千里を行くも親心…能「隅田川」

2016-06-20 | 本/演劇…など

千里を行くも親心…能「隅田川」
 2016年06月20日 10時00分
■色あせない情愛と無常観
 千里(ちさと)を行くも親心、子を忘れぬと聞くものを(能「隅田川」より)
 人間国宝の観世流シテ方能楽師、梅若玄祥さん(68)は、父の五十五世梅若六郎が能の「隅田川」を主役で舞うと必ず泣いていたと語る。
 「ふだんは冷静沈着な父が、この曲ばかりは涙を流す。父はその一生で実に40回以上も演じています」
 武蔵国と下総国の境を流れる隅田川が舞台。誘拐された息子を捜して心乱れた女性(主人公)は、この地で子が息絶えたことを知る。念仏を唱えると、子を埋めた塚から唱和する声が聞こえ、その姿をも目にするが、すべては幻であった。
 五十五世六郎も、玄祥さんの兄にあたる愛息をわずか1歳で亡くしている。「父は悲嘆に暮れたそうです。そんな思いが涙となり、幾度も舞うことになったのでしょう」
 「千里の道を隔てていても、親の心は、子を思うことを忘れない」――。我が子を思う親心。だが、その思いは無に帰して悲劇的な結末を迎える。人として誰もが抱く愛情が、能舞台でほとばしる。
 早稲田大学の竹本幹夫教授(能楽研究)は、「世阿弥の息子、観世元雅の作品ですが、洗練された悲劇の能として上演当初から名曲と認められたようです」と、価値を語る。
 有為転変の激しい世の中にあって、長く愛好され続け、上演の多い「隅田川」。流れの速い黒ずんだ川面を眺めていると、この曲の通奏低音とでも呼ぶべき無常観が、作品のもう一つのテーマであることに思い至る。
 作品ゆかりの寺で、子を埋めた塚の残る木母寺もくぼじ(東京都墨田区)は、川のほとりに立つ。曲のシテ(主役)を勤める能楽師の参詣が絶えないというが、頭上には首都高速道路が走り、車の通過音が絶え間なく響き渡る。名曲の舞台だが、平成の世、その風景は一変している。
 それでも、作品の魅力は色あせない。「他の能に比べて共感を呼びやすく、観客の心にストレートに響く。演者えんじゃと観客が一体となって感情移入できる力があります」と玄祥さん。
 曲の成立からおよそ600年。親子の情愛と無常観という普遍的な主題を取り扱うがゆえに、作品の生命力は強靱きょうじんなのだろう。(文・塩崎淳一郎 写真・池谷美帆)

能「隅田川」
 狂女物と称する分野の作品でシテ方五流(観世、宝生、金春、金剛、喜多)すべてにあり、金春流は「角田川」と書く。作者は世阿弥の息子の観世元雅(1400?~32年)で、1430年(永享2年)の世阿弥の芸談集「申楽談儀」に「隅田川」に関する記述があり、その頃には作品が成立していたとされる。
  都の梅若丸という子が人買いに誘拐され、母が行方を捜し求めて東国に至る。梅若丸は既に世になく、亡霊として現れるが、やがて消え去るという物語。

 2016年06月20日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 ◎上記事は[讀賣新聞]からの転載・引用です


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