『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・結婚当初の約束―高崎からの手紙

2011年04月12日 07時06分03秒 | ■男と女のゐる風景
 
 十数年ほど前のことになる。私は不動産業のコンサルタントのかたわら、建築関係の資格試験受験生を教えていた。本業の合間のレッスンのため、次第に「マンツーマン」で教えるケースが多くなっていた。

 三十歳前のKさんもそのような一人であり、彼女は離婚したばかりだった。専業主婦のため、離婚が決まったとき『三歳の子を抱えて、どうやって食べて行こうか』という現実に頭が真っ白になったという。相談の結果、「キッチンスペシャリスト」をめざすことになり、三歳の娘を母親に預けてのレッスンとなった。

 三回目か四回目に、私は彼女を「住宅設備機器メーカー」の「ショールーム」に案内した。ここは「システムキッチン」をメインとした九州でも有数のショールームであり、住宅設備機器の勉強には持って来いの教室と言ってよかった。バスユニット、洗面化粧台、便器それに照明器具等があり、床材や屋根材も揃っていた。インテリアコーディネーターや建築士志望の生徒にも、一度は必ず連れて来る所だった。

 ひととおりシステムキッチンを見終えた後、「リビングルーム」を模した照明器具の部屋に来た。ちょうどそこに、夫婦と小さな兄妹の一家が入って来た。照明器具を仰ぎ見る夫婦の横で、二人の幼児がはしゃいでいる。穏やかで優しそうなご主人、麗しく上品な奥さん、いかにもその両親の愛情に育まれたという男の子と女の子。「ホームドラマ」の一場面のような“微笑ましい家庭”が目の前にあった。
 
 夫婦は見るからに仲睦まじく、理想の夫婦ともいえる会話の雰囲気が感じられた。そのため、私はしばらく夫婦と二人の子供に気を取られてしまった。

 はっと気づいてKさんを見た。彼女は“レッスン中の生徒”として熱心に照明器具を眺め、気づいたことをしきりにノートに書き込んでいた。いや、そのことに集中しようとしているかのように私には見えた。


「男の子と女の子の兄妹っていいですね」
 帰りの車の中で、助手席のKさんが呟くように口を開いた。まっすぐ前を向いたまま、どこか吹っ切れたような雰囲気があった。

「わたくしも別れた夫も一人っ子でしたから、結婚したとき、子供は二人以上……って約束したんです」
 私は、自分が四人の兄弟姉妹であること、兄と二人の妹がいること。そして子供は、娘三人と息子が一人いることを、Kさんの反応をうかがいながら少しずつ足して行った。彼女の表情が和らぎ、“まあ”とか“すてき”と言った、これまでの彼女からは聴くことのなかった「感嘆詞」が混じり始めた。

「兄弟姉妹が多いというのは、夫婦のためというより、子供達のためですよね」
 Kさんはそう言いながら、穏やかな表情で運転席の私の方を向いた。

             ☆  ☆  ☆

 それから半月ほどが経過した。いつもの通りレッスンを終えたとき、Kさんが話し始めた。
「実は別れた夫ともう一度話をすることになり、群馬の高崎に行くことにしました。しばらく一緒に住むことになると思います」
 高崎はご主人の実家であり、“別れた理由”は、この“高崎行き”に納得できなかったからという。

「でも三日後、ここでレッスンを受けているかもしれません」
 微笑みながらも、彼女の眼差しは真剣だった。

「ということは、今日が最後のレッスンですね」
「それはまだ何とも……」 
 しかし私には、直観的に今日が最後になるような気がした。またそうなって欲しいという気持が強く湧いてもいた。

 私は、次回以降に予定していたレッスンの「資料」をすべて彼女に渡し、「問題集」をプレゼントした。それに、急遽作成したA4判の「卒業証書」を加えた。
「では今日が卒業式ということにします。……万一、再入校という場合は、いつでもお迎えしますから」
 Kさんは、少しおどけた表情でうやうやしく「卒業証書」受け取った。だがすぐに彼女の目から涙が溢れ、しばらく俯いたままだった。 
 

 それから一週間、二週間と経過したものの、Kさんからは何の音沙汰もなかった。そして一か月、二か月と経過し、ほぼ三か月が過ぎた頃、Kさんからの手紙を受け取った。

 連絡の遅れを詫びる文面のあとに、高崎の街やそこでの慌ただしい生活の様子が描かれていた。慣れない土地のため、自分も娘もしばらく調子を崩したものの、今はすっかり元気を取り戻したこと。だが「キッチンスペシャリスト」の勉強は、なかなかはかどらないという。そして「追伸」の欄に、たった一行こう書いてあった。

 『結婚当初に、夫と交わした“約束”を果たすことができそうです』



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