花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

歓びもちて結びとすれば弥栄なり。

2019年06月22日 06時39分51秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

最近のニュースを見ても,新聞を読んでも暗くなるようなものばかりが報道され続けています。政治の世界でもそうですし,宗教界でも同じであります。ほとんどが性非行か金銭的な事柄です。なんだか暗くなるようなニュース以外は報道しないようにしているのか?と思えて来てしまうような社会になってしまいました。これは,私たち個人に与える影響は良くないものであり,まして子供たちのことを考えると複雑な気持ちになって来てしまいます。そうかといって,事実を報道しないと云う報道姿勢ではいけません。

本来,私たちの国の政治も経済も祭であるのです。その祭りの意味を取り違えしてしまっている期間が少し長すぎてしまって,いつの間にか政治の祭,経済の祭を忘れてしまったようです。祭を忘れてはなりません。日本と云う国家は祭を主体とした和の國であります。食事をすることは直会(なおらい)と云う生命を維持する祭事です。お風呂に入るということは禊と云う祭事です。身を浄める・清めるとも云われています。掃除でも同じように埃や塵を払う祓事と云う祭事なのです。こんなにたくさん国民の日常生活に祭事が存在する国家は,世界中の国々をどんなに探しても日本「和の國」以外に存在することはありません。日本人は祭人です。

故に,特に西洋人には不思議な民族として見られているようです。日本人と聞くと礼儀正しく,清潔で,真面目と云う代名詞のように感じられていますが,それもそのはず。これだけ祭事が国民一人ひとりの生活の中に浸透しているのです。日本人からすると何も特別な意識すら以ていないのであります。つまり,当たり前と云う前提がそこにはあります。しかしながら,その前提がいま大きく崩れかけて来てしまっています。これは日本と云う国家と日本人と云う国民にとっての存亡にかかわることではないでしょうか。

たとえば,生命を維持するために私たちは,食事「直会:なおらい」と云う祭事をします。その食事が出来までの過程を見てみると五穀豊穣を祈る五穀豊穣祭と云う祭事からはじまり,天と地のエネルギーを十分に吸収した作物を収穫します。無事に収穫できたことを天と地の神さまに感謝申し上げます。そうして私たちは自分の身体に吸収できる訳です。食事「直会」を通じて感謝の気持ちを育むことを小さな子供のころから私たち日本人は教育されて来たのであります。それを自分の身体で表現したカタチが食事をする際の「いただきます」と云う祈りの姿です。この祈りの姿とは何を意味するものなのか?ここにも祭の重要な意味があるのです。

それは,動植物供養祭と云う祀り事です。

何気ない食事と云うことでも五穀豊穣祭からはじまり,天と地のエネルギーを吸収して育つ生育祭,そして,無事に収穫出来たことへの収穫感謝祭,さらに,私たちが食事できることへの感謝祭と生命を戴くことへの動植物供養祭と単なる食事だけでもこれだけの祭事があるのであります。しかし,こう云った祭事が日本からどんどん減って行ってしまっています。食事をするときの「いただきます」と云う言葉には動植物への供養の意味が籠められているのですが,それすら出来ない人がおります。考えて見て下さい。動物が人間の為に処分されたときの苦しみ・悲しみ。そして人間への復讐心が蓄積された念を自分自身の身体の中に入れているのです。

いただきますを単なる儀式と考えない方が身の為です。

肉食を好む人は,怒りっぽくて短気になります。たかが食事と侮るなかれ。

食事の祭事でけではありませんが,冒頭でも書かせて戴いたお風呂にしても同じであります。お風呂は禊ぎするだけではなく,自分の身と心を癒やしてくれる大切な癒し所でもあります。水への感謝の場所でもあります。最近は,湯船にはつからずシャワーだけで済ませる日本人が多いようですが,湯船につかると云うことも大切な祭事であるのです。よく落武者が戦場で負傷した刀傷を治癒するために温泉を探していたり,発見したと云う話を聞かれたことはないでしょうか?温泉は,身体の内部の病気だけに効果がある訳ではなく,外傷にも効果があることを昔の人々は知っていたのであります。現代医学でも温泉療法は有効であるとされています。

私たちの日常生活からさまざまな祭事が減って行き,消えて行ってしまうと日本はどうなるのでしょうか?このままでは,日本人が西洋人化してしまう日が本当に来ると私は感じています。企業社会では,ほぼ西洋化してしまいました。ちょっと前に,社内用語をすべて英語にすると云うことで話題になっておりました。もしかすると,戦後の占領統治政策は終わっていないのかも知れません。私たちが暮らすこの日本から祭事を無くしては決していけません。私たちが祭事を失ってしまえば,日本人は日本に住みながらにして日本人ではなくなってしまうのです。既に,西洋人化している面も多々ありますが,しかしまだ間に合うようにも思います。

日本弥栄!あなたも弥栄!

祭人 Asahi Hanasaki 

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


過去・現在・未来はすべて想念の具現化です。

2019年06月18日 11時40分47秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

私たちの想念が祈り「音霊:波動」であります。急になんだ?また変になったのか?

そのように思われるでしょうが大丈夫です(笑)。ちゃんとご飯も食べていますし,睡眠もしっかりととっています。実は,私たちの人生すべての現象は,この想念・祈りに基づいて具現化すると云うことをただ言いたかったのであります。つまり,想念とは原因であります。想念とは行為や行動の母であるのです。なぜ母なのかと云うと,ものごとを具現化するからです。つまり,産み出すことが出来るからであります。日本以外の国々の宗教観では大地を母と言います。母なる大地と云う言葉を聞かれたこともあると思います。日本だけが父なる大地と云う表現をします。それにも意味があるのですが,それはいつか別の機会で書かせて戴きます。そして,行為や行動は結果です。原因と結果の関係は,よく宗教の世界観でも言われること多いですが,しかし,ここで書いてあることとは少し違います。決定的に何が違うかと申しますと,私が想うに,宗教では人は救われないと感じているからであります。

自分自身を救うのは自分自身でしかないと考えているからであります。これは宇宙の摂理だと想うのです。それをある意味証明しているのが,上で申しました想念と結果の関係ではないでしょうか?真我と自我とも云えると思います。それ以上のでもそれ以下でもありません。良い出来事も悪い出来事もすべて私たちの思い・言葉・行為この3つの想念「イメージ」が自分の過去も現在もそして未来も決めていると云うことなのです。そう考えると,今のこの一瞬一瞬をどう生きるかがとても重要なことであるようです。

たとえば,想念が先で行動はそのあとについてくると云うことは誰でもよく解かることであると思います。想念「イメージ」よりも先に肉体「身体」が行動に移すと云う人は存在しません。ご飯を食べようと云う「想念」が先で,ご飯を食べると云う行為は後になる訳です。ある看護師の婦長さんに聞いた話があります。風邪をひいてしまい薬を服用しても本当に直しているのは自分の気持ち「想念」であって,お薬そのものではないと云うことでした。薬と云うものは,薬と云う目に見える物質を飲むことで風邪が治るんだと云う想念が治癒させているのです。したがいまして,人は誰であっても自分の想念次第の結果しか具現化出来ないのです。

しかしながら,真に残念なことに,私たちは結論や結果にばかり眼を向けてただ苦しんでいます。毎日,毎日,明日のことを気にしながら生きています。心配すれば心配事が具現化してしまいます。不安に想えば,不安になるようなことが実際に起きてしまいます。しかし,これを具現化させてのは誰かと云うと自分自身であります。ある科学者の話しでは,想念は人の人生に4倍となって具現化すると云われています。これではたった一回の人生が勿体ないように私自身も最近感じています。結論や結果に眼を向けることから,もっと想念「原因」に眼を向けて生活して行けば,誰であっても豊かに幸せに自分相応に暮らして行けるように考えるからであります。宇宙の摂理や神の理と云うことであります。それにはやはり,自分の内観を見つめて生きて行くしかありません。結論や結果は外観的な現象ですから,それを産み出した自分自身の内観「原因」に対し,素直になってもっと眼を向けるべきと考えます。

人は,誰でも豊かに幸せになるために生まれて来るのです。

苦しむために,不幸になるために生まれて来る人は誰も存在しません。

神道にも原因と結果を意識した考え方があります。それは,中今(なかいま)信仰と云うものです。過去に束縛されず,未来を憂い嘆くのではなく,ただ今を懸命に生きると云う考え方です。簡単に申し上げますと,今が未来を形成すると云うことであります。表現の仕方はそれぞれありますが,理「真実」は1つでありますから中今と表現しようが,真我と表現しようが,想念や原因と云っても自分なりで良いと思います。人をイジメると今度は,自分が4倍のイジメを受けます。これが宇宙の摂理であり,神の理なのであります。良い想念は,私たちの心の中「高天原」に御鎮座されている心柱神社(みはしらじんじゃ)の御神体で御座います。

自分の内面を祈られる方が宜しいかと存じます。

心神とともに。花咲あさひ 拝

明日は,早朝から夜まで,郵便局で配達のアルバイトなので記事が書けないと思います(残念)。

  

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


負け癖を身に付けない。

2019年06月15日 06時25分30秒 | 素直の心柱

こんにちは。何をしても上手く行かない時,空回りばかりしてしまう時,そんなことは誰にでもあると思います。私もしょっちゅう経験していますが,いちばん厄介なのは負け癖がついてしまうことにあります。まるで不幸が不幸を連れて来るかのように負のスパイラルへ力が働きだしてしまいます。ちょうど1年半前に書いていた過去記事に「どん底を支えるのは野心」と云う記事をありました。私は記事を書いてもほとんどその書いた記事を憶えていないので,自分でも本当に自分で書いてものなのか不思議な気持ちになりますが宜しければお読みください。拝

以下は「2016.12.9」に掲載した記事です。

こんにちは。しなければならないことが山積してしまうと何から手を付けて行って良いのか戸惑うことがあります。私もしょっちゅうあります。まして,それが仕事のことだったりすると他の関係者の方々にも迷惑を掛けてしまうと気持ちが焦り,上手く物事が運ばない時もあります。特に,仕事の場面では限られた時間と限られて予算に基づいて最大限の結果を出すことが求められて行きますし,言い訳も通用しないことも多いです。つまり,良い結果が出せて当然,当たり前と云うプレッシャーとの闘いになります。

今朝,禊ぎをしている時,音霊を変換してみると「方向性」と「道のり」を示す内容のものでした。先程,投稿させて頂いた記事がその一部です。上手く行かないからと云って,方向性そのものを見失ったり,疑ってみたりすることと方向性に辿り着くまでの道のりを混同してしまうと本来の目的すら達成できなくなってしまうようです。私も気を付けなければなりません。道が険しいとどうしてもよそ見をしてしまい,無駄なことに体力や気力を使いすぎてしまう癖をいつの間にか身に着けてしまわぬようにしなければなりません。私はこれを「負け癖」と呼んでいて,一度,この「負け癖」を身に着けてしまうとそこから抜け出すことが容易ではないのです。全てを否定的に捉え,常に人と比較し,羨んでしまう。そうするともすます悪循環に陥ってしまい妬みや僻みを増して行きます。そう言ったネガティブ「負」の感情を乗り越えて行くには,誤解を与えてしまうと思いますが「野心」だと私は感じています。

私の周りの人でも一度,どん底を経験し,再び復活した時の話をお聞きすることもありますが,ほとんどの方が這い上がるだけの野心を以ています。野心と聞くと野蛮で悪いイメージがありますが,私の言う野心はそうではありません。神道で云う一霊四魂の内の「荒御魂」の働きであって「勇気」や「前進」「挑戦」などを指します。つまり,前を見つめ余計なことを考えずに直向きに進む力は荒御魂の働きになります。ただ,物事に対する執着や潔さとは違います。また機会があれば書かせて頂きたいと思いますが,今日は方向性と云う目的と道のりと云う手段の違いを省みることが出来,勉強させて頂きました。ありがとうございました。拝

  

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農に戻れよ。農に気付けよ。

2019年06月11日 09時40分49秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,昨年に書かせて戴いた過去記事です。

先日もブログで記事にさせて戴いた奈良県の吉野郡に御鎮座される龍神が棲息する丹生川上神社下社と云う日本最古の水の神さまをお祀りする神社で,食「直会:なおらい」を通じた護持を取り入れているようで大変興味深く拝見させて頂きました。そもそも神道に伝わる直会とは,天の神さまからの御恵みと大地の神さまからの御恵みに感謝を申し上げ,神さまのエネルギーを自分の身体に吸収させることを目的とした日本古来の食に対する食文化の1つでもあり,現在の神社神道においても重要な神事でもあるのです。

前にも確か,京都の貴船神社で御日供講と云う護持制度を紹介させて頂いたことがあったように思います。この御日供講と云う護持も心ある不特定者から少額な資金を集め,神さまへ奉献する食事「御神饌」を調達することを目的とした護持であります。現代の金融ファンドの元になったのではないかと私は考えているのですが,そんなことは横において置いて,丹生川上神社下社では八百万神直会倶楽部と云う名称で活動を食を主題に展開されております。倶楽部会員には毎月一度,神さまへ御供えした御神饌が自宅に届く仕組みのようです。左上の写真が,その御神饌のようで丁寧に包装された御神饌に宮司さんの御言葉を添えて発送されています。

現在の宮司さんは皆見元久宮司であります。

皆見先生は,今に感謝と云う信念で神社の宮司を務められているようです。又,皆見先生が倶楽部の代表発起人となって設立された八百万神直会倶楽部も設立時の理念は「人は,人の為に生き生かされる」を根本理念として取り組まれているようです。わたしは個人的に,皆見宮司は,古神道家でもあると感じていますので,今ではとても珍しく貴重な宮司さんでおられると想っています。

御利益を説かれる宗教家はたくさん居ますが,森羅万象の中心の座が感謝であることを理解されている宗教家となるとほとんど存在しませんから,私にとっては古神道家と言えるのです。奈良県の吉野と云う山深い祭祀場所から人はなぜ生きるのか?と云う人間の最大のテーマでもある事柄に真正面から真っ直ぐに向き合われている御様子です。その丹生川上神社下社が現世に生きる私たちに何を伝え,又,後世の子孫に何を伝え残すのかとても楽しみであります。右上の画像は,皆見元久宮司が書かれた著書であります。

感謝の心を主題としているようです。

八百万神直会倶楽部の内部のことまでわたしも詳しい事はよく存じませんが,通常の神社内に設置する崇敬会と同様の神社直轄の組織体ではないかと想像しています。いずれにしても,人間が生きて行く上で欠かすことの出来ない食を主題に神社の護持も考え,神さまの御心を倶楽部会員の皆さまへ発信して行くと云う発想は素晴らしいことではないかと感じております。食は人が生きて行く上の根本でもあります。食生活が乱れれば,人の心も乱れ,身体にも良くありません。現代病の根本的問題は,食生活にあるとさえ私も感じています。食生活が悪化し,その上で,ストレスを多く抱える社会ですから人の身体にも良い訳がないのであります。

五穀豊穣を祈る私たち日本人が,日本で生産された農産物をいつまでも食べて行けることが出来るように,そして,若い人たちが農業に興味を持ち従事できる環境の整備と水資源を確保できる法整備を国家は,今の内に着々と進めて行かなければならないとブログでもこれまで何度も書かせて戴いて来ました。そう言った大切なことを神道を通じ,難しい言葉ではなく,誰にでも理解できる言葉で一般の人々にも伝えてくれることを祈っています。又,食を通じて八百万神倶楽部さんには頑張って頂きたいと思います。

祭祀司と護持司が共に古神道の精神「自然崇拝と祖霊祭祀」を後世に伝え続けて行くことが日本の復興に必ずや繋がると考えます。これからも皆見宮司に続く神社の宮司さん,神職さん,そして巫女さんが現れて来ることを願っています。思い切って,神社での祈祷受付の種類を神恩感謝と祖霊感謝だけにして見ては如何でしょう。神社の宮司や神職が率先してその気になり,積極的に発信して能動的に行動しならなければ一般の参拝者にも届かないと感じています。そこから創めなければならないくらいまで来ています。

わたしも大変,勉強させて頂けたことに感謝です。拝

  

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神棚を設け 神さまを迎え お祀りをする。

2019年06月08日 10時12分56秒 | 感謝の心柱

 

以下の記事は,再掲載です。

こんにちは。

すっかり,暖かくなって過ごし易くもなって来ました。先日,春の祖霊感謝祭(お彼岸)も無事に終了することが出来ました。

しかし,まだまだ日毎,寒暖の差が激しいので,皆さま御身体ご自愛下さい。

今日は,私が神社や寺院の護持に携わるようになって不思議に感じていましたことを書きたいと思います。

その内容とは,これまで,神社や寺院を通じて多くの方々と出会うことがありました。

人と人との出会いを「一期一会」と表現したり,「袖振り合うも多生の縁」などと申し上げることもあります。当然,私の職上柄,奉仕させて頂いている神社や寺院を通して知り合うわけですから,神仏に対する崇敬の念をそなえた方々でもあります。そう云った方々の中でも特に,会社を経営されている経営者や個人で商店を営んでおられる個人事業主さんに共通していることが御座います。

それが,会社の事務所や社屋,そしてご自宅おいても神さまや仏さまを丁寧にお祀りされていることであります。理屈では到底説明のつくことでもありませんが,私は,いつもそこに不思議さと申しますか,何か特別なものを感じていました。なぜ,会社や商店では神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りするのか?その理由は,ただ単に商売繁盛や千客万来と云った所謂,祈願信仰や自分だけの願望を叶えて貰うことへの現われだけではないと感じることが度々あります。

その理由を理論的に説明しろと言われても説明のしようがありません。

それは,神さまをお祀りすることに論理や理屈は必要ないと私自身が考えているからでもあります。その証拠に,現実的に多くの企業や個人商店,一般のご家庭においても神さまや仏さまを丁寧にお祀りしています。それどころか,行政官庁でも神さまをお祀りしているのです。神仏をお祀りすることに理屈は必要ないと考えますが,皆さま方は如何でしょうか?

それでは,神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りする意味とはなんでしょう?

私なりの解釈ですが,会社の経営者や個人事業主さんであれば,お客さまとの出会い,取引先とのご縁,そして共に働く仲間たちへの感謝の気持ちが根底にあるからではないでしょうか。すべてに感謝すると云うことは,企業や個人商店の経営にも通ずることだと考えます。それと,きっと,私たちの日本人の独特な宗教観と申しますか,日本人特有の信仰心なのかも知れません。

我々の遠い祖先から脈々と受け継がれて来たDNA(遺伝子)による働きでもあるようです。私たちの先祖が大切に受け継いで来た神さまへの神恩感謝への想い(精神)は,私たちから次の世代へと継承して行き,未来永劫絶えることのないよう願うばかりです。

  

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耳をすませば聞こえてくる。心と体と自然の声。

2019年06月04日 07時52分39秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,昨年4月22日に掲載した過去記事です。

イランカラテ(アイヌ語で,こんにちは)と云う意味です。

昨日は,少しアイヌ民族のことを勉強していました。神学としての古神道を深く考察して行くと考古学や民俗学なども学ぶことになるのです。アイヌ民族も沖縄の琉球民族の信仰は,古神道であると私は結論付けています。アイヌ民族も琉球民族も人間の能力を超えるものはすべて神としていました。たとえば,食器類においても御椀でも鍋でもシャモジでもみんな神さまの分霊が宿っていると考えていたのです。さらに,役割が終わった食器類に対しては丁寧に供養までしていたのであります。まさに古神道の分魂思想そのものです。自然崇拝と祖霊祭祀を根本とし,この世のありとあらゆるものには神さまの分霊を宿していると云う基本概念です。

アイヌ民族の先祖も琉球民族の先祖も和人の先祖もみんな縄文人です。

だから日本人は,大きな和。大和の民となって大和民族となりました。

人と云うのは本当に不思議なもので,はじめは自分にこんなこと無理だと不安に感じていたことが,いつの間にか熟せるようになり,振り返ると懐かしく感じることがあると思います。それだけ自分自身が成長したと云うことで宜しいのではないでしょうか。成長するまでの間,たくさんの人に支えられ,多くの人に鍛えられ,今の自分が存在しています。すべてに感謝を奉げるとは難しいことではないようです。祈りの本質は「感謝」にあります。アイヌ民族のことを勉強していてあらためてそう感じていました。

いろいろ難しいことは,偶には横において置いて。生きる目的を見失ってしまったり,日々の生活に疲れてしまった時などは,自然に触れて見ては如何でしょうか?きっと,目の前にある大自然と直接,自分自身が繋がることによって何かを想い起させてくれるように感じています。都会に住んでいる方は,自然と触れ合う機会があまりないようにも思いますが,そんなとき時間に余裕があるようであれば少し遠くに出掛けてみるのも良いかも知れません。だって,わたし達は,自然の一部なのですから自然から離れてしまえば心にも身体にも良い訳がありません。神社や寺院で祈願信仰に奔走するよりもいろいろな意味でも余程,良いと思っています。

それを心と体が教えてくれているのです。

耳を塞がず,目を閉じず,そのことをいつも私自身も思いながら大自然(神さま)に活かされながら自然(精霊)と共に生きています。上の写真は,北陸に出張に行った際に撮影させて戴いた早朝の太陽神で御座います。この日の太陽神の輝きが未だに忘れられずにおります。何と申しますか,辺りが朱色なのかピンク色なのか解かりませんが,急にとても大きな光の球体が現れたのです。しばらくボーッとしてしまうほどの美しさと何とも言えない優しさに包み込まれるような感覚でした。うまく言葉では言い表すことが出来ないのが残念ですが,毎日,早朝に祈る太陽神ではないと今でもあの太陽は何だったのだろうと想い出すことが偶にあります。

それも古神道「個神道」の醍醐味でもあり,楽しみでもあるのです。

ニフェーデービル(琉球語で,ありがとうございます)と言う意味です。

大自然に感謝。拝

  

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分魂思想と古神道 ~木霊への理と感謝~

2019年06月01日 06時46分07秒 | 感謝の心柱


こんにちは。以前,オウムの恩返しで神道に伝わる思想に一霊四魂と云う概念があると書かせて頂きました。一般的に,一霊四魂の思想は古神道から古来続くものであると言われておりますが,私が思うに古神道では,もっと単純で且つ,明快な思想概念で素直な考え方があったと考えています。今の言葉で表現するならば純粋無垢な祈りであったと思うのです。又,古神道と呼ばれる名称も実は,いつの時代までが古神道で,いつの時代から神道なのかハッキリとした線引きがされていないのです。つまり,便宜的に使われることが多いと云う訳です。よく左翼思想と呼ばれる一部の政治家さんが天皇と神道が戦争を引き起こしたと主張され,現在の神道に対しても同じ考えを持っているようですが,これは全然違います。先の大戦は,一部の軍国主義者たちが天皇を利用したのです。俗に言われる国家神道です。しかしながら,現在の神道は神社が主体となっている神社神道ですから全くの別ものです。

私が考えている古神道と云うのは縄文時代までだと考えています。難しい教義的なものを含まない,ただ大自然と祖霊に感謝する形態であります。そして,人間は大自然の恩恵によって生かされ,自然とともに共生し,祖霊をお祀りすると云う単純なものです。そのような古神道に生きた我々の祖先でもある縄文人は,たとえば,木を一本伐採するたびに,何日も前から木の精霊に対して「あなたの命を私に下さい」「私が生きて行く為には,あなたの命が必要です」「その代り,私が責任を以てあなたの御霊をあの世に送り届けます」と理を宣べてから一本一本の木を伐採していたようです。それと実に丁寧な追善供養も既に縄文時代以前には確立していました。この世のありとあらゆるものには,神様の御分霊を宿していると云う分魂思想と云われている概念です。

その思想は,現代の伊勢神宮式年遷宮や一部の神社,寺院でも継承され続けております。神社寺院建築に使用する御用材を定められた山から伐採するときには,正式なお祀りをしています。上の写真が,そのお祀りの様子です。伊勢神宮式年遷宮の行事の中で正式に定められている御杣始祭(みそまはじめさい)と云うお祀り事です。これに似た光景を以前,私も観たことが実際に在りました。

それは,東日本大震災で被災されてしまった寺院の復興事務局の責任者を任せられて本堂の建築に使用する御用材を調達するために福井県の木材市場に行った際のことです。広大な敷地の一角に,一本の塔婆が建立されております。塔婆と聞くと今の私たちはお墓の後ろに立つ板状に戒名や文字が書かれたものを想像しますが,木材市場に建立されている塔婆は木の精霊を供養する為に立てられているものです。これを観たときは実に感動しました。自然崇拝を元より日本民族の精神と云うか遠い祖先である縄文人の遺伝子が組み込まれていると感じました。書きたいことは山のようにあるのですが,年末に向けて仕事が夜中まで続くことが多くなって来ました。又,一段と寒くなって来ましたので,どうか御身体ご自愛ください。続きは,また明日書かせて頂きたいと思います。拝

  

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又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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