父の家(祭儀)に、恣意を持ち込むな。

2008-06-08 | 日録

 本日はK教会のミサでオルガン弾き。聖堂に入るや、典礼委員のO氏が「閉祭で、これを歌いたいんです」とパンフレットを見せ、掲示板を指差した。見れば、他にもパンフレットの曲ばかり掲示されて並んでいる。おまけに、答唱詩編は、本日は「171」なのに「146」を上げている。「み言葉」に合っていない。総て、撤回していただいた。

 ミサの後、「パンフレットの歌を歌いたいので、これからは、そのようにお願いしたい」と言われる。典礼委員のおっしゃることだから「考えます」と申し上げたが、唖然としてしまった。公私の区別がついておられないのではないか。典礼聖歌を歌わずに、パンフレットを歌わねばならない特段の理由がない。O氏の恣意的な選曲に過ぎない。ミサという、キリスト(と会衆)の祭儀に恣意を持ち込んで気付いておられない。

 「持って帰ってくれ」とおっしゃるので、持ち帰ったパンフを見た。曲の順序も、前後バラバラである。これではK教会の友人の言うように「次に歌う曲を探すために(頁をめくるのに)忙しくて、おちおち祈ってもいられない」というのが、理解できる。友人は「カトリック聖歌を歌いたいんだけれど」とも、言った。教会も、高齢化である。パンフレットの新しい歌よりも、親しんで懐かしさすら感じさせるカトリック聖歌を歌いたい信徒さんが多いのではないか。

 K教会だけではない。典礼委員なる類の方には、お分かりになっておられない人が多い。


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