和歌山・毒物カレー事件(1998/7/25) 林真須美死刑囚息子の20年 

2018-07-25 | 死刑/重刑/生命犯

和歌山・毒物カレー事件  死刑囚息子の20年 厳しい視線の中、親子の情断てず
 毎日新聞2018年7月25日 東京朝刊
 和歌山市で1998年7月25日に起きた毒物カレー事件からきょうで20年。事件は被害者だけでなく、当時10歳だった少年の人生も変えた。死刑判決が確定した林真須美死刑囚(57)の長男(30)。この20年、母への複雑な気持ちを抱え、世間の厳しい視線に耐えながら生きてきた。それでも「事件の遺族や被害者のことを考えると、自分の人生がつらかったとはいえない」と話す。
 2人の姉、妹との4人きょうだい。事件が起きた時は小学5年生だった。連日、マスコミが家を取り囲んだ。「本当にやっていないの?」と問いただす姉たちと、「ヒ素なんて入れるわけがない」と否定する母が言い争っていた姿を覚えている。
 98年10月、保険金詐欺などの疑いで両親が逮捕され、子供たちは児童養護施設に入った。すぐいじめが始まった。「ポイズン(毒)」というあだ名で呼ばれ、配膳時、職員にカレーライスを持って行って「ヒ素入れたんちゃうか」とからかわれたこともあった。
 17歳で施設を飛び出し、高校卒業後は職を転々とした。素性が知られ退職を迫られたこともあった。5年間交際していた女性との結婚は相手の親族の反対で破談になった。
 それでも和歌山の土地を離れたり、姓を変えたりはしなかった。「母を信じたいと思った。『事件を起こした』と認めるような気がしたから」。今も母と面会や文通を続ける。親子のきずなを断つ気持ちにはなれなかった。
 無罪を訴える母は昨年、再審請求を和歌山地裁に棄却され、大阪高裁に即時抗告している。今年6月、1年ぶりに大阪拘置所(大阪市都島区)で、アクリル板越しに面会した。今まで聞いていなかったことを尋ねた。「4人の子供に申し訳ない気持ちはあるの」。母は「その質問が来るのが怖かった」と涙ぐんだ。
 今月、オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚らに刑が執行された後、手紙が届いた。「怖い。殺されたくない」と書かれていた。
 「僕は犯罪者の肩をもっているのかもしれない」。でもせめて、息子として母に寄り添いたいと思っている。【木原真希】
■ことば
和歌山毒物カレー事件
 1998年7月25日、和歌山市園部の夏祭り会場で、カレーライスを食べた67人が急性ヒ素中毒を発症し、4人が死亡した。和歌山県警は保険金詐欺容疑などで逮捕していた林真須美死刑囚を殺人と殺人未遂容疑で再逮捕。林死刑囚はカレー事件の無罪を主張して争ったが、2009年5月に死刑が確定した。再審請求も棄却され、即時抗告している。

 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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死刑囚の母 息子の選択 ~和歌山・毒物カレー事件(林眞須美死刑囚)~
和歌山カレー事件が題材 帚木蓬生著『悲素』 ヒ素という秘毒を盛る「嗜癖の魔力」 毒は人に全能感を与え、その〈嗜癖〉性こそが問題
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