花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 15

2018年01月31日 07時07分03秒 | 美しき水の国

こんにちは。上の動画は丹生川上神社下社の動画「美しき日本」からです。

わたしは,御社殿を撮影することが出来ないので動画をお借りしました。合掌

今日は,奈良県の吉野に御鎮座されます丹生川上神社下社と云う日本最古の水の神さまをお祀りし,神社裏手の御神体から龍神が口を大きく開けて目の前の川の水を呑みに来る姿を神社建築に取り入れている大変素晴らしい神社であります。又,丹生川上神社下社においては,1月20日の大寒に採水した御神水を特別に授与されています。私も昨年,神棚の神さまへ奉納させて頂きました。

奈良県吉野に行かれる際には是非,参拝されてみて下さい。

いまの宮司さんも粋な人です。古神道系の人ですから利益などの話は一切しない方です。

自分の意識を少しでも大自然や自然に向けると云うことはとても大切な事だと感じます。

それにしても吉野は不思議なところですね。さすが南朝の本拠地です。

狙われる私たちの郷土~美しきかな水の国~15は「水の神への感謝参詣 丹生川上神社下社 編」です。

以下の記事は「2016.9.25」に掲載したものです。

  

こんにちは。奈良県吉野郡天川村にある秘水,ごろごろ水を採水させて頂いた後,室生龍穴神社,そして室生寺へ向かう途中に一箇所とても気になる神社へ参詣させて頂くことに致しました。こちらの神社は,以前も天河大弁財天社「通称:天河神社」の帰りに神社前を通りかかった時に,思わず息を呑み込んでしまうほどの雰囲気を醸し出している神社でした。そのあともずっと気になり自宅へ帰ってから,通り過ぎた神社を調べると,なんと二十二社制の一社である丹生川上神社下社であることが解りました。

この二十二社制度とは,神社の社各を示す一つのもので平安時代に正式に制度化されたものです。平安時代以前にも国家鎮守に重要な神社として十六社制が存在していました。国家の重大事や天変地異の時などには,朝廷より特別の奉幣を受ける神社であります。伊勢神宮の外宮・内宮を筆頭に,このブログで度々,登場する上賀茂神社や貴船神社,春日大社も二十二社中であります。それ程の神社を参詣しない訳には行かず,次回には必ず参詣させて頂こうと考えておりました。そうして今回,実際に参拝させて頂く為,自動車を駐車場に停車させ歩いて境内前に行くと,日本最古の水の神様「水への感謝」と書かれた案内がされていました。

ここでもやはりテーマは「水」でした。行く先々で水への感謝を意識せざるを得ないことに今回の参詣はなっていることに私自身も薄々気が付いて来ました。これまでは御神体つまり「山」に関することを意識することがとても多かったのですが,今回は水に関係することのようです。最近も水に関することをブログで記事にしておりましたし,なんだか神道によくある無言の教示のようです。丹生川上神社下社で観た音霊もやはり龍神さんでした。拝殿から本殿へと昇る階段を境内の御神木あたりから見上げると,まるで龍神さんが御神体「山」から下界に降りて来て,神社前に流れる川の水を呑みに来ている姿をされております。上右の写真が神社前に流れる川です。つまり,天河神社同様に,神社の宮司さんも宮大工さんも知らず知らずのうちに建築様式にされているのです。

もしかすると,本当にそのように感じて,現在の神社建築をされていたのかも知れません。よく,神社仏閣の建築様式を○○造りと表現することがあります。たとえば,伊勢神宮に観る建築様式は「唯一神明造」と呼ばれるもので,春日大社に観る建築様式は「春日造り」と呼ばれております。しかし,○○造りの元になったのは何故かを聞いたことがありません。伊勢神宮は以前にもブログで書かせて頂いたように縄文時代の高床式倉庫に豪華な装飾品を設けて社殿にしたものだと書かせて頂きましたが,少なくても○○造りと呼ばれている建築様式にはそれなりの理由付けが存在していると思います。まぁそう言ったことをわざわざ公表しないところに神道の無言の教示が示されていると解釈するのも大切なことかもしれません。自分の心で読みとれよと云うことなのでしょう。

天河神社さんは「親」が木の上に立って,子供を見守る姿を神社の建築に立体的に具現化されたものだと思いますし,この丹生川上神社下社さんは,御神体である山から龍神さんが降りて来て,前の川の水を呑みに来る容姿を建築様式にされたのだと私は感じました。きっと,丹生川上神社下社さんには龍神に纏わる伝説が伝承されていると思います。私は,御社殿を写真で撮影することが出来ないので掲載することはできませんが,興味のある方はインターネットで画像検索されると面白い発見が出来るかも知れません。

神道や数千年以上を経過されている寺院には,本当に無言の案内や教示がたくさんあります。それを私たちが気が付けるかどうかで見方も捉え方も据え方もまったく違ってくるように感じています。正解や不正解と云ったものではなく,理屈や文字だけでもなく,その奥の奥にあるその人個人の心に見合ったように観えるものであるとも思います。そして,次に向かう先の室生龍穴神社も実は,過去数千年以上も水(雨)をお祀りしてきた神社であります。争いや騒ぎを嫌う龍神さんは未だに室生に棲息されております。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 14

2018年01月30日 13時40分08秒 | 美しき水の国

こんにちは。昨日は,前篇を紹介させて頂きましたので,今日は,その続き後編です。

先日から,シリーズで~美しきかな水の国~を書かせて頂き,水の関係する過去記事を通じて,わたし個人も一から勉強させて頂いております。そこで感じますことは,やはり,わたし達の国は素晴らしいと云うこと改めて実感いたします。前にも国と云う概念と国家の概念は違うと憲法改正の記事で致しましたが,日本には昔から国体「祭祀」と政体「統治」と云う2つの重要な支柱があるのですが,どうやら上手くバランスの調整が出来ずに機能不全となってしまっているようです。これが今の日本の現実であります。

国体と政体については後日,書かせて頂くとして,さっそく昨日の続きです。

狙われる私たちの郷土シリーズ~美しきかな水の国~14は「水の神への感謝参詣 薬師寺 後編」です。

以下の記事は「2016.9.21」に掲載したものです。

こんにちは。無事に台風16号は,昨夜,静岡県沖で温帯低気圧に変わりました。たくさんの人々の祈りが通じたようでした。台風12号も13号もたくさんの人々の祈りで温帯低気圧に変わりました。やはり,大自然はちゃんと人々が発する気(波動)を受け取るのだと云うことがより深く理解できることであったと思います。これに事前の防災対策を加えて行けると台風などの事前に予測できる脅威に対しては畏れと感謝で被害を最小限に出来る様に感じています。ただ,科学などで証明することは出来ませんので信用はされないとも思っています。まぁ信用されるとか信用されないとかなどは大したことではありませんからどうでも良い話です。

さて,今日は昨日の薬師寺前編に続き後編を書かせて頂きます。私は,薬師寺さんでいつも凄いなと思うことがあるのですが,この薬師寺さんは神仏習合時代の形を今でも厳格に守り続けておられることです。先ず,薬師寺さんへお参りする前に隣の氏神様(八幡神社)への参拝をしてから薬師寺へお参りくださいと案内看板が立てられています。残念ながら写真を撮影することを忘れてしまいましたが,鳥居の手前に目立つように案内されております。そして,薬師寺さんの境内にも神社があります。私の知る限りにおいては4社の御宮が建てられてお祀りされていますが,すべての御宮で綺麗に「榊」「御水」「御塩」「御米」が奉納されています。

これには本当に感心させられます。たぶん,ここまでされている寺院は薬師寺さん以外には存在していない様に思います。私は御宮を撮影することが出来ないので,ここでも残念ながら写真はありませんが,参拝の予定がある方は意識してご覧になってみて下さい。拝観案内所の左側に3社殿と東院堂の隣に1社御鎮座されています。氏神様(八幡神社)は,参拝者専用駐車場から参道を歩いて行くと右側に御鎮座されています。そして,この薬師寺さんで私が是非とも参拝して頂きたいと想っている場所が東院堂です。何故かと申しますと,ここに御鎮座されている聖観世音菩薩の放つ波動はもの凄いです。あまりの凄さに堂内で観音様の前でしばらく正座しておりました。薬師寺さんへ参拝を予定されている方は是非とも体感してみて下さい。最後に,御線香収集が趣味の私は,東院堂で販売されている瑠璃光と云う御線香を授与して頂きました。東院堂内で焚く香りと同じものでお気に入りの御線香です。東院堂の観音様の前で観音経を奉納できたら幸せだろうなと云う想いとともに薬師寺さんを離れました。

薬師寺を離れた後,次に向かったのは,世界遺産の唐招提寺であります。唐招提寺では前から気になっていた御線香が目当てでありましたが,やはり唐招提寺さんも凄いところです。

左の写真は,参拝者専用駐車場から撮影させて頂いた寺務所と高麗門ですが,拝観案内所のある南大門から入場し正面に建つ金堂にて参拝させて頂くと心地よい風が吹いて来て金堂内からヒノキの香りが漂ってきました。こちらの唐招提寺さんは,あの鑑真大和上が創建された寺院であります。

お目当ての御線香「鑑真香」も授与させて頂きましたが,本当に素晴らしい御線香であります。こちらの御線香は自宅の神棚用の御香にさせて頂いています。お奨めです。私の収集している御線香「寺院部門」では第1位。三井寺香を抜きました。

そして,次に向かった先は,春日大社であります。拝

薬師寺公式ホームページ:http://www.nara-yakushiji.com/ 唐招提寺公式ホームページ:http://www.toshodaiji.jp/about.html


 

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そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝  


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 13

2018年01月29日 07時46分13秒 | 美しき水の国

こんにちは。奈良県に薬師寺と云う寺院が御座います。春になると大勢の中学生が修学旅行で薬師寺に訪れます。以前にも,このブログで仏教の法話として古くから伝わるオウムの恩返しを数回ほど記事にさせて頂きました。実は,薬師寺の管長さんが修学旅行で薬師寺を訪れた大勢の中学生の前で,そのオウムの恩返しを講話されています。現代,特に若い人たちに法話を伝える宗教家がどれくらいいらっしゃるでしょうか。自分自身が僧侶になると決意し,厳しい数年間の修行を経て,御仏さまに仕えると決心した日をどうか思い起こして頂きたいと思います。世襲によってお寺を継ぐなんて滑稽な話でしかありません。それで何を祈るのか・・・?

 補足:オウムの恩返し興味があれば読んでみて下さい。雑宝蔵経 天はすべてを観ています。

閉鎖的な村社会に身を置くのではなく,もっと,積極的に能動的に社会に法を以て出て来て欲しいものです。

その薬師寺さんは,天武天皇が持統天皇の病気平癒の為に建立した寺院です。奈良県の寺院の内,わたしの大好きな寺院のひとつですが,薬師寺さんに参拝されたら是非とも寄って頂きたいお堂があります。それは,聖観世音菩薩をお祀りしております東院堂と云うお堂です。是非,参拝される機会があれば体感してみて下さい。又,薬師寺さんは,今では珍しい神仏習合時代の寺院です。

その続きは以下の本編で。

狙われる私たちの郷土シリーズ~美しきかな水の国~12は「水の神への感謝参詣 薬師寺 前編」です。

以下の記事は「2016.9.20」に掲載したものです。

こんにちは。台風の進路にお住いの方は影響は大丈夫でしょうか。鹿児島県や宮崎県では川が氾濫していたり,橋が崩落していたり被害が大きいようです。記録的な大雨であったとニュースで知りました。東日本はこれから夜にかけて台風の影響が最も大きくなるとのことですから十分注意なされて下さい。考えて見れば,ここ最近ずっと,ブログで水が水がと主に御水に関する記事を書いている自分に不思議さを感じていました。自分でもその理由は解らず,ただ想うこと,感じること,考えていることをそのまま書かせて頂いているのですが,私たちが大自然の脅威に対する畏れと感謝を取り戻さない限り続くと感じてしまいます。今回の京都・奈良・伊勢の参詣もこれまでの参詣とは全く違っていました。この京都・奈良・伊勢の参詣の道は,三ヶ月に一度の頻度で,今年4年目になります。4年目を迎えてここまで水を意識した参詣をしたことはありませんでした。訳が解らずとも,とにかく水なのです。

まだまだこれからが本番であると云う根拠のない思いもありますし,水と同様に火山や地震も同様に気になります。どうか,自分の心の中で,大自然に感謝の祈りを捧げ,自然に生かされて生きているんだと云う気持ちを一人でも多くの方に感じて頂けるように,私も記事を書かせて頂きたいと思います。人類は,いまとても大きな節目に来ていると思っています。権力者の一部もそれを知っているようにも感じています。一部の権力者が如何にして生き延びるかを必死に考えているようにも思えます。しかしながら,神様はそれをお許しになられないようです。近年の災害は権力者と権力に縋り,たかる人々への最終警告なのかもしれません。

私たちの残された道はただひとつです。相互扶助と和の仕組みだけであります。それに気が付けるかそうでないかの試練と最後の機会を神様から与えられているようです。過去にもさまざまな人々が警戒や警告を発して来ました。名のある人が挑戦もして来ました。しかし,とうとうここまで来てしまいました。今を生かされている我々が間違った選択(拝金主義)をこれ以上,継続して行くと人類は滅びます。それを阻止する為には,心と云う高天原に十の心柱を太如き立てます。観世音菩薩とともに。合掌

それでは,昨日の記事の続きを書かせて頂きたいと思います。貴船神社の参拝を終えて,いつものように京都を離れました。奈良へ行くことがない場合には八坂神社や下鴨神社,東寺へも参拝させて頂くのですが,やはり私的には奈良を外すことは考えられません。

それは私自身が,大自然や自然を神そのものであると云う超古神道「自然崇拝」「祖霊祭祀」のものですし,日本と云う国の成り立ちや歴史,祭祀を勉強したり研究する上でも奈良なのです。今回は,奈良で一泊する予定でありますので,いつもよりも時間的にも余裕が随分とあります。そして,はじめに向かった先が薬師寺であります。左の写真でも分かる様に,現在の薬師寺では東塔が工事中であります。

ただ参拝者の専用駐車場へ行く途中に道を一本間違えてしまったのですが,その間違えが逆に後から考えると意味のあるものであったと思っています。それは,薬師寺の裏手と云うのか何なのか解りませんが西ノ京大池があります。間違って大池に出て見た瞬間にハッとさせられました。見た瞬間は何も感じずただ凄いと云う感覚しかありませんでしたが,帰宅してからは,あの大池には龍神が棲息しているのだと思っています。奈良県の公表では近年,汚れて来ているようです。

それと同時に,薬師寺の聖観音様が大池を見せてくれたのだと思いました。つまり,音霊を言葉に変換したと云う意味です「いつも同じところから同じものを観るのではなく」「たまには同じものを別の視点で観るように心するように」今の心境はそのように感じています。間違ってもそこから何を得るかが大切なことであり,そもそも間違えであるとか正解であるとかいうものは自分で決めつけているのだと以前,音霊を言葉に変換したことがあるのを思い出しています。大きな喜びや楽しみの中にある苦しみと大きな苦しみの中にある苦しみのどちらを自分が選択しているか素直な心柱で考えることをも思い出しました。後編へ続く。拝

 おかげ様で,このブログも開設から100日目を迎えることが出来ました。有難う御座います。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝  


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 12

2018年01月28日 00時00分00秒 | 美しき水の国

こんにちは。数か月前,広島へ仕事(出張)に行き,その出張の帰りに一旦,京都へ立ち寄り上賀茂神社へ参拝させて頂きました。ちょうど,大型の台風が通過した後でしたが,神域内の数本の木々が倒れ,その内,1本の木はとても大きな巨木です。木々の枝葉が境内にたくさん落ちている状況で急ピッチで撤去作業がされている状態でありました。しかし,わたしはその状態を見た時,自然の脅威の凄さと同時に,神さまの慈悲の深さと申しますか神さまの御心を感じたのであります。正に神技でありました。

その理由は,巨木の倒れ方なのです。

 ※補足:わたしは限られた場所でしか写真撮影が出来ないので,倒木の写真はありません。

きちんと倒れ方まで計算されていると云うか何と云うか言葉では上手く表現できないのですが,巨木が倒れる方向,方位,角度のすべてに神さまの意思が関与していると思いました。上賀茂神社へ参拝されたことのある人であれば御存知だと思いますが,神域内を流れる小川がございます。上賀茂神社の御神水でもある「ならの小川」です。そのならの小川沿いにいくつか小さな御宮「神社」が御鎮座されているのを御存知でしょうか?その幾つかの神社の内「ならの小川」沿いに岩本神社と云う小さな御社があるのですが,倒れた巨木は意図的に岩本神社を壊さないように倒れていて,さらに,ならの小川もせき止めずに倒れていました。

言葉では伝わらないと思いますが,その微妙な方向と角度が絶妙だったのです。きっと,上賀茂神社の神さまが巨木が倒れる瞬間に神気で小さな御宮である岩本神社とならの小川を守ってくれたのだと感じました。寿命を終えた巨木をこれからどのように活用して行くのかは存じませんが,大自然からの貴重な御恵みです,有効的に活用して頂きたいと心から願うばかりであります。

是非とも京都に旅行に行かれた際には,上賀茂神社に参拝されてみて下さい。

今日は,昨日の前篇に続き後編を書かせて頂きます。

狙われる私たちの郷土シリーズ~美しきかな水の国~12は「水の神への感謝参詣 上賀茂神社 後編」です。

以下の記事は「2016.9.18」に掲載したものです。

こんにちは。また台風の影響が心配されて来ています。どうか台風などは事前に防災対策が出来ると思いますので,御用心下さい。台風だけに関わらずまだまだこれからが本番のような気がしています。水に対する畏れ,感謝が太古の人のように復活するまで脅威は増して行くばかりではないかと今回の水への感謝参詣を通じ帰宅後,だんだんと少しずつではありますが音霊が言霊に変換して来ていると感じています。特に,東京都や関東の首都圏においては暴風や大雨などを意識した防災対策を行政にもお願いしたいと思います。東京はその中でも大雨にとても弱い地域です。雨の神様,風の神様へ祈りを捧げています。人の純粋無垢な祈りは必ず自然に届くと思っています。逆に,その反対も残念ながら届いてしまうと云う仕組みが大自然界の定めであるようです。

  

て,それでは昨日の記事の続きを書かせて頂きたいと思います。左上1枚目の写真が賀茂別雷神社「通称:上賀茂神社」の御神体であります。上賀茂神社の御祭神である雷の神さま「賀茂別雷大神」が御降臨された神山(こうやま)です。中央にうっすらとそびえ立っているお山です。上賀茂神社の参拝者専用駐車場からですと御神体「神山」が真ん中に観えます。こちらの写真もその場所で撮影させて頂いたものです。写真手前の右側が上賀茂神社の神域で左側に神社運営の執務を司る社務所や参集殿が御座います。

上賀茂神社の本殿から見ますと御神体「神山」は方位,北北西に位置するようです。この北北西と云う方位は,飛鳥時代から平安時代にとても重要視されて来た祭祀的な方位であります。その中でも北北西「20度」の位置に神社や寺院を建築しているようです。一説によると,シリウス信仰や拝火教を意識して取り入れていると云う研究もされているようです。聖徳太子と北北西の関係を探求されると大変興味深い研究が出来ると思います。それはそれとして,右上2枚目の写真でもご覧頂けると思いますが,もちろん御神体である「神山」は禁足地となっていて入山は出来ませんと注意書の立て看板が設置してあります。

 

そして,昨日の前編の最後でも少し書かせて頂きましたが,ここ上賀茂神社のもうひとつ重要な場所が,上の2つの写真にもありますとおり「ならの小川」です。御神体である「神山」から流れくる御水が神域に流れています。私のお気に入りの場所は右上の場所です。ちょうどここに,ならの小川沿いにある唯一の休息できるベンチが設置していて,川の織り成すところに坐ますのは神道の大祓詞にも登場する祓戸四神のうち,瀬織津姫であります。ここでしばらく休息していますと誰でも御神水のエネルギーで祓いの作用が起きると感じています。上賀茂神社の神域で川の織り成すところは,この場所だけです。ここに唯一のベンチが設置してあることに何か無言の案内がされているようにも思えます。神道では無言の案内がよくされています。それを参拝される個人がどのように感じ,考えるかをとても大切にしています。私も上賀茂神社へ参拝させて頂くたびに気が付かされることが未だたくさんあります。

川(神)の流れの音霊を聴き,心の柱で受信キャッチすると言霊が生まれます。これが私がいつも書かせて頂いていることです。つまり,川(神)の流れる音は人間が話している言葉をしゃべりません。川(神)の流れる音が聞こえるだけです。しかし,この音を霊性(心)で捉えると感じる(想う)ことが誰にでもあると思います。人によってその内容が違うのは当然で,川(神)が言葉を話すことがないからです。それを言霊にすると言葉になるのです。その言霊は,その人だけに神様から与えられたもので唯一無二の恵みでもあるのです。ある人は日頃の行いを省みて反省したり,日頃の御恩を感謝したり,明日からまた頑張ろうと勇気が湧いて来たりと人それぞれによって違うわけであります。これが,神様が全ての人の心に坐します何よりの証明であり古神道の神髄です。

賀茂別雷神社「通称:上賀茂神社」 公式ホームページ:http://www.kamigamojinja.jp/index.html


 

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 11

2018年01月27日 00時40分10秒 | 美しき水の国

こんにちは。

このブログでもお馴染みの京都に御鎮座され,平安京が出来る以前から日本の国体「祭祀」の裏を司ってきた上賀茂神社です。

安倍晴明さんも役行者さんもこの上賀茂神社から輩出され,陰陽道の総本山でもあり,過去数千年,天皇家を陰から支え続けた古神道の神社で,上賀茂神社と下鴨神社は,ざっくり言ってしまうと八咫烏の聖地です。今上天皇も譲位を巡り上賀茂神社と下鴨神社へ行幸されました。神武東征の際に道を先導した八咫烏です。伊勢神宮を除く,神社神道では上賀茂神社は筆頭社各になっています。

御神体は「神山」で,御神水は「ならの小川」であります。

今日の狙われる私たちの郷土シリーズ~美しきかな水の国~11は「水の神への感謝参詣 上賀茂神社 前編」です。

以下の記事は「2016.9.17」に掲載したものです。

こんにちは。

さて,出雲大神宮の参拝を終えて,次に向かった先が山城國一之宮でもある賀茂別雷神社「通称:上賀茂神社」です。

国家の重大事には朝廷から特別な奉幣を賜る神社です。

この上賀茂神社は,現在の神社界の頂点に君臨している神社であります。もちろん伊勢神宮は除きますが,日本の国体及び国史を語る際に上賀茂神社を抜きには語れないと言われるほどの神社であります。そして,陰陽道の総本山・総元締めでもあるのです。主に平安時代に登場する過去の偉人のほとんどは上賀茂神社から輩出されています。

上賀茂神社がどれほど凄いのかを語りつくすには多分,本一冊分くらいになってしまうと思われるので興味のある御方はインターネットなどで検索されてみて下さい。いろいろと面白くもあり,大変勉強になると思います。

そして,これは余談ですが,アメリカの日本大使であるケネディーさんも家族で御忍び参拝を伊勢神宮とこの上賀茂神社へされています。わざわざ上賀茂神社を選ばれた理由にはそれなりの理由があってのことだと思います。日本で執務を行う上で,日本人の伝統や文化を知ることはとても良いことでもあると思います。それ以前に,アメリカ合衆国の要人は上賀茂神社に秘められている事を知っているのかもしれません。過去数千年の間,天皇家を陰から支え続けて来た上賀茂神社を一度でも自分の眼で確かめたいと考えられてのことであるように思います。以前,日本史を勉強しているときに講師の先生が,興味深い話をされておりました。それは,外国の要人が日本と云う国を知ろうと思う時,一番困ることがある。それは,日本人が日本の文化や伝統を知らないことだと云われていると話されていました。外国の要人が知りたいのは,日本と云う国の文化と伝統がどういうもので,日本人と云う民族を調査しに来ているわけであるのです。この国は本当に信用できる国なのか?我々が信頼するに値する国であるのか?文化や伝統,そしてそこで暮らす日本民族を知ろうとしに来ていると話されていておりました。

私にとっては,大変興味深い話でもあり勉強させて頂くことが出来ました。日本人の多くは,自分たちが外国の要人にそのような感覚で観られているとは考えないと思います。それよりも,世界の人々が平和で豊かに暮らせることを素朴に願っていると考えて暮らしていると思います。そのことが外国の要人には疑わしいことであるようです。信じられない程の平和を望む民族は日本人以外にはいません。それは,縄文人から受け継いでいる遺伝子(DNA)に記憶されているからです。私個人的には,日本民族を知りたければ,縄文人の研究をされた方が理解が進むと思っています。いつものように話が逸れてしまいましたので,本題に戻します。

上の2枚目の写真が,上賀茂神社の神域にある伊勢神宮の遥拝所です。少し解りにくい場所にあるせいか,ほとんど参拝されている方はいらっしゃいませんが,私はいつもこの場所で伊勢神宮へ遥拝させて頂いています。ちょうど,楼門を通り過ぎ緩やかな階段を上った右側にひっそりとあります。参拝に行かれる際には意識してみて下さい。そして,ここ上賀茂神社も御神体は後方にそびえる神山(こうやま)と云う聖域です。もちろん禁足地になっておりますので,入山することは出来ませんが,上賀茂神社の2つ並んだ本殿の間には御神体である神山が観える設計になっています。適切な云い方かは分かりませんが,庭園などの借景と云う考えは上賀茂神社の設計が元ではないかと私は考えています。広く立派な庭園には借景と云う技法が用いられているのも日本独特の文化です。

御神体の神山を含めやはり,もう一つ上賀茂神社の重要な場所があります。それは,神域に流れる御神水である「ならの小川」です。この小川に流れる御水は御神体から来ています。ここでも御水を意識せざるを得ないようでした。毎回,参拝させて頂くと必ず立ち寄る場所が「ならの小川」沿いにあるベンチです。神域唯一の休息場所となっているのですが,上賀茂神社では一番エネルギーが強い場所の様に私は感じます。ちょうど,川の織り成すところが御水のエネルギーが最も強く働き,ここでしばらく休息していると誰でも自然と祓いの作用が得られると感じています。御鎮座されます神様は神道の大祓詞にも登場される祓戸大神の内,瀬織津姫と云う祓いの神さまであります。少し長文になって参りましたので,明日この続きから書きたいと思います。拝


 

2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 10

2018年01月26日 00時00分00秒 | 美しき水の国

こんには。京都にお住いの方は,名水と聞くと貴船神社を想い出すことも多いのではないでしょうか?

又,茶道で湯を点てるとき,貴船の名水でなければならないと云われる程ですから茶道をされている方も同様だと思います。私も京都の名水と聞くと貴船神社と出雲大神宮,籠神社を想い出します。京都は,琵琶湖の水を溜め込んだ巨大な水瓶の上に浮かんでいる構造になっていますから水の都市でもあります。平安時代に京都の町を建設する際,風水のエネルギーを取り入れたことでとても有名ですが,以外と巨大な水瓶の上に浮かんでいると云うことは言われていません。以前,ある古神道家の人が京都は地下鉄を開通させてから鴨川の水が汚れたと話されていたことが印象的です。いずれにしても,京都には水にまつわる伝承がたくさんあります。

今日は,貴船神社さんをテーマに書かせて頂きたいと思いますが,この貴船神社さんに参拝させて頂く度に嬉しく感じるのが「御日供講」と云う護持制度です。今の神社神道で不特定多数の人々と共に御日供を制度としている神社は貴船神社を含めるとほんの数社ではないでしょうか。これは本当に素晴らしいことだと思っています。御日供については,下記の記事中に掲載しております。

そんな訳で,今日の狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~10は「水の神への感謝参詣 貴船神社 編」からです。

以下の記事は「2016.9.19」に掲載したものです。

 

こんにちは。いよいよ秋の祖霊感謝祭(お彼岸)に入りました。夏の大感謝祭(お盆)ほど盛大ではないですが,私たちを日々,天国で見守ってくださっている先祖の御霊が子孫のもとへ一時帰還されて参ります。とても大切な時期でもあります。そして,また台風(16号)の影響が心配ですが,どうか御用心されて下さい。川の近くにお住いの方は,早め早めの避難です。

上賀茂神社の参拝を終えて,次に向かった先は,天下一の名水と謳われる貴船神社であります。茶道で茶の湯を点てるとき,貴船の名水でなければならないと云われているほどの名水であり御神水です。貴船神社の左手には貴船山が御鎮座され,貴船川を挟んだ対岸にはあの鞍馬天狗や源義経さんの舞台でもある鞍馬山がそびえています。そして何よりもここ貴船神社には,以前にもブログで書かせて頂きましたが「御日供講」と云う今では珍しい護持制度が存在しています。私はこの御日供と云う五穀豊穣の原点が大好きなのです。どんなに経済が発展しようが経済の原点は五穀豊穣にあります。つまり,衣食住の食に相当します。

その衣食住の恵みを齎してくれる神様へ感謝を申し上げ,特別に新鮮な御米,穀物や御酒,御塩を御神前にお供えして神様の益々の弥栄と崇敬者の豊かで平穏な暮らしを神社の祭祀者である神職さんが祈ります。しかも護持ですから一日当たり13円から14円を崇敬者で寄附すると云うものです。まさに,経済ファンドの原形です。もし宜しければ読んでみて下さい「神道に観た御日供と現代の経済ファンド」です。

さらに,貴船は川床料理でもとても有名です。シーズン中は全国からたくさんの方がお越しになられます。親孝行を御考えの方は,候補にされてみては如何でしょうか。とても喜ばれると思います。今年はもう終わりで,今回,参拝させて頂いたときは床板などの撤去作業をされておりました。

貴船神社では,参拝者の人々に貴船山から流れ落ちる御神水を汲める場所を本宮の神域にてお祀りされております。専用のボトルも300円で授与して頂けますので,ペットボトルなどを持参しなくても大丈夫です。私も前回の参拝時に御神水を授与させて頂き,自宅の神様へ奉納させて頂きました。とても感動的でした。ここ貴船神社はとにかく御水「御神水」です。つまり,水の神様にストレートに通じている聖地です。水のまつわる伝説や伝承は随一かもしれません。一番上右の写真は貴船川の織り成す場所で,川の水が最も力強く作用している場所でもあります。古神道的には水の神様そのものです。神道的に申しますと祓い所で祓戸四神の瀬織津姫神が坐しますところです。

もちろん,貴船神社本宮の御祭神も水の神様をお祀りされています。ただし,御祭神名は違います。又,一番上左の写真は,奥宮に続く参道であります。奥宮にもやはり水の神様をお祀りされております。神社が公表されている御祭神と私が感じている御祭神は違いますが,あまり人間が付けた神様の名称は気にされない方が良いかもしれません。私的には奥宮は竜宮の乙姫様をお祀りされているのではないとか思っています。玉依姫神とも申します。上賀茂神社の御祭神の母神様であります。

ただ,上の写真にあります中宮結社「ゆいのやしろ」には岩の神様をお祀りされていて,通常は本宮から中宮,そして奥宮に参拝される方が多いようです。私は,中宮である結社には一番最後に参拝させて頂いております。中宮結社から奥宮までの間には相生杉と云って御神木もあります。貴船神社はとにかく女性の参拝者が多いです。考えてみれば,確かに頷けます。なぜなら,水の神様「瀬織津姫」も岩の神様「磐長姫」も竜宮の乙姫様「玉依姫」も木の神様「木花開耶姫」も女神さまですから女性に人気があるのかもしれませんね。もし,はじめて参拝される予定のある方は出来れば事前に下調べを入念にされた方が良いと思います。鉄道「貴船口」から貴船神社本宮までの道のりは登り坂が続き徒歩ではかなり厳しいです。さらに,本宮から奥宮までも結構歩きます。拝

貴船神社 公式ホームページ:http://kifunejinja.jp/ 秋は紅葉がとても美しいところです。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 9

2018年01月25日 00時00分00秒 | 美しき水の国

ネットでの借りものですが,本物の火山噴火の様子です。

こんにちは。わたしたち人は,いつ頃から自然に対する崇敬の念や畏怖を抱かなくなったのでしょうか?またひとつの山「草津白根山」が噴火してしまいました。このブログでも度々,山には入山しない方が良いことを書かせて頂いて来ましたが,亡くなってしまった方の御冥福を祈るとともに,負傷されてしまった方々の怪我が早く治りますように祈念しております。

酷い目に遭って戴きたくないので,ひつこい位に何度でも書かせて頂きますが,山には入山されない方が良いです。日本古来,山に対する崇敬の念から入山すると云う考えはなかったのであります。それどころか,奈良県に天川村と云う場所がありますが,天川村には山だけではなく周辺一帯には人間が住むことさえもできない場所でした。その証拠に天川村では縄文時代の遺跡物が発見されていないのです。つまり,それだけ地域一帯が神域であったと云うことなのであります。それと,ここはUFO伝説も凄いですね。

その代り,私たちの祖先が子孫の為に行ったことが山の麓に神社や祭祀場所を建立してくれたのです。

子孫代々,山や鎮守の森など禁足地に入らなくても大自然へ祈りを捧げられる祭祀場を提供してくれたわけです。

それが今でも存在する古神道系の神社であります。奈良県では天河神社も大神神社も玉置神社もそうです。

寺院でも数千年と云う歴史のある寺院は「太陽信仰」の祭祀場であったのです。

長谷寺も室生寺もそうであります。

たとえば,都会で暮らしている人が,天川村などに行くと地磁気の違いが直ぐに判ると思います。

話を今日の本題へと移したいと思います。

近代の国際化と云えば,明治時代・大正時代を想像しますが,それよりももっと遙か昔に国際化を目指した時代がありました。それは奈良時代です。その痕跡が神社や寺院に観ることが出来ます。よく奈良と比較されるのが京都ですが,奈良と京都の神社仏閣を比べるとよく解ります。それは神社仏閣の建物の大きさです。奈良の神社仏閣や仏像と京都の神社仏閣と対比すると凄く大きいのが特徴なのです。ある公務員出身で現在は経済の専門家がそのことを話していて,なるほど!と感心してしまいました。

すべてではありませんが,確かに,言われて見ればその通りであります。

その理由は,奈良時代には外国から多くの使節団を招き入れ,積極的に日本をアピールしていたようです。

しかし,平安時代に入り,京都に平安京が出来るとその様子は全く違ってきます。つまり,古くから伝わる伝統や文化に新しい考え方を上手く組み合わせて国家を建設して行ったようです。温故知新であります。人間の心理として対外的に大きく見せると云うことは今も昔もそんなに変わっていないのかも知れません。それは,現代の東京や大阪などの都心部を見ても明らかであります。

その奈良には,春日大社と云う現代ではちょっと珍しい神社が御座います。

春日大社は,現代の神社神道には珍しい祖霊祭祀を一般の参拝者でも出来るようにしている貴重な神社であります。現代では祖霊祭祀「先祖供養」は,主にお寺などでするものだと云う固定観念が支配していますが,元々,仏教に先祖供養と云う考え方はありませんでした。祖霊祭祀「先祖供養」や「追善供養」は,太古の昔から古神道が日々のお祀りとして斎行してきたものです。特に,追善供養に至っては,実に丁寧に斎行されていたようです。春日大社の前宮司でもあった葉室頼昭先生の本にも記述があります。

ここ春日大社でも神域内の御蓋山を御神体とし,絶対禁足地である原始林から湧き出る水谷川を御神水としています。

そんな訳で,今日の狙われる私たちの郷土シリーズ~美しきかな水の国~9は「水の神への感謝参詣 春日大社 編」です。

以下の記事は「2016.9.22」に掲載したものです。

こんにちは。初日,最後に参拝させて頂いた神社は春日大社でありました。ここ春日大社と云えば,このブログでも何度も書かせて頂いている葉室頼昭先生が生前に宮司をされていた神社で御座います。私も春日大社へ参拝させて頂くきっかけとなったのは葉室頼昭先生の影響であります。書物を通じてですが,葉室先生には神道や大祓詞,感謝をすることの大切さ,生命の尊さ,日本語と大和言葉などを教えて頂いて感謝しております。本を読まない私でも葉室先生の本はすんなりと読めることが出来ました。

葉室先生の本は,一般の人たち向けに書かれた良本でありますので,難しい宗教語などは使われていません。誰にでも読んで頂ける本だと思っています。是非,興味のある方は,ご覧になってみて下さい。葉室先生は神職になる前,形成外科のお医者さんでもありました。異色の経歴を持つ御方ですが,生命の尊さを後世に伝え残すことに人生の後半は尽力されておりました。葉室先生の話を検索機能で「葉室頼昭」と入力して下されば対象記事が出て来ますので,葉室先生に興味のある方は活用下さい。

春日大社は,毎日たくさんの人で賑っております。参拝の日も日本人のみならず,中国から観光に来られている方々がほとんどだと思いますがとにかく凄い人でした。ただ,残念なことに人が多いせいか何なのかゴミがとても多く捨てられておりました。参道だけではなく,社殿にも落ちているので帰りには,私のポケットはゴミポケットになってしまいました。現在の春日大社は,第60次「式年造替」の本殿遷座祭が今年の11月6日に執行される為,急ピッチで準備がされている最中であります。記念事業としても記念館のような施設も建設中でありました。春日大社が信仰の対象とするものは「御蓋山」と云う御神体です。もちろん禁足地となっていて,参拝者は御蓋山遥拝所から御神体を拝む形式になります。この御蓋山には茨城県の鹿島神宮の御祭神である神様,千葉県の香取神宮の御祭神,大阪府の牧岡神社の御祭神が御鎮座されております。

私は,今後も春日大社さんが禁足地でる御蓋山を一般の参拝者へ開放することはないと考えております。それは,葉室先生の本でも繰り返し書かれていたことでもありますし,本当に神様が御鎮座されている御神体つまり,お山に私たち人間が入山しても良いことはないからです。春日大社さんは,現在でも数少ない古神道「縄文信仰」「自然崇拝」の聖地でもあるのです。

さらに,春日大社さんでもやはり御水でした。春日大社の原始林から流れ出る御神水は水谷川に観ることができます。葉室先生の本でも書かれておりますが,この水谷川の御神水はゼロウォーターと呼ばれている成分ゼロの超真水です。春日大社では,お祭りなどで使用する装束,祭器具類をすべて水谷川の御神水で浄めると言われています。宮司さんをはじめ神官さん方もお風呂に入る時には,少量の水谷川の御神水を浴槽に入れて身を浄めてから祭事に奉仕するようです。つまり,禊ぎ祓えであります。

もし,このブログをご覧頂いている方で,古神道や現在の神道(神社神道)を知りたい,勉強したい,霊的なこと云々と言うことよりも純粋に考えたいと想っておられる方がいらっしゃれば,葉室先生の本をお読みになるか,春日大社で一般の人でも参加できる祭事に参加することを考えられては如何でしょうか。春日大社が主催するそう言った祭事や神道勉強会に参加する方が,訳の分からない団体に参加し,高級神霊からメーッセージが降りて来たからなどと参加者を募集して全国各地の御神体(お山)に入山し芸事をするよりも何倍も安心安全です。神様は言葉をしゃべりません。言葉にしているのは,あくまでも本人自身です。

なぜか?もし,神さまが言葉を話す存在であれば,私たち人間は心を持つ必要がなくなります。例えば,同じ景色を観ても,同じ文字を見ても想うことや話す言葉は皆さん違います。それは心が存在するからです。複数人で同じもの見ていても違ってくるのであります。不知ゆえに罪穢れをつけてしまう人が多いですから注意されて下さい。特に近年は,女性に多いように感じています。

ただ,春日大社から遠方にお住まいの方が多いですから時間もお金も必要になってしまうので,遠方の方は葉室先生の本が良いと思います。確か10冊程の本を出せれていたと思います。いかに自分が自然の恵みによって生かされて来たのか,祖霊の恩恵によって生かされているのかを実感して頂けると思います。今日は何だか,葉室先生の本と春日大社さんの広報担当のようになってしましましたが,本当の事なので仕方がありません。春日大社の音霊を素直の心柱に降ろすとそうのように言霊が生まれるのであります。

あっ!それと写真の紹介をするのを忘れていました。春日大社では参拝とゴミ拾いに夢中になって写真を撮影するのを忘れてしまい,表に出て気が付いた私は,奈良公園で小鹿の記念撮影をして水の神への感謝参詣1日目を終えて宿に向かいました。拝

春日大社 公式ホームページ:http://www.kasugataisha.or.jp/


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 8

2018年01月24日 00時37分41秒 | 美しき水の国

こんにちは。澄んだ空に輝く北斗七星に祈りを捧げて来ました。

風も全く吹いていません。それどころか,外は何だかとても暖かいような感じがします。

きっと,大地の神さまが,天の神さまへ風を吹かせないようにお願いして下さったのだと思います。夜中に風が吹くと,昨日の雪が凍ってしまい路面が凍結して人々が大変な想いをしてしまうからだと北斗七星に祈っているとき,そう感じました。

関東地方の皆さん,雪の影響は大丈夫でしょうか?平野部でも相当雪が積もった様子で,自動車の運転や転倒などすることがないように祈念しています。関東地方の人は雪に慣れていませんから対応も豪雪地帯の人からすると大変だと思います。

関東地方の平野部では降り積もった雪は,直ぐに溶けて流れてしまうか,除雪でなくなってしまいます。しかし,山間部などで降り積もった雪は,雪溶け水となって数百年の歳月を掛けて自然のろ過装置を経由して私たちに恵みをもたらしてくれます。天の恵みと地の恵みです。その大自然の恩恵を受け私たちの生活は成り立っています。下の写真は,奈良県の洞川温泉郷にある天下の名水とも云われる「ごろごろ水」の採水場です。私は,天河大弁財天社「通称:天河神社」に参拝したあとに採水場に行きます。

昔から,ここの「ごろごろ水」を神棚の神さまへ奉納したくて憧れていました。はじめて奉納できたときは,何とも言えない気持ちになったことを今でもよく憶えています。ひとりで感動してしまいました(笑)。天の恵みと大地の恵みにただただ感謝であります。洞川温泉郷の宿場町を抜け,自然の中にひっそりとある採水場は都会の人にとっては心が安らぐところだと思います。

又,採水場の周辺は山岳信仰「修験道」の神域であります。私のような天然水マニアには超おススメの聖地です(笑)。

そんな訳で,今日の狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~8は「水の神への感謝参詣 ごろごろ水 編」からです。

以下の記事は「2016.9.24」に掲載したものです。

 

こんにちは。天河大弁財天社の参拝を終えて,次に向かった先は,今回の主な目的である天川村の洞川温泉郷近くから湧き出る秘水ごろごろ水の採水場です。ここ洞川温泉郷一帯は,知り人ぞ知る修験道の聖地で吉野熊野国立公園の指定区域に位置し,役行者さん以来,古来から大峰山岳信仰の道場として栄えて来ました。近くにある洞川温泉郷は,今でも多くの行者さんたちの休息場となっており,ごろごろ水採水場のすぐ近くには全国の行者さんにとって聖域である母公堂や龍泉寺もお祀りされています。

しかも,ここ採水場は下の写真にもあるように,駐車場代の500円を支払えば秘水ごろごろ水が汲み放題であります。私が行かせて頂いた日は,時間帯も早く平日であったので4,5名の方しかいませんでしたが,休日などになると全国からたくさんの人がごろごろ水を求めて来場されるようです。上の写真のとおり,私はペットボトルを6本と貴船神社で授与させて頂いたボトル2本を持参して秘水ごろごろ水を採水させて頂きました。私の隣に駐車されていた方は,ポリタンク8杯くらいを軽トラックに載せていましたので御風呂や炊事などにも使われているのかと思います。環境協会のサイト:http://www.dorogawaonsen.jp/sightseeing/174/

今回,吉野天川の秘水,ごろごろ水を採水させて頂く理由は,自宅の御神前へ奉納するためです。前からごろごろ水を自宅の神様へ奉納することが楽しみでもありました。神棚の神祭りも先祖供養の祖霊崇拝も御水が特に重要だと私は考えています。水は生命の源であり,根源的な恵みです。

ちょっと大げさなと思われるかもしれませんが,人間の生死にも関わるものです。又,それだけではなく,人間の魂にとってもとても重要だとも思っています。自然界おいてはそれ以上で,ありとあらゆるものを生み出すものが水の持つ特性と言いますかエネルギーとしての働きであります。この水の働きを端的に表現された人物に道教(道徳経)の祖である老子さんが居ります。水は如何なる器でも姿かたちを変えることが出来,素直に柔軟に,争わず競い合わずの働きを持つものであると述べられています。自然のエネルギーはすべて水を求めた働きをしますし,空気も大地も木も山も水がなければ存在できません。自然界に無くてはならない存在です。

それを私たちの目で見える形,つまり具現化したものが神道や仏教に見る神祭りや仏事の形式ではないでしょうか。神道であっても仏教であっても必ず御水をお祀りします。御水をお供えすると云うよりも,御水をお祀りすると云う感覚に近いものがあるかも知れません。お祀りすることによって祓いや禊,そして日々新たに万事を生み出す大自然「神」への感謝を捧げることだと考えています。又,よく,水はどこの水でも同じで,ただの水だと論評される方が稀にいますが,私は少し違うように考えています。もし,どこの水でも同じであれば,御米などの穀物もどこのものでも同じになってしまいます。どこどこ産の御米とかがすべて同じ味になってしまいます。それは穀物だけに限ったことではなく,たとえば神社仏閣に使用する御用材(木材)にも同じことが言えます。

以前,お寺の復興に仕事で携わらして頂いたときに,調達する木材をどこの木材にするかを任されたことがありました。つまり,御用材の調達係りです。その際に,いろんな木材市場や森林組合,木材問屋などに出張したり,いろいろ研究した結果,選んだ先の材木は三重県尾鷲地区のヒノキと石川県及び福井県の白山地区のケヤキでした。特に,白山地域の木材は天下一品です。穀物も木材も水資源だけで最良と言い切ることは出来ませんが,少なくとも良質な水と良質な土壌がなければ最良のものは出来ません。私たちが暮らすこの国は世界一,最良な水の恵みを享受できる国であることは確かなことであります。近年,近隣諸国の人々が,日本の水が欲しくて日本の土地を買収しています。土地を取得すれば,地下水脈も同時に確保できるからです。それだけ日本の御水は魅力的なのであります。左の写真は,ある寺院の御用材を調達する目的で訪問させて頂いた福井県の木材市場で撮影させて頂いたものです。

そんなこんなで無事に吉野天川の秘水ごろごろ水を採水させて頂き,次に向かった先は,日本最古の水の神様をお祀りし,さらに,龍神さんが神社の前に流れる川の水を呑みに山から降りてくる容姿を神社建築に取り入れているように観える丹生川上神社下社さんです。そして,今回の水の神への感謝参詣2日目の最終参拝の場所であり,自然環境が破壊され続けている中でも未だに龍神さんが棲息していて太古の昔,太陽信仰の聖地であった室生火山帯の中心地の室生龍穴神社と室生寺へ向かいました。

室生龍穴神社に参拝させて頂くと,いつも大杉から誰かに見られている感じがします。今回もそうでした。拝殿の裏側に御鎮座されます本殿を参拝させて頂くとビシビシと「立ち入ることならず」と音霊が伝わって来ます。きっと,ここの神社を守護している天狗さんたちが参拝者を看視されているのだと思います。龍穴拝所「奥宮」へも参拝させて頂きたいのですが,神社から800メートルほど御神体(山)へ入り込まなければならないので,私は一生行けないと思います。千年以上も祈り続けられて来た聖域ですから。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 7

2018年01月23日 00時00分00秒 | 美しき水の国

自分で撮影した写真の中でもとても好きな写真です。場所は瀧原宮の御手洗場です。

こんにちは。食料自給率を一刻も早く上昇させること。大地に再びかえること。最近はそんな思いを強く感じています。

何年前か忘れてしまいましたが,瀧原宮「伊勢神宮 内宮 別宮」に参拝させて頂いとき,いつものように御手洗場で手と口を清めていると鎮守の森から音(波動)を感じました。自然が何か語りかけているような感覚です。それを私の心柱に降ろして観ました。

すると次のような言葉「言霊」が生まれました。

きっと,鎮守の森が語っていたことは~理「ことわり」~だと感じています。

この場所は「共存共栄を示す場所」です。この鎮守の森には「水の神」「木の神」「岩の神」が御鎮座されています。そなたには,それが判りますか。一つであってひとつではありません。それぞれは別々に存在しています。木は木。水は水。岩は岩のままです。それぞれがそれぞれの役割を担い,使命を果たしています。木も水も岩も独立した単独のもの。

しかし,互いに互いを認め合い尊重するからこそ,無駄なく,無理なく調和することが出来るのです。自然と同化し,単独では生きてゆくことが出来ないのです。さらに地球の一部として存続することが許されるのです。一つひとつで一体となるのです。

たとえば,木・水・岩のどれがなくなってもこの場所に存続することは出来ません。つまり,許されないと云うことです。これが神の本当の一面の姿であり,大自然の仕組みです。これまで人間は自然を徹底的に破壊し,汚染し続けて来ました。

今現在も世界中で自然が破壊され続けています。人間は必ずその報いを受けます。人間も自然同様に,大自然の中で生かされて生きていることに気が付かなければなりません。山の神をごらんなさい。樹木がたくさん立っています。

なぜだか分かりますか?山に木がなければ下界で人間は暮らせません。自然の形態も変わってしまうのです。そうなると,困るのは人間自身です。そなたも皆と共存共栄することを第1義としながら,ただ只管に今を生きるのです。よいですね。

自分の道に迷ったり,困ったり,不安ことや心配なことがあった時には,素直な心でまた訪ねて来なさい。

上記は,過去記事より一部抜粋「音霊を言霊にすると言葉が生まれます。前篇」です。

そして,今日の狙われる私たちの郷土シリーズ~美しきかな水の国~7は「龍と追っかけっこして遊んだ日」です。

下の写真は,富士山を御神体とし,富士山から湧き出る御水を御神水として太古の昔ら富士信仰の中心として崇敬され続けてきた富士山本宮浅間大社です。仕事(出張)の帰りに急に富士山の神さまへ逢いたくなってしまい参拝させて頂きました。神社上空は,雲一つない晴天で,まさに富士は晴れたり日本晴れでした。この写真では解かりませんが,他の写真は金色に輝いて観えるほどです。

龍は東洋でも特別な存在でもあり,信仰の対象と太古の昔から云われ続けて来ました。又,中国や台湾の道教寺院では至るところにもの凄い数の龍が彫刻されています。日本に存在する最大の道教寺院が埼玉県に御座いますが,確か6000体の龍の彫刻が参拝者を出迎えています。それほど,東洋人にとって龍は特別な存在です。そして,ここ富士山でも龍神伝説は多数存在します。

そもそも日本の大地が巨大な龍神で,太古の昔にうねりながら大地を形成し,固まった姿が現在の日本の大地の形です。その巨大な龍神の上(国土)に棲息している龍は子供の龍とも言えます。子供の龍は親である巨大な龍を守り,水を守護して来ましたが,私たち人間の我欲の為に,自然を破壊し,龍の子供たちの居場所を奪ってしまっています。自然支配思想は和の国では御法度です。

穢れのない水がなければ龍は棲息できません。武力による戦争はもう終わります。その変わり,水と食料の争奪戦が本格化して行きます。そうなると,餓死や餓えに世界の人々が直面して行きます。私たちの国で,今すぐにでも始めなければならない重要な事は食料自給率を上げること。外国人による日本の土地取得に歯止めをかける憲法の改正,法律の施行,条例の見直し(協議)です。

素直な気持ちで向き合えば,大自然や自然は何でも教えてくれます。

以下の記事は「2017.12.30」に掲載したものです。

 

 富士山本宮浅間大社の楼門です。

こんにちは。

上の写真は,昨日も少し記事で書かせて頂いた富士山信仰の中心である浅間大社の楼門です。

わたしは,御本殿を写真に撮ることが出来ないので,これが限界です。神社上空は,雲一つない晴天でした。

富士山に向かっている途中,大空に2躰の龍(雲)が顕れました。夫婦なのか?兄弟姉妹なのか?はたまた友達なのか?は解かりませんでしたが大空で遊んでいるような感じがしたので,浅間大社まで競争を申し込んでみると,何と!わたしの横に並んで並走し,私を追っかけて来ます。しばらく,そんな感じで遊んでいましたが何十キロも離れていた場所だったので,私もすっかり龍と競争しているのを忘れ浅間大社に到着し,フッと龍と競争して来たことを想い出すと既に龍はいませんでした。でも,楽しかったです。

きっと,浜名湖に棲息している龍だと思います。

龍との出会いは他にもたくさんありますが,龍が棲息する場所には共通点があります。

それは,①鎮守の森があること。②綺麗な水が存在すること。③争いのない場所です。

③は意外に思われると思いますが,龍は争いが大っ嫌いなのです。

人が所有の概念を持ちはじめ,争いを繰り返すようになって,龍は鎮守の森の奥深く,湖や池の奥深くに隠れたのです。

ですが,人間による様々な自然破壊,環境破壊が龍の居場所を奪っています。我が家の神棚に龍が水を呑みに来るときがあるので,1日1回は御水を取り替えています。御水を交換する本当の理由は別にありますが,神棚の榊が枯れると龍が御水を呑みに来たことが判るのです。龍の身体(体重)はゼロですから,榊は倒れたりしません。龍が着陸や離陸するのには榊(木)が必要なのです。拝 


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 6

2018年01月22日 00時00分00秒 | 美しき水の国

上の画像は,フリー画像の借りものですが,古神道そのものです。滝に打たれる必要もありません。

こんにちは。北斗七星に祈りを捧げ,今日も一日が終わりました。正確には0時を回りましたので昨日ですが。

狙われる私たちの郷土シリーズ~美しき水の国~6は「水の詰りは大穢れの元です。禊処と祓処は清潔に。」にしたいと思います。

日本の水は金の10倍の価値がある。これは私の自論ですが,もし,貨幣経済が終焉し,物々交換のような経済がされて行くと日本の御水と食物が交換されて行くかもしれません。とんでも話だと笑われるでしょうが,私は十分にあり得ると感じております。

水は良いも悪いもすべて流します。水を畏れることは世界の偉人の共通項でもあります。

やはり,私たちは謙虚に世界の偉人や先人に何を学べるかだと感じています。

以下の記事は「2016.8.26」に掲載したものです。

こんにちは。今日は,先日から書かせて頂いている「京都・奈良・伊勢への巡礼 その3」の続きを書かせて頂こうと想っておりましたが,本日は違う内容を書きたいと思います。それは,神道の極意とも秘儀とも言われ,又,仏教の中でも特に曹洞宗においてはとても重要視されている事柄でもあります。それはいったい何かと申しますと「水と水の流れる場所が全てに影響する」と云うことです。全てと言うと大げさなことに聞こえるかもしれませんが,私は本当の事だと感じております。それは,日常の生活や会社などの仕事場でも大きく影響しているように思えるのです。ただその関連性を持たすことが出来ないから理解できないだけであり,きっと,イメージでも持てれば考え方も変わってくるように考えています。

唐突ですが,次の戦は」と「食料の争奪戦であると云われているように,日本は世界でも稀な水資源が豊富で且つ,世界の天然水の中でも最高の御水であります。私は,この水に秘められている力つまり,エネルギーはとてつもなく凄いものではないかと以前から考えておりました。すべては水であると云っても言い過ぎではないくらい私たちの生活に深く関与しているものはないのではないかと思います。私は,仕事柄多くの人と出会います。業種も職種も多種多様で個人の人から企業の経営者や宗教家の方々と幅がとても広いのですが,その中で,所謂「運の良い人と運の悪い人」「運の強い人と運の弱い人」と様々な方がおりますが,その違いや差はどこから来るものなのか?を考えていた時期がありました。今でもそうであります。

すると,あることが「運の悪い人」「運の弱い人」には共通することが解りました。それは,ズバリ!水の詰りです。つまり,人の運勢や運気,会社の業績やトラブルは水の流れが関係していたのであります。自宅でも会社でも神社やお寺でも水の流れる排水口が汚れていたり,詰まっているとその個人や会社の運気は低迷します。神道では水は穢れを祓うものとして又,祓いとしても考えられています。そして,何よりも人間の身体と精神(心)にも大きな影響を及ぼしています。うつ病や精神上の疾患,血管の詰りや気管関係の詰りと云うように水の詰りが身体にも影響して来るようです。会社においても資金の詰り,業務がスムーズに流れない,連絡事項の詰り,遅延や遅滞,業績の低迷などなどに影響して来るのです。これは実際に,私が仕事を通じて目撃して来たことであります。それだけ,水の流れる排水口などは常に清潔で流れの良い状態を保つことがとても重要ではないかと感じたのです。

宗教団体に曹洞宗と云う包括団体が存在します。開祖は道元さんと言われる御方ですが,この曹洞宗では御水が流れる場所は最も神聖である場所として御風呂やトイレで口を利くことも許されません。とても厳しいものです。そして,大本山永平寺では白山から流れ出る御水を御神水としてお祀りしています。私の知る限りにおいて,仏教団体で御水を神としてお祀りしている仏教団体は他にありません。この真理を見抜いていた道元禅師は凄い御方だと思います。神道では,先程も申し上げたように御水は御神水としてお祀りしていますし,神社の境内には御神水の場所を一般参拝者へも開放しています。特に,古神道系の神社では必ずと言って良いほど水が湧き出る場所を丁寧に丁重にお祀りしています。

私も自宅の神棚,観音さまにお祀りさせて頂いている御水にはとても気を掛けますし,御先祖様の御水も水道水は使用しません。自然の天然水を奉納しています。「天川のゴロゴロ水」「白山の御水」「屋久島の縄文水」「奄美大島の御水」「五十鈴川の伏流水」「大台ケ原の宮川水」「熊野の海洋深水」「富士山の御水」「白神山地の天然水」など全国の御水を使います。昨日からは,奄美大島の地震が気になっているので奄美大島のマングローブで採取されている御水を捧げております。貴船神社の御神水を奉納できたときは感動的でした。御水の持つエネルギーと神秘性は,今後も研究して行きたいと思っております。今日は,御水が私たちに与える影響は,私たちが考えている以上に様々な面で影響していると云うことを書かせて頂きました。有難う御座いました。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 5

2018年01月21日 00時00分00秒 | 美しき水の国

禅の根本道場の永平寺では白山の御水を御神水としてお祀りしています。

 

こんにちは。狙われる私たちの郷土シリーズ~美しき水の国~5は「三菱財閥創始者が愛した禅寺 大本山永平寺」から掲載したいと思います。北陸地方の福井県に永平寺と云う寺院が御座います。曹洞宗の二大本山として,若き雲水さんの修行の場であります。

御存知の方も多いと思います。

私が初めて永平寺さんへ参拝させて頂いたのは仕事の関係でしたが,とても興味深かったのが「掃除」と「水祀り」でした。

山門受付で拝観の申し込むと,若い雲水さんが禅宗独特の七堂伽藍を案内して下さいます。その案内の中で雲水さんが「雲水はトイレや欲場では絶対に言葉をしゃべりません」と言われます。それは,水を穢すことを畏れているからです。古神道でも水を汚すことは絶対禁止行為なのです。禅の根本道場では霊峰白山の御水を「御神水」として大切にお祀りしております。

私にとっては,白山は虹の山なのです。水の聖地(山)とも言われていますが,今後,少子高齢化と経済の一極集中による過疎地域の若者の人口減少によって実家をお守りする若者が減っています。そして,空き家が激増して来ております。行政も空き家の利用を促進しようと様々な自治体で試行錯誤を繰り返しています。すべての事柄は密接に関係し連動していますから,白山周辺の土地が外国人に買収されて行くことがないように祈念します。日本の大地で北陸地方ほど天の恵みと地の恵みがある場所は存在しません。

農業の衰退は必ずや国家の衰退につながります。

以下の記事は「2016.6.30」に掲載したものです。

お寺続きで恐縮です。今日は,福井県にある禅の里である永平寺を記事にしたいと思います。

突然ですが,三菱財閥の創始者は御存知のとおり岩崎弥太郎さんです。その岩崎弥太郎さんが愛した禅寺があるのを御存知でしょうか?それが,福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗大本山永平寺と云う禅寺です。永平寺のことはテレビで見たり,話を聞いたり知っていると云う方は多いと思いますが,岩崎弥太郎さんと永平寺の関係を知っている方は,とても少ないです。                                                                       

実際に,私の知り合いの曹洞宗のご住職さんでも知りませんでした。少し,永平寺さんのご紹介をしますと永平寺は曹洞宗の大本山で,神奈川県の総持寺さんと並んで曹洞宗の2大「大本山」として若き雲水さんたちの禅の修行の根本道場となっております。受付で寺施設の拝観を申し込みますと,伝承部と云う部署から若い雲水さんが参拝者の下へやって来ます。その雲水さんの役割は,参拝者をご案内し,それぞれの伽藍施設の説明をする役割を担っております。慣れていない雲水さんは口ごもったり,噛んだり,言葉が出てこなかったりと直ぐにわかります。ここにも禅僧として大切な修行のひとつが秘められているようです。

見ず知らずの人へ伝える御役を担うのです。つまり,自分がきちんと理解していなければ,正しく相手に伝えることができない。それには,自分みずからが積極的に相手に分かって貰う為にはどうすれば良いかを学ぶ修行のひとつではないかと考えます。話をすることで,自分自身もさらに理解が深まる。企業の研修なんかでも取り入れていますね。商品の説明や会社の説明などでも。

ちなみに,余談ですが禅の精神を会社の社是や創業者スピリットにされている著名な経営者も多いです。

松下幸之助さんもその内の一人でありました。アップルコンピューターの創業者もそうですね。ビルゲイツさんも。

そして本題ですが,岩崎弥太郎さんが愛した永平寺との関係はただの宗教上の理由だけではないのです。

それも三菱財閥の根幹に関わる重大なことと同時に三菱を世界的な企業にするために大きな野望がこの永平寺にあります。そして,今でも存在します。ひとつのヒントとなる事柄で云うと東京都港区「芝公園」と関係するのですが,三菱財閥の岩崎弥太郎さんがなぜ,わざわざ福井県の永平寺をそこまで愛したか?永平寺の伽藍施設は七堂伽藍と云ってそれぞれ重要な無くてはならない伽藍ですが,その七堂伽藍の中心にある仏殿と云う伽藍に岩崎弥太郎さんの御霊をお祀りしております。

その理由は,この仏殿を再建する際に,岩崎弥太郎さんがお一人で私財を投じ再建されたようです。つまり,お寺の本堂を一人の檀家さんだけで建てるような感じです。そこまでして,岩崎弥太郎さんが愛して止まなかった永平寺は素晴らしい禅の根本道場です。

そして,古神道の私としては,他にも触れて置きたい場所が,この永平寺さんにはあります。それは,白山から流れ出る御神水をお祀りしていると云うことです。御存知のとおり,白山は日本の三大霊山(霊峰)として,太古の昔から信仰の山として崇敬されてきた霊山ですが,白山はとても水がきれいなことで全国的にも有名です。永平寺でも白山から流れ出る水を御神水としてお祀りされている様子に,永平寺は神仏習合以前の形を今に伝えている寺院だあると確信致しました。拝

曹洞宗 大本山永平寺(禅の里まちづくり実行委員会HP)

http://zen-eiheiji.jp/eiheiji/


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 4

2018年01月20日 00時00分07秒 | 美しき水の国

人間社会が騒がしいので,龍宮城に帰るウミガメです。江ノ島神社にて。

狙われる私たちの郷土シリーズ4は「すべてを水に流すこと。古神道とともに。①」にしたいと思います。

上の写真は,江ノ島神社へ参拝させて頂いた時に,撮影したものです。本物のウミガメではなく,亀石と云います。とても素晴らしい神社で,鎌倉や江ノ島も水の神さまをお祀りされておりました。日本三大弁財天信仰の場でもあり,大勢の人で賑っていました。中国の人々が集団で参拝しているようでしたが,せっかく黄金之国ジパングに来たのですから大自然とともに共存共栄する古神道を少しでも体感して帰って頂きたいと思います。わたし個人的には,ここ江ノ島は琵琶湖周辺の気と似ているように感じました。

琵琶湖で想い出しましたが,滋賀県大津市に三井寺と云う寺院が御座います。

三井寺でも御水をお祀りしています。三帝「天智天皇」「天武天皇」「持統天皇」の産湯を今でも龍神が守護しています。

以下の記事は「2016.9.28」に掲載したものです。

こんにちは。今回の「水の神への感謝参詣」もあと女人高野の室生寺と伊勢神宮で終わりになります。今日は,ここ数日の間に書かせて頂いて来た「水の神への感謝参詣」を自分なりに振り返って観た感想を書かせて頂きたいと思います。何かの正解を探すのではなく,素直な心柱で感じて観たいと思います。本当に今回は御水に関することを意識する参詣になりました。これまでも同じ神社や寺院に参拝させて頂いて来ましたが,今回は御水と云うお題を与えられた様な感じでとても解りづらく,抽象的と云うか感覚的と云うか不思議なものでした。古神道の神髄である無言の教示や案内は,自分から率先して意識したり,行動しなければ会得できるものではありません。つまり,教祖たる人物がいない訳ですから教えてくれる人が誰も存在しません。相手は大自然です。

仏教の祖であるお釈迦様が心の燈火を拠り所にして道を歩みなさいと言われた意味が欠片ほどですが理解できたような気がします。現代の神社神道の祝詞「大祓詞」にも仏教の経典「例えば,般若心経や観音経」にもたくさん知恵や教示が示されていることだと思います。しかしながら,その本当の意味や内容を理解する為には何万遍と唱えても悟ることは永遠に出来ないと私はそう思っています。立派な言葉や文字を眺めているだけ,また読んでいるだけで人生が豊かに生活が平穏になると考える心の方にこそ問題があるとも考えているからです。つまり,祝詞や経典に書かれている内容を如何に日常生活の上で実践して行けるかだと感じています。

したがいまして,本当の悟りや理解などは厳しい修行や苦行にあるのではなく,日常生活の中にあるのではないでしょうか。そして,誰もが豊かに平穏に暮らす為に生まれて来ているのだと考えています。よく,この世の中は,厳しく,不幸なものだからとか言われる方がいますが,私は全く考え方が違います。不幸の中の不幸は,何処まで行っても不幸のままです。苦しみの中の苦しみもどこまで行こうが苦しむままです。苦しむことで過去の因縁を昇華できるとか言うことはありません。これを暗示のように毎日毎日,自分に言い聞かせ,他の人物からこのような教義を受けていると最後の日まで苦しみの中にいることになってしまいます。

私たちは,大自然と云う太神様の中で生かされて生きているのです。そして自然とともに生きているのですから大自然の仕組みが変われば,私たちの心も良くも悪くも変わってしまうのです。大自然や自然に感謝をすると言う言葉の奥には,自分自身に感謝することに繋がっているのであります。さらにこの世のありとあらゆるものは太神様の断片で,すべてのものには太神様の御分霊が宿っていると考える方が自然な考え方の様に思えます。それを,科学ではこの様に考える,医学ではこの様に考える。経済ではこうだとか法律的にはどうだとかを真剣に大人たちが議論しています。つまり,人間が社会や自然をコントロールしていると思い込んでいます。元々,科学も医学も経済も法律もそして,宗教も信仰の対象として崇拝されて来た一つのものであったのです。それがいつの間にか,一つひとつを分離させ,人が支配するようになってから訳が分からなくなって来たのです。分離分割すればする程です。

今回の水の神への感謝参詣を通じて,いろんな事を勉強させて頂きました。一見してみれば,川に流れるただの水ですし,神社から湧き出る御水つまり,御神水です。しかし,そのただの水と感じるのも人の心の内であります。大自然の中で生かされ,自然と共に共存共栄して生きることで大自然からの音霊(波動)を感じ取れることができます。何か特別な能力が必要だとか神様から選ばれたとか云うものではありません。誰においても出来ると私は思っています。その為にも感謝の心柱を立てなければなりません。つまり「自ら手を挙げ名乗り出よ」と云うことなのです。だからと言って,神様がそのような言葉をしゃべる訳でもないです。あくまでも自分からですから別の言い方をすれば,奉仕の心柱も自分の心に必要であるとも言えます。私がしますと言う謙虚な心柱を自分の心の高天原に太如き立てるしかないようです。今日で,このブログを開設させて頂いてから108日目が経過致しました。仏教に伝わる様に,人間の煩悩の数と同じであることから今日の記事を書かせて頂きました。感謝申し上げます。有難う御座いました。

明日に続く。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 3

2018年01月19日 00時00分00秒 | 美しき水の国

こんにちは。

日本で生まれ,日本で育ち,日本で暮らし,日本人でありながら日本の御水を外国人から高価の値段で買うような日がこのまま行くと来ます。日本人が日本の土地に住む為には,外国人に地代を支払い暮らして行く日もこのままでは来ます。これを見据えた憲法の改正,法律の施行をしてもらいたいです。資源に乏しい国,食料自給率の低い国と云う罠に嵌っても未だ気が付かず,当たり前の様に外国産を私たちは買い続けています。挙句の果てに,食物の遺伝子を組み替えるなんて云うことに手を染めようとしています。

食物の遺伝子組み換えは,天と地の恵みではありません。

それが人間の自己治癒力を阻害しているのであります。

人工的に組み替えられた食物は,人体に悪い影響を齎して行きます。

先ずは祀りし水の神を。先にお詫びし水の神に。

心の迷いは事象となって現実生活に現れ,社会の乱れは必ず現象となって現れる。先ずは水の神にお詫びし,生命と恵みを齎して下さることに感謝すべし。水は天の神と地の神からの最も尊い恵みそのもの。神そのものと心得るべし,心身ともに禊ぎ祓を怠らず,日々に励むこと。心の曇りを祓い,心の穢れを禊ぐためには水の神を祀ることなり。先ずは祀れよ水の神を。日々に祈れよ水の神に。水を汚すは心を穢すことと心得るべし。水は生命そのもの。不浄不要は水に流せよ。曇りしことあらざれば水で祓いて頂けよ。

美しき水の国シリーズ3は「水の神への感謝参詣 出雲大神宮 編」で行きたいと思います。ここ出雲大神宮は,超古神道の聖地中の聖地であり,神社本庁には属さず,単立(独立)の神社であります。何と云っても後方にそびえる御神体「御陰山」と御神水「真名井の水」です。祭祀は軽く1万年前にさかのぼります。観光気分で参拝する神社では決してありません。

 

以下の記事は「2016.9.16」に掲載したものです。

こんにちは。今回は通常よりも1泊多い2泊3日の参詣でした。初日1箇所目の神社は京都府亀岡市千歳町に御鎮座されます出雲大神宮と云う1万年以上も前から太古の人々の祭祀場であった聖地中の聖地です。話が少し逸れますが,ある神道系団体の二大教祖の内の御一人で出口王仁三郎さんと云う方が居られました。その出口王仁三郎さんは,ここ出雲大神宮へ随分と参拝に来られていたようです。その本当の参拝の目的や理由を私は存じ上げませんが,ここは重要な聖地「祭祀場」であると云うことは参拝されれば誰にでも感じて頂けると思います。ただ残念なのは,御神体である御蔭山(みかげやま)の入山を認めていることです。ここは禁足地にするべき程の祭祀場です。以前も御神体については記事にさせて頂きました「御神体へ入山するなら命を懸けるつもりで。御覚悟を。」です。他にも御神体の入山に関する記事は書かせて頂いておりますので,ブログ左帯の便利な検索機能で「御神体」と入力して検索されてみて下さい。いろいろと出てくると思います。御神体への入山だけは冗談ではなく本当に要注意です。

上の写真は,出雲大神宮の神域にある神池です。左側の写真には何か得体のしれない黒いものが写っています。これは,神池に生息している小動物です。この神池には弁財天をお祀りしている弁財天社が御鎮座されており,私も社殿にて参拝を終え,弁財天社に着いたとき神池から音がしたので,おっ!龍神さんか?と思いましたが何だかわからない小動物でした。しかも,よく小動物の動きを観察していると,ここ神池の小魚を食べていました。上右側にある写真の様に神社側も捕獲しようと捕獲用のカゴを2つ設置して試みているようですが失敗しているようです。大小合わせ私が確認しただけでも3匹はおりました。他の2匹は悠々とまるで自分たちのプールのように泳いで遊んでいます。私たち人間のことなどお構いなし悠々自適でした。難しい駆け引きが続きそうな感じです。

さて,先ず,ここ出雲大神宮は元出雲と呼ばれていて島根県の出雲大社の元になったと言われている神社です。それは別として,出雲大社よりも古いことは確かで知る人ぞ知る神社でもあります。そして何よりも御神体は御蔭山(みかげやま)と云う聖域中の聖域です。ここの御神体への入山は禁物であると前から思っています。ですから,私はあまり知り合いにも此処の出雲大神宮を紹介しません。なぜならば,あまりの清々しさに御神体へ入山してしまうからです。その御神体へ興味本位に不敬でもあって知り合いに何か神罰があると嫌だからです。そのことを心得ていて純粋に感謝だけを捧げる目的であれば最強の神社の一つであることは間違いありません。何といっても地球神をお祀りされている数少ない神社ですから。ちなみに,神社本庁に属していない単立の神社です。

私が出雲大神宮に到着したのが,早朝の5時30分から6時の間でした。まだ誰も参拝には来られていませんでしたが,鳥居をくぐり手水舎で禊を済ませて拝殿に向かう途中,右側にそびえ立つ御神体の方向から御眷属の視線をもの凄く感じました。研ぎ澄まされた風のようなものですが,空気が一瞬にして変わり行くのが解りました。同時に日頃の罪・穢れが祓われて行く感覚もありました。特に早朝は,太陽神が現出されるのですから精霊たちには特別で神聖な時間帯なのかも知れません。そこに,現界の人間が来る訳ですから不敬なことがあれば容赦はしないと云う雰囲気でしたが,とても緊張感のある参拝をさせて頂くことが出来ました。

もうひとつ,出雲大神宮で御神体と共に太古の昔から畏れ,奉られている場所があります。それは,御神水である御水です。ここの御水も知る人ぞ知る御水であります。その名称は「真名井の水」と呼ばれ,全国各地から御水を汲みに来られております。私が参拝を終えた直後にも数名の方が御神水を求めて参拝されていて,若い夫婦のような方々は大阪から自動車で参拝されていらっしゃいました。私も前から,ここの御神水を自宅の神様へ奉納したいと思っておりますが,未だ新参者に近いものですから御眷属から許可が出ていません。その日を楽しみにしています。未だこの段階では,水への感謝参詣になることを私自身も解っていないようです。拝

公式ホームページが新しくなりました。出雲大神宮:http://www.izumo-d.org/index.html


 

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狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 2

2018年01月18日 00時00分00秒 | 美しき水の国

狙われる私たちの郷土シリーズ2は過去記事「山の神が示すものから水の神が示すものへ」です。剣を筆に変えて正確にはキーボードですが,わたしたちが暮らす「美しき水の国」の郷土と御水を守らなければなりません。水を穢してはならず,水を穢すことを私たちは畏れなくてはなりません。水ほど恐いものもないのであります。神社や寺院で何故,御水が最も尊ばれ,太古の昔より御神水として崇め奉られて来たのか?を少しでも感じて頂ければと感じております。水は天の神さまと地の神さまからの最高の恵みです。

御水を利権化し,他国の人に譲り渡すと私たちは祭祀が出来なくなります。

つまり,私たちは民族の誇りを失い,天皇の存在すら否定することになります。そして再び,敗戦を迎えます。

中国の老子さんも孫子さんも「御水」に関しては崇敬の念を以ていました。中国の皆さん,何故だと思いますか?

既に起きている水と食料の争奪戦を切り抜けて行くには,日本の食料自給率を上昇させるしかありません。一部の学者,マスコミ等の嘘話に騙されない様にしなければいけません。又,「日本は資源に乏しい国」これは大嘘です。日本は世界でも有数の資源大国であります。 資源に乏しい国と云う固定観念が,食料自給率も押し下げ,他国から大量に食料を輸入した結果が今の世の中です。

 

上の写真は,室生火山帯の中心部です。          上の写真は,丹生川上神社下社です。

こんにちは。今回の参詣は,いつもの参詣とは違い,テーマはどうやら水にまつわることや水に関することであったようです。その音霊が意味するものは何なのか,もう少し時間を置きながら見つめて行きたいと思っております。音霊を直ぐに言霊に変換でき,答えを直ぐに見出すことは今は無理ですが,とても興味深い内容が込められているような気がしています。ここまで,水に関係する参詣を水を意識しないで御水への感謝を意識せざるを得ない参詣をさせられるとは思ってもいませんでした。これまでの参詣は,主に山でした。参詣させて頂く神社や寺院では必ずと言って良い程,後背には御神体である山が存在していました。

そして,私は,山そのものの存在を勉強して行くとそれは,神さまそのものでした。太古の人つまり,縄文人が山を畏れ,崇拝していた理由も理解出来ました。それを御神体であったり,禁足地であったり,鎮守の森と現代の私たちは呼んでいます。

そんなある日,何気なく音霊が言霊に変換された瞬間がありました。それが,このブログのサブタイトルでもあります「山を下りた観世音」でした。「ここに来ても観世音はもういない」「観世音は裸足で山を下りました」「仲間の菩薩も後を追って山を下りた」と言霊に変換された瞬間,世の中が新たな文明を迎えると感じました。新たな文明を迎えるのですから,当然,その前に今の文明は終焉することになります。その終わり方を巡り,様々な社会では混乱をきたしております。その終わり方にも容赦はなく,とても激しく,厳しいものになるから強い者は弱い者の面倒をしっかりと見ること。大きい者は小さい者を助けてあげること。

そのような警告に近いことが次々と現象として表立ってきています。私は,決して他人事ではないと感じていて,以前にも,記事に書かせて頂いたと思いますが,誰においても明日は我が身であると真剣にそう考えています。もっと云わせて頂ければ,もう既に今日は我が身になっているかもしれません。たとえば,経済と云う側面においては「資産を持っている高齢者」と「資産のない若者」ですとか一度,災害が発生すれば「元気で直ぐに自力で避難できる若者」と「他人の助けがなければ自力で避難することの出来ない高齢者」と云う具合に,強者や弱者と云う立場は簡単に環境によって左右されるものである訳です。したがいまして,明日は我が身と云う言葉の前に「環境の変化によっては」と云う言葉を前提にされると分かり易いのではないでしょうか。

きっと,大自然である神さまが私たち人類に繰り返し繰り返し音霊(波動)を送っているのですが,私たち人間の方が,神さまからあまりにも遠ざかってしまい,日々の生活や仕事,学業に追い込まれ神さまからの音霊(波動)を受信できないまでになったのではないでしょうか。中には,そんな話は馬鹿げていると考える方もいるかも知れませんが,人と人が支え合い,互いに尊重し合い,足りないものを互いに補うことにまでは反対しないと私は思っています。縄文文明は正にこれそのものでした。

以前,7月14日に書かせて頂いた記事です。「残された道は ただひとつ。相互扶助への道。」宜しければ読んでみて下さい。

私たちに残された道は和の仕組みと相互扶助が最大のテーマです。

否応にもその道を歩まざる得ないものになると思っています。大袈裟に受け取られるかもしれませんが,人類が生き残れると申しますか,これからもこの地球神の大地で生きて行ける唯一の方法だと感じています。それを私たちひとり一人が気が付けるかどうかの問題でもあるかのような災害・事件・事故がこれでもかと云うくらいに続いてしまいます。ここでもし,私たちが気が付かなければ,気が付くまで事象は繰り返されて行き最後には人類は滅んでしまうかも知れません。私も毎日,自分自身に明日は我が身と云い聞かせ,どうすれば和の仕組みと相互扶助の世界が実現するかどうかを想っています。たった御一人,私たちの先人で和の仕組みの復活を目指し,相互扶助立国を志した方がおりました。それは,世界的な企業を創業された松下幸之助さんと云う御方です。論書では慶応義塾の創設者でもある福沢諭吉さんが有名です。いまの保険制度の元だと云われています。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 1

2018年01月17日 00時01分00秒 | 美しき水の国

こんにちは。一昨日,日本の水源地を守らねば!~狙われる日本の国土~と云う記事を掲載させて頂きました。このブログでもこれまで過去にたくさん水に関する記事を掲載して来ました。私のブログでアクセスが多い「キーワード」も御水なのです。したがいまして,過去に掲載して来た水に関連する記事を再掲載し,水が如何にして大切なものなのか私も再度,勉強する為にも取り上げたいと思います。今日は,過去記事「水の神への感謝参詣 天河大弁財天社 編からです。写真は天川村の天ノ川と申します。

和の国の水源地を金銭目当てで,他国の人に譲り渡しては神の怒りに必ず触れます。

近年,富士山周辺,主に北海道で水源地を他国の人に譲り渡しているようです。北海道は縄文人の末裔が多く暮らしている場所でもあります。アイヌ民族が相当しますが,そのアイヌ民族の末裔が絶対に出来ないことがあるのです。それは,水を穢すことです。そして,山の一帯にはアイヌ民族の祖先が大切にして来た隠れた祭祀場が多数存在します。万が一,他国の人が無知故に自分の所有物だからと言って山の上流一帯に施設を建設するとどうなるでしょうか?その様に考えただけでも私には恐れ多くて言葉も出ません。

私たちが暮らす和の国において,山は「御神体」水は「御神水」なのであります。

そのことを~美しきかな水の国~長編シリーズで記事に掲載して行きたいと考えています。

以下の記事は「2016.9.23」に掲載したものです。

こんにちは。初日は,春日大社で参拝を終え,近くの宿泊施設に到着して,明日の準備を整え就寝致しました。しかし!早朝5時頃に起床したら外が大変なことになっておりました(笑)雨と云うより嵐です。しかも,雷の神様が御降臨されている様子でピカピカ光っております。2日目の予定は,奈良県は吉野郡天川村に御鎮座されます天河大弁財天社「通称:天河神社」への参詣と同じ天川村の洞川温泉郷近くにある「ごろごろ水」の採水に行く予定でありました。そして,伊勢に向かう途中に室生龍穴神社と室生寺に参詣してゆとりを以て行動する計画を立てていました。これはどうしたものかと思案していましたが,支度だけしてしばらく様子を見てから出発することに致しました。そうして身支度を整え,準備万端となった頃,雨も小雨に変わりましたので目的地へ出発することになりました。

奈良市街を走行しているときは小雨もありましたが,山間部に入ると雨はほとんど降らなくなり,時より空が明るくなってきたりと心配していた気持ちが祓われて無事に天河神社へ到着しました。この天河神社は何故か解りませんが,魂の母親に会った気分になる神社なのです。きっと,天河神社へお参りされたことのある方も私と同じ様な感覚になられたと思います。本当に優しさだけの波動を放つ神様です。唐突ですが,神と云う文字は漢字です。この神と云う漢字をひらがなで文字にすると「か」「み」です。これを音霊で観ると「あ」「い」となります。つまり愛です。この愛と云う言葉がとてもピッタリの神社です。私たちが参拝させて頂く拝殿から階段の上にある本殿の建築様式は,他の神社仏閣ではあまり見ることが出来ません。この本殿も音霊を言霊にして観ました。

すると「親」と云う言葉(漢字)が私には観えて来ます。つまり,木の上に立ち,子供の様子を見守る親の姿を神社建築に取り入れているようでした。おそらく,神社の宮司さんも建築した宮大工さんも無意識と云う意識で現在の建築様式を決められていると思います。神道にはとにかくこのような無言の教示が多いのです。例えば,ひふみ神示「原本は日月神示」でも元々は,私たちが普段使用している様な文字ではありませんでした。記号であったり,数字であったり,渦のような絵柄であったりと意味が解らない表記だけでした。「1414」と書いて「いよいよ」と解釈したり,「ニニ」と書いて「富士」と解釈したりと云う感じのものでした。

したがいまして,あくまでも言葉に変え,文字にしたのは人間です。つまり,神様は言葉をしゃべりません。言葉が生まれる前の存在を私は音霊(波動)としています。この音霊(波動)を正確に観れるかどうかがとても大事なことであるのです。つまり,古来から伝わる審神者です。昔の審神者は,神さまから伝わる音霊を見事に観れていたのだと思います。ただ,現代においても音を正確に観れる人たちがいます。それは,幼子を持った母親です。母親はテレパシーを使って常に幼子と交信しています。

このとき,母親が発するテレパシーに使用するのも母親の体内に含む水です。

その辺りの事は,また別の機会で記事にさせて頂きたいと思います。話が逸れてしまいましたので,天河神社に戻したいと思いますが,この天河神社をインターネットで検索すると実にいろんな話や話題が出て来ます。そこには「選ばれた人しか行けない」とか「然るべき時にしか参拝できない」とか云う所謂,都市伝説です。確か,玉置神社の記事でも書かせて頂きましたが,選民意識に繋がるような話は信用しない方が良いですし,気にすることも一切ないです。こう云う話は神さまが一番嫌う音霊(波動)なのです。

既に審神者も失敗,選ばれてもいません。きっと,その様な伝説話になった最大の理由は,天河神社までの道程の難所さからだと思います。その様な意味においては,なかなか行きたくても行ける場所にはありませんし,何となくドライブしていたら到着しましたなんて云う場所でもありません。やはり,明確に天河神社へ行こうと決めなければ行ける所ではありません。天河神社とよく引き合いに出される玉置神社はさらにそうです。参拝を計画されている方は,そのような都市伝説を信用するよりも安全な参拝計画を立てられることをお進めします。自動車であれば,十分な運行計画に基づいて事前に神社の案内を調べるのも良いと思いますし,これから秋から冬になれば路面の凍結も考えられますので,交通安全で意義のある参拝をされてみると良いと思っています。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝