今回は「女流編」――。
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髪五尺ときなば水にやわらかき少女こころは秘めて放たじ 与謝野晶子
髪ながき少女とうまれしろ百合に額は伏せつつ君をこそ思へ 山川登美子
「少女」は「おとめ」、「額」は「ぬか」と読む。『髪五尺』と『髪ながき』……いずれも「長い髪」それも「黒髪」。前者は『水』、後者は『白百合』を介して、「長い黒髪」を、「少女」を、そして両者の“響きあい”を表現している。
晶子の歌――。「少女の長い黒髪」だけでも、仄かなお色気と「をんなへの変遷」を予感させる。それが「水」にとき放たれたとなれば……。『やわらかき』は、水に対する髪そのものの“柔らかさやしなやかさ”とともに、大人の女性へと成長していく少女の内面の“それ”をも意味しているのだろう。しかも“それ”は、異性への秘められた想いを伴っている。
登美子の歌――。『しろ百合に額は伏せつつ』には、自らの貞潔さを守り通そうとする気持ちと、「君(特定の男性)」への恋心とが、“祈り求めるように”表現されている。後に晶子の夫となる与謝野鉄幹を恋い慕っていたとされる登美子。
登美子は、鉄幹への想いを封じて見合い結婚をしたものの、翌年、夫と死別。その後、29歳という若さでこの世を去った。鉄幹との間に12人(6男6女)をもうけた晶子とは、対照的だ。
鉄幹は登美子を「白百合の君」と称したが、晶子が一時期、「やわ肌の晶子」と呼ばれたこととも好対照。となれば、晶子の次の歌を挙げなければならない。
柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君 与謝野晶子
あまりにもよく知られた歌。筆者を含め、今回こちらの選出を望む読者は多いと思う。ちなみに、鉄幹と晶子も、実は「不倫の恋」によるものだった。
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ところで、女性は、男性には想像もつかない、「長い黒髪」に対する特有の“美意識”を持っている……と、筆者は信じて疑わなかった。
だが今回、尊愛する選者・馬場あき子氏は、『「髪五尺」という女の美意識は「明星」以後、歌の世界には登場しない』と断言する。
衝撃であり、すぐには信じられなかった。晶子の夫・与謝野鉄幹等が創刊した文藝月刊誌の「明星」(※註1)以降、「短歌」おいては「女の長い黒髪」の“美意識”が見受けられないと言うのだ。
“美意識の表現”がたやすい「短歌の世界」ですらそうであれば、「日常世界」においては推して知るべし……ということだろうか。それも既に百年以上前より、“そういう美意識が閉ざされていた”とは……。 嗚呼(ああ)! 白髪三千丈……
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夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん 馬場あき子
昔から馬場氏は好きな歌人の一人。奇を衒うことなく、率直に「みそひと文字(三十一字)」なる表現形式を駆使するからだ。
日本人であれば、誰しも一度はこの歌のような情景を体験したことだろう。夜更けに眼が覚めたとき、誰もいない公園の桜が、微かな風の中を黙々と散っている。……いや、黙々と散っているという“気”が、そして“そのけはい”が、“目を覚まさせた”のかも知れない。
漆黒の闇を背景にしているだけに、滂沱(ぼうだ)の花びらの姿形はくっきりと浮かび上がり、また風に任せながら散りゆく様に、弾みを得た明るさのようなものが感じられる。何と高雅で静謐な瞬間だろうか。ファウストならずとも、“瞬間よ止まれ! おまえはいかにも美しい!”と叫びたくなる。
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死にてゆく母の手とわが手をつなぎしはきのふのつづきのをとつひのつづき
作者は森岡貞香(ていか)。下の句の『きのふのつづきのをとつひのつづき』が巧みであり、母と娘二人の“抜き差しならぬ”時間の共有を盤石なものにしている。……無論、『をとつひ』は“その前”に、そしてさらに“その前の日へ前の日へ”と遡って行く……。遡れば上るほど、母は元気な、そして若々しい母へと還って行く。その想いと願いを込めながら、作者は「母」と“手をつないで”いる。希望と歓喜に満ちた在りし日の“生”を確認しながら。
この作品から、有名な次の歌が想い浮かぶ――。「母の臨終」の代表歌と言えるのかもしれない。学生時代、教科書でご覧になった方も多いと思う。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる 斎藤茂吉
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プリクラのシールになって落ちているむすめを見たり風吹く畳に 花山多佳子
まつぶさに眺めてかなし月こそは全き裸身と思ひいたりぬ 水原紫苑
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 俵 万智
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しかし、俵氏の作品について言えば、個人的には、やはりデヴュー作となった歌集『サラダ記念日』の次の歌としたい。
『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 俵 万智
(続く)
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※註1:1900年(明治33年)4月~1908年(明治41年)11月まで刊行)
※最後の『サラダ記念日』の歌については、本ブログの「2009.11.17」の『サラダ記念日とセリーヌ記念日』を参照ください。