東京はゴーストタウンに。
「いろんな意味で東京はオススメ出来ない」
都は奈良?京都?
働き方も今の私たちが考えてるよりもはるかにかわる。
ダブルワークが当たり前になり,
パート,アルバイト,派遣に正社員なんて形態もなくなる。
皆が個人事業主に。「大切なのは情熱」
好きなことを職業にする。
創造出来ることが必要。
そろそろ配達の時間なのでまた。
(^_^)/~
東京はゴーストタウンに。
「いろんな意味で東京はオススメ出来ない」
都は奈良?京都?
働き方も今の私たちが考えてるよりもはるかにかわる。
ダブルワークが当たり前になり,
パート,アルバイト,派遣に正社員なんて形態もなくなる。
皆が個人事業主に。「大切なのは情熱」
好きなことを職業にする。
創造出来ることが必要。
そろそろ配達の時間なのでまた。
(^_^)/~
こちらも2年程前の記事です。
こんにちは。
最近のニュースを見ても,新聞を読んでも暗くなるようなものばかりが報道され続けています。政治の世界でもそうですし,宗教界でも同じであります。ほとんどが性非行か金銭的な事柄です。なんだか暗くなるようなニュース以外は報道しないようにしているのか?と思えて来てしまうような社会になってしまいました。これは,私たち個人に与える影響は良くないものであり,まして子供たちのことを考えると複雑な気持ちになって来てしまいます。そうかといって,事実を報道しないと云う報道姿勢ではいけません。
本来,私たちの国の政治も経済も祭であるのです。その祭りの意味を取り違えしてしまっている期間が少し長すぎてしまって,いつの間にか政治の祭,経済の祭を忘れてしまったようです。祭を忘れてはなりません。日本と云う国家は祭を主体とした和の國であります。食事をすることは直会(なおらい)と云う生命を維持する祭事です。お風呂に入るということは禊と云う祭事です。身を浄める・清めるとも云われています。掃除でも同じように埃や塵を払う祓事と云う祭事なのです。こんなにたくさん国民の日常生活に祭事が存在する国家は,世界中の国々をどんなに探しても日本「和の國」以外に存在することはありません。日本人は祭人です。
故に,特に西洋人には不思議な民族として見られているようです。日本人と聞くと礼儀正しく,清潔で,真面目と云う代名詞のように感じられていますが,それもそのはず。これだけ祭事が国民一人ひとりの生活の中に浸透しているのです。日本人からすると何も特別な意識すら以ていないのであります。つまり,当たり前と云う前提がそこにはあります。しかしながら,その前提がいま大きく崩れかけて来てしまっています。これは日本と云う国家と日本人と云う国民にとっての存亡にかかわることではないでしょうか。
たとえば,生命を維持するために私たちは,食事「直会:なおらい」と云う祭事をします。その食事が出来までの過程を見てみると五穀豊穣を祈る五穀豊穣祭と云う祭事からはじまり,天と地のエネルギーを十分に吸収した作物を収穫します。無事に収穫できたことを天と地の神さまに感謝申し上げます。そうして私たちは自分の身体に吸収できる訳です。食事「直会」を通じて感謝の気持ちを育むことを小さな子供のころから私たち日本人は教育されて来たのであります。それを自分の身体で表現したカタチが食事をする際の「いただきます」と云う祈りの姿です。この祈りの姿とは何を意味するものなのか?ここにも祭の重要な意味があるのです。
それは,動植物供養祭と云う祀り事です。
何気ない食事と云うことでも五穀豊穣祭からはじまり,天と地のエネルギーを吸収して育つ生育祭,そして,無事に収穫出来たことへの収穫感謝祭,さらに,私たちが食事できることへの感謝祭と生命を戴くことへの動植物供養祭と単なる食事だけでもこれだけの祭事があるのであります。しかし,こう云った祭事が日本からどんどん減って行ってしまっています。食事をするときの「いただきます」と云う言葉には動植物への供養の意味が籠められているのですが,それすら出来ない人がおります。
食事の祭事でけではありませんが,冒頭でも書かせて戴いたお風呂にしても同じであります。お風呂は禊ぎするだけではなく,自分の身と心を癒やしてくれる大切な癒し所でもあります。水への感謝の場所でもあります。最近は,湯船にはつからずシャワーだけで済ませる日本人が多いようですが,湯船につかると云うことも大切な祭事であるのです。よく落武者が戦場で負傷した刀傷を治癒するために温泉を探していたり,発見したと云う話を聞かれたことはないでしょうか?温泉は,身体の内部の病気だけに効果がある訳ではなく,外傷にも効果があることを昔の人々は知っていたのであります。現代医学でも温泉療法は有効であるとされています。
私たちの日常生活からさまざまな祭事が減って行き,消えて行ってしまうと日本はどうなるのでしょうか?このままでは,日本人が西洋人化してしまう日が本当に来ると私は感じています。企業社会では,ほぼ西洋化してしまいました。ちょっと前に,社内用語をすべて英語にすると云うことで話題になっておりました。もしかすると,戦後の占領統治政策は終わっていないのかも知れません。私たちが暮らすこの日本から祭事を無くしては決していけません。私たちが祭事を失ってしまえば,日本人は日本に住みながらにして日本人ではなくなってしまうのです。既に,西洋人化している面も多々ありますが,しかしまだ間に合うようにも思います。
日本弥栄!あなたも弥栄!
祭人 Asahi Hanasaki 拝
だいぶ前に書いた過去記事です。
こんにちは。
松下幸之助さんは,とても信心深く神社や寺院に多額の寄付をされて来た人でも有名であります。きっと,学歴もなく病気がちであった自分を世界的な企業にまでさせてくれたのは神仏と先祖のおかげであることを誰よりも御存知であったのではないかと思います。少し事業が上手く行きだし,お金にも恵まれて行くと人は誰しも自分の力だと勘違いを起こしてしまいます。
これは,悲しいかな人間の持つ性(さが)なのかも知れません。ひとつの企業が成長して行く過程において,たくさんの人の支えがあってはじめて成長できるものです。そこには,企業競争に敗れた相手とその家族もたくさん存在しています。当然,努力が実らずに定年を迎えた人々,途中で挫折してしまい終えた従業員も居たはずであります。そんな人たちのある意味犠牲の上で企業は成長して行くのですから,経営者は常にそのことを忘れてはならないのではないのでしょうか。そして,そう言った物事に対する姿勢が経営者の人格を磨いて行く様にも感じています。敗れた相手,忘れ去られた人々を決して忘れない考え方は和の基本姿勢です。
松下幸之助さんが実現したかった社会とは「和の仕組」だと私は感じています。何よりも素直に生きることが大切であると以前,松下幸之助さんの本を読んで書かれていたことをよく憶えています。確か,本のタイトルは素直な心に成るためにだったと思います。又,松下幸之助さんは,将来日本の為に活躍できる人材を育てる目的である塾を創設させました。そこで様々な事柄を学び教育されますが,私が一番感心したのは「掃除」にありました。なんでもその塾では,やる事がなければ掃除をしろと言うことが徹底されているようです。きっと,掃除の持つ御力をよく知っていたからではないかと思います。アップルコンピューターの創業者であるジョブズさんもマイクロソフトのビルゲイツさんも掃除の持つ御力をとても理解されていました。これは本当にその通りであります。
禅をこよなく愛した松下幸之助さん,ジョブズさん,ビルゲイツさんならではの考え方でもあり,非常に実践的なことであるとも思います。掃除は禅の基本で根本と言っても良いかも知れません。福井県の永平寺に行くと深夜1時から若いき雲水が懐中電灯を額に着け一生懸命にただひたすら掃除をしている場所があるのです。その中でも特に,水と水回りの掃除はとても大事であります。つまり,水が流れ出る場所です。私たちが暮らす個人の家においても同様であります。浴室や洗面所などが汚れるとその家に住む人の健康や運気に悪いと古神道では言い伝えられています。水は穢れを流し,掃除には祓いの御力が込められているのであります。
今日は,なんだか常日頃から私が考えていたことを先人も同様に考えていたんだと云うことで,松下幸之助さんを記事にさせて頂きました。そして,先人から背中を押して頂いている気がして嬉しくもなりました。やはり,いつどんな時代であろうと和が基本であり,その和の仕組みは,わたしたちが暮らす和の国から始まるのであります。明るく温かいと言うのが人の基本です。暗く冷たいと言うのはやはり可笑しい。人を人と思わず,人を物として来た1つの時代,世の中がもうすぐ終わります。和の仕組みの復活です。
花咲 あさひ 拝
2年程前の過去記事です。
こんにちは。今日は,一之宮に御酒を奉納して,神札を新しい神札に交換して参ります。私は一年間の間に3回くらいは神札を新しい神札に交換しています。最近,昔に比べると神社に参拝される人が何だか増えているように感じています。それも比較的,若い人たちが多くなって来ているようです。若い人たちが,自分の住む地域の氏神さまに素直に感謝を捧げることが出来ると云うことは,とても良いことです。何か自分の願いを叶えて貰おうとする参拝ではなく,日々の生活に感謝できる心と云うものは尊いことです。
できますれば,多くの人々が,大自然に感謝の気持ちを誰も介在させることなく出来れば良いなと思っています。純粋無垢な感謝の気持ちは必ず大自然に届いています。そしてその素直な想念は,自分自身に反射されて来ることなります。特別,何か呪文のような言葉を捧げるのではなく「ありがとう」これだけで良いのであります。なぜならば,この「ありがとう」と云う言葉は感謝を表す言葉として私たちは何気なく使っていますが,これは言霊信仰の中心でもあり,最強の祝詞でもあるからです。理屈を超越します。
わたしたちの国「日本」には,一つひとつの言葉,つまり一音一音に神さまの分霊が宿ると云われています。言霊信仰と云われて来た古の信仰形態です。たとえば,ひらがなの50音の一つひとつに神さまの分霊が宿っているのです。一音一音を組み合わせ,それを繋げて私たちは普段何気なく会話をしています。その一音一音の組み合わせの中でも森羅万象を顕す言葉「言霊」があるのです。
それが「ありがとう」と云う5音であります。ありがとうと云う5音の言葉「言霊」の組み合わせと繋がりは,実は,宇宙の根源的存在「根源神」は,自分の心の中に坐します云う意味があるのです。これが世界すべての宗教や信仰の元の本であると私は感じています。万物・物事の始まりであり,物事の中心でもあり,和の中心でもあるのが「ありがとう」と云う言葉の意味であるのです。
つまり,森羅万象,万物の中心なのです。私たちに馴染の深い現代の神社神道も仏教も「ありがとう」が起点となっています。人間の心は宇宙と繋がっていると言われる所以でもあります。大自然に感謝を捧げること氏神神社で感謝を捧げることの意味もここにあるのです。したがいまして,神社や寺院に行って自分のお願い事を金銭を払ってするような祈願信仰とは全く違うのです。
素直に感謝のありがとうだけで十分です。こんな事を書くと,神社やお寺の宗教家のみなさんに怒られると思いますが,ちゃんと護持や国体・政体を勉強して頂きたいと思いますし,それこそ神さまを商売に利用しているよなものです。そもそも発想が貧困ではないでしょうか。神社やお寺で交通安全の祈願をすると本当に事故を起こさないのですか?身体健康の祈願をすると本当に健康でいられるのですか?そんなことは小学生でも判ることです。それは,私たちの国「日本」にあるべき本来の信仰ではありません。
太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。
日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことをとても大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。
大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。
高天原は,わたし達の心の中に存在します。
心神とともに。花咲あさひ 拝