一握の砂〔15〕
2006-07-01 |
神無月 岩手のやまの 初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ
ひでり雨さらさら落ちて 前栽の 萩のすこしく乱れたるかな
秋の空廓寥(くわくれう)として影もなし あまりにさびし 烏など飛べ *
雨後の月 ほどよく濡れし屋根瓦 そのところどころ光るかなしさ *
われ餓ゑてある日に 細き尾を掉(ふ)りて 餓ゑて我を見る犬の面(つら)よし
いつしかに 泣くといふこと 忘れたる 我泣かしむる人のあらじか
一握の砂〔14〕
2006-06-30
青に透く かなしみの玉に枕して 松のひびきを夜もすがら聴く
ものなべてうらはかなげに 暮れゆきぬ とりあつめたる悲しみの日は
秋立つは水にかも似る 洗われて 思ひことごと新しくなる
愁ひ来て 丘にのぼれば 名も知らぬ鳥啄(ついば)めり赤き茨(ばら)の實(み)
秋の声まづいち早く耳に入る かかる性持つかなしむべかり *
目になれし山にはあれど 秋来れば 神や住まむとかしこみて見る
わが為さむこと世に盡きて 長き日を かくしもあはれ物を思ふか *
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「一握の砂」は、火曜日~土曜日、一回につき19首掲載されている。啄木の歌の全編に流れているものは「かなしみ」である。*は、とりわけて心に響いたもの。
昨日から今日、タルティーニの「悪魔のトリル」を聴く。タルティーニが夢の中で悪魔がヴァイオリンを弾くのを聞いて、耳に残っていて、起きてから採譜した、といわれている。曲名が記憶に残ってしまうが、最後の部分で、トリルがたくさん出てきたり、技巧的に難曲だ。
一握の砂〔13〕
2006-06-29
汽車の窓 はるかに北にふるさとの山見え来れば 襟を正すも
ふるさとの土をわが踏めば 何がなしに足軽く(かろく)なり 心重れり
ふるさとに入りて先ず心傷むかな 道広くなり 橋もあたらし
そのかみの神童の名の かなしさよ ふるさとに来て泣くはそのこと
ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
ふるさとの空遠(とほ)みかも 高き屋にひとりのぼりて 愁ひて下(くだ)る
かなしきは 秋風ぞかし 稀にのみ湧きし涙の繁(しじ)に流るる
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帰省すれば、私にも似通った思いが湧く。
何がなしに足軽く(かろく)なり 心重れり
心傷むかな 道広くなり 橋もあたらし
ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
母を車に乗せて外出すると、車窓に目をやり、母がこの歌を繰り返し口ずさむ。「ふるさとの山はありがたきかな」。独り暮らしは困難ゆえ「名古屋へいらっしゃい」と私たち夫婦は頻りに言ったが、「これまで暮らしたところがいい。友達もいるし」と聞き入れなかった。愛着あるふるさと、やさしい人々に護られて、母は今日も元気でいてくれる。
今度は、7月の海の日に行きますよ、お母さん。
一握の砂〔12〕
2006-06-28
大形の被布の模様の赤き花 今日も目に見ゆ
意地悪の大工の子などもかなしかり 戦に出でしが 生きてかへらず
宗次郎に おかねが泣きて口説き居り 大根の花白きゆふぐれ
我ゆきて手をとれば 泣きてしづまりき 酔(ゑ)ひて荒れしそのかみの友
一握の砂〔11〕
2006-06-27 |
やまひある獣のごとき わがこころ ふるさとのこと聞けばおとなし
ふと思ふ ふるさとにゐて日毎聴きし雀の鳴くを 三年(みとせ)聴かざり
二日前に山の絵見しが 今朝になりて にはかに恋しふるさとの山
かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
田も畑も売りて酒のみ ほろびゆくふるさと人に 心寄する日
石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし
やはらかに柳あおめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
一握の砂〔11〕
2006-06-27
やまひある獣のごとき わがこころ ふるさとのこと聞けばおとなし
ふと思ふ ふるさとにゐて日毎聴きし雀の鳴くを 三年(みとせ)聴かざり
二日前に山の絵見しが 今朝になりて にはかに恋しふるさとの山
かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
田も畑も売りて酒のみ ほろびゆくふるさと人に 心寄する日
石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし
やはらかに柳あおめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
一握の砂〔9〕〔10〕2006-06-24
〔9〕2006,6,23
教室の窓より遁げて ただ一人 かの城址に寝に行きしかな
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心
かなしみといはばいふべき 物の味 我の嘗めしはあまりに早かり
晴れし空仰げばいつも 口笛を吹きたくなりて 吹きてあそびき
夜寝ても口笛吹きぬ 口笛は 十五の我の歌にしありけり
〔10〕
眼を病みて黒き眼鏡をかけし頃 その頃よ 一人泣くをおぼえし
わがこころけふもひそかに泣かむとす 友みな己が道をあゆめり
先んじて恋のあまさと かなしさを知りし我なり 先んじて老ゆ
夢さめてふつと悲しむ わが眠り 昔のごとく安からぬかな
ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
...........................
啄木の歌は、私が思っていたよりも遥かに多くの「かなしみ」で縫い取りされている。
一握の砂〔7〕〔8〕2006-06-23
2006,6,21,
何がなしに 頭のなかに崖ありて 日毎に土のくづるるごとし
遠方に電話の鈴の鳴るごとく 今日も耳鳴る かなしき日かな
死にたくてならぬ時あり はばかりに人目を避けて 怖き顔する
ある日のこと 室の障子をはりかへぬ その日はそれにて心なごみき
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
人みなが家を持つてふかなしみよ 墓に入るごとく かへりて眠る
006,6,22,
人といふ人のこころに 一人づつ囚人がゐて うめくかなしさ
顔あかめ怒りしことが あくる日は さほどにもなきをさびしがるかな
いらだてる心よ汝はかなしかり いざいざ すこしあくびなどせむ
病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目におをぞらの煙かなしも
己が名をほのかに呼びて 涙せし 十四の春にかへる術なし
青空に消えゆく煙 さびしくも消えゆく煙 われにし似るか
一握の砂〔6〕
2006-06-23
実家から帰名した。先ずは、新聞に目を通す。読みたい記事が溜まっている。いつものことながら、いっぱいだ~。
「一握の砂」は、ゆっくりと味わいたい。
〔6〕2006,6,20
ただひとり泣かまほしさに 来て寝たる 宿屋の夜具のこころよさかな
新しきインクのにほひ 栓抜けば 餓えたる腹に沁むがかなしも
かなしきは 喉のかわきをこらへつつ 夜寒の夜具にちぢこまる時
一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと
我に似し友の二人よ 一人は死に 一人は牢を出でて今病む
あまりある才を抱きて 妻のため おもひわづらふ友をかなしむ
どんよりと くもれる空を見てゐしに 人を殺したくなりにけるかな
何もかも行く末の事みゆるごとき このかなしみは 拭いあへずも
とある日に 酒をのみたくてならぬごとく 今日われ切に金を欲りせり
............................
啄木の歌が私を惹きつけてやまぬのは、啄木の「かなしみ」の故である。この世に生きるとは、果てのない「かなしみ」を旅することに尽きる。幾つの山、河を越えてゆけば、寂しさの果てにたどりつけるのだろう。かなしみの果てに辿りつけるのだろう。