今回の「ベスト100」には、筆者が中学・高校、そして大学時代に出会ったものが十首ほどあるようだ。その多くは、「国語の教科書」に収められていたものだろう。しかし、どの歌がいつどの「教科書」に載っていたのか断定する自信はない。だが次の歌は、高校一年の教科書にあったように思う。
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱
実はこの歌、筆者に「短歌」の可能性を示してくれたエポック・メーキングともいえる作品。或る「鑑賞文」を読んだとき、その表現手法の独自性に驚いた。“そういう作歌法もあるのか” と。
今回の注釈において、馬場あき子氏も指摘しているように、カメラの「ズーム・アップ手法」を駆使している。映画的手法で言えば、撮影カメラの「長回(ながまわ)し」ということだろう。途中で「カット」することなく撮影を続けるため、「描写対象」に対する密度の濃い集中が可能となる。
このたび久しぶりにこの歌に接して思ったのは、この「長回し」の手法は、「創作者」よりも「鑑賞者」のためにあるということだろうか。読者は「撮影カメラマン」として、カメラをゆっくりロングからアップに寄せながら、連続した “風景美の抒情” に浸(ひた)ることができる。
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『ゆく秋の』と、大きくロングに引いた視点のアングル。さりげなく時間・空間を意識させながら、『大和の国の』と、やや視点をズーム・アップさせ、さらに『薬師寺の』と、いっそうアップ気味に寄り、『塔の上(なる)』へと迫っていく。そして最後に、『一ひらの雲』にズーム・インする。
変容して止まない“行雲(ひとひらの雲)”……そして、その“ときの流れ”――。『塔の上』を、『薬師寺』を、そしてやがては『大和の国』を離れ、また『秋』という季節からも “去って逝く”。
『一ひらの雲』という名詞で留めたところが憎い。その “一点(一ひらの雲)” から逆にロングに引き戻す際の情景の広がりに、“作者の抒情” がさりげなく織り込まれている。
では織り込まれた “作者の抒情” の正体は、どこから来るのだろうか。今一度、この「短歌」全体をよく眺めてみよう。『(上)なる』以外はすべて「名詞」と「助詞」だ。つまりこの歌には、「動作」や「行動」を意味するものは何もない。のみならず、「形容詞」も「副詞」もなく、直接的に作者の “感情” や “意識” を表現するものも一切見当たらない。
それでいながら深い感慨に誘われるのは、先ほど述べたように、
第一に、ズーム・アップ手法によって「の」を重ねながら、逝く秋に、大和の国に、薬師寺に、塔に、一ひらの雲に……と、順次ズーム・アップしていくカメラワークの“規則的な連続性”にある。
第二に、言うまでもなく “言葉の運び” が、「五・七・五・七・七」という完璧な《和歌》の語調で整えられているからだ。「の」による “リフレイン” の妙であり、その “リズミカルな余韻” にある。
そして第三に、“人間の動き” や “感情・意識” を超越した、“天地自然”の “悠久のとき” というものだろう。これだけは、何がどう変わろうと微動だにしない。
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おほてら の まろき はしら の つきかげ を
つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ 会津八一
これも高校時代の「教科書」にあったように記憶している。注釈の必要もないほど、易しい言いまわしであり、意味も明解だ。
「おほてら(大寺)」は奈良の法隆寺や唐招提寺という。作者は早稲田大学の美術史教授であったため、研究としてたびたび奈良を訪れている。徹底した「万葉調」の調べと語彙、それに「ひらがな」中心の表現。ここまで徹すれば、独自の感覚・思想として意味を持ち、また存在感も大きい。
さきほどの佐佐木信綱の「一ひらの雲」の歌と、次の八一の作品を比べてみるのも面白い。
やまとぢの瑠璃のみそらにたつくもはいづれのてらのうへにかもあらむ
また、仏教美術の専門家として「仏像」を詠んだ歌も多い。
なまめきてひざにたてたるしろたへのほとけのひぢはうつつともなし
(続く)