人の心を傷つける罪。勝田清孝の告白(事件被害死者数について)。刑事・検察。

2008-02-25 | 日録

中日春秋 2008年2月25日
 人の心を傷つけることの罪の重さをあらためて思う。鹿児島県議選をめぐる冤罪(えんざい)事件。無罪判決から一年が過ぎたが、元被告の心の傷は癒えていない。西日本新聞が七十八歳の女性の今を報じている。夜中に目が覚め、取調室での警察官の顔がよみがえる。眠るため、この数カ月は薬用酒が手放せない
▼取り調べは連日十時間に及んだ。「あんたはすでに罪人だ」「暴力団より悪い」と責められ、自律神経失調症で手足の震えが止まらなかった。恐怖の日々であったろう
▼別の人の証言も載っている。「朝から晩まで『認めろ』と怒鳴られ続けると、判断能力が失われ、ただ返事をするだけの状態になる。十人中八人はうそでも認めてしまうだろう」
▼この事件などを契機に、警察庁は取り調べの適正化指針を策定した。取調室にはマジックミラーを設置し、外から監視できるようにする。だが、恐怖の日々を経験した人たちが求めていた取り調べの録音・録画は、取り入れていない。容疑者が真相を語らなくなるためというが、本当だろうか
▼オウム真理教による地下鉄サリン事件で、無期懲役が確定した林郁夫受刑者は事件の全容を自供している。背景には二人の取調官との信頼関係がある。『オウムと私』を読むと<自白を強要せず、あくまで私の琴線にふれることによって私の心を開かせ、自然な形で話をさせようと努力していました>という
▼対等な人間同士の心のふれあいだったのである。二人の取調官に聞いてみたい。「録音・録画されていたら、できなかったですか」と。
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検察を支配する「悪魔」田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)講談社 2007年12月5日第1刷発行[1]
p144~ 忙しくて調書は精査できない---田中
 裁判所が目に触れる検事の調書で事実かどうか判断するように、検事も警察のつくってきた調書上で筋が通っていれば、あったとしか判断しようがない。
 警察から上がってきた調書は、我々にも嘘か誠か、にわかには判別できないので、信用するしかない。最初から検察が関わった事件なら、ああはならなかったでしょうけど。
 もっとも、選挙がらみの事件は、検事が必ず調書を取る決まりになっているので、本当は、検察がその際、じっくり吟味すればいいのだけれど、鹿児島あたりの地検で、それをやるのは現実的に、無理なんですよ。
 地方の県の地検に配属されている検事の数は少ない。せいぜい3、4人です。その人数で次々と警察から上がってくる事件を処理しなければならない。

p145~
 日々、取り調べに追いまくられている。地検の検事はたいへんな仕事量をこなしている。だから、志布志のような冤罪事件をなくそうと思えば、検事の数を増やすしかないのかもしれません。

p107~ ビデオ監視をしても無駄---田中
 極端なことを言うと、調書を読み聞かせるときに、飛ばし読みだってできるわけです。被疑者が抵抗するであろうと思われる部分は抜かして。しかし、被疑者はろくろく確かめもしないで調書に署名してしまう。署名さえさせてしまえば、こちらの勝ちです。
 特捜の検事にとってとって自分の意図だけを反映した調書をつくるのは、いとも簡単な技術です。被疑者を丸め込むなんて、初歩の初歩。誰でもできる。
 検察に、こうした捻じ曲がった調書を作らせないために、ビデオで取り調べの様子を撮って監視するという案もありますが、そんなことをしても無駄でしょう。都合の悪いときは、ビデオカメラのスイッチを切ってしまえばいいのだから。むしろ、検察に好都合なところだけを撮影されて、悪用される恐れのほうが強い。
 このように、調書裁判というシステムが変わらない限り、検察は何でもできるのですよ。
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「22名殺害」という誤った流布 勝田事件 被害死者数について
 そんな私を刑事は詰めかけた多数のマスコミ関係者を退け、また、尾行して来る者を振り切ってまでして歯科・外科医院へと連れて行ってくれたのです。この時、余りにも多いマスコミ関係者の姿に、我ながらいかに重罪であるかを思い知らされると同時に、罪人の私に娑婆では感じなかった人間味をもって温かく接してもらえたことにとても感激し、犯した罪は重罪だが、拳銃強奪に関する一連の事件以外についても、一切懺悔しなければいけないという心境になりかけている自分を感じていたのです。
 そればかりか、一夜明けても腰痛で苦しむ私に、底冷えのする留置場では治るものも治らないと言って、暖房の利いた県警本部の留置場へと移送してくれた刑事のその心遣いに、一切の宿悪を懺悔しようとの決意が、この時すでに内心にはあったのです。言わば、猫をかぶり続けた長年の苦悩から早く抜け出したい気持もあって、この親切を受けた日以後、いつ懺悔しようかとその好機を窺う自分でもあったのです。

 何もかも話すつもりで取調室に入っていながら、ついに女性5人の殺人を言い出せなかった私は、その日の夜も次の日の夜も、複雑怪奇な想念が脳裏を駆けめぐり、怨霊に取り憑かれたような怯えに包まれて、ほとんど眠れませんでした。そればかりか、逮捕されてから一週間になろうとするのに一度も便通がなく、精神的・肉体的な限界を迎えていました。そのような仏罰を意識する私は、告白しない自分自身に、もはや、ごまかしが通らなくなっていたのです。
〈家族は死なない。きっと生きていてくれる・・・〉
 と信じることで、今度こそ生まれ変わろうと決心したのでした。
 そして、もう二度と迷わないためにも告白は早いほうがいいとの自覚から、夜中の2時半頃だったかに、刑事を呼んでくれるよう留置場の係員に申し出たのです。
 電話連絡を受けた刑事は早速駆け付けてくれたのですが、留置管理規定で夜中の取調べは許されないようでした。
 調べが開始されたのは翌朝9時半頃からでした。私は躊躇こそしなかったものの、やはり刑事に対して一抹の不安は隠しきれませんでしたが、紙とボールペンの借用を申し出て5名の殺人を一気にしたためたのです。そんな私に、
「よく話してくれたね」
 と、刑事から予期しなかった言葉をかけて頂き、問罪されないうちに告白した自分の勇断を素直に自賛できたのです。久方ぶりに心のわだかまりが消えたせいか、早速その晩便通もあり、前後不覚の深い眠りに落ちたのでした。


2 コメント

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Unknown (rice_shower)
2008-02-26 17:15:41
『冥晦に潜みし日々』是非読んでみたいと思ったのですが、もう絶版なのですね。 貴女のサイトで読ませて頂きます。
月刊「創」は時々買うのですが、創出版は今の日本において、世の空気に流されない、非常に貴重な存在だと思います。
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ありがとう。 (ゆうこ)
2008-02-26 22:50:23
 『冥晦に潜みし日々』、どうにも生硬な言葉遣いですわ(笑)。精一杯背伸びしたんですね。
 周囲を思い遣って、肝腎なところ(犯罪の事ではなく、私的なことです)を書いていないのです。
 創の編集者(故人)について、原稿を大幅にカットされたとかで、怒ってもいましたっけ・・・。
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