小泉氏に重なる橋下流 ポピュリズムとバッシング 改革か独裁か
中日新聞2011/12/27Wed.【論壇時評】金子 勝
11月27日に行われた大阪府知事と大阪市長のダブル選挙において「大阪維新の会」が圧勝した。この結果をめぐって正反対の評価が生じている。
■大阪都構想の是非
維新の会代表である橋本徹新大阪市長のブレーンである堺屋太一は、「“橋下改革”こそ日本の救い」(『Voice』1月号)において、「いまや日本は、『第3の敗戦』ともいえる苦境にあり、発想と体制の大転換が必要」と主張し、「『大阪都構想』が『日本を変えるきっかけになる』可能性がある」と述べる。堺屋は、「大阪府議会に上程されている大阪府教員基本条例、同職員基本条例」は、「勤務成績不良の教員、職員は解雇を含む処分を可能にする条例である。まずこれだけでも、日本の教職員や公務員の雇用制度は大変化しそうだ」と述べ、さらに「大阪都構想」は「大阪府と大阪市との権限争議と二重行政とは、『不幸せ(府市合わせ)』といわれる長年の病弊である。大阪都構想は、それを体制の変革で解決しようとするものだ。そんなことが『選挙』を通じて住民の意志で行われるのは、日本史上はじめてだろう」と持ち上げる。
これに対して、松原隆一郎「『橋下徹総理』という悪夢」(『文芸春秋』1月号)は、「橋下氏の『既存の制度を批判して“ぶっ壊す”』という手法は、小泉純一郎元首相とそっくりです。手段に過ぎない制度いじりを、選挙で勝つための1つの道具にしています」と指摘する。
松原は、「市役所の職員を“抵抗勢力”に仕立て上げ」、「市役所職員の質を上げる仕組みを作るべきなのに、首にすると脅すばかり」と橋下を批判する。「公務員の人数を減らしたら景気が良くなる」と橋下はいうが、「公務員の数と景気の良し悪しには直接の因果関係」はなく、「給与が下げ止まらない民間企業に勤めている有権者は、公務員叩きに溜飲を下げる」が、やがて「小泉改革以降の雇用流動化に拍車がかかり、サラリーマンも平気でクビにできるようになりかねません」。維新の会が提案する教育基本条例も同じで、「ただ首を切るならば間違いなく(教育の質は)下がります」という。そして、大阪都構想も橋下氏は「『大阪都』になれば経済成長する」と繰り返すだけで、「一向に中身が良く分らない」と批判する。
たしかに、単純化されたフレーズを繰り返す橋下の姿は、“抵抗勢力”を作り上げ、米国流金融自由化に追随して「郵政民営化こそすべての改革の突破口だ」と連呼した小泉元首相の姿と重なる。
ところが、大阪都構想などの政策には、日本経済の「失われた20年」をどのように克服していけるのかという具体的な道筋についてほとんど説明がない。残るのは、バッシングとポピュリズムの政治手法だけであり、それを煽る大手メディアである。
■「独裁」の教訓とは
それゆえにこそ、「『今の日本の政治で1番重要なのは独裁』という(橋下の)発言は、彼の危機意識の鋭さを表現したものだ」が、「他方で、彼の政治意識の根幹にある危うさを示すもの」であるという野中尚人の指摘を無視できない(「橋下徹の圧勝で大阪府民は幸せになるか」=『中央公論』1月号)。野中は続けて、「単独の人間が勝手な意思決定を続ける仕組みは、結局は大きな失敗に終わっている。それが人類の過去の経験であり鉄則だ」と警告する。
野中は直接言及していないが、こうした警告の背後に思い浮かぶのは、戦前ドイツのブリューニング政権が大恐慌への対処に失敗し、ベルサイユ体制下の賠償支払いが重荷になる中で、バイエルンの地域政党に閉じ込められていたナチスが、議会選挙を通じて国政を掌握していったという史実である。もちろん、今すぐファシズムがやって来るなどと言うつもりはない。問題は、こういった類の政治しか出てこない日本の状況にある。
不良債権処理問題、イラク戦争、小泉「構造改革」、原発事故と、これだけ大きな失敗が続いているにもかかわらず、失敗の総括が一切なく、誰一人として責任をとっていない。民主党政権の政策が自民党に似てきて、政権交代の意味が失われ、二大政党制が機能しなくなっている。そして知識人たちは「たこ壺化」して批判的言説は後退し、人々は強いリーダーシップを求め、ポピュリズムとバッシングの政治が横行してしまう。
■丸山真男の分析
丸山真男は、1961年に『日本の思想』(岩波新書)で、戦前の体制について「決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、『もちつもたれつ』の曖昧な行為関連(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が冥々に作用して」おり、国体における「臣民」の「無限責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している」と書いた。つまり、戦前の体制は責任の帰属が曖昧で、巨大な無責任につながるメカニズムになっていたと分析している。
残念ながら、この文書は今の日本の政治、社会にもそのまま当てはまる。それが大阪の現象を出現させた背景と言えるかもしれない。戦後の66年間とは一体何だったのだろうか。いま一度、深く噛みしめてみなければならない。(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)
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橋下大阪市長:「都構想」「組合是正」柱に施政方針演説
大阪市の橋下徹市長は28日、市議会で施政方針演説に臨み、「大阪都構想」の実現と「職員組合の是正」を2大方針に掲げた。大阪府と大阪、堺両市の首長と議員らでつくる「大阪都構想推進協議会」の設置条例案を、来年2月市議会に提案する考えも表明。「大阪から日本を変えていく」と、都構想実現へ強い決意を示すとともに、地方自治制度について国に改革を求めた。
橋下市長は「『府市100年戦争』に終止符を打ち、大阪新時代の幕を開く」と述べ、松井一郎知事との連携を強調した。府と市が一体運営する新組織「大阪府市統合本部」は「府市の類似事業の仕分け、広域行政の一元化を行う」と説明。港湾、水道、病院などの一体運用、市営地下鉄・バスの民営化を進め、市役所は住民サービスに徹してスリム化を図る方針を示した。
市役所改革では、区長に予算や人事などで大きな権限と財源を与えると明言。来年4月から4年間の任期で全国公募している24区長について、成果を出さなければ罷免するとし、「公務員の絶対的身分保障に挑戦していく」と語った。
補助金や福祉サービスについては「特定の団体や市民への既得権となって固定化されている。既得権を破壊することが私に与えられた使命だ」として、市の事業をゼロベースで見直す考えを示した。
職員組合を巡っては今月26日、市営バスの営業所内で組合が政治活動をしていたことが発覚。これを受けて橋下市長は演説にこの問題を加え、「庁舎内での政治活動は許されない。組合を徹底的に是正していくことで日本全国の公務員組合を改める」と述べた。
国と地方の役割分担にも言及し、「国と地方それぞれが決定した施策は、自らで権限と財源と責任を持つ。これが目指すべき国のかたちだ」と持論を展開した。
同日の市議会では、橋下市長の給与を3割、退職金を5割それぞれカットする特例条例も成立した。【小林慎】毎日新聞 2011年12月28日 20時47分(最終更新 12月28日 21時07分)
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◆「橋下徹・大阪維新の会」圧勝/パンとサーカスで大衆を煽動するポピュリズム/光市事件懲戒呼びかけ2011-11-29|
政党政治が崩れる~問責国会が生む失望感===透けるポピュリズム
論壇時評 金子勝(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)2011/02/23Wed.中日新聞
歴史の知識を持つ人にとって、今日の日本政治には政党政治が崩壊する臭いが漂っている。約80年前の大恐慌と同じく、今も百年に一度の世界金融危機が襲っており、時代的背景もそっくりだ。
保坂正康「問責国会に蘇る昭和軍閥政治の悪夢」(『文藝春秋』3月号)は、昭和10年代の政治状況との類似性を指摘する。
保坂によれば、「検察によるまったくのでっち上げ」であった「昨年の村木事件」は、財界人、政治家、官僚ら「16人が逮捕、起訴された」ものの「全員無罪」に終る昭和9年の「帝人事件」とそっくりである。それは「検察の正義が政治を主導していく」という「幻想」にとらわれ、「いよいよ頼れるのは軍部しかいないという状況」を生み出してしまった。
ところが、「民主党現執行部」は「小沢潰しに検察を入れてしまうことの危険性」を自覚しておらず、もし小沢氏が無罪になった時に「政治に混乱だけが残る」ことに、保坂は不安を抱く。さらに「問責決議問題」は「国家の大事を政争の具にした」だけで、「事務所費問題」も、国会を「政策上の評価ではなく、不祥事ばかりが議論される場所」にしてしまった。
保坂によれば、「最近の政党が劣化した原因」は「小泉政権による郵政選挙」であり、その原形は「東条内閣は非推薦候補を落とすため、その候補の選挙区に学者、言論人、官僚、軍人OBなどの著名人を『刺客』としてぶつけた」翼賛選挙(昭和17年4月)に求めることができるという。そしてヒトラーを「ワイマール共和国という当時最先端の民主的国家から生まれたモンスター」であるとしたうえで、「大阪の橋下徹知事」が「その気ならモンスターになれる能力と環境があることは否定できない」という。
保坂とは政治的立場が異なると思われる山口二郎も、「国政を担う2大政党があまりにも無力で、国民の期待を裏切っているために、地方政治では既成の政治の破壊だけを売り物にする怪しげなリーダーが出没している。パンとサーカスで大衆を煽動するポピュリズムに、政党政治が自ら道を開く瀬戸際まで来ている。通常国会では、予算や予算関連法案をめぐって与野党の対決が深刻化し、統治がマヒ状態に陥る可能性もある」(「民主党の“失敗” 政党政治の危機をどう乗り越えるか」=『世界』3月号)という。
山口も同じく、「小沢に対する検察の捜査は、政党政治に対する官僚権力の介入という別の問題をはらんでいる。検察の暴走が明らかになった今、起訴されただけで離党や議員辞職を要求するというのは、政党政治の自立性を自ら放棄することにつながる」とする一方で、「小沢が国会で釈明することを拒み続けるのは、民主党ももう一つの自民党に過ぎないという広めるだけである」という。
そのうえで山口は「民主党内で結束を取り戻すということは、政策面で政権交代の大義を思い出すことにつながっている。小沢支持グループはマニフェスト遵守を主張して、菅首相のマニフェスト見直しと対決している」と述べ、民主党議員全員が「『生活第一』の理念に照らして、マニフェストの中のどの政策から先に実現するかという優先順位をつけ、そのための財源をどのように確保するかを考えるという作業にまじめに取り組まなければならない」と主張する。そして「菅首相が、財務省や経済界に対して筋を通すことができるかどうか」が「最後の一線」だとする。
しかし残念ながら、菅政権は「最後の一線」を越えてしまったようだ。菅政権の政策はますます自民党寄りになっている。社会保障と税の一体改革では与謝野馨氏を入閣させ、また米国の「年次改革要望書」を「グローバルスタンダード」として受け入れていくTPP(環太平洋連携協定)を積極的に推進しようとしている。小泉「構造改革」を批判して政権についたはずの民主党政権が、小泉「構造改革」路線に非常に近づいている。
まるで戦前の二大政党制の行き詰まりを再現しているようだ。戦前は、政友会と民政党の間で政策的相違が不明確になって、検察を巻き込みつつ、ひたすらスキャンダル暴露合戦に明け暮れて国民の失望をかい、軍部の独裁を招いた。現在の状況で総選挙が行われて自民党が勝っても、政権の構成次第では様相を変えた衆参ねじれ状態になり、また野党が再び問責決議を繰り返す状況になりかねない。
このまま政党政治が期待を裏切っていくと、人々は既存の政党政治を忌避し、わかりやすい言葉でバッシングするようなポピュリズムの政治が広がりかねない。何も問題を解決しないが、少なくとも自分で何かを決定していると実感できるからである。それは、ますます政治を破壊していくだろう。
いま必要なのは歴史の過ちに学ぶことである。それは、たとえ財界や官僚の強い抵抗にあっても、民主党政権はマニフェストの政策理念に立ち返って国民との約束を守り、それを誠実に実行する姿勢を示すことにほかならない。 *強調(太字・着色)、リンクは来栖
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◆東日本大震災 公共が支えるとすれば、単純な減税策〈ポピュリズムの色彩〉でいいのか2011-04-01
【二大政党へ失望感 ポピュリズムの色彩】
論壇時評 金子 勝 2011/03/30Wed.中日新聞夕刊
東日本大震災が起きた。夥しい人が犠牲となり、街々の全てを津波がさらい、十万人もの自衛隊員が救助にあたり、そして原子力発電所が爆発して煙が立ちあがる。まるで“敗戦”直後の情景を見ているようだ。
これまで、日本は不良債権処理、小泉「構造改革」など、何度も失敗を繰り返してきた。結局、規制緩和は新しい成長産業を生み出さず、金融自由化は世界金融危機に行き着き、貧困と格差は大きく拡大した。政治もまた壊れかけてきた。その間隙をぬって、地域政党が台頭している。地域政党は、公選による首長と議会という二元代表制の欠陥を突いて、いまや選挙を通じて地方議会を公然と攻撃するようになっている。
実際、橋下徹・河村たかし「大阪・名古屋から国政に革命を われら地域政党が日本の政治を変える」(『文芸春秋』4月号)で、橋下と河村は機能不全に陥った地方議会のあり方を批判し、その改革論を展開しつつ強いリーダーシップの獲得を目指す。
「大阪都構想」を掲げる地域政党「大阪維新の会」を立ち上げた橋下は、「有権者は地方議員から『あれをやる、これもやる』と聞いて投票する。当然何も実現できないから、政治不信になっちゃってるんですね」と地方議会を批判し、「地方議会にも予算編成権を渡して」「議会内閣制」を形成して「反対するだけの体質を変える」べきだとする。国政も、「小泉純一郎元首相みたいな、とんでもない人が出てこない限りは動かない。将来的には、首相公選制を導入する必要がある」という。
一方、「10%減税の恒久化、選挙による地域委員会の全市拡大、市議報酬の半額カット」を掲げる「減税日本」を立ち上げた河村氏は、「国会も地方も議員が稼業化している」と批判し、「最終的には議員をボランティア」にし、「党議拘束」をなくすべきだという。
この対談で、橋下が「既存の政党ではもう何も変えられない」ことに「みなさんが気付き始めている」と述べ、河村も「国民が政治にこれほど裏切られている」理由として「稼業化」を挙げ、既存政党への忌避感を公然と表明している。地域政党の台頭は、国政レベルにおける民主・自民の二大政党への失望感を背景としていることは疑いない。
松谷満「ポピュリズムの台頭とその源泉」(『世界』4月号)は「2000年代以降は『新保守系首長の時代』が確かに到来している」という。実際、松谷の分析によれば、石原慎太郎や橋下徹は「ネオリベラリズムとナショナリズム」という「二つの政治的価値観をともに強くもつ人において」支持されている。
だが、彼らが支持する理由は「政治的な理念・思想」「具体的な政策」ではなく、むしろ「語り口・本音の発言」「リーダーシップ・実行力」「組織・団体との対決姿勢」などのポピュリズム的要素が強い。しかし、その支持は不安定さを抱えている。「若者および政治家に対する不信の強い人びとをつなぎとめる」のは非常に難しく、彼らは「『ふつうの政治家』のようにふるまってはならないし、つねに何かしらのトピックによって期待と関心を集め続けなくてはならない」がゆえに、より挑発的な言動を続けなければならない宿命を持つ。
後房雄「政権交代以後の迷走する二大政党と主張の反乱-2・6『名古屋・愛知の乱』は何をもたらすか」(『都市問題』3月号)によれば、「河村氏は、2大公約である減税や地域委員会を否決した市議会だからリコールだと主張している」が、「マニフェストにもなかった市議の報酬と定数の半減案」を否決させ、こうした挑発によって、「減税や地域委員会を否決しつつ高い報酬を維持しようとしている市議会、というイメージ」を市民に強く印象付るのに成功した。
そして、河村氏は「名古屋市における政策の実現にはほとんど関心」を示さず、「関心を示したのは、議員報酬の半減、議会リコール運動、減税、地域委員会だけ」だという。まさにポピュリズムの特徴そのものである。
東日本大震災の被災地の復興事業にはかなりの財源がいるが、現在、名古屋は国から地方交付税をもらっている。おまけに議員報酬半減で捻出される財源では、10%恒久減税を実施するにはとても足りない。しかも、減税は民間部門を元気にするというが、具体的プロセスは説明されない。いま私たちの社会は東日本大震災で未曾有の危機を迎えている。
竹信美恵子「大震災で浮かんだ市場主義の危うさ『公共』の回復めざすきっかけに(『週刊金曜日』3月18日号)は、「地震報道のさなかの13日、名古屋市議選で、地域政党『減税日本』が第1党になった。だが、今回の大きな被害を公共が支えるとすれば、単純な減税策でいいのかとの議論も、出てくるだろう」という。竹信が言うように、今回の震災は「1980年代を起点に壊され続けてきた公共や安心の回復、社会連帯に目を向ける契機になる」ように「生かせなければ、日本社会が経済の低迷と社会不安のただなかに投げ込まれることは必至」だろう。
(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)
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橋下氏個人の人生(先行き)について「まだまだお若いので、なかなかに苛酷なことになるのでは・・・」というのが、府知事に当選された時、咄嗟に浮かんだ私の感想であった。人の心は移ろいやすい。今は喝采を浴びておられるが(人心が離れ、ポストも追われたなら、そこからの人生が長く、苛酷ではないか・・・)、と余計なことを思った。まことに余計なことである。