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塀の中(松本少年刑務所)の学び舎で
中日新聞 2020年10月18日(日曜日) 松本貴明(三重総局)
ことし1月、分校生が一人一人抱負を述べた発表会。白板には思いを一言にまとめた書き初めが並んだ=長野県松本市の松本少年刑務所「桐分校」で
人生やり直す希望生む
人にとって「学ぶ」とはどんな意味を持つのか。松本少年刑務所内にある「旭町中学校桐分校」(長野県松本市)は、刑務所内にある日本でたった一つの中学校。昨年四月の入学式からことし3月の卒業式まで、二十代から六十代の65期生4人の1年を「塀の中の学び舎で」と題して長野版で連載し、学ぶことの意味を考えた。
教育の機会恵まれず
四人とも教育を受ける機会に恵まれなかった。「いつも負い目となり、学力不足により社会でつらい思いを多くしました」。入学式での言葉が耳に残った。
分校は1955年、当時、同刑務所の受刑者の八割が戦争による社会混乱などで中学を卒業しておらず、当時の所長や松本市教委などが更生や社会復帰に役立ててもらおうと、設置。全国の刑務所から希望者が選ばれ、これまでに760人が卒業。現在は修了・未修了を問わず、受刑者を受け入れている。
白髪で他の3人の倍の人生を重ねた山田さん(63)=仮名=は中学卒業後、板金工場や水産加工会社に二十年以上勤めた。倒産した後、牛乳や新聞を配達しながらアルバイトを掛け持ちし、4人の娘を高校に行かせたが、長女とけんかして家出し、金に困って二度強盗をした。「本当にばかなことをして申し訳ない。被害者の方々は一生忘れられないと思う。償いをするしかない」と声を落とす。
「読み書きできなくて悔しい、恥ずかしい思いをしてきた。この年で学び直せると思っていなかったが、入れるならやらないともったいない」。不安だったが「学ぶとさらに知りたいことが増えて楽しい。この年になっても知らないことはまだまだあるんだね」と充実した表情を見せた。娘たちは結婚して孫が10人ほど。文通も途切れ疎遠になっているが「立ち直った姿を見せて、また交流ができたらうれしい」。孫らの写真をかばんにしのばせる。
南米出身で日系の父、南米系の母を持つ佐藤さん(30)=仮名=は入学式で「祖国で小学校も卒業できていない。日本で仕事をしていくためにも、きちんとした学力を身に着けたい」と語った。
十数年前に家族と来日したが、言葉の壁にぶつかり「会話ができなくて学校がこわかった」。学校に行かず、悪友との付き合いが増え、二度刑務所に。桐分校への入学申し込みは2度却下され、「これが最後」と3度目の正直で通った。
日本語に苦手意識があったが、授業で上達し、知識も学んだ。「社会に出たときにいろんなことをしたいと思えるようになった」。病気がちの両親や兄、姉ら家族との再会を心待ちにしていた。
幸せ感じ就労目指す
30代の鈴木さん=仮名=は入学式で「10年以上引きこもり生活をしていた。学校生活をやり直し、対人関係の苦手意識を乗り越えたい」と話していた。
パーソナリティ障害で小学高学年から不登校になり、中学校は入学式しか行けなかった。家族との関係も悪く、引きこもりは10年以上にわたった。20歳を過ぎて徐々に部屋から出られるようになったとき、事件は起き、気づいたら近しい人を刃物で刺していた。
分校では自分にとって「先生だ」と思える教師たちにも出会え「中学時代のやり直しができているようで幸せ」と、自然な表情で笑えるようになった。
卒業式後のホームルームで涙があふれ「先生の言葉や仲間に助けられて救われた」。被害者に対して「もっとしっかり話す時間があったらよかった」と考えられるようにもなった。卒業式後は刑務所内の通信制高校に通い、出所後は就労を目指す。
田中さん(28)=仮名=は中学を卒業後、塗装関係の専門学校に進み、塗装会社に入ったが、精神疾患があって人間関係が難しく、長続きしなかった。交通事故に遭い腰痛を抱え、ストレスを解消できず、窃盗に走った。刑務所で募集チラシを見て分校に応募した。「自分を見つめなおすには勉強の方が刺激があると思った」。苦手だった漢字の書き取りもできるようになった。「刑務所の中でも成長できた」と実感する。「仕事がなく時間が空いた時に罪を犯していた。安定的に働いて時間を埋めたい」。刑務所には母親が面会に来る。家族からの手紙や電話で励ましを受け、今後について話し合う。
入学当初はどこかぎこちなく、周りの様子をうかがうような4人だった。それが、学ぶことで1つ1つ「分かる」ことが増え、自己肯定感が高まり「やればできる」という前向きな意欲が増していったようだ。
ドキュメンタリー映画「月あかりの下で ある定時制高校の記憶」などの監督で映画ディレクターの太田直子さんは「夜間中学の整備など、学び直したいと思った時に安く、何度でも学び直しできる場所が必要」と話す。桐分校の担任と体育、技術、道徳の教科を受け持った経験のある30代の男性は「人生やり直したいと思った時に、年齢は関係ない」ことを彼らから特に学んだという。
誰もが入学当初とは別人のように生き生きとして見えた。学ぶってこういうことか。1年の取材を終え、そう実感した。
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)