能「楊貴妃 台留(うてなどめ)」  狂言「鬼瓦」

2016-12-30 | 本/演劇…など

能 楊貴妃  
■物語
 唐の玄宗皇帝は、こよなく愛する楊貴妃を失い、悲しみの余り、魂の在り処を探させます。命を受けた方士(仙界の術を身につけた者)は、天上界はもとより黄泉の国まで訪ね歩き、ついに蓬莱の島で、楊貴妃の魂と出会います。その姿は在りし日と変わることもなく、たとえようもない美しさでした。確かに出会えたしるしにと、かんざしを差し出す楊貴妃に、方士は玄宗皇帝と誓い合った言葉を聞かせて欲しいと頼むのでした。
-天に在らば願わくは比翼の鳥とならん 地に在らば願わくは連理の枝とならん
 それは、七夕の夜に変わることのない愛を誓い合った言葉でした。
 もともと天上界の仙女であつた楊貴妃は、仮に人間の世界に生まれ、皇帝に見出されますが、誓いの言葉もむなしく、会者定離のさだめのまま、死後はこの蓬莱の島に住む身の上となります。昔を懐かしみつつ舞う楊貴妃。都に帰っていく方士をいつまでも見送り、また悲しみに沈むのでした。
■舞台展開
 まず囃子方が着座すると、後見が「引廻し」という布で覆われた作物を、舞台正面の奥(大小前)に据えます。これは蓬莱国の太真殿といって楊貴妃の魂の住まいを表しています。
〈次第〉の囃子で方士(ワキ)が登場し、勅命によって楊貴妃の魂を訪ねて、蓬莱国に向かう由を述べます。
 やがて到着した方士は、蓬莱国の者(間狂言)に太真殿に教えられます。
 作物の中から、昔を懐かしむ楊貴妃(シテ)の声が聞こえ、方士は勅命によって来たことを告げると、地謡の内に、後見が引廻を静かに下ろします。シテは天冠を戴き、唐織を壺織に着て、緋色の大口(袴)姿にと、方士に手渡します。
 かんざしは他にもあるもの。楊貴妃と皇帝しか知らない秘密の誓いの言葉を教えます。
 都に帰ろうとする方士を引き止めて、再びかんざしを付けて昔を懐かしみつつ舞う楊貴妃。やがて別れの時が来て、またかんざしを携えて方士は帰って行きます。楊貴妃は見送り、作物の中へ入り、悲しみに沈む様子で静かに座り、シオリ(泣く型)をします。
■鑑賞
 能では幽霊が仮の姿で、又は在りし日の姿で現世に現れるという曲が多い中で、蓬莱国(常世の国)に魂を訪ねて行くというところが、不思議な雰囲気を醸しだしている曲です。
 大切な人が亡くなってしまうと、残された人は、誰しも魂が何処かに存在し続けていると願って生きているものです。また永遠に変わることのないものへの憧れ。この曲にはそのような心情がこめられた趣き深い曲です。

 ◎上記事の著作権は[白翔會]に帰属します
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 柴田稔blog2008年02月16日
 能「楊貴妃」について
 古い中国では、この世の人間が死者の国に行き来できるという、特殊な能力を持った人がいるとされていたようです。
 このような人を仙術士とか、道士、方士と名づけています。
 「楊貴妃」ではこの仙術士が大切な役割を果たし、死後の国にいる楊貴妃の心の揺れ動きをうまく引き出しているのです。
 ふつうの能では死者が現世に幽霊として現れ、過去の物語を語るという形式をとっていますが、「楊貴妃」では現世から死後の世界へと、まったく逆になっています。
 それはあたかも現在能のようで、楊貴妃の心の想いが細かに語られてゆきます。
 「楊貴妃」は、「定家」、「大原御幸」と並んで三婦人と呼ばれ、高貴な女性の、気品と優艶さを兼ね備えた鬘物の代表作品とされています。
 能「楊貴妃」は玄宗皇帝と楊貴妃の悲しい恋の物語だけに焦点を絞り、楊貴妃の歴史的事実には触れられていないようにみえます。
 が、じつは能作者はテキストの中にキーワードとなることばをおり込み、楊貴妃の歴史的事実を匂わしているのです。
 ここからはまったくの独断と偏見による、柴田流解釈です。あしからず・・・(笑)
 舞台ではまず、方士が死後の国・蓬莱宮にたどり着き楊貴妃を訪ねるのですが、そのような者は此処にはいない、しかし昔恋しいやと泣いてばかりいる玉妃が大真殿と書かれた宮にいると教えられます。
 「大真」とは皇帝が息子・寿王の妃だった楊貴妃を手に入れるため、道教の尼として出家させた、そのときの名前が「大真」だったのです。
 ですからこの「大真」という言葉から、皇帝の息子・寿王の妃としての楊貴妃が浮かび上がるわけです。(この大真という言葉は、能「楊貴妃」だけではなく、もとの「長恨歌」にもでてくるのですが)
 また作品の半ば頃に、「その身は馬嵬(ばがい)にとどまり、魂は仙宮に至りつつ・・・」という文章が出てきます。
 皇帝は三千人いる妃の中で、楊貴妃だけを寵愛した結果、それを面白く思わないものによって反乱がおきてします。その主導者は安禄山という人物で、皇帝は都・長安を離れ、蜀に逃げてゆくのですが、途中の馬嵬で反乱の責任を取らされ楊貴妃は処刑されてしまいます(38歳)。
 この安禄山とは楊貴妃が皇帝の妃になる前、情交があったとされているのです。皇帝60歳、楊貴妃27歳、安禄山42歳。
 馬嵬」という言葉によって、楊貴妃の死と、あとひとつ、かつての恋人だった安禄山という人物が浮かび上がってきます。
 曲のおしまい部分、序の舞が終わったあとの詞章で、
 羽衣(うい)の曲、稀(まれ)にぞ返す少女子(おとめこ)が。 袖うち振れる、心しるしや、心しるしや。 恋しき昔の物語・・・
 これは源氏物語「紅葉賀」に光源氏が父・桐壷の帝とその妻・藤壺の宮の前で青海波の舞を舞うのですが、実はこのとき源氏は藤壺の宮を妊娠させていたのです。父の妻、自分の義母にあたる人です。禁断の過ちを犯してしまったわけです。
 舞い終わったあと、源氏が藤壺の宮に贈ったうたが、
 「もの思うに、立ち舞うべくもあらぬ身の 袖うち振りし心知りきや」
 先ほど挙げた能の詞章はこのときの源氏の歌が引用されています。
 父、義母、父の妻を犯した源氏、よこしまな関係があります。
 これを能「楊貴妃に」にあてて考えてみると、
 かつて、霓裳羽衣(げいしょう うい)の曲を玄宗皇帝の笛の演奏で舞った舞を、方士の前で舞って見せたわけですが、光源氏の歌をここに引用したということは、歌の性格からして、楊貴妃と玄宗皇帝、楊貴妃と皇帝の息子寿王、楊貴妃と安禄山これらの関係が浮かんできます。
 方士の前で見せた比翼連理の想いで舞った霓裳羽衣(げいしょう うい)の舞は、実は生きていたときの総括としての舞だったのかもしれません。
 さて実際に舞台で「楊貴妃」を演じる場合、面は何を使うかという問題が生じます。観世流の謡本では、若女、増、小面、また古くは、深井、というのも型付けにはあります。深井で「楊貴妃」はかんがえられませんねぇ!先日の稽古能では、楊貴妃のことをあれこれ考えて、増の面のつもりで舞いました。
 
 ◎上記事の著作権は[柴田稔blog]に帰属します
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鬼 瓦(おにがわら) 
登場人物/大名・召使い   上演時間/約20分
 訴訟の件があって、長らく都に滞在していた大名。漸く落着し目出度く帰国の運びとな ります。このように無事帰国できるのは、日ごろ信仰する因幡堂薬師如来のご加護のおかげと、召使いの太郎冠者を連れて御礼に参上します。国元にもこれに似た薬師如来を安置しようと考えた大名は、堂を建立するために外観の造りを見学していると・・・。
 故郷を懐かしむ大名の人間味が表れ、短編ながらもほのぼのと描かれた狂言の名作です。また二人で声を合わせて笑いとばす『笑い留め』の手法で、一曲を目出度く納めます。
 因幡堂はこの「鬼瓦」のほか、「因幡堂」「仏師」「六地蔵」「金津地蔵」など数多くの演目に登場します。京都市下京区に現存する平等寺というお寺で、癌が不治の病と思われていた時代、最後に因幡薬師にすがられた方が多かったため、特に癌封じの薬師如来として今も信仰されています。

 ◎上記事は[狂言共同社]からの転載・引用です
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名古屋能楽堂 正月特別公演 

 2017年1月3日(火) 開場/12:30 開演/13:00

      

演目
・能  「翁」   (観世流)/シテ 久田勘鷗 千歳 久田勘吉郎、三番叟 鹿島俊裕
・狂言 「鬼瓦 」 (和泉流)/シテ 松田髙義
・能  「楊貴妃 台留」 (観世流)/シテ 久田三津子 
     註:台留(うてなどめ)--- 基本演出においては常座で留め拍子を踏んで終了する方法に対して、宮の作り物の中、あるいは作り物の傍で座った形で留めることによって愁嘆の思いが余韻を引く演出を云う。


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