かつて、今回の選者・岡井隆氏に、塚本邦雄及び寺山修司の故人二人を加え、「前衛短歌の三雄」と呼んだようだ。「前衛」(アバンギャルドavant garde)」とは、芸術面について言えば「反主流的な新興勢力」ということであり、それだけに風当たりも強かったし、また何よりも高いレベルが求められていた。
そういう観点からみれば、「塚本・寺山の二雄」は、充分応えて来たと言える。しかし残念ながら岡井氏については、個人的によく知らないだけに、氏を正当に評する術を知らない。それでも今回選出された一首は、“いかにも男性的”で好きな作品だ。
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飛ぶ雪の碓氷(うすひ)をすぎて昏(くら)みゆくいま紛れなき男のこころ 岡井隆
『飛ぶ雪……すぎて』と『碓氷(峠)』から、車窓風景であることが判る。峠を過ぎて行く黄昏どきの汽車。おそらくそれは、ひと昔もふた昔も前の蒸気機関車だろう。雪のただ中を走り抜ける一本の蒸気機関車……その長く尾を引くような汽笛が響き渡る。ガタゴトン、ガタゴトンという心地よい響きとリズム。“……逃げてはならない。男は汚れてはならない……。” そういう作者自身の “内なる声” が聞こえるようだ。
さまざまな想いに囚われながら “昏みゆく空” の有りようを見続ける作者。“昏みゆく自分” に思い至ったのだろう。周りの風景がどのように変わろうとも、決断すべきことや行動しなければならないことは、結局、何一つ変わらない……。それを一つ一つ乗り越えて行かない限り、その先へと進むことはできない……そのような覚悟の呟きが聞えて来る。
『いま紛れなき男のこころ』……。そこに至った作者の濃密な思いや決意のほどが表現されている。非常に個人的な心の様相であり、他者の理解を得にくいものかもしれない。……特にこういう感覚意識は、おそらく「女性」には理解しがたいのではないだろうか。他の岡井氏の作品として――。
人の生(よ)の秋は翅(はね)ある生きものの数かぎりなくわれに連れそふ
生くるとは他者(ひと)を撓(たわ)めて生くるとや天は雲雀(ひばり)をちりばめたれど
乳房のあひだのたにとたれかいふ奈落もはるも香にみちながら
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塚本邦雄と寺山修司の二人を称して《美の狩人》という。“貪欲な美の探究者” であり、“美意識のあくなき練磨” が二人に共通したものだろうか。文学を中心とする二人の幅広い造詣の深さは、人並はずれたものがある。
塚本邦雄は、歌人、詩人、小説家、評論家であり、寺山修司は、俳人、随筆家、作詞家、写真家、俳優という肩書を除いても、歌人、詩人、小説家、評論家、劇作家、演出家、映画監督……と多才だ。
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日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも 塚本邦雄
1958年刊行の「日本人霊歌」という歌集の冒頭歌。発表当時、いろいろ物議を醸した作品のようだ。筆者も初めてこの作品に触れた壮年期においては、衝撃的だった。何よりも、どのように解釈すべきなのか、正直言って検討もつかなかった。
戦後の日本人の“閉塞感”……というのが一番穏当とされる解釈であったような気がするが、作者の真意は解らない。作者はもっと大きな意味の “閉塞感” を詠いたかったのかもしれない。あるいはその逆に、自分自身の “卑小性” であったのかもしれない。『皇帝ペンギン』や『皇帝ペンギン飼育係』を特定の「メタファ(隠喩)」に限定しない方がいいのではないだろうか。
いまこの瞬間眺めていても、何か新鮮な感じで受け止めることができるのはなぜだろう。不思議な作品だ。一見、ひどい破調のように感じるが、実は「上五」が二音、下の句の「皇帝ペンギン」と一音が多いだけ。しかし、塚本邦雄と言えば、真っ先に次の歌が出て来る。
馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ 塚本邦雄
この歌に初めて出会ったのは、やはり壮年期初めだった。眼を通し終えたとき衝撃が走り、しばらくこの歌が頭を離れなかった。塚本氏会心の代表作品ではないだろうか。この作品については、別の機会に論じてみたい。これも破調のように見えるものの、「七・七・五・七・七」と読み取ることができる。つまり、『馬を洗わば』だけが2音多い。
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マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
筆者のような「団塊の世代」からみるとき、彼は一回り上の昭和10年生まれ。直接、「戦争」を戦った世代ではないが、「祖国」という感覚や意識は明瞭すぎるほど持っていたに違いない。『身捨つるほどの祖国はありや』という、下の句の重い主題が、上の句の一見軽く流されがちな状況をしっかりと支えている。
直接、寺山修司に会ったことはない。だが彼の言動は青年期の筆者にとって、常に “相似形の現実世界” であり、それは同時に “一つの肉体” を、そして “抵抗なく受け入れうる価値” を意味していた。と同時に “どこかに筆者自身” でもあったのだろう。当時の多くの青年は、同じように感じていたのではないだろうか。(続く)
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※注:「アバンギャルド」はフランス語(avant garde)。英語ではadvance guard。元は軍隊における「前衛部隊」の意であり、本隊の攻撃に先駆けた偵察や奇襲攻撃等を行うようです。「芸術分野」では、第一次大戦前後に始まった抽象芸術・シュールレアリスムなどに代表される“革新的運動”及びその活動母体を「前衛派」というようです。