コロナ禍 心かさね 疫病の苦しみ詠む平安和歌 「特報」2021.5.5 中日新聞

2021-05-06 | 文化 思索

コロナ禍 心かさね  疫病の苦しみ詠む平安和歌 . 

 特報 2021.05.05 中日新聞

 今から1000年前の平安時代、疫病に悩み、多くの歌人が和歌を詠んだ。当時の人の気持ちは、新型コロナウイルスに向き合う現代に重なる。和歌を研究する大妻女子大名誉教授の柏木由夫さんと、何が人の心を捉えるのか考えた。 
 (木原育子)

つながり求め…今に通じる人生のはかなさ

 「心細くて人恋しい。和歌には人とのつながりを強く求めた様子がよく表れている」。柏木さんが語る。
 平安時代、疫病が蔓延した。疱瘡(ほうそう)(天然痘)、赤斑瘡(あかもかさ)(はしか)、咳病(かいびょう)(インフルエンザ)、痢病(りびょう)(赤痢)。人口が大きく減るほど疫病がはやった。

世の中の騒がしき頃、久しう音せぬ人のもとに遣はしける 亡き数に 思ひなしてや 訪はざらん まだ有明の 月待つものを(疫病が流行した頃、音沙汰のない人に歌を送った。あなたは私がもう亡くなったと思い、何も言ってこないのでしょう。私は今も夜明けの月に、あなたの訪れを待っているのに)

 紫式部と同じく宮中で働いていた女性、伊勢大輔(いせのたいふ)が詠んだ。柏木さんが注目するのは、疫病流行を意味する「世の中の騒がしき頃」という詞書(ことばが)き。「この時代ならではの表現。新しい言い方が生まれるほど、疫病の和歌は多かった」と解説する。
 柏木さんは和歌について「身分も男女も関係なく誰でも詠んでいい世界」と唱える。共に朝廷に仕えた官人で、恋敵でもあった藤原頼宗と藤原定頼が今でいうメールを送るような軽い感覚で詠みあった歌も残る。

常よりも はかなきころの夕暮れは 亡くなる人ぞ数へられける(常日ごろよりも、人があっけなく亡くなる頃の夕暮れ時には、死者の数を数えてしまう)と頼宗が送ると、定頼はこう返した。
草の葉に 置かぬばかりの 露の身は いつその数に 入らんとすらん (草の葉に置くほどもなく消える露のように、はかない私はいつ死者の数に入るか心細くてなりません)

 当時の平均寿命は三十歳台。「命のはかなさをつぶやかずにはいられなかったのだろう」(柏木さん)
 今も昔も、日本人は桜が好きだ。

世の中のいと騒がしう侍りし頃 人のもとより「その前の桜は散りやしにたる 一枝折らせよ」と言ひて侍りしかば 遣はすとて 世の中に 折り比ぶれば 桜花 匂ひのどけき 心地こそすれ(疫病流行の頃、人から「お宅の桜はもう散ったでしょうか。一本折らせてほしい」と言ってきたので、枝を送るのに添えて歌を詠んだ。疫病が流行する世の中と比べると、はかない桜といっても、その美しさの方が長くとどまっている気がする)

 昔は桜の枝を室内で観賞することもあった。今春はそうしたイベントが開かれ「平安流だったのかも」と柏木さん。「当時の貴族は戦争や生活苦と無縁だった分、生についてむき出しの心を和歌に残した。平安の都を思い、一首詠むのも趣深いですね」と話した。
 (見出し画像;コロナ禍の今春、室内で桜を楽しむイベントも=石川県能美市で)

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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〈来栖の独白〉
>当時の貴族は戦争や生活苦と無縁だった分、
 そうかな?


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