中日春秋
2024年1月7日 日曜日
新年の干支(えと)の辰(たつ)。巨大で力強いイメージがあるが、宮沢賢治の物語(『手紙一』)に出てくる竜は穏やかで慈悲深い。こんな話である▼よほど悪事を重ねてきたのだろうか。1匹の竜がもう悪いことをしない、誰も悩ませないと誓った。竜の誓いは固い。ある日、竜が寝ていると猟師がやって来て、自分の美しい皮をはぎとろうとした▼猟師を殺してはかわいそうだと竜は痛みをこらえ、されるがままになった。すっかり皮を失った竜に今度は虫がたかる。竜は黙って虫に自分を食べさせ、とうとう死ぬ。この竜が天上でお釈迦様に生まれ変わったのだという▼悪事を働かず、力があっても、誰かのために身をささげる。心優しい竜に政治の理想を重ねたくなるが、辰年はどういうわけか政治とカネをめぐる大事件が目立つそうだ。政治疑獄のロッキード事件(1976年)、リクルート事件(88年)。昨年末からの自民党のパーティー裏金事件は今年どんな展開を見せるのか▼自民党は事件を受け、政治改革に向けた「政治刷新本部(仮称)」を設置するという。お飾りではなく、過ちを繰り返さぬ仕組みをどんなにつらくともつくらねばなるまい。見習うべきはあの竜だろう▼「逆鱗」とは竜のあごの下に生えた逆さ向きのウロコ。これを触られると竜は激怒する。党の体質改善を急ぎたい。自民党はとうに国民の逆鱗に触れている。 2024.1.7
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用、及び書き写し(=来栖)です
宮澤賢治からの手紙 №.1「竜のはなし」
8月27日は、銀河鉄道の童話詩人で「マルチ人間」の元祖 宮澤賢治先生ご生誕122年です。
さいたま市民宮澤賢治協会では、これを記念して、宮澤賢治先生からの手紙をお送りいたします。
第1回目は「竜のはなし」。さいたま市のマスコットは「つなが竜ヌゥ」です。
どうぞヌゥのお話だと思ってお読みください(^_^)/
むかし、あるところに一疋(いっぴき)の竜(りゅう)がすんでいました。
力が非常(ひじょう)に強く、かたちも大層(たいそう)恐(おそ)ろしく、それにはげしい毒(どく)をもっていましたので、あらゆるいきものがこの竜に遭(あ)えば、弱いものは目に見ただけで気を失(うしな)って倒(たお)れ、強いものでもその毒気(どくけ)にあたってまもなく死(し)んでしまうほどでした。この竜はあるとき、よいこころを起(おこ)して、これからはもう悪(わる)いことをしない、すべてのものをなやまさないと誓(ちか)いました。
そして静(しず)かなところを、求(もと)めて林の中に入ってじっと道理(どうり)を考えていましたが
とうとうつかれて眠(ねむ)りました。
全体(ぜんたい)、竜というものはねむるあいだは形が蛇(へび)のようになるのです。
この竜も睡(ねむ)って蛇の形になり、からだにはきれいなるり色や金色の紋(もん)があらわれていました。
そこへ猟師共(りょうしども)が来まして、この蛇を見てびっくりするほどよろこんで云(い)いました。
「こんなきれいな珍(めず)らしい皮(かわ)を、王様(おうさま)に差しあげてかざりにしてもらったらどんなに立派(りっぱ)だろう。」
そこで杖(つえ)でその頭をぐっとおさえ刀でその皮をはぎはじめました。竜は目をさまして考(かんが)えました。
「おれの力はこの国さえもこわしてしまえる。この猟師(りょうし)なんぞはなんでもない。いまおれがいきをひとつすれば毒(どく)にあたってすぐ死(し)んでしまう。けれども私はさっき、もうわるいことをしないと誓(ちか)ったしこの猟師をころしたところで本当にかあいそうだ。もはやこのからだはなげ捨(す)てて、こらえてこらえてやろう。」
すっかり覚悟(かくご)がきまりましたので目をつぶって痛(いた)いのをじっとこらえ、またその人を毒(どく)にあてないようにいきをこらして一心(いっしん)に皮をはがれながらくやしいというこころさえ起(おこ)しませんでした。
猟師はまもなく皮をはいで行ってしまいました。
竜はいまは皮(かわ)のない赤い肉(にく)ばかりで地によこたわりました。
この時は日がかんかんと照(て)って土は非常(ひじょう)にあつく、竜はくるしさにばたばたしながら水(みず)のあるところへ行こうとしました。
このとき沢山(たくさん)の小さな虫(むし)が、そのからだを食(く)おうとして出てきましたので蛇はまた、
「いまこのからだをたくさんの虫にやるのはまことの道(みち)のためだ。いま肉をこの虫らにくれておけばやがてはまことの道(みち)をもこの虫らに教(おし)えることができる。」と考(かんが)えて、だまってうごかずに虫にからだを食わせとうとう乾(かわ)いて死んでしまいました。
死んでこの竜は天上にうまれ、後(のち)には世界(せかい)でいちばんえらい人、
お釈迦様(しゃかさま)になってみんなに一番(いちばん)のしあわせを与(あた)えました。
このときの虫もみなさきに竜の考えたように後にお釈迦さまから教(おしえ)を受けてまことの道に入(はい)りました。
このようにしてお釈迦さまがまことのために身(み)をすてた
場所はいまは世界中(せかいじゅう)のあらゆるところをみたしました。
このはなしはおとぎばなしではありません。
おわり
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この「手紙」は全4編あり、宮澤賢治先生が岩手県花巻農学校の教師だった
大正12(1923)年頃、自費で印刷して学校の下駄箱に入れたり、
とく名で知人に郵送したり、家々にポスティングしました。
当協会は専門家による「研究機関」ではありません。
“元祖マルチ愉快人間”の宮澤賢治先生を慕う愛好家が、
賢治先生の生徒となって、先生の教えに学び、日々の生活の中に活かし、
さいたま市もイーハトーブ(賢治先生のめざした理想の郷土)となるよう、
いろいろなイベントを通じて
楽しい“宮澤賢治生きがい街おこし活動”をしてまいりたいと思います。
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮(えんりょ)はありません」
あなたのご参加をお待ちしております。
会長 水野臣次