教皇来日控え、前東京大司教が公開書簡 「教皇庁の刷新」について提言 2019/9/29

2019-09-30 | 文化 思索

教皇来日控え、前東京大司教が公開書簡 「教皇庁の刷新」について提言

 2019年9月30日09時59分

   教皇来日控え、前東京大司教が公開書簡 「教皇庁の刷新」について提言
   岡田武夫・前東京大司教

 ローマ教皇フランシスコが11月末に来日するのを前に、日本カトリック司教協議会前会長の岡田武夫・前東京大司教が29日、ローマ教皇庁の刷新に関する提言を、公開書簡として発表した。岡田大司教による公開書簡は、すでに24日に英語版が公表されており、カトリック系のUCAN通信(英語)などが伝えている。今回公表された日本語版は、英語版を踏まえつつ新たに書き直したもので、英語版とまったく同じ内容ではなく、部分的に英語版とは異なっている。
 岡田大司教は初め、フランシスコ・ザビエル以来、既に470年にわたる福音宣教の歴史があるのにもかかわらず、日本のキリスト教人口がいまだ約100万人にすぎない点を指摘。日本のカトリック教会は依然として、教皇庁や世界の諸教会から支援を必要としていると訴えている。
 その上で、教皇庁の刷新に積極的な教皇フランシスコに対する支援を表明。インカルチュレーション(文化受容)、非中央集権化、霊的刷新の3点について提言している。具体的には、聖体を直接口ではなく手で受ける日本独自の聖体拝領の方法の維持、典礼式文や公式祈願文の日本語公式訳作成の権限委任、教皇庁におけるアジア出身者の積極的登用などを挙げている。
 岡田大司教による公開書簡(日本語版)は以下の通り。

 

公開書簡 教皇庁の刷新に関する非公式個人提言(日本語版)

 我が国の福音宣教は聖フランシスコ・ザビエルの到来によって始まり、既に470年の歴史を持っています。そのうちの200年以上は迫害と禁教の時代でありましたが、それにしても、依然この国のキリスト教信者は非常に少数者です。1億3千万人の総人口に対して、多くの外国人信者の滞在者を含めても、この国におけるキリスト教人口はおよそ100万人にすぎません。日本のカトリック教会は、世界の他の諸教会からの助けと導き、霊的支援を必要としています。特に、ローマ聖座からの支援を必要としています。
 ところでおりしも、わたしたちローマ・カトリック教会の最高牧者であるフランシスコ教皇は、聖座の本部である教皇庁を刷新することを切望していると伝えられています。わたしはこの教皇の望みに心からの支援を表明します。この度教皇が来日されるに際し、わたしは教皇庁の刷新に関するわたし個人としての非公式な提言を、この公開書簡をもって公表したいと思います。
 それは次の3点に関する提言です。
 1. インカルチュレーション 2. 非中央集権化 3. 霊的刷新

インカルチュレーション 
 典礼については、わたしたちは、第2ヴァチカン公会議後にミサ式次第とミサの執行に関する特別な許可を頂いております。例えば、聖体の秘跡を受ける場合、わたしたちは日本の文化や習慣に従い、直接口で受けるのではなく、うやうやしく聖体を手で受ける許可を受けています。この許可は今後も有効であり維持されると思いますが、幾つかの他の事例において、この許可が取り消されるのではないかと危惧しました。『ローマ・ミサ典礼書の総則』の新版は、これまで日本カトリック司教協議会に対し許可されてきた適応の事例が取り消されかねないようにも読めるのです。現行のミサの祝い方を変えることは深刻な問題を来します。現在のミサの祝い方は信者たちに歓迎されてきたばかりでなく、既に日本のカトリック教会に深く根差しています。
 また、わたしたち日本の司教協議会は、ラテン語から日本語に訳したミサの中の祈りの日本語文言の承認をお願いしてきました。すなわち、ラテン語原本から公式な日本語訳を決定する資格を司教協議会に委任するようお願いしています。
 要するに、各地のカトリック教会が着手する文化の適応に対して、教皇庁がより寛大であるよう提案したいのです。

非中央集権化 
 わたしが危惧するもう一つの点は、教皇庁に権力が集中し過ぎているのではないか、ということです。上記の典礼式文・公式祈願文の日本語への翻訳の問題もその一例です。
 各地の司教協議会に権限を委任することで権力の非中央集中化を図られるよう、わたしは教皇庁に提案します。カトリック教会にとって、各地の教会と責任を分かち合うことは大変好ましいことです。
 世界人口の半分はアジア諸国に存在します。教皇庁は、アジア諸国の人材を登用すべきです。

霊的刷新 
 日本の社会は大変世俗化していますが、それでもなお日本人は善良な倫理観と強い良心を保持しています。ただし、この国に欠落しているものがあります。それは真生なるキリスト教的な価値観です。わたしたちはそれをローマにあるわたしたちの普遍の教会の中心地に見いだし得るだろうと期待しています。
 わたしたちの願いは、教皇庁で奉仕する人々が、わたしたちにとってイエス・キリストに仕える僕であるという「しるし」となることです。その「しるし」とは、教皇庁の人々が、貧しく謙遜、清廉、貞潔であり、イエス・キリストに仕える主の忠実な聖なる僕である、というしるしです。
 過去において、ヴァチカンという世界は、権力闘争やパワーゲームの場であるという悪い印象を与えていました。しかし今は、現教皇の発意と指導のもとに、聖座という名が示す通り、教皇庁が聖なる場として刷新されるだろうという希望を抱いています。

2019年9月29日

キリストにあって

ペトロ 岡田武夫
カトリック東京大司教区・前大司教
カトリック本郷教会小教区管理者

 

 ◎上記事は[Christian Today]からの転載・引用です


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