するのか?その根底には、ある共通した組織の病がある。(ノンフィクションライター 窪田順生)
*次々に不正が発覚する 神戸製鋼で何が起きているのか?
 まるでかつての三菱自動車のように「不正のフィーバー」状態に陥ったかに見える神戸製鋼所。日本を代表する基幹産業の名門企業で、なぜこうした問題が次々と発生するのだろうか?
 鉄鋼3位の名門、神戸製鋼所で「不正ドミノ」が起こりつつある。
 10月8日、アルミニウムや銅の製品の一部で、契約した製品仕様に適合するようにデータを改ざんして約200社に出荷していたと発表したかと思いきや、11日には他部門にも調査を広げたところ、鉄粉でも同様の改ざんが行われていた疑いが出てきた。
 実は、神戸製鋼は昨年もグループ会社で、ばね用ステンレス銅線の強度を偽って出荷したという「前科」がある。「申し訳ありません、再発防止に努めます」と殊勝な顔をして謝るのだが、ほどなくして次から次へと新たな不正が発覚するという、まるでかつての三菱自動車のような「不正のフィーバー」状態に陥っている恐れもある。
 また、8日の会見で梅原尚人副社長は、社員数十人が関与していたことを認め、約10年前から行われていたケースもあったと明かしている。つまり、一部の人間が行っていたわけではなく、「平常運転」として組織全体に蔓延していた可能性も否めないのだ。
 このあたりはぜひとも社内調査や、メディアのみなさんの調査報道で明らかにしていただきたいと思うのだが、その一方で個人的には、今回のような「不正ドミノ」を招いた元凶は、ある「病」ではないのかと考えている。
 それは、「世界一病」である。
 「は?『大企業病』は知っているけど、そんなの聞いたことがないぞ」、という声が聞こえてきそうだが、実はこれ、日本の基幹産業を担う大企業から小さな町工場まで、ありとあらゆる業種や企業に蔓延している、かなりポピュラーな病なのだ。
 ザックリとその「症状」を紹介すると、組織をあげて「世界一」というスローガンを大合唱して技術の細部、組織内の評価、そして業績の拡大ばかりにとらわれて、知らず知らずのうちに安全や品質を軽視してしまうという「モラルハザード」である。
*社員を追いつめる「世界一」の重圧と強迫観念
 神戸製鋼所に「世界一病にかかってます?」と質問状を送ったわけではないので、ここからは完全に筆者の個人的見解だが、外から見る限り同社はかなり重い「世界一病」にかかっている。
 それを象徴するのが、「そこが知りたい注目の技術・製品」というページでサラッと述べられた「自画自賛」だ。
 《実は世界一・日本一を誇るものがいくつもある、KOBELCOの技術・製品。》(神戸製鋼所ホームページより)
 もちろん、この言葉に偽りはない。シェア世界一のエンジン用弁バネ材をはじめ、神戸製鋼所に「世界一」と評されるような技術・製品があるのは紛れもない事実だ。ただ、このような評価というのは基本的に「第三者」が行うものではないだろうか。
 顧客のために技術を磨き、高い品質を追い求めた結果、世の中から「世界一」と褒め称えられているのなら特に目くじらをたてるような話ではないが、自分たちのことを「世界一」だと誇るようになってくる、というのは「ものづくり企業」としてはかなり危ない。
 なぜか。最初のうちは現場の士気を高めるなどプラス効果が期待できるが、「世界一」という自画自賛が何年、何十年も繰り返されていくと、そこで働く人たちを「世界一にならなくては」と追いつめる強迫観念になってしまうからだ。
*かれこれ30年以上も「世界一」を追求してきた
 神戸製鋼所の「世界一病」はかなり重い。たとえば、いまから30年前には、後に副社長となる森安正常務(当時)がこのようにおっしゃっている。
「日本の鉄鋼は世界で一番高いといわれるが、品質が一番いいのだから当たり前でしょう」(日経産業新聞1988年11月28日)
 この「世界一」への強い執着は2000年代に入っても一向に衰えを見せない。「品質に対する日本のユーザーの目は世界一厳しい」「顧客に鍛えられた結果、技術力が大いに高まり、負けない自信がある(日経産業新聞2004年10月15日)と真岡製作所の所長さんが述べたかと思うと、鉄鋼業界再編の動きが加速してくなかで、犬伏泰夫社長(当時)も「量」を追う買収ではなく、「技術力に磨きをかけて勝負する」(日本経済新聞2007年5月31日)と宣言した。
 つまり、神戸製鋼所という企業は、もうかれこれ30年以上も「世界一の技術」を追い求め続けてきたということが言えるのだ。
「素晴らしいことじゃないか、こういう企業が日本のものづくりを支えているのだ」という意見もあろうが、それは「外野」の人間だから言える。
 当たり前の話だが、神戸製鋼所にお勤めの方たちは、「世界一の技術」だけを追い求めていればいいというわけではなく、企業としての利潤も得なくてはいけない。しかし、原材料高や中国事業での損失処理によって、2017年3月期の連結純損益は2期連続の赤字に沈むなど、その事業環境は厳しい。
 そこで想像してほしい。何年も何十年も「世界一の技術」を追い求めるように教育されている人たちが、このような苦しい戦いを強いられるようになったらどうなるだろうか?
 業績が悪化したからといって、「世界一の技術なんてできません」という泣き言は決して許されない。偉大な先人たちが何年、何十年も「たすき」をつないできた、企業の根幹をなす目標だからだ。そのプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、同時に数字という「結果」も出さなくてはいけない。
*業績が悪化したとたんに スローガンは重圧に変わる
 このような追いつめられた人たちが、技術の「粉飾」、今回で言えば検査データの改ざんという不正に走ってしまう、というのは容易に想像できるのではないだろうか。事実、梅原副社長は会見で、不正が発覚した工場には「納期を守り、生産目標を達成するプレッシャーがあった」とおっしゃっている。
 生産目標や業績などの「結果」をきちんと出せているうちは、「世界一の技術」という自画自賛は現場を鼓舞するスローガンとして機能する。しかし、ひとたび「結果」が出せなくなってくると、士気を高めるどころか、現場の人々を精神的に追いつめる「重圧」へと変わり、「不正」を引き起こしてしまう恐れがあるのだ。
 そんなのはお前の勝手な妄想だというお叱りもあるだろうが、かつて高らかに「世界一」をうたっていた日本のものづくり企業が、「結果」が伴わなくなってきた途端、不正に走っている例はひとつやふたつではない。
 たとえば、冒頭でも少し触れた三菱自動車などわかりやすい。
 2000年に最初の大規模リコール隠しが発覚する少し前、「ピスタチオ」という小型車を発表しているのだが、ここで三菱自は「ガソリン燃費は世界一」(朝日新聞1999年10月7日)をうたっている。
 この「世界一」を追い求める姿勢は、「親」ともいうべき存在の三菱重工から受け継いだことは言うまでもない。三菱自動車は、三菱重工の自動車部門が分離・独立して誕生した企業なのだ。
 泣く子も黙る重工業界のドンとして君臨してきた三菱重工は、「世界一」を本気で追求する企業だ。「ピスタチオ」発表の1年前には、名古屋航空宇宙システム製作所の所長も務めた谷岡忠幸・三菱重工取締役(当時)は、こんな「世界一戦略」を掲げている。
「小粒でも何か一つの製品で世界一になることが今後の航空機産業で生き残る決め手だ」(日経産業新聞1998年6月19日)
 これは航空機に限らず、三菱重工が長く掲げてきた重要戦略で、この10年前には、三菱自の役員も歴任した飯田庸太郎氏(当時は三菱重工社長)が「他者の追随を許さぬ世界一の製品をつくりあげることが事業力強化の基本となる」(日経産業新聞1988年1月5日)と高らかに宣言している。
*三菱自動車が不正を繰り返す陰にも三菱重工の「世界一」の病が
 規模の面でトヨタ、日産などに勝てない三菱自が「世界一の技術」に活路を追い求めるのは、ある意味で自然な流れだ。これが独自の四輪駆動制御技術や、のちにPHEVの開発にもつながったのは言うまでもない。
 しかし、80年代から90年代にかけて繰り返し連呼された「世界一の技術」というスローガンが、思うように結果を出せなくなってきた三菱自の「現場」をじわじわと追いつめていったのも事実ではないだろうか。
 2000年、04年、そして17年と繰り返された不正は、そのまま三菱自が「多少のズルをしても世界一の技術を追い求めなくてはいけない」という強迫観念の強さを示しているような気がするのは、筆者だけだろうか。
 また、「世界一病」が真に恐ろしいのは、技術に対する「不正」だけではないことだ。3代の社長にわたって「不正会計」をしていたことが明らかになった東芝などは、その典型的なケースといえよう。
 この日本を代表する企業はこれまで100年以上、「世界一」という自画自賛を続けてきた。それを象徴するのが、東芝未来科学館(川崎市)で、日本初、世界初の電気製品を展示した「東芝1号機ものがたり」というコーナーである。技術論文誌「東芝レビュー」(VOL.69)のなかで、この展示の意義がこのように語られている。
 《「東芝1号機ものがたり」は、東芝が130余年の間、多くの“わが国初”と“世界初”を生み出してきたものづくりに、飽くなき探究心と情熱を傾けた歴史物語である。》
 確かに、1983年には「世界一の解像度持つCCDイメージセンサー」(日経産業新聞1983年10月27日)を開発。翌年には、皇太子殿下(当時)が、「世界一の清浄度を保つクリーンルーム」(日経産業新聞1984年3月31日)を視察するなど、東芝は日本が誇る「世界一の企業」だった。
*組織の掲げるスローガンは想像以上に人心に影響を与える
 その高い技術力は家電に限らず、原子力という国策でも活躍した。同じ時期には、トラブル続きで頻繁に原子炉が緊急停止していたアメリカの原子力発電所の稼働率を日本の原発が追い抜かし、東芝原子力事業本部の技師長が「国産技術で米国に勝った。大きな自信につながっている」(日本経済新聞1984年5月16日)と胸を張った。
 90年代に入ってからも「世界一小さいPHS」(日本経済新聞1995年9月21日)、「世界一細い蛍光灯」(日経産業新聞1996年6月20日)などを世に送り出した。近年では、世界最高速のエレベーターも開発した。
 日本人として自国にこのような技術力の高い企業があることは素直に誇りに思う一方で、組織として見た時、この貪欲に「世界一」を追い求める姿勢を長く続けてきた企業文化はかなり危ういと感じる。
 先ほども申し上げたように、「世界一」とは本来、技術力や生産性を高めていくうちに、他者からの評価という形で得られる「結果」に過ぎない。
 しかし、東芝の場合はこのように何十年も「世界一」を追い求めてきたことで、いつのまにやら「世界一」になることが何よりも優先すべき「目的」となってしまった恐れがあるのだ。このように「結果」と「目的」をはきちがえた時、企業は「不正」に走る。
 これまでは、利益は「ものづくり」の「結果」に過ぎなかった。しかし、「結果」と「目的」がごちゃまぜになってしまった経営陣の頭のなかでは、利益は「目的」と変わってしまった。それも、上場企業としてのモラルや、経営者としての正義などが頭から抜け落ちてしまうほど、とにもかくにも達成しなければならない類いの「目的」だ。
 もしそれが実力だけでは達成できなかったらどうするか。さまざまなテクニックを駆使して、「かさ上げ」をするしかない、というのはごく自然な発想だ。
 鉄鋼、自動車、電機というかつて日本の基幹産業と呼ばれた業種を代表する企業たちが、まるで内部からガラガラと崩壊するように、不正が噴出している。
 これには競争力に問題があるとか、生産性が下がったからだとか、いろいろなご意見があるだろうが、筆者はこれまで見てきたように、これらの業界がかつて「世界一」というスローガンを掲げて、それをがむしゃらに追い求めてきたことの「重い後遺症」だと思っている。
 戦前の日本や、中国、北朝鮮などを見てもわかるようにスローガンというものは、我々が想像している以上に、人々の行動や思想に影響を与える。
「日本人は世界一勤勉」というスローガンがあふれかえったこの国で、ここまでパワハラが蔓延しているのは、「世界一勤勉」という言葉が、知らず知らずのうちに労働者を追いつめているからという見方もできる。
 働き方改革だ、生産性向上だと言う前に、まずは日本人が「世界一」という病から解放されることが先なのではないのか。

 ◎上記事は[DIAMOND on line]からの転載・引用です
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