東京はゴーストタウンに。
「いろんな意味で東京はオススメ出来ない」
都は奈良?京都?
働き方も今の私たちが考えてるよりもはるかにかわる。
ダブルワークが当たり前になり,
パート,アルバイト,派遣に正社員なんて形態もなくなる。
皆が個人事業主に。「大切なのは情熱」
好きなことを職業にする。
創造出来ることが必要。
そろそろ配達の時間なのでまた。
(^_^)/~
東京はゴーストタウンに。
「いろんな意味で東京はオススメ出来ない」
都は奈良?京都?
働き方も今の私たちが考えてるよりもはるかにかわる。
ダブルワークが当たり前になり,
パート,アルバイト,派遣に正社員なんて形態もなくなる。
皆が個人事業主に。「大切なのは情熱」
好きなことを職業にする。
創造出来ることが必要。
そろそろ配達の時間なのでまた。
(^_^)/~
こんにちは。
それでは,先日から書かせて頂いて来た「自分の良心こそ祈りの対象です。1」と「自分の良心こそ祈りの対象です。2」の続きを書かせて頂きます。私も含めて「良心」と云うと一見,良い悪い,善と悪,悪い心に良い心と思ってしまうところです。
しかし,もっと深く考察して行くとそう言った二面性をだけを捉えたものではないようなのです。
よく,良心に基づいて行動することが大切。良心に照らせば理解できる。などと言われることがありますが,良心とは誰にでも共通したものでなければ良心の違いが生じ,どちらが良心なのか解からなくなってしまいます。
何だか,司法試験の論文の勉強をしているようですが,要は,起きた事象において「良い」か「悪い」かを判断するだけのものではないのではないかと思うのです。良心と云う存在は,もっと,単純(シンプル)且つ素朴にと云うか純粋で在るように感じています。一言で云えば普遍(不変)的な存在という方が,今の私には理解できるようです。つまり,幼子「童子」のような心です。
本来,精神の世界と云うのもは私たちの目には見えない存在です。その目には見えない存在を目に見える対象物に置き換えて闇雲に信じてしまい結果,深みに嵌るケースがただあります。何だか滑稽な話ですが,本当にそうなのです。たとえば,先日も記事で書かせて頂きましたけど,富士山にゴミを捨てる人も初日の出を拝んだり,神社や寺院で祈願や祈祷を受ける訳です。
本当にこれは不思議と云うか思わず笑ってしまうくらいなことだと思うのです。だって,神社も寺院も大自然を崇拝するところから派生したものであるのに,その元の本を汚し何を願っているのか?なのです。どう考えてもやはり私には不思議なことであるのです。しかも,大金を積んで真剣な表情でお願い事をしています。人間の欲と云うものは本当に深くて凄いなと偶に拝見しています。
願いとは,執着心から派生し,執着心とは所有の概念であり,所有の概念とは紛争を産み出すものであると想っています。しかしながら「大切」と云う言葉には,私は不思議と執着心を感じません。自分の所有物はないのだからと云う想いとすべては借りもの預かりものであるという言葉を想像するからであります。この肉体も含め,すべてのものは返さなくてはなりません。
もっと最悪なのは霊能者に頼りきりになり,あとで多額のお金を要求され,家族のお金まで手を出し,一家離散になるケースも現実に存在します。終局的には事件になったりすることもありますが,この手のことを書くといくら書いても切がありません。しかし,ここでもやはり良心に照らして行くしかないのです。私にとっても「良心」この言葉は一生の課題であると想っています。拝
こんにちは。
早速,昨日の続きを。自分の良心こそ祈りの対象です。1
その昨日の記事後半で,富士山やその周辺に心ない登山者や不法投棄をする輩について書きました。
そして,近年のパワースポットブームによる御神体への入山に対しても書かせて頂きました。今日は,過去記事から一部を抜粋してあるお父さんのことを紹介させて頂きます。そのお父さんは,娘さんが中学の修学旅行で京都と奈良に行った時のお話です。
~一部抜粋~
娘さんが修学旅行から帰宅し,父親のお父さんと修学旅行の思い出しを話している際,お父さんが娘さんに一番思い出に残った場所はどこだった?と聴いたらしいです。すると娘さんは,京都にある伏見稲荷大社が一番印象に残ったとお父さんに話します。
すると,そのお父さんは「きっと,子供たちは普段の生活からの解放感と想いで作りで夢中になり,伏見の神様の神域でワイワイガヤガヤとハシャギ無礼を働いていたに違いない」「大変申し訳ないことだから伏見の神様の下へ謝罪しに行こう」と云って後日,伏見稲荷大社へ謝罪の為に参拝し,先ず,拝殿にて「私の子供が修学旅行で,こちらに参拝させて頂いたようです。」「しかし,その際に,ワイワイガヤガヤと騒いでいて神様の神域を穢すようなことがあったのではないかと想い,親の私が謝罪の参拝に参りました。」「子供たちの無礼をお許しください。」と無礼があったかもしれないことをお詫びし,一つひとつの御宮にも参拝されていたようです。しかし,後方に位置する稲荷山には入山されなかったようです。鳥居からの遥拝で終えたと話しておりました。それはなぜかと申しますと「初めて参拝させて頂く神社で,最も重要で大切な御神体に入山することはあってはならないこと」であるからと云う理由でした。ここまでするか?と思える行動ですが,お父さんにとっては真剣な事と捉えていた様子でありました。
これはちょっと余談ですが,そのお父さんの謝罪の参拝後,数か月が経過した頃,お父さん方の住む地域で竜巻が発生し,テレビニュースでも大きく取り上げられました。しかし,お父さんたちが暮らす家だけは窓ガラスが1枚割れた程度で無事に済んだようですが,目の前の工場も隣の住宅も後ろの家も大変な災害に遭われたようです。私も実際に,お父さんに竜巻の状況についてお話を伺いましたが,お父さん曰く「自分の家の前で竜巻がジャンプして通り過ぎて行った」と話していて,あんなことが本当にあるんだと不思議そうな顔をされ,近所のみなさんに何だか申し訳ない気持ちになると話していたのが印象的でありました。
~一部抜粋~ 終わり
伏見稲荷大社へ謝罪の参拝をしたから竜巻の災害から救ってもらえたのだと無理やり結び付けたいのではありません。やはり,普段から感謝の気持ちで暮らし,素直に反省できる行為は,とても共感が出来ますし,清々しい気持ちにもさせて下さいます。それと同時に,その純粋で無垢なる気持ちは必ずや自然は受け取ってくれると私は思っています。
これを私は,心神の導きと呼んでいます。
信じるべきは自分自身の良心「心神」であります。
さらに明日に続きます。拝
こんにちは。
毎日,大祓詞の後に,自作の祝詞「しんのみはしら」祝詞を神棚の神さまへ奏上させて頂いております。
ちょっぴり,照れくさい感じもしますが,祝詞は本来,神さまを讃え,神さまの御心を言葉に変えて素直な気持ちで感謝を以てひとり一人が奏上するものです。特別な御利益など一切求めず,祈願や祈祷に用いることなく素直に気持ちよく奏上することがとても大切です。そのに純粋で無垢なる祝詞は,天津神,国津神の神々さま,そして八百万の神々(精霊)さまに届いています。
そのことは,大祓詞にも書かれていることですが,たとえば祝詞や御経と聞くと何か宗教の勧誘的に感じ,身を構えてしまうところがあると思います。しかし,その想いや感覚はどうしてなのか?どこから来るものなのか?を掘り下げて考える人はあまり見掛けません。逆に,言われた言葉をそのまま受け入れ,すべてを信じ込み祈祷や祈願で日々過ごす人は結構,多いように思います。
私も仕事を通じて,そういった人に会うことがありますので多少は判るつもりであります。
私は,こう言った祈願や祈祷がどうしても理解出来ず,違和感があって出来ないのです。例えば,お金を払って神社やお寺で身体健康のお願い事をする。現代社会においては普通のことかも知れません,誰も疑うことも違和感すら感じないかもしれません。しかし,本当に身体の健康を気遣うのであれば日々の生活態度を改めることがなければいくら祈願や祈祷をしても意味がないのではないでしょうか。自動車祈願も交通安全も同じで,本当に神社で自動車のお祓いを受ければ交通事故に遭遇しないのか?
そんなことは無く,交通安全に一番効果をもたらすには安全運転が一番効果があります。神社やお寺にお金を払って自分の想いや願望を叶える行為は祈りではなく単なる取引です。祈りとは全く違います。この世の中には,自分のものと云うものは一切なく,すべて借りているものであるから大切に扱うことを神さまに祈り,又,使わせて頂けることにただ感謝をするだけ良い訳であります。
私たちの肉体ですら仮の姿で,誰であっても最後には返さなければなりません。
ここで毎度の如く,話が飛びますが・・・。
今,富士山では1つのことがとても深刻な問題として議論されているようです。それは,ゴミ問題です。不法投棄や一部の心ない登山者によるポイ捨てが原因であるようです。しかし,その人たちも初日の出を拝んだり,神社に行ってお願い事をする訳です。何だか不思議な感じがしませんか?自然を穢して神社で何をお願いするのか?神社でゴミを捨てる人はそんなにいませんが,富士山にゴミを捨てることが何故できるのか?山を汚せば,水が汚れて行きます。水が汚れると私たちの人体に悪い方へ影響が出来て来ます。
明日もまた続きを書きたいと思います。拝
過去記事でも少し書きましたが一部抜粋して。
※これは余計な事だとお叱りを受けるかもしれませんが,とても重要な事柄だと感じますので少し書かせて頂きます。近年,パワースポットやスピリチュアルなどの影響もあって,御神体(山)に入山(登る)される方がとても多いです。しかしながら,太古の昔から山は神そのものとして崇められ,畏れられ,立ち入ることの出来ないものでした。山を遥拝することが精一杯で入山するというのは山を管理している人と祈りを捧げることができる祭祀者だけでした。そうして出来たのが山の麓に建立された神社です。
つまり,私たちの祖先が,後世の子孫が山に入らずにでも祈りを捧げる事が出来るようにと神社群を建てたのです。
奈良県の桜井市と云う地域には,三輪山を御神体とする大神神社が御座います。
大神神社には御本殿がありません。三輪山を遥拝する拝殿しかないのです。日本最古の神社としても有名で,古神道系の神社です。
したがいまして,どうしても富士山や太古から信仰の対象とされて来た山(御神体)に入山する場合には,山そのものを敬い,感謝して入山されることがとても重要であり大切であります。それをせずに不幸になってしまう人が近年,多数いるようです。これは現実的な話です。決して,ピクニック気分で登る山ではありません。たとえ,神社が許可しても私はお進めしません。
御神体に入山すれば「運が開ける」「人生が好転する」「幸せになれる」などは全くの偽りであり違います。御神体などの山は入山するのではなく,遥拝するのが本来の本当の信仰です。繰り返しになりますが,御神体に入山できるのは現代では「神社関係者」と「清掃者」だけであります。不幸になって頂きたくないので本当の事を遠慮せずにどんどん私は書きます。神社関係者の方も御神体を開放するのであれば,襷だけ手渡すだけでは足りません。小さなゴミ袋を持参させるべきです。何も知らない,ただ興味本位で且つ,自分の願望を叶える目的の為だけに入山する人のことを真剣に考えるべきであると私は考えます。
花咲 あさひ 拝
こんにちは。
私たちの暮らすこの国は,御存じのとおり法治国家であります。
法治国家とは,文字通り,特定の「人」(例えば王様)が力で治める国ではなくて法律が治める国であります。このような話になると憲法が国民を縛るものであると誤解される人がおりますが,憲法の役割は,われわれ国民を縛るものではなく,我々が権力を行使する側である権力者を縛るために存在するものです。これを立憲主義と云います。
そのことは明確に,憲法の条文にも明記されております。(参考までに:99条に云う憲法尊重擁護義務)
そして,この憲法こそが,我が国の最高位に位置する法となります。
私は,この憲法を勉強すればするほど,日本国憲法の根底に流れる考えは神道に通じるものがあると思えてなりません。もっと言えば,宗教全体の根幹に触れるものではないかと思います。よく政治家や憲法学者,法律家の皆さんが憲法や法律を論じると政教分離の原則を引き合いにすることがありますが,元々,憲法も法律も宗教的な概念から出発しているものです。
又,民法や刑法などの個別の法律の原形はフランスやドイツではなく,もっと宗教的な「モーセの十戒律」から来ていきます。それが拡大し,拡張して行く中で規制が増えて行ったと云えると思います。ちなみに,憲法はイギリスの貴族が自分たちの特権を守る(保持)ために国王を縛る目的で制定されたものです。(イギリスの憲法は不文法です)
左翼思想と云われる方が,神道と戦争を結びつけたり,天皇と戦争を関連付けたりしますが,例えば,神道の長い歴史をもっと勉強して頂きたいと思います。神道の考え方に「紛争」「戦争」「訴訟」といった争う考えはありません。
先の大戦(大東亜戦争)では,軍の一部が暴走し,天皇陛下を利用した側面はあると私個人も考えますが,神道そのものが,戦争を誘発するようなことは決して,過去の神道の歴史をみてもありません。これは,国家神道の短い期間に起きた天皇陛下を利用した一部の限定的なお話であると私は考えます。(ちなみに現代は,神社神道です)
神道に大祓詞と云う祝詞があります。この大祓詞の一部に「神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて」という言葉があります。この言葉の意味が何を指すのか?もちろん神社の神職さんであれば勉強されていると思います。これは,神様の世界は武力などの力によって統制するのではなく,何度も何度も話し合い,互いを尊重する様子,国の統治のあり方を言葉として示したのではないかと思います。つまり,民主主義の元が大祓詞と云う祝詞に記載されているということだと考えます。
相手に対し,自分の考えを伝える方法に「言葉」があります。言葉によって,相手に自分の考えを伝えるわけですから,どのような言葉を使えば,相手に自分の考えが伝わるかを勉強することはとても重要なことではないでしょうか。理屈ではなく,真理を言葉で伝えるには心柱がなければ伝わらないと感じています。
立憲主義と民主主義は全く別物ですが,この辺りのことは機会があれば記事にしたいと思います。
安部総理をはじめ,与党の政治家の皆さんにも是非とも大祓詞をもっと勉強してもらいたいと思います。
日の丸は戦う民族の象徴ではなくて,我が国は,言霊の国であるという祈りの民族の証です。
なぜ,聖徳太子が第1条に,和を以て,貴しと為す。を組み入れたのか?・・・。
つつがなきや。
こんにちは。
先日の記事,古神道の秘儀「自励拝」に続きまして,今日も縄文時代以前から続く古神道の秘儀(ちょっと大袈裟ですが)を書かせて戴きます。これは結構,多くの方が健康や体内循環を良くする目的で実行されていることだろうと思います。それは早朝の太陽拝「日拝」と云うものです。私も毎日,早朝の7時から8時の太陽神の名「アマテラスオホミカミ」を10回唱えて祈りを奉げております。この日拝は,古神道家でなくても提唱されている方々もたくさんおりますし,医師などの医療関係者も実際に薦められることがあるようです。日拝を現代語に訳すと日光浴とでも言うのでしょうか?日光浴は,気持ちが良くて健康に良い。これは正解です。
古神道と云うのは,大自然と直接,自分自身が繋がり,自分自身の心の中の心神「しんしん」に言ってみれば気を向ける・意識することでありますから奇異的なものではありません。私は,奇異的なことが嫌いなので,自分でもすることはありませんし,決して人に薦めるようなこともしません。ただ目の前にある大自然「神さま」と自然「精霊」と直接,自分自身が繋がることだけなのです。
その理由もいたって簡単で,自分の心の中に神さまの分魂「心神」を宿しているからです。しかし,真に残念なことに,神さまの分魂「心神」が岩戸に隠れたままになっている人々も多いのです。自分を傷つけ,相手も傷つけ,されに自然を穢すことを繰り返して行く内に,心神は心の奥深くに御隠れになられます。逆に,岩戸開きをしている方は,まるで後光が射しているような感じが実際にします。よく,あの人はオーラがあるとか眩しい人だとか言ったりもします。外観的なものではなく内面的に光り出すのです。
こう云った人間の心を物語にした有名なお話が御座います。それが,私たちの国に伝わる日本神話であります。日本神話の中に,天岩屋戸と云う物語が御座います。天岩戸や天岩屋とも云われることもありますが,実は,この日本神話に登場する物語の大半は自然と人間が共生することの大切さを教えていたり,又,人の心の中の様子を物語としていることが多いのです。その物語の中でも,特にこの天岩戸と云う物語ほど人の心の様子を見事に物語として伝えたと感じています。太陽神「天照太御神」が岩戸(洞窟)に御隠れになってしまったことで暗黒の世界へと変わってしまうと云う御話です。神社の祭り事や日本のお祭りの起源でもあります。
祭り事だけではなく,民主主義も家族会議の起源でもあります。何か問題が起きた場合,皆で話し合い,互いに知恵を出し合い,皆で協力し合って問題を解決して行くことの大切さを日本の神話は教えてくれています。それはまるで,わたしたち国民一人ひとりに困難に直面した時の対処法を教えてくれているかのようです。日本神話と聞くと無理やり天皇家と結び付けたり,戦いの物語の方向に話を持って行きたがる人もおりますが全く違います。互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合うのが大和の魂を宿した真の日本人であり,日本人としての誇りなのです。
毎朝の日拝は,心の岩戸開きの意味があります。
※ 目の保護の意味で,太陽を直視しないように致しましょう。
大和の国で暮らす 和の住人でした。拝
こんにちは。
何度かタイトルを変えて再掲載させて頂いています。最初の投稿から3年になります。
今日は,とても厳しい社会の現実的なお話を書かせて戴きたいと思います。
これは,決して他人事ではなく,国家として取り組んで行かなくてはならない重要な課題でもあると想っています。決して自己責任論だけで終わらせて良い問題ではありません。明日は我が身であります。政治家や公務員には是非とも何度も読み返して頂きたいと思います。わたし達の国家には,やらなければならないことが山積しているのです。政治家ひとり一人には,その現実を直視して政務活動をして戴きたいです。もう待ったなしのところまで来ていると云うのに・・・。厚生労働省によると要介護(要支援)認定者数は620万人と推計されているのです。この現実を日本人は少子化の中で乗り越えて行かなければならないのであります。
こちらも見て下さい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E6%AE%BA%E4%BA%BA
本当に自己責任論と云う抽象的な言葉だけで良いのでしょうか?
下記記載の引用元は「デイリー新潮」2016年11月16日掲載分(全文)からです。
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/11161130/?all=1
地裁が泣いた介護殺人 10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末
2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。
一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが「休職」を理由に認められなかった。
母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。
母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。
長男は母親との心中を考えるようになる。
そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。
母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。
やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。
「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。
そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、傍ですすり泣く息子にさらに続けて語った。
「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。
その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。
自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。それから約2時間後の午前2時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。
京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。
裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。
殺害時の2人のやりとりや「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。
この事件が一地方ニュースに留まらず、ネットなども通じて「地裁が泣いた悲しい事件」として日本中に知られることになる。
親子の境遇や長男に同情する声や温情判決に賛同する声などが広がった。
それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。
事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。
やがて判明した死因は自殺だった。
琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。地獄を味わった彼の言葉やその後の人生が、在宅介護に限界を感じ、絶望している人への何らかの助けになるのではないか。そう考えて必死に動いた記者を待っていた、悲しすぎる結末だった。
厚労省によると、要介護(要支援)認定者数は620万人。要介護者を抱える家族が増える一方、後を絶たない介護苦による悲しい殺人事件。なぜ悲劇は繰り返されるのか。どうすれば食い止めることができるのだろうか……。
引用記載「全文」は,以上です。
自己責任と云う言葉に分霊は宿りません。
古神道の言霊に自己責任と云う言葉はありません。
祝語である日本語でもありません。
宗教家のみなさん,魂が奮えませんか?
神仏に仕えると決めた日を忘れてしまいましたか?
観世音菩薩は,裸足で飛び出し山を下りました。
花咲 あさひ 拝
こんにちは。今日は,私の好きな神道家で春日大社の前宮司さんでいらした葉室頼昭先生の御本とその御本の中に書かれている一部を紹介させて頂きたいと思います。神道と日本人と云うタイトル本ですが,この御本は多くの人に読んで頂きたいと感じる超優良本だと思います。私は元々,本が苦手でほとんど読みませんと云うか本が読めないのです。なんだか変な話をしておりますが,実はこのかたマンガ本も読んだことがなく,本を読むのに人の何倍も時間が掛ってしまい苦手なのです。
そんな私でもすんなりと読める本ですから普通に本が読める人にはおすすめです。葉室先生は生前に確か10冊前後の本を書かれていて,その内,数冊は過去にこのブログでも紹介させて頂きました。こちら「宇宙の構造と心の病 神道と現代医学」です。補足,葉室先生は神職になる前は形成外科のお医者さんでした。
それでは,以下が葉室先生が書かれた「神道と日本人」と云う御本の「おわりに」からです。
現代の日本人のなかには「この科学の時代に,神など信じない」という人も多いし,また「この世には,科学では分からないことがまだまだたくさんあるから,私は神を信じる」と云う人もいます。また「目に見えないものは信じない」「神がいるならどうして,この世に不幸だとか悩みだとか病気などがなくならないのだろうか。だから私は神を信じない」と考える人もいます。「神がいるならなぜ,悪いやつが金を儲けて幸福な生活をし,あんな善い人が不幸な生活をするのだろうか。だから神を信じない」「自分の人生は自分の力で築くものであるから,何ごとも神の導きに従うというような神頼みの人生は真実の人生ではない」などと思っている人もいます。また私に対して「お医者さんのくせに,なぜ神さま,神さまというのか」と聞く人もいます。
しかしこれらは,神とはどんな存在なのかということを知らないで,ただ神を信じるとか信じないとか言っているだけなのです。私はこういう態度こそ,科学の発達した現代の中で,非科学的なことだと思っています。神さまは,信じるか否かということではなくて,神の世界を見ることができるかどうか,なのです。
神の世界と,我々の世界は,別々に存在しているように思われていますが,本当はそうではありません。ちょうど夜の世界と昼の世界が別世界ではないように,宇宙の真実,神の世界は夜の世界であって,その中に我々のいる現世,昼の世界が一緒に存在します。昼の世界は,ただ日光の明るさで夜が見えなくなっただけです。だから昼でも日光を完全に遮断したら,闇,すなわち夜の世界がそこに現れるでしょう。でも夜の世界を知るためには,夜ばかりでは分かりません。反対の明るい昼の世界がなければ分からない。
この宇宙の仕組みが本当に分かることが我々の役目なのです。つまり,神さまは,神の真実の世界を認めさせるために,わざと逆の世界を人間に与えておられるのでしょう。逆があるから真が見えるのです。それなのに人間は,病気だとか,不幸だとか悩みというようなものが,実在の世界であると思ってしまったところに過ちが現われ,現在のような乱れた世の中になってしまったのです。
古来より,日本人はそのすばらしい知恵で,病気だとか,不幸だとか,悩みなどは,神さまが本来神の姿に作られた人体を包み隠す(罪),また我々を生かしてくださる気を枯らす(穢)ことが原因であるから,これらを祓い除くことで神の真実の姿が現われることを知っていました。この罪・穢はすべて我欲であるから,その我欲を祓い除いたとき,神の姿を見ることができるのです。つまり神は外に求めるものではなくて,心の中の我欲をなくしたとき,はじめて神の世界が現われてくるのです。
私は子供のときから,いつも何かに導かれているという感じがして「これは神さまや祖先に導かれているのか,あるいは自分の心の錯覚なのか」と大いに迷い,中学時代から神社,仏閣をはじめ,いろいろな宗教から「神さまとは何か」ということを勉強してきました。それが大学医学部在学中に肺結核となり,悪化してついに死が目の前に近づいたとき,なぜか私からすべての我欲が消え,目の前に神の世界を見せられて,ただありがたさに涙が止まらず,気がついたら病気が消えていた,という体験をしました。
その時の感動が忘れず,もう一度神の世界を見たいと思いましたが,恥ずかしながらまだまだ我欲があるために,現在まで二度と神の世界を見ることができていません。しかしながら,人生を振り返ってみると,いろいろと奇跡と思われるようなことや,厳しい状態もあり,それらを含めて神の導きと知らされ,それに順応して耐え抜く人生を歩まされてきました。そして,この年になってふと,私は進化させられ,神の世界に近づかされていることに気がつきました。
とくに春日大社の宮司に就任してからは,自分でも不思議なくらい我欲がなくなり,常に神の導きを感じるようになり,そのとおりに生活させていただいています。神を見るには理屈はいりません。日本人の祖先が伝えてきたように,すべては神の恵みと祖先の恩の導きですから,それに従って全力をあげて努力し,決して我欲を出さないことです。これは非常に厳しい人生ですが,神さまは厳しさの極限を耐えぬいたときに現われてこられます。
今までいろいろなことを述べてきましたが,すべては1人でも多くの方々に,神の真実の世界を伝えたいと考えたからです。私の申し上げたことが少しでも,皆さまの何かのお役に立てれば,幸いに思います。
以上が,葉室先生の「神道と日本人」と云う御本のおわりに書かれている内容の全文であります。冒頭でも少し書かせて頂きましたが,本を読まない私でも葉室先生の本は読みやすく,特別な宗教用語は使用していません。今でも人気のある本ですので,是非,読んでみて下さい。私がはじめて葉室先生の本を読んだとき,自分の考えていることと葉室先生の本の中に書かれている内容が一致する箇所が多く驚きと嬉しさを感じた覚えがあります。我々の祖先がいかに子孫を守ろうと命懸けて生きていてくれたことや日本語の意味や様々なことを勉強できる一冊であると思っています。今日は,おすすめの一冊からでした。拝
こんにちは。
科学や宗教,農業や医学,さらに,経済も元々は信仰の対象であったと云うことは,今までもブログで書かせて頂いてきました。たとえ私たちがそのことを忘れていても遺伝子「DNA」にはちゃんと記録(インプット)されています。
気の遠くなる祖先が経験し,体験した膨大な記録は,私たちがフッとした瞬間に蘇る機能を有しているのかのようです。上手く表現できませんが,たとえば,何故か理由は判らずとも肚に落ちるといった感覚を経験されたことがあろうと思います。途方もない歴史の中で,無数の先祖が体験してきた記録がその瞬間に瞬時に私たち子孫へ伝達されていると考えると何だか不思議な感じもします。その途方もない記録「遺伝子・DNA」の根本は,やはり「和」が基盤になっています。和に反すると,和に戻す力が働きます。
私たちが過去に生きていてくれた無数の先祖のお蔭で,私たちは様々なことを体験でき,危難に遭遇した場合にも瞬時に危難を回避する行動に移せるのだと感じています。しかし,ただ一点だけ機能不全に陥ってしまっている記録「遺伝子・DNA」もあるようです。それは,大自然「神さま」自然「精霊」と距離を取り過ぎてしまったことです。たとえば,神社や寺院で手を合わせる人は普通に居りますが,太陽や山や海,畑や田んぼに手を合わせる人はほとんど見ません。逆に,現代では奇妙に見えるかも知れません。
神社や寺院にゴミを捨てる人はあまり居ませんが,山や川,海にゴミを投棄する人が後を絶ちません。それは何故なのかであります。本来,私たちは大自然や自然と一対一の関係なのであります。つまり,自然と自分との間には何も遮る存在がいないはずなのであります。今一度,私たちは大自然や自然と合致・合一することが大切な気がしてなりません。古神道では,これを神と人が合一すると言って「神人合一」「惟神:カムナガラ」と言われて来ました。現代の宗教家でこう言った話が出来ないのは真に残念です。
神社で神主さんにお金を払って祈祷してもらった。祝詞を奏上してもらった。
お寺で住職さんにお金を払って御経を読んでもらった。供養してもらった。
だから良いことがある。先祖が成仏する。願い事が叶う・・・などなど。
これは全く違います。大切なことは直接,何も介在させずに繋がると云うことです。
つまり,自分自身が自然を崇拝し,祖霊を供養すると云う祭祀者になることなのです。
お金は,あくまでもこの世の3次元で有効的に機能する物であります。拝
こんにちは。
今日も生意気にも私,花咲あさひは宗教家に物申します。
最近,たくさんの人が日本古来の古神道に触れて頂けることは素直に嬉しく思っています。古神道を理解してしまえば,今だけ・カネだけ・自分だけの宗教家やスピ何者や霊能者云々の詐欺紛いの事件も少しは減って来ると思いますし,苦しむ人々も減るからです。その前に,そう言った人たちを頼ろうとも思わなくなります。又,人としての和を重んじて行くようになるからでもあります。
そして,最後には自分の心の中の心神と云う存在に気が付きます。
ただ,なかなか腰を上げようとしない人たちもいらっしゃいます。それが,神社の宮司さんをはじめ,神職さんやお寺の住職さんたちであります。もう冷めてしまっているのか,それとも神職や住職を1つの職業として割り切っているのか,安住の地から離れられないのかは存じませんが,所謂,御座敷にあがる立場の白足袋衆がなかなか動こうとしません。神社や寺院の護持は黒足袋衆に任せておいて,自分たち白足袋衆は今すぐにでも困っている人たちや社会的に弱い立場に立たされている人々の元へ急ぎ馳せ参じ候なのに,じっと胡坐をかいたままです。ただ難しいことはなく,目の前にいる参拝者や檀家さんへ何気なく声を掛ければ良いだけです。
胡坐をかいたままで,うちの神社には参拝者が来ないとか,うちのお寺は檀家が増えないとかはただの言い訳です。
胡坐をかいたままでは参拝者も増えません。檀家も増えません。企業であればとっくに倒産しています。
今の世の中は,大変便利なインターネットなどもありますしSNSなどを使ってどんどん積極的に発信して行けば良いと思います。たとえば,ブログなどで記事を掲載して読んでもらったりするのもとても有効な手段だと思いますし,本を出版されても良いと思います。ある程度,大きな神社ならばマスコミや出版会社の人との繋がりもありますからとにかくじっと受け身ではなく能動的に活動されて見ては如何でしょうか?やはり,日本人は神社や寺院が理由もなく好きなのです。どこか心が落ち着くと申しますか安心できると申しますか理屈ではなく純粋に好きなのであります。ですから,神社が主催するイベントに多くの方が来社されるのです。
日本人が神社や寺院が好きな理由は,わたしは遺伝子「DNA」の関係がとても強く作用していると考えているのですが,いずれにしても神社や寺院が今すべきことは,日本人としての和の心を再び伝えていくことだと考えます。その伝承者たる人が本来は,神社の宮司さんをはじめ神職さんやお寺の住職さんの役割であるのであります。その役割を忘れた結果が今の神社界・仏教界の姿のように私は感じています。つまり,一般の人々に信仰心がなくなったのではなく,神社の神職さんやお寺の住職さんたちに信仰心がなくなったのです。その結果,スピ何者や新手な霊能者云々が跋扈するようになって行ったのです。これは宗教家の責任であります。
何かと云えば御利益御利益と言って来たと思いますが,もう若い人たちにはそんな話は通用しません。
若い人たちは,本当のことが知りたいのです。御利益とかそう言ったことでは無いのです。
たとえば,わたしもいろいろな人から「あさひちゃん。なにかおススメの本はない?」とよく聞かれることがことがあります。そんな際に,私が必ずお勧めする本は,このブログでも何度も書かせて戴いて来た春日大社の元宮司さんでいらした葉室頼昭先生の著書です。今でも葉室先生の本は人気があり,古本市場でも入手が困難な状態です。宗教や信仰は嫌いと言う人でも葉室先生の書いた本は人気があります。いまだに葉室先生の言霊は本の中で生き続けています。特に現代の会社経営者は必読書だと思っています。
それは何故でしょうか?難しい宗教用語や意味不明な言葉や理解できないような話がほとんど無いからだと私は思っています。又,以前,葉室先生の本を紹介したあるお寺の住職さんは,葉室先生の本を読み態々,関東地方から奈良の春日大社まで参拝に行かれた程です。その後,なんとそのお寺の住職さんは,檀家さんをはじめ親類縁者に至るまで困っている人の役に立とうと決心し,活動を開始されています。まさに,山を下りた観世音菩薩の後を追った宗教家の御一人です。檀家数の少ない田舎にある小さなお寺ですが,住職さんの心意気は大寺院にも負けないほどです。それだけ,真の宗教家の伝える言葉と云うものは大切なのであります。大袈裟と思われるかも知れませんが,人の人生に大きな影響を与えるほどなのです。そのことをもっと自覚して頂きたいと思います。
この期に及んでなぜ,宗教家は胡坐をかき続けるのか。
天はすべてを観ています。祈
以下の記事は,再掲載です。
こんにちは。
すっかり,暖かくなって過ごし易くもなって来ました。先日,春の祖霊感謝祭(お彼岸)も無事に終了することが出来ました。
しかし,まだまだ日毎,寒暖の差が激しいので,皆さま御身体ご自愛下さい。
今日は,私が神社や寺院の護持に携わるようになって不思議に感じていましたことを書きたいと思います。
その内容とは,これまで,神社や寺院を通じて多くの方々と出会うことがありました。
人と人との出会いを「一期一会」と表現したり,「袖振り合うも多生の縁」などと申し上げることもあります。当然,私の職上柄,奉仕させて頂いている神社や寺院を通して知り合うわけですから,神仏に対する崇敬の念をそなえた方々でもあります。そう云った方々の中でも特に,会社を経営されている経営者や個人で商店を営んでおられる個人事業主さんに共通していることが御座います。
それが,会社の事務所や社屋,そしてご自宅おいても神さまや仏さまを丁寧にお祀りされていることであります。理屈では到底説明のつくことでもありませんが,私は,いつもそこに不思議さと申しますか,何か特別なものを感じていました。なぜ,会社や商店では神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りするのか?その理由は,ただ単に商売繁盛や千客万来と云った所謂,祈願信仰や自分だけの願望を叶えて貰うことへの現われだけではないと感じることが度々あります。
その理由を理論的に説明しろと言われても説明のしようがありません。
それは,神さまをお祀りすることに論理や理屈は必要ないと私自身が考えているからでもあります。その証拠に,現実的に多くの企業や個人商店,一般のご家庭においても神さまや仏さまを丁寧にお祀りしています。それどころか,行政官庁でも神さまをお祀りしているのです。神仏をお祀りすることに理屈は必要ないと考えますが,皆さま方は如何でしょうか?
それでは,神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りする意味とはなんでしょう?
私なりの解釈ですが,会社の経営者や個人事業主さんであれば,お客さまとの出会い,取引先とのご縁,そして共に働く仲間たちへの感謝の気持ちが根底にあるからではないでしょうか。すべてに感謝すると云うことは,企業や個人商店の経営にも通ずることだと考えます。それと,きっと,私たちの日本人の独特な宗教観と申しますか,日本人特有の信仰心なのかも知れません。
我々の遠い祖先から脈々と受け継がれて来たDNA(遺伝子)による働きでもあるようです。私たちの先祖が大切に受け継いで来た神さまへの神恩感謝への想い(精神)は,私たちから次の世代へと継承して行き,未来永劫絶えることのないよう願うばかりです。
拝
こんにちは。
ご自宅の神棚で神宮大麻や氏神さま,ご自身が崇敬されている神さまをお祀りしている方も結構,いらっしゃることだろうと思います。つまり,マイ神社であります。すべては,自分の想念の顕れと云う考えに基づいて言えば,自宅で神棚にお祀りしている神さまは心柱神社の顕れであるとも言えます。自分の心の中の心柱神社が具現化したものが,神棚でお祀りしているお宮であるのです。特別,神棚が大きいから良いとか小さいから悪いとかそういったことが問題ではなくて,自分自身の意識が神さまへ向くと云うことはとても良いことだと思います。ところで,神棚の御宮は伊勢神宮の外宮・内宮でも授与させて頂けることをご存知でしょうか?
伊勢神宮の外宮・内宮の社務所で申し込めば後日,郵送で送って頂ける仕組みになっております。御宮の種類もたくさんあって,中には茅葺屋根の御宮も御座います。実際の現物が社務所に展示してあります。私も伊勢神宮の外宮で授与させて頂きました。伊勢神宮の神棚「御宮」は,伊勢神宮が管轄する工作場で製作されている御宮です。御宮に使われている檜(ひのき)も式年遷宮の御用材の残材であったり,旧御社殿を撤下したさいの御用材であることがあります。綺麗にカンナがけをしているので古さ「時代」を感じることはありません。値段も1000円くらいの御宮から数万円と値段の幅はありますが気持ち「想念」ですからあまり気になされない方が良いと思います。そういったことよりも自分自身の意思で自宅で神さまをお祀りさせて戴きたいと云うことが大切です。
それと,せっかく神さまを自宅でお祀りしていても単に飾っているような神棚もよく見かけます。会社などでも神棚で神さまをお祀りしていることがありますが,ホコリまみれで御水の交換や榊が枯れっぱなしで放置している会社や人もいます。これは絶対にしてはならない最悪な状態です。もし,神棚の護持「お手入れ」が出来ないのであれば,神札を近くの神社へお返して,神棚も撤去された方が未だ良いと言えます。会社や自宅の神棚で神さまをお祀りすると云う行為は,日々の護持「御水の交換など」にあるのです。
そして,その実践的な行動と行為に神さまの神気が寄るのであります。祭祀の本質と言っても過言ではないと思います。祝詞を奉げる事だけが祈りではなく,御水の交換や掃除は欠かすことの出来ない超重要な神事であります。したがいまして,ホコリまみれの神棚に寄る存在も同じような存在しか寄ることが出来ません。祖霊をお祀りしている仏壇などでも同じです。埃や塵が発している波動「電気」が良いものを寄せ付けないのです。何日か前の想念がすべてを具現化すると云う記事を想い出して戴ければと思います。
簡単に言ってしまうと,類は類を呼ぶと云う法則が働き出してしまいます。普段の何気ない行為や行動が実は,自分自身の心の模様「想念」を映し出していると云うのが真実であることがあります。会社や自宅にて神棚で御宮を設けて神さまをお祀りすると云うことも心柱神社が具現化された1つの顕れだと考えることが出来るのではないでしょうか。したがいまして,神棚を掃除することも水玉や榊の水を交換することも自分の心の中の心柱神社を綺麗に掃除していると同じことなのであります。とにかく掃除が第一です。
はじめをはじめとし もとをもととする。by 倭姫命
こんにちは。
最近のニュースを見ても,新聞を読んでも暗くなるようなものばかりが報道され続けています。政治の世界でもそうですし,宗教界でも同じであります。ほとんどが性非行か金銭的な事柄です。なんだか暗くなるようなニュース以外は報道しないようにしているのか?と思えて来てしまうような社会になってしまいました。これは,私たち個人に与える影響は良くないものであり,まして子供たちのことを考えると複雑な気持ちになって来てしまいます。そうかといって,事実を報道しないと云う報道姿勢ではいけません。
本来,私たちの国の政治も経済も祭であるのです。その祭りの意味を取り違えしてしまっている期間が少し長すぎてしまって,いつの間にか政治の祭,経済の祭を忘れてしまったようです。祭を忘れてはなりません。日本と云う国家は祭を主体とした和の國であります。食事をすることは直会(なおらい)と云う生命を維持する祭事です。お風呂に入るということは禊と云う祭事です。身を浄める・清めるとも云われています。掃除でも同じように埃や塵を払う祓事と云う祭事なのです。こんなにたくさん国民の日常生活に祭事が存在する国家は,世界中の国々をどんなに探しても日本「和の國」以外に存在することはありません。日本人は祭人です。
故に,特に西洋人には不思議な民族として見られているようです。日本人と聞くと礼儀正しく,清潔で,真面目と云う代名詞のように感じられていますが,それもそのはず。これだけ祭事が国民一人ひとりの生活の中に浸透しているのです。日本人からすると何も特別な意識すら以ていないのであります。つまり,当たり前と云う前提がそこにはあります。しかしながら,その前提がいま大きく崩れかけて来てしまっています。これは日本と云う国家と日本人と云う国民にとっての存亡にかかわることではないでしょうか。
たとえば,生命を維持するために私たちは,食事「直会:なおらい」と云う祭事をします。その食事が出来までの過程を見てみると五穀豊穣を祈る五穀豊穣祭と云う祭事からはじまり,天と地のエネルギーを十分に吸収した作物を収穫します。無事に収穫できたことを天と地の神さまに感謝申し上げます。そうして私たちは自分の身体に吸収できる訳です。食事「直会」を通じて感謝の気持ちを育むことを小さな子供のころから私たち日本人は教育されて来たのであります。それを自分の身体で表現したカタチが食事をする際の「いただきます」と云う祈りの姿です。この祈りの姿とは何を意味するものなのか?ここにも祭の重要な意味があるのです。
それは,動植物供養祭と云う祀り事です。
何気ない食事と云うことでも五穀豊穣祭からはじまり,天と地のエネルギーを吸収して育つ生育祭,そして,無事に収穫出来たことへの収穫感謝祭,さらに,私たちが食事できることへの感謝祭と生命を戴くことへの動植物供養祭と単なる食事だけでもこれだけの祭事があるのであります。しかし,こう云った祭事が日本からどんどん減って行ってしまっています。食事をするときの「いただきます」と云う言葉には動植物への供養の意味が籠められているのですが,それすら出来ない人がおります。考えて見て下さい。動物が人間の為に処分されたときの苦しみ・悲しみ。そして人間への復讐心が蓄積された念を自分自身の身体の中に入れているのです。
いただきますを単なる儀式と考えない方が身の為です。
肉食を好む人は,怒りっぽくて短気になります。たかが食事と侮るなかれ。
食事の祭事でけではありませんが,冒頭でも書かせて戴いたお風呂にしても同じであります。お風呂は禊ぎするだけではなく,自分の身と心を癒やしてくれる大切な癒し所でもあります。水への感謝の場所でもあります。最近は,湯船にはつからずシャワーだけで済ませる日本人が多いようですが,湯船につかると云うことも大切な祭事であるのです。よく落武者が戦場で負傷した刀傷を治癒するために温泉を探していたり,発見したと云う話を聞かれたことはないでしょうか?温泉は,身体の内部の病気だけに効果がある訳ではなく,外傷にも効果があることを昔の人々は知っていたのであります。現代医学でも温泉療法は有効であるとされています。
私たちの日常生活からさまざまな祭事が減って行き,消えて行ってしまうと日本はどうなるのでしょうか?このままでは,日本人が西洋人化してしまう日が本当に来ると私は感じています。企業社会では,ほぼ西洋化してしまいました。ちょっと前に,社内用語をすべて英語にすると云うことで話題になっておりました。もしかすると,戦後の占領統治政策は終わっていないのかも知れません。私たちが暮らすこの日本から祭事を無くしては決していけません。私たちが祭事を失ってしまえば,日本人は日本に住みながらにして日本人ではなくなってしまうのです。既に,西洋人化している面も多々ありますが,しかしまだ間に合うようにも思います。
日本弥栄!あなたも弥栄!
祭人 Asahi Hanasaki 拝
こんちには。
昨日は,日蓮宗の寺院に久しぶりに伺い,製作した無縁霊さん用の祭祀壇の点検を行いました。想像していたよりも多い無縁霊さんや一時的にお預かりしている御霊さまであったので少し驚きました。久しぶりに住職さんと寺族の方ともお会いしたくさんお話をさせていただいて帰って来ました。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。やはり祖霊祭祀は清々しい気持ちにさせてくれます。日々の神祀りも然り,祖霊祭祀も誰を介在しない祭事は良いものであります。直接繋がるこれは先祖供養でも同じです。
現代では,お寺に先祖の供養はお願いしているからと考えている方も多くいらっしゃいますが,これは明らかに現代風の考え方と申しますか,日本古来の祖霊祭祀と云う世界に誇れる伝統とは違います。日本人が太古の昔より脈々と続けて来た先祖供養とは,生きている子孫が直接,自分の先祖と繋がると云うことを大切にして来たのであります。そもそも,祖霊祭祀と云うものはお寺つまり,仏教にはありませんでした。何度かブログで書かせて頂いて来ましたが,祖霊祭祀「先祖供養」は,既に縄文時代には祭事として先祖供養がされていたのです。又,現代の私たちが行う例えば〇回忌と云う追善供養も縄文時代には実に丁寧な追善供養が斎行されています。縄文時代には,現在のような神社神道は存在しませんし,又,国家神道も存在していませんから古神道の役割でした。
それと,私の自論ではありますが,先祖供養は,私たちの遺伝子に影響を多大に与えていると感じています。私たちの遺伝子「DNA」には祖先が体験した膨大な記録が保存されています。その遺伝子「DNA」は,私たちが日々暮らしている生活や仕事,勉強に恋愛に結婚,そして病気に至るまでも影響していると感じているのです。わたし程度が理論的に説明することは不可能ですが真実だと根拠なく確信しています。直感です。私たちが自ら執り行う祖霊祭祀「先祖供養」には神秘に満ちた祭事です。そのことをよく知っていた縄文人は実に丁寧に祖霊祭祀を斎行していたのではないでしょうか。そこからさまざまな日本固有の思想が生まれ,現代の私たちも無意識の内に引き継いでおります。引き継いでいると云うよりも,これが遺伝子「DNA」の働きだと考えています。
つまり,祖霊祭祀は遺伝子「DNA」のお掃除だと言える面もあるのです。
このあたりの分野を研究されている御方が筑波大学の村上和雄教授です。
今ではすっかり,先祖の供養は,お寺でするものと言った固定観念が一般的になってしまっています。又,先祖供養は長男がするべきものだと云う間違った考え方が罷り通っています。普通に考えて見ても,長男次男と云う生まれた順番と先祖供養を結びつけること自体が滑稽な話でしかありません。遺伝子は長男にも次男にも存在しているからです。長男の遺伝子は長男遺伝子で次男の遺伝子は次男遺伝子なんてことはありません。長男も次男も共に同じ先祖を持つのです。子供でも解かることであります。
明治時代の家督制度や家制度が発祥なのか,私も勉強不足でハッキリとしたことは分かりませんが,いつ・だれが・何の目的で長男が先祖の供養をするものだと云うことにしたのか今後も研究して行きたいと思います。もしかすると祭祀継承者「墓守」から来ているのかも知れません。長男は本家を継ぎ,他の兄弟は分家となるから本家を継ぐ長男が先祖代々のお墓を御守りするのだと云うことから来ているかもです。自分で書いていて何だか研究するのが楽しくなって参りました。陰謀説かも知れません・・・(笑)。
しかしながら,先ほども書かせて頂いたとおり,いくらお寺で先祖の供養をしてもそれは間接供養で直接,自分の先祖と繋がっている訳ではありません。本来であれば,ちゃんとお寺の僧侶もそう言ったことを檀信徒さんへ教えて差し上げるべき大切なことなのですが話す僧侶はほとんど居りません。本当に残念なことであります。おそらく疑問にも感じていないかも知れません。現在の仏教は葬儀仏教となってしまいましたから,自宅でもちゃんと先祖の御霊を供養しないとダメだよと言えないのだと思います。
したがって,その結果,逆に神社や寺院は,資金などの運営面や氏子・檀信徒の離檀や先祖供養の稀薄さからお墓を閉じるひとが急増し減少の一途を辿っています。しかも,これからがとても厳しい時代を迎えることになって行きます。そのことで法律上,破産の申立てを余儀なくされる宗教法人も多く出てくるはずです。宗教界も社会構造の中に存在していますので避けては通れない道のようです。そんな厳しい時代の中でこそ,宗教家は道や法を説いて歩くべきと考えますが,宗教家自身に危機感がないのです。
神社界は,春日大社のように祖霊祭祀祭「先祖供養」を復活させるべきであります。拝
こんにちは。昨日,一昨日と続けて書かせて頂いてきた「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 」ですが,本日その3で終わりにしたいと思います。一昨日は「予科練」について,昨日は「特攻隊」について書かせて頂き,今日の最終日では,日本本土上陸で激戦地となった沖縄「ひめゆり学徒隊」を書かせて頂きます。若い世代の人たちには「ひめゆり」や「ひめゆり学徒隊」と言っても聞いたこともない人も多いのではないではないかと思います。私も自分で勉強するまで知りませんでした。ちょうど今の高校生と同じ頃の若い女子学生をひめゆり学徒と呼んでいます。なぜ,そんな若い乙女までも戦争の被害にならなければならないのか?そして,学徒隊なんて言う軍隊みたいなものに入隊しないとならないのか?戦争は男の軍人さんたちが戦うものではないのか?そのような素朴な疑問が勉強をする上でも生命の尊さを知る上でも大切な事ではないかと私はそのように考えています。
さて,それでは先ず,ひめゆり学徒とは具体的にどのような人たちで,何を任務としていたのでしょうか。昭和20年3月23日,いよいよアメリカ軍が日本の沖縄県に上陸を開始しました。よく本土上陸などと言われていたりしますね。当時の沖縄県から21の中等学校の生徒たちが動員されました。これを学徒と云います。その内,女子学徒は15歳から19歳です。主に陸軍の病院等で負傷した兵隊さんたちの看護が任務でありました。一方,男子学徒は14歳から19歳で上級生になると「鉄血勤皇隊」へ入隊を命じられ,下級生は「逓信隊」に編成されて行きました。現在の沖縄県那覇市安里にあった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から,生徒222名と教職員18名が沖縄陸軍病院へ動員されて看護任務を遂行することになったのです。
これを戦後になって,ひめゆり学徒隊と呼ぶようになりました。元々は,沖縄師範学校女子部を「乙姫」と呼び。沖縄県立第一高等女学校を「白百合」と呼称していて,併設された両校を漢字で「姫百合」と呼ばれていたのです。したがいまして,ひらがねで「ひめゆり」と呼ぶようになったのが戦後と云うことになります。
沖縄師範学校女子部は主に教員を養成することを目的とした学校で,沖縄県立第一高等女学校は「知性あふれる教養豊かな女性を育成」するために設立された学校でした。沖縄県で唯一,プールがあった学校でも有名で,勉強熱心で,沖縄県内から難関を突破し集まった生徒たちは恵まれた環境下で学校生活を送っておりました。しかしながら,激しい沖縄戦でアメリカ軍の猛攻撃を受け続け全てが焼失し廃校となってしまったのです。最終的に,実に136名の尊い生命が戦場で亡くなることになってしまいました。
太平洋戦争末期,日本の大本営(最高統帥機関)は,次々と特攻をありとあらゆる部隊に命じて行きます「神風」「桜花」「回天」「舟艇」「兵士」そして,あの巨大戦艦「大和」ですら特攻を命ぜられます。それほど,日本軍は連合国軍に追い詰められている状況で,沖縄県でも多くの民間人が犠牲となり,地上戦を繰り広げて行くことになりました。日本軍は,本土決戦の準備期間を何とか稼ごうとアメリカ軍を沖縄に張り付けさせ持久戦をとり,地下壕にもぐって対抗しました。しかし,アメリカ軍の容赦ない艦砲射撃,砲爆撃は3ヶ月続き,実に軍民合わせて20万人以上の尊い生命を奪い去りました。沖縄の男子,女子合わせた全学徒のうち,2000名余りが沖縄戦の激戦地で亡くなったのです。ここでもまた若い命が奪われることになってしまいました。
そうしていよいよ撤退と姫百合学徒の解散命令です。これを南部撤退と呼んでいます。
既に窮地に追い込まれていた沖縄で,アメリカ軍は日本軍司令部のある首里に迫っておりました。日本軍は,何とかアメリカ軍の本土上陸に徹底交戦するため持久作戦を決断します。沖縄本島南部へ撤退を開始したのであります。当然,ひめゆり学徒隊が任務を遂行している陸軍病院にも撤退命令が発令され,ひめゆり学徒たちは歩ける患者たちを連れて,傷ついた友人を担架で運び,薬品や書類を背負い砲弾が飛び交う中を本島南部に急ぐことになりました。しかし,連日の爆撃と降り続く雨で道路は泥沼化して行き,本島南部への道は撤退する住民や兵士であふれ,無数の死体が転がり,手足のない重傷者たちが泥の中を這いずり回っている惨状であります。各病院では,自力歩行できない重傷患者には毒物を与え,2人の学友は動くことすら出来ず,南風原に残さざるをえませんでした。その時の学徒さんたちの気持ちとはどんな思いだったでしょうか。これこそまさに地獄絵図そのものです。
6月18日の夜半に,陸軍病院において「ひめゆり学徒」に解散命令が出せれました。しかし,ここからが語り継がれる「ひめゆり学徒」そのものでした。アメリカ軍が自分たちの目の前まで迫って来ており,砲弾が飛び交う中,学徒たちは自分たちで地下壕などから脱出し,自分たちの考えで行動しなくてはなりません。つまり,指揮官が戦場でいないことになります。情報もなにもありません。そして6月下旬,激戦地では,沖縄守備が壊滅し,牛島司令官は生き残った全兵士に対して降伏することは許さず,最後の最後まで戦うことを命じて自らも自決することになります。牛島司令官は,とても教育熱心な御方であったようです。
牛島司令官の自決後も兵士たちはアメリカ軍の凄まじい攻撃から逃れることも出来ず,ここでもまた多くの地元住民と兵士が亡くなりました。3月の学徒動員から解散命令が発令されるまでの90日間,ひめゆり学徒の犠牲者は19名であるのに対し,解散命令後のわずか数日間で100名あまりが亡くなることになったのです。指揮官を失い,自分たちの周囲はすべてアメリカ軍の兵士たちです。そして,行き場の無くなった学徒たちは父親と母親の名前を叫び続けて自ら命を絶つ学徒が続出し,学徒たちはアメリカ軍に捕まることを最も恐れ,手りゅう弾で自決した学徒さんもおりました。
戦争は,軍人だけが戦う訳ではありません。それを沖縄戦が後世の私たちに教えてくれています。このひめゆり学徒隊の悲劇から私たちは何を学ぶことが出来るのか,そしてその想いを後世の人へ伝え残す役割があるのだと考えています。
そして,本日,正午より天皇陛下,皇后陛下の見守る中,日本武道館にて全国戦没者追悼式が斎行されました。
激しい沖縄の激戦地で犠牲になられてしまった御霊に心より供養させて頂きたいと思います。
大 々 合 掌