生涯かけハンセン病治療、孤高の医師を映画化 『一人になる』 公開 2021/06/04

2021-06-09 | 文化 思索

生涯かけハンセン病治療、孤高の医師を映画化 国の強制隔離政策に異を唱え、患者守る
 2021/06/04 13:54 
 冒頭画像;医師の小笠原登(ドキュメンタリー映画「一人になる」の一場面) (京都新聞)

 ハンセン病の治療に生涯をささげ、時代に先駆けて患者の強制隔離政策に異を唱えた京都大の医師、小笠原登(1888〜1970年)のドキュメンタリー映画「一人になる」の公開が4日、京都市下京区の京都シネマで始まった。高橋一郎監督(67)は「コロナ禍で感染者や家族への差別が顕在化している今こそ、国家的規模で患者を排除した問題の深刻さを考えてほしい」と話す。
 小笠原は京都帝国大医科大学を卒業後、京大皮膚科特別研究室で診療に当たった。映画は、公務員としては国の政策に従う義務があるにもかかわらず、患者を強制隔離から守るため診断書の病名欄を空白にするなど、患者に寄り添った孤高の医師の姿を通して「人権とは何か」を問う。
  「(患者や家族の)悲惨の理由は病気そのものの誤解と、これに基づく社会的迫害の上にある」という小笠原の信念と実践について、当時の日誌や滋賀県出身者を含む元患者6人の証言を交えて紹介。本人の自由意思によらない断種や監禁、強制労働が横行していた各地の療養所内の実態や、医学者や宗教教団が国策に加担した歴史にも光を当てる。
  高橋監督の劇場公開映画は4作目。小笠原が晩年に再び暮らした愛知県の実家の圓周(えんしゅう)寺が、老朽化で建て替えられることになったのを機に制作に着手。約2年かけて元患者や教え子にインタビューを重ね、98分の作品に編集した。「同調圧力には屈しない」との思いをタイトルに込めた。俳優の竹下景子さんが語りを務める。

 ◎上記事は[goo ニュース]からの転載・引用です

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〈来栖の独白〉
 先般の大坂なおみ選手の件も然りだが、人類は「差別」する生きものであり、弱い存在だ。私自身、そういう存在である。公立学校教師で、口癖のように「民主教育」と云い、「差別はいけない」と云っていた愚母も、そうだった。


大森教会ミサ説教
2010年10月10日 年間第28主日 大森教会にて
 第1朗読 列王記(下5・14-17)
 第2朗読 使徒パウロのテモテへの手紙(二テモテ2・8-13)
 ルカによる福音(ルカ17・11-19)
 今日の福音では、重い皮膚病の10人の人が癒されたという話が伝えられています。「重い皮膚病」は以前は「らい病」と訳されていました。ところが1997年、日本聖書協会は新共同訳聖書で「らい病」と訳されている箇所を「重い皮膚病」と読み替えことにする、と発表しました。
 その背景には1996年の「らい予防法」の廃止があります。「らい病」という言葉は不適切な言葉として使用しないことになりました。「らい病」ということばには差別と偏見と差別の意味が込められていると考えられるようになったからだと思います。
 日本カトリック司教協議会も聖書のなかで「らい病」という言葉を使わないように日本聖書協会へ申し入れを行ないました。
 らい病は病原菌の発見者、ノルウェーの医師アルマウェル・ハンセンの名前をとり、ハンセン病と呼ばれるようになりました。
 聖書に出てくるらい病がハンセン病かどうか、について検討が必要であるようです。
 旧約聖書ではツァラアトというヘブライ語がらい病と訳されていました。しかし研究によって、旧約時代にはハンセン病は存在しないことが分かってきましたのでその訳は不適切とされました。
 福音書でらい病と訳されていた言葉の原語はレプラです。レプラはツァラアトがギリシャ語に訳されたときにつかわれたことばです。
 今日のルカ17章の「重い皮膚病」も96年まではらい病と訳されていましたが、それが今日のハンセン病であったのかは、はっきりしないようです。
 ともかく、らい予防法の廃止に伴ない、不適切なことばとなった「らい病」をどう言い換えるか、が大きな問題となり、聖書協会では慎重な検討が行なわれ、結局「重い皮膚病」となりました。
 日本のらい予防法の時代、らい病は遺伝病であるとの誤った偏見と結びつき、またハンセン病を強い伝染力のある病気とされ、患者は強制隔離されました。らい予防法の廃止により、やっと、ハンセン病は治癒可能な病気であり、きわめて伝染力の弱い病気である、という理解が一般に伝わるようになりました。
 レビ記でも重い皮膚病の人は、「衣服を裂き、神をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらなければならない。・・・その人は一人で宿営の外にすまなければならない」(レビ13・45-46)とされて、やはり隔離されました。
 重い皮膚病の患者の苦しみは、単に肉体的な苦しみではなく、社会的に排除され隔離され忌避されるという点にあります。当時の日本で、らい病とされた人は、本名を名乗れないという差別を受けました。
 日本のハンセン病の強制隔離は終わりましたが、現実に社会復帰することは極めて困難であるといわれています。
 ハンセン病者の苦しみは実にその存在を忌み嫌われ、人との接触を禁止され、人間としての交わりを絶たれてしまう、という苦しみであります。
 今日は差別ということを考えてみたいと思います。いろいろな差別があります。差別は偏見と結びついています。日本には、差別という日本固有の差別があります。イエス・キリストは差別された人を差別から解放するために遣わされました。それは、差別している人を差別に気づかせ、差別している人をも、差別から解放するためでした。
 さて、10人の人が重い皮膚病から癒されましたが。感謝するためにイエスのところに返ってきたのはサマリア人であった人一人でした。イエスは言いました。
 「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
 ほかに9人は喜びのあまりでしょうか、急いで祭司の下へ行ったからでしょうか、イエスに感謝することを忘れてしまいました。
 肉体の癒しは永遠のいのちへの救いに結びつかなければなりません。わたしたちは信仰によって救われるのです。体が癒されて健康を回復することで終わってしまってはなりません。本当に健康は人間全体の贖い、救いとして実を結ぶのです。
 使徒パウロは今日のテモテへの手紙でいっています。
 「わたしは、選ばれた人々のため、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。」
 どうかわたしたちも、キリストとともに死に、キリストともに耐え忍ぶことができますように、と祈りましょう。


「断種と堕胎の恐るべき事実を後世に」。らい予防法廃止から25年の今日改めて考える、ハンセン病とは? 2021/4/1


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