花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

三菱財閥創始者が愛した禅寺 大本山永平寺

2016年06月30日 05時23分44秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

お寺続きで恐縮です。今日は,福井県にある禅の里である永平寺を記事にしたいと思います。

突然ですが,三菱財閥の創始者は御存知のとおり岩崎弥太郎さんです。その岩崎弥太郎さんが愛した禅寺があるのを御存知でしょうか?それが,福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗大本山永平寺と云う禅寺です。永平寺のことはテレビで見たり,話を聞いたり知っていると云う方は多いと思いますが,岩崎弥太郎さんと永平寺の関係を知っている方は,とても少ないです。                                                                       

実際に,私の知り合いの曹洞宗のご住職さんでも知りませんでした。少し,永平寺さんのご紹介をしますと永平寺は曹洞宗の大本山で,神奈川県の総持寺さんと並んで曹洞宗の2大「大本山」として若き雲水さんたちの禅の修行の根本道場となっております。                                                                 受付で寺施設の拝観を申し込みますと,伝承部と云う部署から若い雲水さんが参拝者の下へやって来ます。その雲水さんの役割は,参拝者をご案内し,それぞれの伽藍施設の説明をする役割を担っております。慣れていない雲水さんは口ごもったり,噛んだり,言葉が出てこなかったりと直ぐにわかります。                            

ここにも禅僧として大切な修行のひとつが秘められているようです。見ず知らずの人へ伝える御役を担うのです。                        つまり,自分がきちんと理解していなければ,正しく相手に伝えることができない。それには,自分みずからが積極的に相手に分かって貰う為にはどうすれば良いかを学ぶ修行のひとつではないかと考えます。話をすることで,自分自身もさらに理解が深まる。企業の研修なんかでも取り入れていますね。商品の説明や会社の説明などでも。

ちなみに,余談ですが禅の精神を会社の社是や創業者スピリットにされている著名な経営者も多いです。                      松下幸之助さんもその内の一人でありました。アップルコンピューターの創業者もそうですね。ビルゲイツさんも。

そして本題ですが,岩崎弥太郎さんが愛した永平寺との関係はただの宗教上の理由だけではないのです。                  これは秘事なので書けません。それも三菱財閥の根幹に関わる重大なことと同時に三菱を世界的な企業にするために大きな野望がこの永平寺にあります。そして,今でも存在します。ひとつのヒントとなる事柄ですと東京都港区「芝公園」と関係します。                                                                           三菱財閥の岩崎弥太郎さんがなぜ,わざわざ福井県の永平寺をそこまで愛したか?永平寺の伽藍施設は七堂伽藍と云ってそれぞれ重要な無くてはならない伽藍ですが,その七堂伽藍の中心にある仏殿と云う伽藍に岩崎弥太郎さんの御霊をお祀りしております。                                                                        その理由は,この仏殿を再建する際に,岩崎弥太郎さんがお一人で私財を投じ再建されたようです。つまり,お寺の本堂を一人の檀家さんだけで建てるような感じです。そこまでして,岩崎弥太郎さんが愛して止まなかった永平寺は素晴らしい禅の根本道場です。

そして,縄文信仰(原始信仰)の私としては,他にも触れて置きたい場所が,この永平寺さんにはあります。                          それは,白山から流れ出る御神水をお祀りしていると云うことです。御存知のとおり,白山は日本の三大霊山(霊峰)として,太古の昔から信仰の山として崇敬されてきた霊山ですが,白山はとても水がきれいなことで全国的にも有名です。永平寺でも白山から流れ出る水を御神水としてお祀りされている様子に,永平寺は神仏習合以前の形を今に伝えている寺院だあると確信致しました。

曹洞宗 大本山永平寺(禅の里まちづくり実行委員会HP)

http://zen-eiheiji.jp/eiheiji/

実は,私の名前も曹洞宗大本山の別の管長(禅師)さまに付けて頂いたようです。                                    もうすでに天界へ帰られてしまいましたが,つまり名付け親です。その禅師さまは,とても霊的能力を備えていたらしく生まれて来る私が男であるか女であるか判っていて,名前を付けられたとのこでした。そして,私の親に,この子は○○界から来る魂だからと1体の仏像を守り本尊として授けたようです。それが,永平寺さんの御本尊と同じ聖観世音菩薩です。私はこの聖観世音菩薩様と縁が深いのかなんなのか知りませんが,好きな神社仏閣などで出会うことが度々あります。                              今現在は,私の部屋でお祀りさせて頂いております。観音様,いつもハラハラドキドキさせてごめんなさい。


 

2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


観音信仰の根本道場からの祈り 長谷寺

2016年06月29日 04時46分11秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

奈良に行くと必ず寄る寺院があります。そのひとつが,真言宗豊山派 総本山長谷寺と云う寺院です。                       御存知の方も多いと思いますが,こちらの長谷寺さんは,奈良県桜井市の初瀬山の中腹に十一面観世音菩薩を御本尊としてお祀りしております。なんとその高さは10メートルを超える巨大な観音様で,観音信仰の根本道場でも名高い寺院です。先日の記事に登場した室生寺と同様,太古の昔には太陽信仰の祈りの場でもある聖地です。「参考までに:女人高野 室生寺と十一面観世音菩薩」本堂の表舞台の修復工事も無事に終わり,現在は,仁王門が保存工事中であります。

又,現在は,熊本・大分地方の大地震災害で亡くなられた御霊への鎮魂の祈りとして,被災された被災者の皆様へ一日も早い復興を祈念して「復興の鐘」を399段の登廊を上がったところで,参拝者の方々にも鐘を打てるように開放しておりました。普段は長谷寺さんの僧侶しか鳴らすことができない鐘です。すでに長谷寺さんへ参拝計画を立てている方は是非,被災地熊本・大分地方へ祈りを込めて打ち鳴らして見て下さい。

この長谷寺さんの見どころは,高さ10メートルを超える御本尊の十一面観世音菩薩もそうですが,他にもたくさんあります。                                                                              五重塔や本長谷寺,さらに,あまり人目のつかない場所に御鎮座されております白山神社もひとつではないかと思います。私個人的には,本長谷寺さんと何となく縁を感じます。とても小さな御堂のような建物ですが,ここが長谷寺さんの本だと思います。由緒書きには「長谷寺草創の御堂であることから本長谷寺と称す」とあります。

私は,この長谷寺さんへ参拝させて頂くと稀に,御先祖様の御供養を祭祀されている方をお見受けします。                         その日の長谷寺さんの時間帯や日程などで違うとは思うのですが,数名の僧侶の方が鈴を鳴らし,太鼓を叩き,読経をされます。                                                                     私は二度ほど見学させて頂きましたが,観音経を読経すると必ず本堂の中で強風が吹きます。下の門前から駆け上る風は,とても神秘的なものです。祭主の想いを御先祖様が感じ取り,そして,その優しさを観音様が歓迎されているかのようです。

なんだか今日は,長谷寺の広報担当者のようになってしまいましたが,とても素晴らしい寺院様です。                  是非一度,近隣へお越しの際には,参詣して十一面観世音菩薩へ感謝の祈りを捧げて見て下さい。欲得祈願は通用しない仏様です。上の写真で見ると,399段の登廊がきつそうですが,ここの登廊は上がり易く御年配の方々も多く参拝されております。長い登廊を上がり,やっと到着した本堂で十一面観世音菩薩との対面をする姿を毎回,興味深く観ておりますが,ほとんど例外なく参拝者は「うゎ!」と思わず声を出して,しばらく口が開いたままの状態になられます。

私はいつもその光景を見て童子に戻られている姿とは,きっとこのような姿なのだと思っております。                       何も持たず,無防備にじっと観音様と1対1で見つめ合って,向き合って無言の中で感じる空間がそこにあります。                                       神様から観たらすべての人が,例外なく,みな平等であるということは,この長谷寺さんでも十分感じ取れると思います。

みなみな神の子。可愛い子。心配せんで勇んで参れよ。賢い。賢い。良い子じゃ。良い子。

観音信仰 根本道場 総本山長谷寺 http://www.hasedera.or.jp/

上の写真は,総本山長谷寺さんにて撮影させて頂きました。本堂に続く399段の石階段(登廊)です。


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! 。。。あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします! 

                       

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                      感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                                         仕送りの御役 花咲 あさひ 合掌                               ブログ開設17日目 記事数第25記 日々の祈 編


反省することの大切さ 省みることの難しさ。 

2016年06月28日 05時04分04秒 | 反省の心柱

私たち人は,日々,自分を軸に,そして自分を中心に生活しています。その日常の生活の中で,いろいろな出来事が小さいことから大きなことまで沢山の出来事が毎日あります。その起きた小さいことや大きなことの出来事に自分で評価を付けて生きています。                                                                 無意識の内にです。ここに大きな落とし穴があります。目には見えない落とし穴です。

自分の過去の行いを省みることで,本当の自分自身が判り,より生きやすくなり,さらに光を放ち輝きます。                        そして,その輝く光は,自分の周囲の人を照らしています。無意識の内に。この光は御光と云って,あなた自身の心の神様の御光です。目には決して観えない光です。しかし,この様に光り輝くには,自分の神様と一体にならなければなりません。                                                                        それは,繰り返し,繰り返し素直に謙虚に誰よりも努力することで誰でも光輝き周囲の人々を照らすことが出来ます。誰でもです。

ここで注意しなければならないのが「自分は特別な人間」「神様に選ばれた人間」などと云った妄想(考え)です。                         神様は,選民意識をとても嫌います。神から最も遠く離れたものだと,はっきりと伝えます。                             さらに,神様は,神様から選ぶのではなく,その人本人が自ら手をあげるのだと伝えます。自分で成ること。奉仕の心柱です。

よく,なぜか分からないが,その人と話をしていると安心するですとか勇気をもらえる等と云った感想をお持ちになった方もいるのではないでしょうか?それは相手のもつ波動を無意識に自分が感じ取っているからです。

過去の辛い,苦しい記憶からの再現を受け入れることは,トラウマとなっている人には,それこそ生き地獄のようなものであると思います。過去を思い出すだけでも辛く,苦しい思いをされる方もいらっしゃると思います。どうぞ,そのような時には,誰かのために奉仕できないかを考えてみてください。そのような時だからこそ,神様が与えてくださった恵みに感謝を捧げてください。                                                           真の感謝ほど神様が御喜びなることはありません。神様が御喜びになられることで,その崇高な波動は自分に届き,自分自身を潤し,さらに生きる勇気を与えてくださいます。自分が生かされていることにも気がつきます。

そして,過去の自分へエールを送ってあげてください。感謝を込めて,過去の自分へ。                                    辛く苦しんだ時の自分へエールを。その愛の波動は必ずや過去の自分に届きます。あなたが生き抜いてくれたから,今の自分があるんだと沢山,感謝を送ってあげてください。絶対に忘れない。あなたともに生きた日々を。本当にありがとう。そう言って是非,感謝を過去の自分へ送ってください。

そっと陰から応援を仕送りしています。いつもあなたのために毎日毎日,何か出来ないか考えています。                        あなたの心の神様をお守りすることができる人がこの世の中にたった一人だけおります。                              あなたの心の神様をお守りする方法がたった一つだけあります。ずっと祈っています。永遠に。

 

仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                                                     ブログ開設16日目 記事数第24記 反省心柱 編


女人高野 室生寺と十一面観世音菩薩

2016年06月26日 04時42分06秒 | 感謝の心柱

 

こんにちは。私は,年に4,5回程度,室生寺へ参拝させて頂いております。

室生寺は,室生火山帯の中心に位置し,太古の昔から,太陽信仰の聖地(祈りの場)でもある場所です。

この室生寺との出会いは実に不可思議で,今でも何故あの時,室生寺に行ったのか分からないでおります。               それは,御仕事の関係で室生寺から少し離れた桜井市に十一面観世音菩薩を御本尊としてお祀りする長谷寺が御座います。                                                                  その長谷寺さんへお参りし,帰りにも秋篠寺にもお参りする予定でおりました。一時,鉄道会社のCMで放送されて話題にもなった秋篠寺には,技芸天さんがお祀りされております。この技芸天さんは,先日の記事「あなたは神風特別攻撃隊を知っていますか?」に掲載させて頂いた御写真(画)の天女さんにそっくりなので,お祈りしたいと以前から思っていました。                  

自分では,長谷寺さんから秋篠寺さんへ自動車で向かっているのですが,なんと,到着したのは室生寺だったのです。           そして,到着してからも自分では未だ秋篠寺にいると思っているのです。到着して境内を参詣していたも自分の感覚では気づいていない。技芸天さんはどこかな?なんて考えながら普通に参拝しておりました。(今考えると笑っちゃいます)

ですが,金堂に参拝したときに判りました。                                                    十一面観世音菩薩を見た瞬間,「これだ」とはっきりと肝に落ちました。                                          境内を誰かに案内されるわけでもなく境内の様子がちゃんと理解できているというよりも知っている感覚でした。                       私の前世での縁が関係しているのであれば,前世の記憶と云うものは,きっと,あの時の感覚を云うのかもしれません。

但し,注意をしなければならないのは。                                                                 その感覚をより深く探究すればするほど,心の隙に魔が差し込むことになります。つまり,日常の生活モードなはなくなってしまいます。きっと,そのことを神様へ問うと「それ以上の深入りは,固く禁じる。傲慢さからの行い慎めよ」と叱られそうです。これが神さまの云われる「前世知ることならずや」「今を生きろよ」「感謝の念で別れを告げよ」なのでありましょう。

あの世に帰れば全て判る。だから慌てることも騒ぐことも必要ありません。ましてや前世を知ることなど危険極まりないことであって大損します。前世の縁を何かで感じ取った場合,感謝の念で別れを告げることが最善です。                        室生寺と長谷寺,そして,大津の三井寺には何か共通する霊的なもの「仕掛け」があるのかもしれません。                      御堂や仏様を写真に写すことはならぬことですので,残念ながら写真はありません。興味のある方は,室生寺さんのホームページでご覧下さい。(奥の院へ行かれる方は,準備体操をしてからにした方が良いです)

女人高野 室生寺 公式ホームページ:http://www.murouji.or.jp/

上の写真は,伊勢神宮へ参拝させて頂く途中の海岸に出座された早朝の太陽神です。

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


神道と日本国憲法 すり替えられた第13条。

2016年06月25日 04時44分17秒 | 謙虚の心柱

 

今日は,参議院選挙がいよいよスタートしましたので,憲法について記事にしたいと思います。                          私たちの暮らすこの国は,御存じのとおり法治国家であります。

法治国家とは,文字通り,特定の「人」(例えば王様)が力で治める国ではなくて法律が治める国であります。                    このような話になると憲法が国民を縛るものであると誤解される人がおりますが,憲法の役割は,われわれ国民を縛るものではなく,我々が権力を行使する側である権力者を縛るために存在するものです。これを立憲主義と云います。

そのことは明確に,憲法の条文にも明記されております。(参考までに:99条に云う憲法尊重擁護義務)                          そして,この憲法こそが,我が国の最高位に位置する法となります。

私は,この憲法を勉強すればするほど,日本国憲法の根底に流れる考えは神道に通じるものがあると思えてなりません。もっと言えば,宗教全体の根幹に触れるものではないかと思います。よく政治家や憲法学者,法律家の皆さんが憲法や法律を論じると政教分離の原則を引き合いにすることがありますが,元々,憲法も法律も宗教的な概念から出発しているものです。又,民法や刑法などの個別の法律の原形はフランスやドイツではなく,もっと宗教的な「モーセの10戒律」から来ていきます。それが拡大し,拡張して行く中で規制が増えて行ったと云えると思います。ちなみに,憲法はイギリスの貴族が自分たちの特権を守る(保持)ために国王を縛る目的で制定されたものです。(イギリスの憲法は不文法です)

又,左翼思想と云われる方が,神道と戦争を結びつけたり,天皇と戦争を関連付けたりしますが,例えば,神道の長い歴史をもっと勉強して頂きたいと思います。神道の考え方に「紛争」「戦争」「訴訟」といった争う考えはありません。                     先の大戦(大東亜戦争)では,軍の一部が暴走し,天皇陛下を利用した側面はあると私個人も考えますが,神道そのものが,戦争を誘発するようなことは決して,過去の神道の歴史をみてもありません。これは,国家神道の短い期間に起きた天皇陛下を利用した一部の限定的なお話であると私は考えます。(ちなみに現代は,神社神道です

神道に大祓詞と云う祝詞があります。この大祓詞の一部に「神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて」という言葉があります。この言葉の意味が何を指すのか?もちろん神社の神職さんであれば勉強されていると思います。これは,神様の世界は武力などの力によって統制するのではなく,何度も何度も話し合い,互いを尊重する様子,国の統治のあり方を言葉として示したのではないかと思います。つまり,民主主義の元が大祓詞と云う祝詞に記載されているということだと考えます。相手に対し,自分の考えを伝える方法に「言葉」があります。言葉によって,相手に自分の考えを伝えるわけですから,どのような言葉を使えば,相手に自分の考えが伝わるかを勉強することはとても重要なことではないでしょうか。理屈ではなく,真理を言葉で伝えるには五つの心柱がなければ伝わらないと感じています。「天つ祝詞の太祝詞事を宣れ」「此く宣らば」この間に入る祝詞は?・・・。

立憲主義と民主主義は全く別物ですが,この辺りのことは機会があれば記事にしたいと思います。                   安部総理をはじめ,与党の政治家の皆さんにも是非とも大祓詞をもっと勉強してもらいたいと思います。

日の丸は戦う民族の象徴ではなくて,我が国は,言霊の国であるという祈りの民族の証です。                            なぜ聖徳太子が第1条に,和を以て,貴しと為す。を組み入れたのか?・・・。つつがなきや。

 

上の写真は,北陸自動車道の立山付近で撮影させて頂きました。早朝の太陽神です。 

仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                                ブログ開設13日目 記事数第21記 謙虚心柱 編

 


祖霊祭祀の日本人 祈りの民族

2016年06月22日 00時00分00秒 | 感謝の心柱

 

私は「あさひの心得10ヶ条」にもある通り,日々,神様のお祀りと祖霊祭祀(先祖供養)を欠かしませんが,もともと祖霊祭祀と云う概念は仏教思想の根本ではなく,もっともっと遥か昔から形として存在していたものです現に,仏教の開祖であるお釈迦様も先祖供養を勧めてもいません。お釈迦様は一切の苦行は無駄であるから,自分自身の心を唯一の拠り所(灯火)として生きて行きなさいという教えです。そして,外にあるものや存在に頼ってはいけないと偶像崇拝は禁止れていたようです。さまざまな苦行を体感したお釈迦様だからこそ,そのような言葉を伝えようとされたのではないかと思います。(本当かどうかは判りません)                                               ただ,そのように解釈すると,今の仏教はお釈迦様の仏教思想とは全く違います。幾多の年月を経て,シルクロードを渡り中国や朝鮮半島をさらに経由して我が国,日本に伝来されたものです。したがいますと,現在の仏教とは我が国固有のものであると云えるかもしれません。

なぜならば,遙か縄文時代には祖霊祭祀が確立され,実に丁寧な追善供養も斎行されていたからです。                         時代年表からも仏教伝来はずっとあとです。私個人的には,元々,先祖の御霊を供養すると云う祭事は,神道が主体であったのではないかと考えています。何故?神道が日本仏教に祖霊崇拝を譲ってしまったのか?飛鳥の時代に何があったのか?今後も探求して行きたいと考えています。

又,縄文人の祖霊崇拝における根本的な考え方の中に「この世」の想念が「あの世」でも継続すると考えれていたようです。つまりは「この世」で恨みを抱いて死を迎えると「あの世」には行けず,「この世」に留まり続ける(停留思想)と言える考え方です。現代で云えば成仏できないということに近いかもしれません。もしかすると,不成仏という元の意味(概念)は縄文時代の停留思想から来ているのかもしれませんね。

その上記のような事実が,現代に生きる我々の遺伝子にちゃんと組み込まれていて,同じような死生観や何の疑問も違和感を感じずに先祖の御霊を供養すると云う形が浸透しているのではないかと思います。

 

上の写真は, 三重県伊勢市 二見興玉神社にて撮影させて頂きました。日の丸と鳥居です。

祈りの民族 仕送りの御役 花咲 あさひ 拝


あの世とこの世 どこまで行っても課題は奉仕です。

2016年06月21日 00時00分00秒 | 奉仕の心柱

 

私は常々「あの世」にも「この世」と同じような世界があるのだと思っています。                                                    つまり,自分の中で想像しているわけです。例えば,あの世でも仕事があるから○○の仕事をしたいと閻魔様にお願いしようなどです。正解はあの世に帰らないと解らないし,きっと,あの世に帰っても分からないかもしれません。しかし,私たちが暮らしているこの世の世界とあの世の世界の唯一の違いは,同じ考えを持ち合わせる者だけが,同じ世界で暮らしているということです。

そして,どの世界にも共通しているのが「奉仕」ではないかと考えています。                                                  例えば,生前の行いが感謝に満ちた人であれば,あの世でも感謝の想いに溢れている人々(御霊)の世界で暮らす。          あの世での修業もこの世での修業の延長にあるから簡単に受け入れることが出来る。つまり,輪廻転生の期間が短いということです。一方,この世で不平不満ばかりで暮らしていた人は,あの世での修業を受け入れずらく,受け入れるまでの時間が相当かかり,次の輪廻転生を迎えるまで相当長い期間必要とするのではないか?と考えています。

これが,私たち一人ひとり違う魂の重みではないかと思うのです。

神様の御心に沿った生き方をした人は,前述のとおり輪廻転生を繰り返す回数が多わけです                                    しかしながら,神様の御心に沿わない生き方をしている人は輪廻転生を繰り返す回数が少ない。したがって,その魂そのものが未熟であり経験がない。この世は全ての魂が同時に存在する唯一の世界ですから自分と考えが違う人がいるのは当然です。親子でも違う分けですから。魂では理解できていても頭では忘れている(想いだせない)だけなのです。稀に思い出せる人もいるようですが(笑)ならばどうすれば良いかと云うと心に宮柱太しきを立てることです。つまり,神様の御心に沿った生き方を見つけ暮らして行けば良いわけです。

そのことを誰よりも良く知っているのは,他人ではなく,自分自身ですから良心(心の神様)に問えば判ります。

誰でも神様と直接,通じ,繋がることが出来ます。今日実行すれば今日から。必ずです。                                          ですから,神様と自分との間に他人を介在させても意味がありません。それは,教えであって,道ではないからです。

私の心の神様は「御安心させれよ」と示されております。弥栄 弥栄

 

仕送りの御役 花咲 あさひ 拝


医者はなくなります。感謝の心で病魔を退散

2016年06月20日 05時28分54秒 | 感謝の心柱

ブログをはじめて9日が経過しました。                                                                                    あれよあれよと日にちが経つのが本当に早く感じる様に誰においても感じていると思います。気がつくと同じ日に2回も3回も記事を書いていることに自分でもビックリしています。

私はもう次元の上昇が既にはじまり,1日24時間ではなく18時間だと思っています。身体の新陳代謝もどんどん進んでいるようです。その証拠に,爪が伸びるのが異常なぐらい早いです。皆さんはどう感じているでしょうか?一日の時間が24時間制から18時間制になっているのですから,寿命は長くなると思います。平均寿命が100歳なんて言われる日が来るかもしれません。

それと,将来,医者はいなくなると思います。自己治癒のようなことが出来るのではないかと思っています。根拠と云う根拠はありませんが,この新陳代謝で若返りが起きるのではないか想像しています。過去の様々な預言書的なものにもきっと,同じような事柄が記載されているのではないでしょうか?その代り,乱れた日常生活している人に精神疾患が激増すると感じています。

西洋医学では無理でしょうが,東洋医学の発想であれば何か大きな変化が期待できるような気がしています。東洋の医学の基本的な考え方は,人間の身体を宇宙そのものと同じと云う前提に基づいています。しかしながら,西洋の医学では薬などを投与し強制的に支配することが前提になっています。西洋医学と東洋医学では全く真逆なことをしていますが,最終的には神様の御心に沿わないものは消滅するだけのことです。

その辺りのことを繰り返し提唱されていたのが奈良県の春日大社の前宮司さんである葉室頼昭先生であります。葉室先生はもう神様のもとへ昇天されてしまいましたが,色々な著書で述べられております。健康の身体は感謝の心が必要だと述べられています。又,他の人も医者は将来いなくなると発言されている方や今の医学に対し警告のような神様からの啓示を受けられている方もいらっしゃいます。少しご紹介すると,私のライバル(笑)でもあるブログ王の「伊勢白山道」さんや神から人への著書をお書きになった「ひふみともこ」さんなどが同じようなことを述べられております。興味のある方は,そのぞれの方の著書やブログを拝見して観てください。自分なりの考えも深まり,暴飲・暴食がいかに悪いかが理解できると思います。

時間の経過が早くなると私たちの生活にどのような影響があるのか研究してみるのも面白いかもしれません。

 

仕送りの御役 花咲 あさひ 拝