東京新聞が反原発路線を突っ走れる理由

2013-02-08 | メディア/ジャーナリズム/インターネット

マル激トーク・オン・ディマンド 第604回(2012年11月10日)
東京新聞が反原発路線を突っ走れる理由

 ゲスト:田原牧氏(東京新聞特別報道部記者)
  3・11の原発事故以前から、主要メディアの原発関連の報道には問題が多かった。
  そして、事故の後、われわれは新聞やテレビなどのマスメディアが、原発に関する重要な情報をほとんど報じていなかったことを知る。それは原発の安全性の問題にとどまらず、動く見込みのないまま莫大な税金が注ぎ込まれてきた核燃料サイクル事業や使用済み核燃料の最終処分の問題、総括原価方式を始めとする不公正な競争市場の問題、電気事業者だけで年間1000億円を超える広告費を電気料金につけ回していた問題等々、あげ始めたらきりながないほどだ。
  さすがにあの事故で多少はそれもあらたまるかと思いきや、喉元過ぎれば何とやらなのだろうか、最近ではマスメディア上にはあたかもあの事故が無かったかのような報道が目に付くような気がしてならない。相変わらず「原発ゼロだと電気代が2倍に」などといった詐欺師まがいの脅し文句が見出しに踊ったかと思えば、原発再稼働に際しても、最終的には「再稼働やむなし」の立場からの報道が目立った。本来はあの事故の最大の成果でなければならない原子力規制委員会の不当な設立過程についても、マスメディアの追求はなぜが至って及び腰だ。
  しかし、そうした中にあって、明らかに群を抜いて原発の問題点を厳しく追及し続けている新聞が一紙だけある。それが東京新聞だ。
  最近の見出しだけを見ても、「原子力ムラ支配復活」、「ムラ人事変更なし」、「矛盾だらけ見切り発車」、など、一見反原発市民団体の機関誌と見まがうほど、こと原発については反原発の立場を鮮明に打ち出している。
  東京新聞は中日新聞社が発行する東京のローカル紙で、発行部数も55万部前後と、全国紙に比べればその規模ははるかに小さい。しかし、それでも日本新聞協会に加盟し、記者クラブにも籍を置く、れっきとした「記者クラブメディア」であることには変わりがない。にもかかわらず、なぜ東京新聞だけが反原発路線を突っ走ることが可能なのか。
  同紙の反原発報道の主戦場となっている「こちら特報部」面を担当する特報部デスクの田原牧氏は、東京新聞は本来はどちらかというと「保守的な会社」だが、保守的だからこそ、あのような悲惨な事故の後は、原発問題について批判的な記事を書くことが必要と考えているとして、「世の中が右に行っているのだから真ん中にいる者は左翼といわれる。ある種のそういう感覚を大切にしている会社だ」と語る。要するに、自分たちは特に変わった報道をしているという認識は持っていないが、当たり前のことを普通に報道するだけで、たまたま今の日本では突出した存在になってしまっていると言うのだ。
  また、田原氏によると、東京新聞はもともと3・11の事故以前から、原発問題をタブー視せずに、原発の問題点も積極的に伝えてきたという。事故後の報道もその路線を続けているだけで、何ら特別なことではないというのが田原氏の説明だ。
  しかし、それではなぜ他紙にはそれができないのだろうか。他にも何か秘訣があるに違いない。
  田原氏は「強いて言うならば」と前置きをした上で、東京新聞が持つ「批判精神のDNA」と、主に花柳界のニュースを報じていた前身の都(みやこ)新聞時代から引き継がれてきた、「現場に任せられる緩さ」ではないかと言う。
  「右とか左とかと言うよりは批判精神が働くか働かないか。われわれは原子力ムラに対しても左翼に対しても批判的だと思う。そしてその判断が現場に任されていることではないか」と田原氏は語る。
  そんな田原氏も、昨今メディアに頻発している不祥事や誤報、盗用事件に対する見方は厳しい。いろいろな背景が指摘されているが、田原氏はそれらの事件に一貫して共通することは「基礎的な取材力が落ちていること」と「リスクの伴う取材をしなくなっていること」をあげる。被疑者の写真を取り間違えたりiPS細胞をめぐるあり得ないような虚言にまんまと乗せられてしまったケースなどは、いずれも当然できていなければならない基礎的な取材が全くできていなかったことを示している。個々の記者の基礎的取材力も低下しているし、社も記者に相手の懐に飛び込むようなリスクを伴う取材を認めなくなっていることが、メディア全体の質の低下を招いていると田原氏は語る。
  主要紙の中でただ一つ反原発路線でひた走る東京新聞の田原氏と、昨今のメディア報道について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
*プロフィール
 田原 牧(たはら まき)
(東京新聞 特別報道部記者)
 1962年北海道生まれ。87年中日新聞社入社。社会部を経て、カイロ支局特派員。2000年より現職。同志社大学一神教学際研究センター共同研究員。季刊『アラブ』編集委員。著書に『ほっとけよ。─自己決定が世界を変える』、『中東民衆革命の真実――エジプト現地レポート』など。
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中日・東京新聞はかつてなく充実している/「他紙が何を書こうが我々は我々の道を行く」腹をくくったようだ 2012-04-04 | メディア/ジャーナリズム 
 東京新聞の挑戦
 「魚の目」2012年4月2日 魚住 昭
 私は十年ほど前から東京新聞の「新聞報道のあり方委員会」の委員を務めている。日々の紙面に目を通し、第三者として意見を述べるのが役目である。
 ただ実際に東京新聞幹部らと顔を合わせ、議論する機会は年に二度しかないから、社の内情は知らない。あくまで記事を通して記者たちの心情や取材風景を想像するに止まっている。
 そういう前提で私の話を聞いてもらいたいのだが、最近の東京新聞の報道はかつてなく充実している。紙面全体に躍動感がある。記者たちの言いたいことがはっきり伝わり、彼らの怒りや悲しみが直に心に響いてくる。一読者として、日本の新聞も捨てたものではないなと誇らしげな気持ちになってくる。
 具体例を挙げよう。2月5日の朝刊一面トップに「『主 権在官』打ち破れ」という日隅一雄さん(四九歳)のインタビュー記事が掲載された。日隅さんは末期ガンと闘いながら、3・11後の東電・政府の記者会見を監視してきた弁護士である。
 日隅さんはその中で「官僚は匿名。だから責任を取らない。彼らに有利な情報しか出さず、常にメディアをコントロールしようとする。日本の民主主義は上っ面だけ。『主権在民』ではなく『主権在官』なのです」と発言し、読者の大反響を呼んだ。
 3月20日朝刊の1面トップは「企業向け電気 値上げ断れる」。東電が4月からの値上げを発表した企業向け電気料金は利用者がノーと言えば、契約期間内は現行料金が運用されるという事実を報じ、東電の周知不足を批判した。企業経営者らにとっては貴重なュー スだった。
 翌朝の1面トップは「第一原発事故 福島県が拡散予測消去」。福島県が3・11事故当夜から放射性物質拡散の予測データをメールで入手しながら15日朝までの分をなくしていたという衝撃的な特ダネである。
 もういちいち紹介したら切りがないのでやめるが、官庁や大企業の情報隠しを徹底的に暴く記事が連日のように東京新聞の紙面を飾る。それに共感する読者の声がわき起こり、その声に励まされてより深い調査報道が進んでいくというサイクルができあがった。目を瞠りたくなるような紙面の活性化である。
 そのきっかけは言うまでもない。3・11の大震災とフクシマのメルトダウンである。未曾有の事態に直面して編集局は一時混乱したようだが、まず反権力が売り物の名 物記事「こちら特報部」が反転攻勢に出た。
 見開き2ページのスペースを使って、被災地ルポ、原子力ムラの呆れた実態、原発の危険性を訴え続けてきた京大の小出裕章助教のインタビューなどを次々と半年以上にわたって掲載しつづけた。これに引っ張られるような形で編集局全体に脱原発・官僚による情報統制打破の気運が生まれ、どの新聞より明確な脱原発の社論が形成された。
 それを象徴したのが昨年9月の「脱原発六万人集会」の報道だった。各紙が比較的地味な扱いだったのに、東京新聞は一面トップと社会面トップ、特捜部の見開きページを総動員して集会・デモの模様を伝えた。
 もう政治家にお任せの間接民主主義だけではダメだ。市民が街頭に出て、民意の所在を誇示しなけれ ば日本は再び亡国の淵に追いやられる。そんなせっぱ詰まった気持ちが彼らを六〇年安保以来の大規模デモ報道に踏み切らせたのである。
 こうした危機感は原発以外の社会面ネタの扱い(例えば孤独死問題の追及)や一面下のコラム「筆洗」、論説にも及び、他紙との横並び意識に囚われていた記者たちの意識も変えたらしい。他紙が何を書こうが、我々は我々の道を行く。編集局全体がそう腹をくくったようだ。
 それは私が共同通信の記者だった頃から夢見た新聞のありかただ。東京新聞の試みが成功(実際に新たな読者が急速に増えているという)すれば新聞ジャーナリズムは変わる。それにほんの少しでも手伝いできれば本望だと思う。(了)
(編集者注・これは週刊現代『ジャーナリストの目』の再録です)
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国税局、消費税増税反対の最右翼「中日・東京新聞」を徹底調査 2012-03-13 | メディア 
 国税が東京新聞を徹底調査する「理由」
現代ビジネス「永田町ディープスロート」2012年03月13日(火)
 通常国会で消費税増税についての論戦が本格化するなか、永田町と目と鼻の先にある日比谷公園前のビルでは、まったく別の緊張感高まる事態が起きていた。
「昨年夏から半年近くもの長きにわたって、中日新聞グループに名古屋国税局と東京国税局を中心とした大規模な税務調査が入っています。そうした中で東京新聞(中日新聞東京本社)が税務調査に入っている国税官から資料分析のために一部屋要求されたため、一部の社員の間では、東京での〝本格調査〟が行われるのではと緊張が走ったようです」(同社関係者)
 複数の同社関係者によると、今回の国税当局の徹底調査ぶりは異常で、同社記者らが取材相手との「打ち合わせ」や「取材懇談」に使った飲食費を経費処理した領収書を大量に漁り、社員同士で飲み食いしていた事例がないかなどをしらみつぶしに調べているという。
「実際に取材相手と飲食したのかどうか飲食店まで確認が及び、名古屋ではすでに社員同士で飲み食いしていた事例が見つかったようだ。一方で『これでは取材源の秘匿が危機にさらされる』と一部では問題視されてもいる」(同前)
 ここ数年、大手紙のほか、民放各局、出版社などが相次いで国税の税務調査を受けていることから、「たんに順番が回ってきただけ」と意に介さない向きもあるが、
「中日新聞グループは、野田政権がおし進める消費税増税に対して反対の論陣をはる最右翼。今回の徹底調査の裏には、国税=財務省側の『牽制球』『嫌がらせ』の意図が透けて見える」
 との見方も出ている。
 事実、中日・東京新聞は「野田改造内閣が発足 増税前にやるべきこと」(1月14日)、「出先機関改革 実現なくして増税なし」(1月30日)などの見出しで社説を展開、「予算が足りず、消費税率を引き上げると言われても、死力を尽くした後でなければ、納得がいかない」などと強く主張し、新規の読者も増やしてきた。それが今回の国税側の〝徹底攻撃〟で、筆を曲げることにならないといいのだが。
『週刊現代』2012年3月17日号より
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関連:
秘密保全法案 政府の情報隠ぺい体質/国家秘密法案にもなかった警察官僚の影/一般市民も重罰の恐れ2012-02-25 | 政治 
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「重荷を分かち合う。怒りと責任追及に加え、2年目はそのことを読者の皆さんと考えたい」特報部 田原 牧 2012-03-16 | メディア 
 メディア観望 上り坂をゆく覚悟
特別報道部 田原 牧 (中日新聞2012年3月6日 夕刊)
 東日本大震災と東京電力福島原発事故から、間もなく1年がたつ。後者については1年という区切りを感じない。むしろ、事故が2年目に入ると言った方がピンとくる。
 事故発生以来、担当する「こちら特報部」では、今日まで紙面の多くを原発問題に割いてきた。こだわる理由は記者によって異なると思う。個人的には、原発に日本社会の縮図を見たからである。
 原発は放射性廃棄物という未来へのツケと、被ばく労働者という犠牲が不可欠なシステムだ。それを無責任な原子力ムラが増殖させてきた。下地にある差別とムラ構造。それは日本社会のあちこちに顔をのぞかせている。原発はそうした精神風土のあだ花だ。
 東電や政府をはじめ、原子力ムラの虚飾をはぎとろうと奔走してきた。ただ、そうした作業の間も、どこか割り切れない感情を抱えてきた。
■都市生活者の責任
 11日には福島で大きな脱原発集会があり、首都圏からも多数が参加しそうだ。そのことで、福島の友人にこう云われた。「地元には逃げ出したくても、介護や収入に縛られて逃げられない住民たちがいる。都会の人は1日ここに来て、原発は危険だと騒いですぐに帰る。それを不愉快に思う人は少なくない」
 特報部の紙面への批判に聴こえた。そうかもしれない。事故以前にも、原発を批判する記事を書いてきた。だが、私も都会で原発に頼り、安穏と暮らしてきた一人だ。
■避け難い国民負担
 事故で進学を断念した若者の将来。緊急避難で津波に襲われた家族を探せなかった悔恨。荒れる農地。事故の被害はいまも拡大している。
 にもかかわらず、東電も政府も賠償には逃げ腰だ。同社に十分な支払い能力はない。だが、巨額の費用ねん出も理由のひとつに、もっとも稼ぎやすい再稼働へと突き進んでいる。
 東電を徹底的に絞っても、賠償や廃炉のための国民負担は避け難い。その負担軽減に固執すれば、再稼働は必然の流れだ。さらに間もなく、東電の処分や新たなエネルギー計画が固まる。脱原発は上り坂にさしかかっている。
■ただでない脱原発
 もう一度、苛酷事故が起きれば・・・と考えれば、進行中の再稼働の企てに対する答えは明白だ。ただ、それは地方に原発依存を強いてきた構造を正すことでもある。それには賠償問題と同様、都市住民の協力が不可欠だ。原発に頼ってきたツケを払うことに等しい。脱原発はただではない。
 重荷を分かち合う。怒りと責任追及に加え、2年目はそのことを読者の皆さんと考えたい。「福島の痛みを共有する」といった大それたことは言えない。けれども、この事故は「誰かの犠牲」を無言で認めるような社会を変える機会でもある。
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あれから一年、早くも復活する原発「安全神話」 / 再稼動が他党や経済界との取引材料に2012-03-16 | 地震/原発 
大飯原発再稼働 手続き先行 / 再稼働の是非を政治家に委ねたのでは拙速感は否めない2012-03-16 | 地震/原発 
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蒙昧、醜悪なメジャー紙<社説>のなかで唯一の卓見 中日東京新聞【小沢元代表控訴 一審尊重の制度改正を】 2012-05-10 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 
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アルジェリア人質事件と自衛隊法改正  中日新聞 【核心】 2013-01-27 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉 
 自衛隊法 便乗で改正? アルジェリア人質事件
 中日新聞 【核心】2013/01/26
 日本人十人の犠牲が確認されたアルジェリア人質事件を受け、政府・与党は、邦人保護のため海外での武器使用基準を緩和するなどの自衛隊法改正や国家安全保障会議(日本版NSC)設置などを目指そうとしている。浮上している案は、自衛隊法改正を筆頭に、タカ派とされる安倍政権がもともと公約として実現をさせようとしていたものが多い。事件に「便乗」して世論を誘導しようという思惑も透けて見える。(政治部・金杉貴雄)
邦人保護に「陸上活動必要」 武器使用緩和 目的の恐れ
■非現実的
 「海外の最前線で活躍する企業・邦人の安全を守るため、必要な対策に政府一丸で迅速に取り組んで欲しい」。安倍晋三首相は二十五日、事件対策本部で、事件の検証と対応策の検討を指示した。
 事件発生後、政府・与党から「課題」として真っ先に声が上がったのは「邦人保護、救出」をできるようにするという自衛隊法改正だ。
 現在の自衛隊法では海外での災害、騒乱などの緊急事態の際、邦人を航空機や艦船での輸送はできるとしているが、陸上輸送の規定はない。陸上輸送を可能にし、そのために海外での武器使用制限を緩和する法改正を検討すべきというのが、改正を求める代表的な意見だ。
 しかし今回の事件では現行法に基づいて、政府専用機を首都アルジェに派遣した。安全性の確保や滑走路の状況などの条件が揃えば、事件現場近くのイナメナスの空港にも自衛隊機が行うことも可能だった。
 武器使用基準を緩和しても、活動する武装勢力や現地の情報もないまま、自衛隊が事件現場近くの陸上で活動するのは非現実的だ。
 このため「事件を契機に、これまで憲法との関係で禁じられてきた海外での武器使用を緩和するのが目的ではないか」との指摘も上がっている。
■機動性に疑問
 NSC創設についても事件後、必要性を強調する声が上がっている。菅義偉官房長官は二十二日の記者会見で、「今日までの対応の中でNSC設置は極めて大事だと思っている」と述べた。
 NSCは、外交・安全保障政策の企画を官邸に一元化させることを狙いとした組織。第一次安倍政権でも設置を目指したが、実現していない。安倍首相は、事件前から仕切り直しを目指し、有識者を交え検討を始める考えだった。
 だが、今回の事件との関連でいえば、官邸内部からも「危機管理は現在、首相、官房長官、危機管理監などの縦の命令系統で対処している。NSCのような合議体では、逆に機動的に対応できないのでは」(首相周辺)と疑問視する声もある。
■焼け太り
 事件では、情報収集力の不足が指摘されたため、防衛駐在官の増加を含め、在外公館の人員体制を強化すべきだとの意見もある。
 だが自民党幹部からも「体制を十倍にしてもテロ事件を未然に察知、予防することは困難。事件のたびに役所は体制強化を主張し、焼け太りになるパターンだ」と懐疑的な見方もある。
 安倍首相は二十二日のテレビ番組では、「事件を利用し(自衛隊法改正などの)法律を通そうとの考えは毛頭ない」と予防線を張るが、政府高官は「事件の検証では自衛隊法改正も含め、幅広く検討する」と、事件を追い風にしようという意欲を隠さない。
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〈来栖の独白2013/01/27 Sun. 〉
 中日〈東京〉新聞は、浅薄な左翼に成り下がった。光市事件の元少年被告(死刑確定囚)の実名報道を控えるなど、優れた面も垣間見られるのだが。
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日本「金払うから…」でいいのか 邦人救出へ自衛隊法改正を急げ 2013-01-30 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉 
 日本「金払うから…」でいいのか 邦人救出へ自衛隊法改正を急げ
 産経新聞2013.1.30 03:19 [正論]帝京大学教授・志方俊之
 アルジェリアの人質事件への対応は、007で有名な軍情報部第5班(旧称MI5)を持つ英国ですら手遅れだったのだから、わが国の国家的な情報、対応能力で何ができただろうか。アルジェリア政府が関係諸国と人質解放に関して何ら調整せず、直ちに武力制圧に踏み切ったことを平和な東京から非難しても始まらない。
 ≪邦人輸送に非現実的条件3つ≫
 いまなすべきは、犠牲になった10人の日揮関係者が尊い命に代えてわれわれに残した教訓を分析して、国家と企業の国際的な危機管理能力を強化することだ。
 今後、海外で邦人が危険に遭遇する機会はますます増える。危険地で個々に活動するジャーナリストやボランティアの場合も、多数の人々が働く進出企業の場合もある。ペルー大使館事件のように在外公館が襲撃されるケースや、地域全体が危険になり在外邦人全員を緊急に退避させなければならないケースなど多様である。
 在外邦人の緊急退避で人数が少なければ、最寄りの在外公館や警察庁の「国際テロリズム緊急展開班(TRT-2)」が現地の救出活動に協力することもある。人数が多ければ、自衛隊を派遣して輸送(自衛隊法第84条3)させられることやその際の権限(同法第94条5)も規定されている。
 だが、問題は現行法に大きな制約が課されていることだ。
 第1に、外務大臣の依頼が必要であること、輸送の安全が確保されていること、自衛隊の受け入れに関わる当該国の同意を要すること、という3つの前提が満たされるときに限定されている。
 外務大臣の依頼は当然だが、現地で輸送の安全が常に確保されているとは限らない。そもそも安全が確保されていないからこそ、邦人の緊急避難が必要になるのだ。当該国が混乱して自衛隊の受け入れに同意しない最悪の状況も考えておかなければならない。
 「行動権限」も極めて非現実的な範囲に限られている。自衛隊の行動はあくまで「輸送」であって「救出」はできない。使用する輸送手段も輸送機(今回は政府専用機)、船などに限定され、陸上輸送は想定外となっている。
 ≪ついでに助けての小切手外交≫
 輸送の安全が確保されているのは、緊急避難が極めて早期に発令されてまだ現地が安全な場合か、現地に危険があっても、当該国や他国の部隊が在外邦人を安全な空港や港湾まで輸送してくれる今回のような場合か、である。
 邦人が輸送されて安全な空港や港湾に集まっているのなら、自衛隊の航空機や艦船が迎えに行くまでもなく、民間航空機か、チャーター機が迎えに行けばよい。今回は、迅速性を重視した政府の特別判断で政府専用機(航空自衛隊が管理・運航)が使われた。
 多くの邦人が危難に直面する場合、邦人だけが大挙して緊急避難することはほとんどなく。多国籍の避難者多数がその場にいることが多い。そうした状況下では、避難者の多い関係国が、協働・調整・協力して救出活動や輸送活動をするのが国際常識である。
 緊急避難すべき外国人の中で在外邦人がかなり多いと、現地の日本大使や領事、防衛駐在官は関係国の担当者と会談して、次のような交渉をすることになる。
 「日本の国内法で、自衛隊は安全が確保された地域での海空の輸送に限った任務しかなく、救出に当たれない。申し訳ないが、貴国の避難者を救出するついでに日本人も救出して安全な所(空港や港湾)まで運んでいただきたい。経費と礼金は必ず支払う。そこから先の輸送は自衛隊が行う」。まるで「小切手外交」である。
 ≪国際非常識の武器使用権限≫
 わが国特有の制約はもう一つある。現場での自衛隊の武器使用権限を極端に制限していることだ。輸送の安全が確保された場所で航空機や船舶を守るため、保護下に入った邦人などを航空機や船舶まで誘導する経路で襲撃された場合に限り、正当防衛・緊急避難としての武器使用が許される。
 テロ集団と銃火を交え、自国民だけでなく日本人も救い出し安全な場所まで警護してくれた諸外国の避難者が、空港などの別の地点で襲撃されているのを見ても、自衛隊は自国の避難者と保護下に入った者を経路上で守るためにしか武器を使用できない。恩ある国の避難者を見殺しにして国際的な顰蹙(ひんしゅく)を買っても、である。
 根底には、集団的自衛権の行使に関わる問題や憲法上の自衛隊の位置づけに関わる問題もあって、憲法改正には時間を要するが、第二、第三の人質事件はそれを待ってくれない可能性がある。
 輸送の安全の確保を避難措置の要件としないこと、外国領内での陸上輸送も含めること、避難を妨害する行為の排除に必要な武器の使用を認めることである。そのための自衛隊法の一部改正は喫緊の課題だ。今回の人質事件は、それを悲痛な形で教えてくれた。
 参院選などが理由となって、自衛隊法の改正が遅れることがあってはならない。国民の生命を守れない政治は政治ではない。(しかた としゆき)
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〈来栖の独白 2013/01/30 Wed. 〉
 正論である。同様のテーマを扱った中日新聞のコラムは的外れであり、まったく意味をなさない。
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『憲法が日本を亡ぼす』古森義久著 海竜社 2012年11月15日 第1刷発行 2012-11-28 | 読書
p78~
 2 日本のソフト・パワーの欠陥
○ハード・パワーは欠かせない
 「日本が対外政策として唱えるソフト・パワーというのは、オキシモーランです」
 ワシントンで、こんな指摘を聞き、ぎくりとした。
 英語のオキシモーラン(Oxymoron)という言葉は「矛盾語法」という意味である。たとえば、「晴天の雨の日」とか「悲嘆の楽天主義者」というような撞着の表現を指す。つじつまの合わない、相反する言葉づかいだと思えばよい。(略)
p79~
 日本のソフト・パワーとは、国際社会での安全保障や平和のためには、軍事や政治そのものというハードな方法ではなく、経済援助とか対話とか文化というソフトな方法でのぞむという概念である。その極端なところは、おそらく鳩山元首相の「友愛」だろう。とくに日本では「世界の平和を日本のソフト・パワーで守る」という趣旨のスローガンに人気がある。
 ところが、クリングナー氏はパワーというのはそもそもソフトではなく、堅固で強固な実際の力のことだと指摘するのだ。つまり、パワーはハードなのだという。そのパワーにソフトという形容をつけて並列におくことは語法として矛盾、つまりオキシモーランだというのである。
 クリングナー氏が語る。
 「日本の識者たちは、このソフト・パワーなるものによる目に見えない影響力によって、アジアでの尊敬を勝ち得ているとよく主張します。しかし、はたからみれば、安全保障や軍事の責任を逃れる口実として映ります。平和を守り、戦争やテロを防ぐには、安全保障の実効のある措置が不可欠です」
p80~
 確かにこの当時、激しく展開されていたアフガニスタンでのテロ勢力との戦いでも、まず必要とされるのは軍事面での封じ込め作業であり、抑止だった。日本はこのハードな領域には加わらず、経済援助とかタリバンから帰順した元戦士たちの社会復帰支援というソフトな活動だけに留まっていた。(略)
 クリングナー氏の主張は、つまりは、日本は危険なハード作業はせず、カネだけですむ安全でソフトな作業ばかりをしてきた、というわけだ。最小限の貢献に対し最大限の受益を得ているのが、日本だというのである。
 「安全保障の実現にはまずハード・パワーが必要であり、ソフト・パワーはそれを側面から補強はするでしょう。しかし、ハード・パワーを代替することは絶対にできません」
p81~
 となると、日本が他の諸国とともに安全保障の難題に直面し、自国はソフト・パワーとしてしか機能しないと宣言すれば、ハードな作業は他の国々に押しつけることを意味してしまう。クリングナー氏は、そうした日本の特異な態度を批判しているのだった。(略)
p82~
 しかし、日本が国際安全保障ではソフトな活動しかできない、あるいは、しようとしないという特殊体質の歴史をさかのぼっていくと、どうしても憲法にぶつかる。
 憲法9条が戦争を禁じ、戦力の保持を禁じ、日本領土以外での軍事力の行使はすべて禁止しているからだ。現行の解釈は各国と共同での国際平和維持活動の際に必要な集団的自衛権さえも禁じている。前項で述べた「8月の平和論」も、たぶんに憲法の影響が大きいといえよう。
 日本の憲法がアメリカ側によって起草された経緯を考えれば、戦後の日本が対外的にソフトな活動しか取れないのは、そもそもアメリカのせいなのだ、という反論もできるだろう。アメリカは日本の憲法を単に起草しただけではなく、戦後の長い年月、日本にとっての防衛面での自縄自縛の第9条を支持さえしてきた。日本の憲法改正には反対、というアメリカ側の識者も多かった。
 ところがその点でのアメリカ側の意向も、最近はすっかり変わってきたようなのだ。共和党のブッシュ政権時代には、政府高官までが、日米同盟をより効果的に機能させるには日本が集団的自衛権を行使できるようになるべきだ、と語っていた。
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日本は、専門家でさえも他人事のように自国の主権・領土に関わる問題を語る/地球市民を気取っている 2012-10-14 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
【産経抄】10月14日
産経ニュース2012.10.14 03:03
 チベット文化研究所名誉所長のペマ・ギャルポ氏が月刊誌『教育再生』に巻頭言を寄せている。「中国の侵略主義に対抗する政策」という、領土問題での日本人へのアドバイスである。中でも興味深いのは、領土や主権に対する日本人と中国人の意識の違いだ。▼中国では徹底した領土拡張主義の教育が浸透し、自信を持って自国の理屈を唱える。これに対し日本は、専門家でさえも他人事のように自国の主権に関わる問題を語る。しかも「恥ずかしくなるくらいに地球市民を気取っているのが情けない」と述べる。▼見事なご指摘と感心ばかりしてはおれない。専門家どころか、外相経験者の前原誠司国家戦略担当相までが領土問題を「他人事」と見ているようだからだ。民放の番組収録で、石原慎太郎東京都知事の尖閣購入計画を批判したという発言からそう思えた。▼前原氏は「石原氏が(購入を)言い出さなかったら問題は起きていない」と述べた。中国の反日はそのせいだというのだ。だが中国はそれ以前から尖閣への攻勢を強めていた。これに対する政府の無策を見かねて購入計画を打ちだしたのだ。▼前原氏は、石原氏と野田佳彦首相の会談で石原氏が「戦争も辞せず」みたいな話をしたことを明かしたそうだ。だがそれを批判するなら戦争の代わりにどうやって尖閣を守るかを語るべきだ。そうしないなら「他人事」であることを露呈したにすぎない。▼日露戦争前夜、黒岩涙香は主宰する新聞で、けんかの最中に賊に入られた夫婦が力を合わせて退ける話を例に存亡の機の不毛な論争を戒めた。領土が脅かされているとき、政府要人が相手国ではなく国内に批判の矛先を向ける。中国の思うツボである。
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『帝国の終焉』(「スーパーパワー」でなくなった同盟国・アメリカ)日高義樹著 2012年2月13日第1版第1刷発行 PHP研究所
 〈抜粋〉
第2章 アメリカは中東から追い出される
p93~
第5部 どの国も民主主義になるわけではない
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防衛大綱改定へ まず専守防衛の見直しを 2013-01-28 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
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