ウイグル、チベット、モンゴル「御三家」は日中が戦火を交えれば直ちに武装蜂起する

2013-02-18 | 国際/中国/アジア

漢族や周辺地域にも呼応する勢力が続々 ウイグル、チベット、モンゴル「御三家」は日中が戦火を交えれば直ちに武装蜂起する
(SAPIO 2013年2月号掲載) 2013年2月18日(月)配信
文=宮崎正弘(評論家)
 江沢民と胡錦濤政権の20年間で解決できなかったどころか悪化した少数民族問題。抑圧され続けてきた少数民族は中国が戦争に突入した場合、どういう行動にでるのか。中国ウォッチャー、宮崎正弘氏がシミュレーションする。
 中国政府は、漢族と55の少数民族を総称して「中華民族」と定義する。最近の統計では漢族の人口比は92%。漢族以外の主要な少数民族はチベット、ウイグル、モンゴルで、それぞれ600万人、900万人、450万人とされる。これら「御三家」が地下運動で「独立」を主張している。
 極東で戦争状態となれば、隙を見て独立闘争に踏み切る可能性が高いのが新疆ウイグル自治区だ。中国の横暴に抗して爆弾闘争も辞さない。果敢に「東トルキスタン」の独立を主張するイスラム教徒を中心とする自治区である。
 ウイグル人からすると、土地を勝手に侵略し、核実験を行ない、さらには原油とガスを盗掘しているのが漢族ということになる。その恨みはウイグル族の精神に刻印され、記憶回路に長く蓄積されており、和による解決を望む穏健派ばかりではない。
 中国共産党の政策によって次々と漢族が移住してきて、漢族が多数派となった首府のウルムチはともかく、ホータン、カシュガル、イリでの反政府地下運動は猖獗を極めており、漢族を狙うテロが増えるだろう。
 過去数年でも自爆テロ、警察署襲撃などの武装闘争は収まらず、人民解放軍はアルカイダの流れを汲む武装ゲリラの潜入をもっとも警戒する。背後には国境を接するカザフスタン、キルギス、アフガニスタンなどのイスラム圏が構えている。
中国政府はこの数年、イスラム諸国に相当気を遣ってきた。
 胡錦濤国家主席は副主席時代を含め、実に十数回、中国の西部に位置するイスラム国家を訪問し、「友好親善」の外交を展開してきた。遠くトルクメニスタンからは8000キロメートルのパイプラインを上海まで敷設してガスを購入している。輸送費を加味すれば採算が合わないにもかかわらずである。
 2001年には中国、ロシア、中央アジア4か国(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)が加盟する上海協力機構を設立した。軍事、政治、経済貿易など包括的な協力をうたっているが、中国の目論見は、中国が混乱に陥った場合、イスラムの連帯による新疆ウイグル自治区への武器搬入やゲリラの潜入を防ぐための防諜協力である。
 アフガニスタンへの接近にも努力を惜しまない。中国企業による石油、鉱物資源の採掘など同国重視の外交を進めている。
 アフガニスタンにタリバン政権が復活すれば、新疆ウイグル自治区へ繋がる「アフガニスタン回廊」が復活する。そうなれば夥しいイスラム戦士が山越えして、独立運動闘争を展開しかねないからだ。「両国関係は極めて重要」とするカルザイ大統領は数回、北京を訪問している。
 一方、08年、最過激派の「東トルキスタン・イスラム運動」(イスラム原理主義過激派)が中国政府へのジハード(聖戦)を宣言した。従来、イスラム過激派は「シオニスト」と「帝国主義」を敵と公言してテロ活動を展開してきたが、名指しで中国を挙げたのは初めてである。「中国人占領者」と定義付けし、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)から出て行けと要求しているのだ。
 中国がいかに周辺イスラム国と友好を築こうと、ウイグル族の独立運動の背後に世界的なイスラムの連帯がある限り、中国の恐怖はなくならない。
7000万“隠れキリシタン”
 チベットはどうか。最近1年間に中国政府に抗議する焼身自殺が45件にも達した。中国が日・米と戦争状態になった場合、僧侶たちの抗議行動が爆発する。チベットの南には、中国と対立するインドがある。
 チベットの西半分を管轄するのは人民解放軍の7大軍区のひとつ、蘭州軍区だ。新疆ウイグル自治区に大部隊を配置し、中国の西の守りを固めている。だが、チベットの残り半分は成都軍区が管轄している。
 成都軍区の管轄エリアは四川省、一部地区を除いたチベット自治区、重慶市、雲南省、貴州省で、ベトナム、ラオス、ミャンマー、ブータン、ネパールと国境を接している。それぞれの国境付近で少数民族によるテロを警戒している軍区である。
 人民解放軍の配置を見ても、チベットの反乱に対して整合性のある軍事戦略が存在するとは言い難い。兵力が分散されて総合力に欠けるのだ。
 つまり蘭州軍区と成都軍区とにまたがって管轄されるチベット自治区の反乱は、人民解放軍が戦略的に動けないため、インドの出方次第で中国を一気に追い詰める可能性を秘めていると言える。
 新疆ウイグル自治区、チベット自治区のほかに、極東方面で軍事的緊張が高まると中国国内で不安定化する地域は内モンゴル自治区である。
 モンゴル族は3つの地域に分断された。現在のモンゴル、ロシア領内のモンゴル自治区、そして中国に編入されている内モンゴル自治区である。モンゴル民族主義の原則からいえば、以上の3つを“合邦”し、チンギス・ハーン以来の独立した民族統一国家を樹立することが理想である。しかし、地理的にロシアと中国に挟まれ、実現は困難だ。
 中国領内にはモンゴル独立を志向する地下組織があり、彼らはチベット、ウイグル独立派の海外組織と共闘する準備を進めている。
 他の少数民族では朝鮮族が200万人、おもに吉林省の北朝鮮国境地帯で独自の文化を維持しながら暮らす。最大人口を誇るチワン族はベトナム国境に1600万人いる。朝鮮族、チワン族ともに「独立」を主張せず、適度の自治に甘んじ「漢化」されているのが現状だ。
 その一方で、少数民族ではなく漢族のマイノリティ勢力が中国政府に抗う可能性も低くない。たとえば、アフガニスタンとの国境山岳地帯にはドンガンと呼ばれる漢族のイスラム教徒の集落がある。
 そして、中国政府が特別な警戒をしているのが、地下教会というキリスト教信者のシンジケートである。その弾圧は日ごとに強まっている。バチカンと中国の宗教政策の対立も根深い。
 中国共産党の監督下にある公認教会のカソリック信者は500万人、プロテスタント信者は1700万~1800万人。一方、共産党非公認の地下教会信者は7000万人とも言われる。実態は謎のベールに包まれているが、キリスト教の信者は共産党に反対する漢族が主流である。
 以上のように、極東で戦争状態になったとき、中国国内の少数民族、反中国共産党の漢族の不満が一気に噴き出す。その場合、武装警察だけでは対処しきれず、各軍管区が動くことになろうが、そうなれば対米・対日戦争など遂行できるはずもない。
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チャイナ・ウォッチャーの視点』 
チベットよりも深刻なウイグルの苦難(前篇) 歴史から見る少数民族問題
 WEDGE Infinity 2012年05月23日(Wed)  平野 聡 (東京大学大学院法学政治学研究科准教授)
 先日、内陸アジアのオアシスの民として独自の文化を花開かせながら、今は中国の圧迫にあえぐウイグル人が、自らの苦境を打開し存在感をアピールするべく《世界ウイグル会議》を東京で開催した。その背後にある、中国のウイグル人亡命組織に対する「テロリスト」扱いをめぐる問題については、既に本コラムにて有本香氏が詳しくレポートされている通りである。
■中国の態度硬化はなぜ?
 中国はこの問題をめぐり日本に対して相当強い態度をあらわにしている。例えば、世界ウイグル会議と時を同じくして開催された日中韓サミットにあたって、胡錦濤国家主席が李明博大統領と個人会談した一方で野田佳彦首相との個人会談を拒否したこと、そして経団連代表団と中国外相との会談が直前キャンセルされた背景には、東京都による尖閣諸島購入計画とならんで世界ウイグル会議開催に対する中国の危機感があるといわれる。
 いや、尖閣問題はかねてから漁船衝突事件以来、民主党政権の「主権放棄」(すなわち船長不起訴釈放)を奇貨として、中国は「我々こそ主権を行使するのだ」と言わんばかりに監視船を送り込み、緊張が日常化していることからして、尖閣問題の日本側における動きを理由として突然日本の首相を冷遇するというのは少々考えにくい。したがって、中国の日本に対する硬い態度の背景には、これまで日本においてほとんど知られていなかったウイグル問題について、日本が僅かでも関心を抱き関与することに対しての著しい警戒感があることは疑いない。
■「核心的利益」侵害に強烈に反応する中国
 そもそも、歴史的に列強からの圧迫を受け、現在でも心を許せる友好国(とりわけ周辺国)を多数持っているとは言えない中国にとって、彼らが脳裏に描いている「神聖不可分」な領土の保持は絶対的な政治的信仰である。近年の中国が、領土保全と台湾問題・南シナ海問題の解決を「核心的利益」と位置づけるのは、まさにこの「領土が強敵に切り刻まれる(瓜分)ことへの恐怖心」に由来している。そこで、他者がどのような反応をするかに一切関係なく、中国は「核心的利益」が僅かでも侵害される可能性が生じれば強烈な反応をする。逆に、反応しないことは、「中国という国家の大義」への裏切りになりかねない。
 とりわけ近年、中国共産党・政府もネット世論にさらされており、対外的に軟弱な党・政府は不要だという、信仰に照らして最も反論しにくい「正義の声」が強まることは、平常時は勿論のこと、党大会を控えた現在においては何としてでも避けなければならない。
 だからこそ中国は、既に複数のメディアが伝える通り、ウイグルの人権状況に関心を持つ一部の国会議員に対して書状を送りつけ、ウイグル問題への関与は「日本の安全をも害する」などという不穏当な表現を以て、日本人が「核心的利益」に触ることを食い止めようとした。
 とくに中国からみて日本は、かつて中国を最も侵略したのみならず、今日でも日本の存在を強烈に意識することによってナショナリズムを鼓舞しているという点で、事実上最も警戒すべき存在であり続けている。その日本が、漢民族の地を挟んで日本とは正反対の位置に住むチベット人、そして今やウイグル人の境遇に対して関心を持つなどということがあってはならない、と考えているのであろう。
■「我々こそ人権を保障している」
 しかし日本は他でもなく、第二次大戦までの歴史において他国の意に沿わないかたちで軍事的に拡張し、国内的にも軍事的緊張の中で人権が制限されたからこそ、戦後は一貫して自由と人権という価値を重視している。日本にとって極めて重要な意味を持つ隣国においてもやはり自由と人権の普遍的価値が実現すること(少なくとも改善に向かうこと)は、日本が展開する外交・国際関係が真に相互の信義に基づいたものになるためにも重要である。
 勿論、ライバルとなる国において言論の自由が存在することによって、対日強硬論は今以上に出現することになるかも知れない。それでも、少なくとも言論や思想が政府によって統制され、それによって様々な矛盾が国内に蓄積され、鬱憤晴らしにしばしば「反日・抗日」なるものが政治的に動員されるよりもはるかにましである。
 そして、自由や人権を抑圧してでも維持しなければならない国家などというものは、そもそも国民のためではなく権力の自己目的のためにあるものでしかない。
 中国は「当面は自由を制約してでも、まずは富国強兵を図ることが究極的には国民のためである。豊かさを実現することが少数民族を含めた国民の願いであり、実際に我々は少数民族の《生存権》《発展権》を満たしている。したがって、人権弾圧どころか我々こそ人権を保障している」という趣旨を、人権白書の類でことあるごとに強調し、今回日本の国会議員に対してもそう主張したという。とはいえ人権とは、物質と精神の両方が満たされてはじめて真の人権といえる。精神的な人権を現実において提供できない国家というものは、それだけでも国民に対する責務を放棄している、または責務を果たし切れていないと言うべきである。
■中国の「新しい帝国主義」
 したがって、日本は中国からのこのような圧力を一切聞く必要はないし、聞くべきでもない。日本国家は常に日本国民からの評価、そして世界の様々な国々からどれだけ日本が好意的に見られているかという評価を第一義に考えるべきである。
 とくにグローバルな国際社会と経済が自由と創意に立脚し、紛争の緩和・解決もその大前提である以上(中国の国際的評価の高さは、突出した経済が人権問題を霞ませていることによるものであり、長期的な中国の印象には寄与しないだろう)、資源小国である日本は総合的な経済・社会の質を磨き高め、国際社会に良い影響を与え続けることによってしか生き延びて行くことは出来ない。
 自由・人権という価値が国境を越えて実現されるべきだと考えるのであれば、そのために闘う人がたとえ隣国の嫌悪する人物であろうとも、日本国の法秩序に従う限り無条件で受け容れるべきであろう。さらには、当事者(この場合は中国と亡命少数民族)が対話する場をも積極的に提供するのも一考に値するのではないだろうか。
 そもそも、中国から逃れた亡命政府や亡命エリートが米国・ドイツ(そしてチベットの場合はインド)を中心に活動し、それに対し中国が「断固たる措置」を取っていない以上、米国やドイツと価値観を共有する日本が亡命者の活動を否定する道理などない。もし中国が日本に対してのみ「断固たる措置」を発動するのであれば、それこそ日本を政治的に従属させようとする「新しい帝国主義」であると見なされても仕方がない。
 あるいは「中国に対する配慮」から、「中国は少数民族の人権を真に保護しているので憂慮していない」という立場を表明したり、あるいは亡命者それぞれの経歴や人格を考慮せずに「中国が《テロリスト》《分裂主義者》扱いしている人物を受け容れるのは、日中友好上問題があるので避けるべきだ」という判断をする人物がいるかも知れない。しかし思うに、そのような「友好的」で「人権擁護」的発想の中にある人権観は、せいぜい安っぽいファッション程度に過ぎないのではなかろうか。
■「日本批判」は中国の「自己批判」につながる
 あるいは、中国は「日本が自由と人権を隠れ蓑にして再び中国への野心をたくましくしている」「日本が我が中国の国際的印象を損ねようとしている」と主張するかも知れない。そして「日本の帝国主義的侵略に抵抗した歴史を有する我々中国こそ、日本に比べはるかに自由と人権を代表する存在である」と宣伝するだろう。しかしこのような論法は、中国の近現代史の実態に照らせば最早まったく通用しない。何故なら、主語を中国からウイグル(またはチベット・モンゴル)に変えれば、そのまま現下の中国の民族問題に当てはまってしまうからである。
 現在、中国はウイグル人が住む新疆の地を「神聖なる祖国の不可分の一部分」と呼び、しかも諸外国が中国と国交を結ぶにあたっては、一律に中国の現領域の《神聖不可分性》を認めさせている。したがって中国は「我々のウイグル人に対する支配は、日本帝国主義の我々に対する支配と本質的に異なる。もともと同じ国家の中における《兄弟民族》の関係であり、異なる国家間における侵略と抵抗の関係とは異なる。諸外国もそれを承認している」と主張するに違いない。
 しかし、ある国家の領域がどの程度の大きさであり、どの程度異なる民族を含むか、あるいは諸外国からそれが認められるかは、複雑な内政・外交上の駆け引きによって決まることがもっぱらである。ある領土が古くから絶対的に固定されているはずもなければ、その中に住む人々が一律に現在の中央政府を自分たちの政府と信じ従うとも限らない。支配する側の論理だけでなく、支配される側からの積極的な服従・承認がなければ、あらゆる支配というものは覚束ないし、余りにも支配する側の論理ばかりでは反乱や抵抗を起こしたくなるのが道理というものである。
■「戦前日本モデル」をコピー
 しかも、中国のウイグル人(そしてチベット・モンゴル人)に対する立場や発想は、「立ち遅れた、漢字を知らない少数民族に、巨大国家の一員として生きるためのパスポートである漢語(中国語)を与え、近代化と発展の恩恵を与える」というものである。それは大東亜共栄圏論に至る戦前日本のアジア諸国に対する立場と寸分違わないばかりか、近代中国自身が約一世紀前に日本の躍進――とくに日清・日露戦争の勝利――を見届けて以来真剣に戦前日本モデルをコピーしようとした結果なのである。
 具体的にはどういうことか、歴史をなるべくかみ砕いてご紹介したい。その複雑さを少しでも見通しておけば、ウイグル問題をめぐる中国の日本に対する圧力が如何に不当なものであるかがいっそうお分かり頂けるだろう。
■ウイグル人と漢民族 「同じ国に属する」意識なし
 もともと、今日ウイグル人と名乗る人々、すなわち天山山脈南東側のオアシスに住むトルコ系のイスラム教徒(以下ムスリムと記す)と漢民族の関係は、交易や戦争をする程度のものでしかなく、互いに「同じ国に属する」などという観念は微塵もなかった。前近代の漢民族にとって、「中国」とは漢字文化がある土地のことを指すに過ぎず、漢字と儒教を知らない人々は、完全な人間と呼ぶに値しない「夷狄」(野蛮人)であり、たまに「夷狄」の国王が「中国」の呼びかけに応じて朝貢にやって来る際に、例えば高麗・朝鮮や南洋諸国と同じように「外国」「外藩」などと呼ぶ程度の存在に過ぎなかった。
 一方、古来中国文化からみて「西域諸国」として独自の存在であり、仏教文化を有したこともあるオアシスの人々は、トルコ化・イスラム化以来このかた、アラビア文字を用いペルシャ語の語彙をふんだんに採りいれたトルコ語(チャガタイ・トルコ語)で文化を花開かせてきた。今日の新疆ウイグル自治区に残る古いモスクや王者の墳墓は、そのまま中央アジア諸国やイランのそれを彷彿とさせるものであり、そこに「中国」の面影を感じ取ることは不可能である。
 ゆえに彼らは、今日の中近東に栄えたイスラム中心の諸帝国に好意を抱きこそすれ、およそイスラムとは縁遠い漢字・儒教文明なるものに「文明」としての価値を感じ、自らをその一員と感じること自体有り得なかった。「中国」が「夷狄」扱いした「西域」は、逆に「中国」を「夷狄」扱いしていたということである。
■チベット仏教のパトロン争い
 しかし、彼らの不幸は、17世紀に大きく台頭したモンゴル系の騎馬民族国家・ジュンガルの尻に敷かれてしまったことにある。
 ジュンガルは、当時のモンゴル高原における「文明」であるチベット仏教を厚く信仰しており、支配下の異教徒であるトルコ系ムスリムに重税と労務を課していた。そのジュンガルは、当時東の方から台頭していた満洲人中心の国家・清とのあいだで、遊牧騎馬民族最大の名誉である《チベット仏教の最大のパトロン》の座を賭して激烈な対立を繰り広げた。清は清で、支配下に収めた漢民族から得た莫大な税収を、ジュンガルとの雌雄を決するべく湯水のように消費していたのである。
 その結果1720年になると、清はジュンガルに聖地チベットを先取りされるのを避けるべく、チベットを完全に影響力のもとに置いた。さらに1750年代には、度重なる激戦の末、ついに清がジュンガルを滅ぼし、ジュンガル支配下の土地は当時の皇帝・乾隆帝によって「新疆」(「新しい土地」の意)と名付けられた。
 要するに、ジュンガルに支配されていたトルコ系ムスリムが北京の強いコントロールの下に置かれるようになったのは、18世紀半ば以降の僅か2世紀半ほどの話でしかない。しかもそれは、チベット仏教のパトロン争いに巻き込まれた結果である。チベット人と、オアシスのトルコ系ムスリムは、全く同じ成り行きで清に組み込まれたという意味で運命を共にしているのである。
■ウイグルがチベットのように注目されない理由
 それにもかかわらず、オアシスのトルコ系ムスリム=今日のウイグル人がチベットと比べて国際的に注目を集めてこなかったのは、清が支配地の状況に応じて異なる統治のやり方を敷いたところによるかも知れない。
 チベットの場合は、ダライ・ラマという圧倒的な存在が、今日のチベット自治区の範囲で全く独自の政府=ダライ・ラマ政権を運営しており、清はダライ・ラマ政権が問題なく運営されているかどうかを監督するのみであった。
 しかも19世紀に入り清が内憂外患に見舞われると、北京から監督のために派遣された「駐蔵大臣」はろくに監督することすらしなくなり、外国の侵入に対してもダライ・ラマ政権の軍隊が独自かつ的確に対応する有様であった。太平天国の乱やら何やらで戦費も軍人も不足した北京は、単純にチベットに対して「良くやった」と伝えるのみであったのである。チベット亡命政府が「前近代以来チベットは独立国であり、北京とはチベット仏教の《パトロンと教団の関係》でしかない」と主張する根拠はこのへんの事情にある。
 これに対してトルコ系ムスリムの場合、ジュンガル亡きあと決定的な政治的求心力を持つ人物・勢力はいなかった。しかも清はジュンガルの復活を防ぐため、北京から新疆に大量の軍事力を送り込んでいた。
 その後19世紀になると、清は漢民族の農民反乱に見舞われ、北京の国庫は空になり、新疆の駐留軍は補給を失ったため、トルコ系ムスリムから容赦なく重税を取り立てた。異教徒の軍隊の横暴に対してトルコ系ムスリムが怒りを深めたのは当然であり、1820年代には大規模な反乱が起こったほか、1860年代には完全に清の影響力を排除した国家(ヤークーブ・ベグ王国)が成立したのである。 (後篇へつづく)

チベットよりも深刻なウイグルの苦難 (後篇) 歴史から見る少数民族問題
 2012年05月24日(Thu)
 ところが清は、18世紀までに手に入れた領域を「神聖不可分」なものとして維持することが、内憂外患の時代における最後のプライドの拠り所であると考えるようになった。
 とりわけ19世紀中頃以降激化するヨーロッパ列強の拡張を食い止めるためにも、漢民族の「中国」から遠く離れた土地を囲い込み、そこに近代的な国家主権を設定しなければ安心できないと考えたのである。そこで1870年代になると清は新疆を回復したのみならず、そこに漢民族地域と全く同じ制度を敷いて中国化を進めるために、1884年に「新疆省」を設置した。
■漢字や儒教の強要 「異分子」への不安
 さらに清は、日清戦争に敗れ、日露戦争で近代日本の「成功物語」に刺激されると、漢民族中心の「近代中国」を作ろうとする中で、漢字と儒教をチベット・モンゴル・トルコ系ムスリムに強要して「中国人」となるように迫る。
 何故なら、国内に言語が通じない異分子が多数いれば、いつ何時裏切りが生じて列強に走り国を割ってしまうか分からないという不安が募ったからである。逆に、国内の全員が「真の中国人」となれば、日本と同じように富国強兵に邁進出来るだろうと考えた。そこで、中国化のスピードを上げるため、戦乱にあぶれた貧しい漢民族を大量に送り込み、農場・鉱山開発などを大々的に進めようとした。
 これ以来、独自の文字・宗教文化・社会を守ろうとする人々が抵抗を始め、中国の民族問題が約一世紀にわたって深刻となっている。
■出遅れたトルコ系ムスリムと内モンゴル
 この中で、チベット人はダライ・ラマという圧倒的な知名度を誇る存在と、独自の政府をそれなりに運営していたという経験を活かして、国際的な地歩を築き上げている。北モンゴル=モンゴル国も、辛亥革命後ロシアを頼って独立し、ソ連衛星国としての辛酸を経ながらも今日の繁栄に至っている。
 しかし、明確な政治的核がないトルコ系ムスリムと、清末にはほとんど独立運動が起きなかった南モンゴル(今日の内モンゴル。満洲人と騎馬民族の利益共同体をつくっていたためである)は出遅れてしまった。しかも、トルコ系ムスリムが住む新疆の地と南モンゴルは、いずれも標高が低く、鉱産資源が莫大に眠っており、漢民族の大量移住が可能である。このため、ひとたび近現代中国が「開発」を掲げて大規模投資と漢民族移民を推進すると、在来の社会はひとたまりもない。
■ウイグル人のアイデンティティの出発点
 このような流れに直面したトルコ系ムスリムは、勿論手をこまねいていたわけではない。
 1917年にロシア革命が発生してソ連が成立すると、ソ連は一旦ロシア帝国の遺産を精算し、中央アジアの人々に民族ごとの共和国を組織させることによって、《様々な民族の平等な連邦としてのソ連邦》を創ろうとした(これはその後看板倒れになってしまうのは周知の通りだが、1991年にソ連が解体した結果すみやかに今日の中央アジア諸国が成立する土壌が出来上がったのも確かである)。このときソ連は、天山山脈南東のオアシス出身者について、古代王国の名称にちなんでウイグル人と命名し、その名がソ連・社会主義の影響の下で反中独立運動を進めようとする民族主義者を中心にすみやかに受け容れられた。
 これが、今日のウイグル人というアイデンティティの出発点である。そして彼らは、同じくソ連によってカザフ人と定義された遊牧民ムスリムなどと連帯しながら、中国が新疆と呼ぶ天山山脈南東の地全体を《東トルキスタン》すなわち「東のトルコ人の土地」と名付け、独立運動の烽火を度々あげた。
■有力な指導者を失ったウイグル人社会
 しかしこのような情勢は、日中戦争もあって一層「神聖不可分な領土」への信仰を強めた中国にとってはなはだ都合が悪い。当時新疆を支配していた軍閥は、東トルキスタン民族主義運動に対して弾圧を強めたし、成立直後の中華人民共和国も民族主義者に適当なポストを与え、「統一多民族国家」の枠内に丸め込もうとした。
 また、中国共産党政権の少数民族政策の根幹をなす「民族区域自治」では、少数民族の独自言語による教育権や、少数民族幹部が現地政府の中核となることを認めているが、これは従来の一律に中国化・漢化を迫った清末・民国との違いを打ち出し、少数民族の支持を取り付けるためでもあった。
 ところが、東トルキスタン民族運動の有力な担い手たちは、1949年10月の建国式典に招待されて北京に向かう途中全員墜落死してしまう。一方、上記「民族区域自治」はすぐに骨抜きになった。中国のあらゆる政府・組織においてはそのトップではなく、その政府・組織の共産党委員会の方が優越するという仕掛けがあるのみならず、少数民族地区の共産党委員会トップは少数民族でなければならないという内規もない。したがって、北京からイエスマンの漢民族を現地共産党委員会トップとして送り込み、政府の少数民族のトップに睨みを効かせることはいくらでも可能である。新たに成立した新疆ウイグル自治区もその例外ではない。
■漢語が流暢でないと就職も不利に
 したがって、有力な指導者を失ったウイグル人社会は、中国内地からの漢民族の力に圧倒されやすい環境にさらされることになった。のみならず、1957年の「反右派党争」以後になると、少数民族のさまざまな不平不満は全て「地方民族主義」「分裂主義」として断罪されるという恐怖政治の構造が出来上がってしまった。この流れは毛沢東時代にとどまらず、むしろ1990年代以降の爆発的な経済発展、とりわけ1999年以後の「西部大開発」以来、加速度的に中国内地から巨大資本と漢民族移民が流入することで一層深まっている。
 この結果、本来の住人であるウイグル人は、単に人口面で漢民族に逆転されつつあるのみならず、漢語が流暢ではないという理由で就職の機会も十分ではなくなっている。さらには、「就職に有利になるように」という理由で民族言語教育が縮小されつつある。もはやウイグル人は、区都ウルムチなど漢民族が闊歩する大都市の煌めくばかりの《発展》とは裏腹に、固有文化と近代化のバランスある発展など論じようもないほどの苦境に追いやられているのである。
 さらに新疆ウイグル自治区には、自治区の行政組織とは全く別に、平時には新疆開発、非常時には軍事組織として対外防衛や独立運動鎮圧にあたる《新疆生産建設兵団》が厳然と存在していることに注意しなければならない(http://www.xjbt.gov.cn/)。中国共産党の元老の一人・王震が、革命根拠地・延安での「生産し戦うゲリラ」モデルを新疆で実践し、社会主義建設と国防建設を加速するべく生まれたこの組織は、今や新疆ウイグル自治区の統率を一切受けず、新疆ウイグル自治区の統計にも入らない、自治区の中の《独立王国》として巨大な利権を有している。
 具体的には、自治区人口2181万人のうち、ウイグル人882万人、カザフ人135万人、他のトルコ・イラン系ムスリムを合わせても約1040万人であり、これだけでも漢民族や、漢語を話すムスリム(回族)の勢力に圧倒されている。そして自治区の2011年度総生産額は5437億元(一人当たり24940元)である。これに対し、ほとんど漢民族で占められる新疆生産建設兵団の人口は約260万人であり、総生産額は770.6億元(一人当たり29639元)である。この数字だけをみても、生産建設兵団が如何に特殊で特権的な地位にあるかを理解出来よう。そして、新疆ウイグル自治区党書記と、新疆生産建設兵団第一書記は漢民族が兼務するのがならわしである。
■やむことのない漢民族からの偏見や差別
 かくして、ウイグル人を始めトルコ系ムスリムは、自らの土地で利権の多くが漢民族(及び回族)に流れ、資源の分配が偏在している現状にいっそう不満を抱かざるを得ない。
 しかも中国は、ウイグル人のごく一部が国外のテロリストと結びついて1990年代以降各地で爆弾テロなどに及ぶようになって以来(とくに9.11以後)、アル・カーイダなどイスラム原理主義テロリストとウイグル人の独立運動を結びつける宣伝を国内外で行い、チベットに対して集まった国際的注目が新疆には向かわないよう腐心している。
 しかしそれゆえに、現実の苦難の度合いはチベットよりもウイグルの方が深刻である。チベット人は国外から同情を集めているのみならず、中国国内でも仏教の聖地として注目を集めている。これに対しウイグル人は「反テロの戦い」「キリスト教文明vs.イスラム」といった言説の影で国際的注目が集まらないのみならず、中国国内でも一目で分かる中央アジア系の顔立ちのゆえに、「分裂主義分子=テロリスト」という宣伝を真に受けた漢民族からの偏見にさらされるようになった。
 この結果、中国国内を旅行中のウイグル人が、宿泊拒否や滞在地警察の執拗な取り調べに直面する事態が激増しているといわれる。2009年、ウルムチで起こったデモ行進の原因となった、広東での出稼ぎウイグル人殺害事件の背景には、このような構造的差別がある(このへんの事情について詳しくは、黄章晋、鈴木将久訳「さよなら、イリハム」『世界』2009年12月号を参照。漢語を読める方なら、王力雄『Ni的西域、我的東土[あなたの西域は私の東トルキスタン]』台北・大塊文化、2007年をご覧頂きたい)。
■体制内にいたラビア・カーディル氏
 世界ウイグル会議主席であり、中国が「分裂主義者」と非難してやまないラビア・カーディル氏は、もともと改革開放が始まって以来零細な個人経営者から出発して中国十大富豪とも称されるようになった立志伝中の人物として、一種の翼賛機関である全国政治協商会議の委員をはじめ自治区の要職に就いた人物であり、本来は体制内の存在としてウイグル人と共産党・政府をつなぐ役割を果たしていた。
 したがって、このような中間的な人物の存在を共産党・政府が重視し、率直な現状批判・不満に真摯に耳を傾け、少数民族が置かれた構造的な苦境を少しでも改善すれば、それだけでも自ずと緊張は緩和されるはずである。たとえ自由で民主的な体制でなくとも、少数派エリートの建設的な意見をそれなりに尊重し政策に活かすとすれば、必ずしも悪い政治体制であるとは言い切れない。
 しかし中国共産党は、新疆生産建設兵団に象徴される漢民族中心の巨大利権構造にメスを入れるどころか、それを温存して一層富と資源が偏在する方向を選んだ。ラビア・カーディル氏に限らず、中国の国内外で中国を批判する人々は、必ずしも最初から独立運動を唱えていたわけではなく、あくまで中国共産党・政府の善処を期待していたのであった。それが叶わずむしろ逮捕・投獄などの恐怖にさらされたため、止むにやまれず独立と自由を求める声を上げることになったのである。
■日本は中国と少数民族の和解を促すべき
 以上、ウイグルの人々が置かれた苦難の連続をざっとみてみたが、ひとつ結論としていえるのは、かつて日本が中国をはじめアジア諸国に行った「日本中心の近代化に無条件で従い、日本人が利権の中心にいることに不満を上げざること」の強要を、中国がそのままウイグルをはじめ国内の非漢語少数民族に対して行っているという生々しい現実である。
 しかもそれは日清・日露戦争によって刺激され、当時の日本(そして帝国主義列強一般)のやり方をコピーしただけのものである。中国が「自国領内で兄弟民族に対して善意で行っていることであり、列強の圧迫とは全く異なる」という説明は、そもそも漢字文化と「中国」に魅力を感じない人々に対して何の意味もない。中国が抗日した以上、同じ論理を振りかざす中国が少数民族からの「抗中」に直面するのは当たり前すぎる成り行きである。
 日本がもし真摯に日中関係を追求するのであれば、中国がかつての日本と同じ轍を歩むのは好ましくないということを中国に気づかせるために声を上げ、中国と少数民族の和解を促すことが望ましい。これは「粗暴な内政干渉」どころか、かつての帝国主義を反省し平和を希求する国家・国民として当然のことなのである。
 この道理が理解出来ず、中国の宣伝を真に受けるような政治家を、我々は厳しく選別するべきであろう。また、それを受け容れられない中国は、所詮戦前の日本帝国主義と同じ心理を共有しているに過ぎないのであるから、即刻「日本の歴史認識批判」なるものを止め、むしろ日本軍国主義を賛美するのが良かろう。

著者
平野 聡(ひらの・さとし)
 東京大学大学院法学政治学研究科准教授
 1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。2003年より東京大学法学部准教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。
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