「24年、地獄です」「ご遺族にお詫びしたい」 酒鬼薔薇聖斗の母が取材に語った心の内 2021/3/18

2021-04-05 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

「24年、地獄です」「ご遺族にお詫びしたい」 酒鬼薔薇聖斗の母が取材に語った心の内
 2021/3/18(木) 10:56配信 デイリー新潮 

変わらぬ自己顕示欲
 おぞましいあの事件から24年、独善的な手記『絶歌』が世に出てから6年。今も酒鬼薔薇聖斗こと元少年A(38)は、自分の正体と犯罪衝動を隠しながらどこかに身を潜めている。そんな元少年Aの親は今――。
  * * *
 「地獄です。24年、地獄です。下の子らも学校をやめないといけないし。普通の、一般家庭が、ですよ……。地獄です、ほんまに」
 時折、目に涙を浮かべながら取材に応じた元少年Aの母親は、「地獄」という言葉を繰り返した。しかし、事件によって地獄に突き落とされたのは、彼女だけではない。元少年Aに殺された土師(はせ)淳君(当時11歳)や山下彩花ちゃん(当時10歳)の親もまた、事件以来、出口の見えない地獄を歩き続けてきた。
 2人が死亡、3人が重軽傷を負った神戸連続児童殺傷事件。14歳だった元少年Aは、当時から自己顕示欲の塊だった。
 神戸市須磨区内の中学校の正門前で淳君の頭部が発見されたのは1997年5月。その口には、酒鬼薔薇聖斗と名乗る人物からの手紙が挟まれていた。
〈さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない〉
 さらに、地元新聞社に送った声明文では自らを“透明な存在”と称して、
〈もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ〉
 などと挑発したのだ。
 淳君の頭部が発見された約1カ月後に逮捕された元少年Aは関東医療少年院に送られ、2004年3月に仮退院。翌年1月に本退院となり、社会に戻ってきた。

「縁切った」
 以降、彼の行方は杳(よう)としてしれず、時折、「あの町に酒鬼薔薇がいるらしい」といった真偽不明の噂が流れるばかりだった。
 しかし、社会復帰から10年がたった2015年、事件の「第2幕」が開く。淳君の頭部を自らが通う中学校の正門前に晒したことについて、〈告白しよう。僕はこの光景を、「美しい」と思った〉などと語る手記『絶歌』を出版。それだけでは自己顕示欲が満たされなかったようで、HPまで開設した。そこには、元少年A本人と思しき覆面姿の半裸写真や、ナメクジのコラージュが掲載されており、彼の「治療」が失敗に終わったことは誰の目にも明らかだった。
 そんな元少年Aの両親は現在、関西のある地方都市で暮らしている。オートロックもエレベーターもない、築50年以上の古びたマンション。玄関のドアが開いていたので「すいません」と声をかけてみると、中から出てきたのは、年老いた小柄な女性。彼女こそ、元少年Aをこの世に生み落とした本人である。彼女の名前を確認した後、質問を投げかけようとすると、
「こちらにお入り下さい」
 と記者を玄関の中に招じ入れた。近所にあらぬ「噂」がたつのを気にしているのだろう。
――元少年Aと連絡をとっていますか? 
「ないんですけど」
――今、彼はどのような暮らしをしている? 
「わからなくて……」
――ここには来ていない? 
「何も聞いていません」
――今、彼はどこに住んでいる? 
「全然、わからないんですよ。そういうのは弁護士の先生に全面的にお任せしているんで」
――お二人の暮らしぶりは? 
「もう、年金生活ですので。最低限の生活です」
――元少年Aの兄弟はどうしている? 
「生きてます」
――お二人とも? 
「元気にしています」
――ご遺族の土師さんに対しては? 
「死ぬまでに一回は会ってお詫びしたいというのは、弁護士の先生には伝えとるんですけど。直接、お詫びをしない限りはずっと、私は、もう、ずーっと、沈んだままです」
――関東医療少年院を出てからは元少年Aに一度も会っていない? 
「うん、そうですね」
――手紙も来ない? 
「来ません。縁切ったんちゃいます? 私らと」
 こうしたやり取りの後、“事件以後はあなたにとってどのような時間だったか”と聞いたところ、母親は冒頭のように「地獄」の2文字を口にしたのだ。

「週刊新潮」2021年3月18日号 掲載 新潮社 
 最終更新:デイリー新潮 
 
 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
......................
〈来栖の独白2021.04.05 Mon〉
 犯罪、事件のニュースに触れるたび思うのは、私どもの子がこのようなことをしでかしたのでなくてよかった、ということだ。私は故死刑囚(2000年、死刑執行)勝田清孝と養子縁組によって姉弟となったが、彼の実父母のことが思われてならなかった。清孝の生前、私は京都の勝田家を訪ねたが、無論、空き家であった。事件により、勝田の両親は暮らしていた土地には住めなくなった。
 清孝の生い立ちをみれば、殺人犯に至るは、親の養育のあり方が大きく関わっている。同様のことは「酒鬼薔薇聖斗」の手記『絶歌』を読んだ時にも感じた。わが子の個性・感性を考慮・尊重するのではなく、一般的な理想を押し付けて養育しているように感じた。わが子を見ていない。
-----------------


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。