花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす 3

2016年08月04日 05時17分35秒 | あさひのプチ予言

     

こんにちは。私の住む地域でも本格的に暑さ到来と云った感じです。熱中症などには十分お気を付け下さい。

そしていよいよ,私にとって1年の大イベントであります祖霊大感謝祭のお盆がやって参ります。毎年,御先祖様に御供物の献立をお中元が過ぎた頃から考え出します。貧乏だった頃は,お盆やお彼岸の御供物と云えば団子餅が精一杯でしたが,今は有難いことに色々と献立を考えられるくらいまで何とか成長することが出来ました。特にお盆やお彼岸の御供物は,その地域や宗門宗派でも違いますが,私は自分の好きなものをお供えしています。たとえば,御赤飯と白米と御粥や竹の子だったり,煮物やお新香,御団子にミカンやぶどうなどです。それと飲み物です。御味噌汁なんかもそうですね。

又,今年は奈良県の吉野郡天川村にある天河大弁財天社「通称:天河神社」で旧暦8月9日の七夕神事に祖霊供養の申し込みを致しました。夕刻前から燈火を神社境内に灯し,祖霊や縁のある御霊を供養する伝統的な神事であります。

それでは,タイトル通りに本日は,僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす3を記事にさせて頂きたいと思います。前回の「僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす 2」では,お釈迦様のお弟子さんのひとりであった周利槃特(しゅり・はんどく)さんが「あることで」悟りに至り,後世において仏様として又,十六羅漢の御一人としてお祀りされていると云う内容を書かせて頂いて終わりましたので,その続きを書かせて頂きます。その「あることで」とは一体何なのかと申しますとそれは「掃除」です。自分の名前すら覚えることが出来なかった周利槃特さんが掃除だけで悟りに至りました。私はこの話に神や仏に仕える神髄が隠されていると考えています。

私も毎日2時間前後,掃除をしておりますが悟れません(笑)神社や寺院,会社や自宅でも掃除は第一であり,神道で言うところの祓いです。寺院でも若い僧侶さんが初めに教わる修行が徹底した掃除です。曹洞宗の大本山永平寺では,塵ひとつ落とすことならぬと云うことで夜中1時頃から雲水さんが頭に懐中電灯をつけて掃除だけをする係りもあるくらい重要な修行のひとつになっているのです。会社でも掃除を根本に据えているところもありますし,マイクロソフトの創業者でもあるビルゲイツさんと社内清掃係りのおばさんとのエピソードはとても有名な話です。又,世界的な大企業にまで成長させた松下幸之助さんも掃除を重要視し松下政経塾の塾生には掃除を徹底させる話を聞いたことがあります。ダスキンさんもそうですね。経営の根本を掃除と祈りとしています。

他にも掃除に関するエピソードはたくさんありますが,何故ここまで掃除にこだわるのかと申しますと私が考えるに掃除には,その場を清め停留している悪い磁気や波動を祓う効果があるのではないかと考えております。私たち人間の目には観えませんが誰にでも掃除の前と後とでは空気が違うことは認識できると思います。そして,この掃除の以ている祓いの力とパワーで自分自身も清めることができ,さらには心の病との関係性も見いだせるのではないかと考えております。普通の健常者であってもホコリが溜まった部屋に閉じこもっていれば誰でも具合が悪くなると思いますし,神棚や仏壇にホコリが蓄積していてはお祀りになりません。

今日の周利槃特(しゅり・はんどく)さんの話は,今を生きる私たちへ重要なことを伝えてくれているようにも考えられます。どんな人であろうと道を極めることができ,ただ単に頭が良いとか悪いとかそういった短く小さな尺度ではなく,人にはそれぞれ個性があり,得意不得意もある。そのことに一喜一憂するのではなくてもっと大局を観て行きその中で自分を信じ,今あることに懸命に努力することができれば誰であっても周利槃特(しゅり・はんどく)さんのようになれると云う物語であったと思います。又,自分の名前も覚えることが出来なかった周利槃特(しゅり・はんどく)さんは祓いの神様の化身であったのかもしれません。

前回,周利槃特さんはアニメのキャラクターになったとお伝えしました。そのアニメのキャラクターとは天才バカボンのレレレのおじさんですまだまだこれからも「僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす」は記事にして行きたいと思います。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設53日目 記事数第61記 あさひのプチ預言  編


僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす 2

2016年08月01日 05時00分36秒 | あさひのプチ予言

こんにちは。昨日は,東京都知事選挙の投票も終了し,新しい都知事さんが今後の4年間と云う期間の東京都を運営して行きます。どうか,お金の問題などの騒動だけは一国民として勘弁願いたいと思います。又,東京都は世界有数の大都市でもあり,東京オリンピック,パラリンピックも控えていますので,世界中から注目されていることも意識して都政の舵取りをお願いしたいものです。

それでは,昨日の記事「僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす1」の続きを書かせて頂きたいと思います。昨日の記事の文末にも記載がある通り,僧侶の世俗化が仏法を滅ぼすと云う御言葉は,曹洞宗大本山永平寺の第78代貫首である宮崎奕保禅師が,若き雲水さんへ向けて書かれた著書「髪を断ずるは-宗門の将来を想う-」の中にある3項ですと昨日も説明させて頂きました。永平寺さんに関する記事も以前,書かせて頂きましたのでもし宜しければお読みください。「過去記事:三菱財閥創始者が愛した禅寺 大本山永平寺

又,このブログ左帯の検索ツールで永平寺と入力すると他にも関連する記事が閲覧出来ますのでもし宜しければ,こちらも御活用下さい。宜しくお願いします。(この検索機能は本当に便利だと思います。)

永平寺さんには,全国から修行に来られている雲水という修行僧がたくさんおります。毎日,とても厳しい修行をされ一定期間の修行を終えたのち,それぞれのお寺で住職さんや副住職さんとしての御役をされるのですが,そのまま永平寺さんに残る雲水さんもおります。そして何よりもこの永平寺さんでは,霊峰白山の御水(神)を御祀りされている神仏習合時代の形式を残している少ない寺院の一つです。しかし,あまりの厳しい修行を体験する反動なのかどうかは解りませんが,自分のお寺へ帰ると自由が多く,開放感から遊歩してしまう方もいるようです。厳しい修行を何年積もうが私たちと同じ人間ですから気持ちは分かる気もします。

私が普段よく考えたり感じていたりすることに修行と云うことがあります。神社の神職さんになるためには,神官になるための資格取得の勉強をして神職としての資格を付与され,伊勢神宮や大きな神社などで研修を積んで行き神職さんとしての道を歩みだします。一方,お寺の住職さんになるには,やはり資格取得の勉強をして個別の宗門などの本山などで一定期間修行して個別のお寺で経験を積んで住職さんになるのです。神社の神職さんもお寺の住職さんも資格を取得するための勉強からはじまり,その試験に合格して実務研修を経たのちに執務に従事されることに変わりはありません。私は,この流れがどうしても腑に落ちません。

結局は,何ら世俗の人々と変わらず,就職するためのものではないかと云うことに行き着いてしまうのです。そもそも神仏に仕えるために資格試験の勉強をする?合格すれば神仏に仕える資格が人により与えられる??全く意味も意義も理解できないのであります。こんなことだけで資格が与えられるのか???そもそも神仏に仕えるのに試験勉強をして,その試験に合格しなければ神仏は認めてくれないのか????腑に落ちない点が山のように出てきます。私個人的には,この資格試験がそもそもの間違いであって,僧侶の世俗化を一層加速化させた根本の原因ではないかと考えています。そのことが多くの民衆の迷いとなったとさえ考えています。

元々,修行僧になると云うことは,世俗を捨て神仏へ仕えることを使命に僧として生きて行くことを誓う訳であります。つまり,自分の親も兄弟も他の親類縁者も社会的地位も身分とも関係も絶つのです。そして,自分の身をも神仏へ捧げて神仏のお使い役としての道を生涯に渡って生きて行くことを意味することになるのです。しかし,現代では資格を取得し,神社本庁や宗門からその資格を付与されてしまえば良いと云うことになっていると言っても言い過ぎではありません。ここに大きな落とし穴と神仏から最も遠い思想である「選民意識」が徐々に芽生え,後に多くの民衆を惑わせ,迷いの道を歩ませることに繋がって行くことになります。

この辺りのことは,別に記事にさせて頂きたいと思います。

お釈迦様のお弟子さんで,周利槃特(しゅり・はんどく)と云う方が居られました。この周利槃特さんは,とても頭が悪く,自分の名前も覚えることが出来なかった人です。つまり,今の神社本庁が規定する資格試験や仏教宗派宗門が定める修行コースでは間違いなく落ちる人です。落第してしまう人です。自分の名前も覚えられないのですから答案用紙に氏名を書ける訳ありません。しかしながら,この周利槃特さんは「あることで」仏様として,さらに十六羅漢の御一人としてお祀りされるようになったのです。そして,多くの人が親しみを感じるアニメのキャラクターとして登場します。それはなぜか?明日の記事にしたいと思います。


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僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす 1

2016年07月31日 04時59分22秒 | あさひのプチ予言

この国の宗教を根底から変えたい。変革させたい。信仰と云う自然を神そのものとしていた頃に,この世のありとあらゆるものには神の分霊が宿っていると云う数万年前の原始信仰に戻らなければならない。そんな想いで毎日ブログを書かさせて頂いております。そんな大それたことなど出来る訳がないと云う思いも少なからずあることは正直な感想でもあります。しかし,信仰と人間,宗教家と人とは決して切ることが出来ないものであるのです。それは世界的に観ても同じことです。たとえば,アメリカの大統領が就任演説をする際には,壇上で聖書に手をかざし誓いの言葉を述べます。この国で云う祈りと言霊です。

私たちが暮らすこの国においても総理大臣が年の初めに伊勢神宮の天照太御神様へその年一年の国家の安寧と国民ひとり一人の平穏で豊かな暮らし,そして五穀豊穣を祈ることから始めます。この日本は言葉と祈りの国であるからです。言い換えると,それは,すべてが祀り事「祭事」であるのです。朝起きて食事をするのも祭事,掃除をするもの祭事,仕事をするもの祭事,帰宅して夕食をすることも祭事,お風呂に入るのも祭事,就寝することも祭事であります。もちろん子育てや勉強もすべてが祭事です。つまり現代風に言えば,それら一連のことを日々繰り返しされている方は,例外なく神官です。

真意は判りませんが,まさか総理大臣個人の祈願をしていることはないと思います。

食事をする際に,頂きますと云う言霊を宣ります。これは短い祝詞です。天の神様の恵みと大地の神様の恵み,つまりエネルギーが合わさった御米を頂戴しているのです。そして私たちは生きていられる訳ですから,そのことに感謝の祝詞を捧げているのです。又,仕事から帰って来てお風呂に入ったり,シャワーを浴びたりもしていますが,これも信仰で云う禊になります。神様と祖先から預かっている身体を清潔に綺麗に保つと云う意味が込められています。世界にはさまざまな宗教が存在していますが,すべての元の元は日本です。日本の縄文原始信仰の精神が世界各地でその形を変えて行ったものです。日本固有の仏教の原形も同じことです。

それでは,その原形とは何かと申しますと太陽信仰です。世界のどの宗教であろうとすべて太陽信仰が元です。つまり,宗教ではなく信仰が元の元なのです。宗教には必ず教祖が存在しなければ宗教が成り立ちません。しかしながら,信仰には教祖なる人物がおりません。自分の肉体を酷使した厳しい修行もありません。むしろそんな自分の身体を酷使しても何ら意味もないからです。すべての人がそんなことをしていたら人類は絶滅してしまいます。そうではなく,自然そのものが神であり,その神の恩恵を私たちは戴きながら生きていられると云う人間の根本が信仰そのものであります。それを忘れたことが様々な悪い要因になって行ったようです。

以前,このブログでも紹介させて頂きました「ひふみともこ」さんと云う方が,神様と問答をされたと云う記事を書かせて頂きました。私も一通りは読まして頂きましたが,その中に,ひふみともこさんが宗教と宗教家について神様と問答されていた内容がありました。そして,その内容を観たとき,やはりと云う印象と少なからずのショックを覚えた記憶があります。なぜならなば,その問答の中で,ひふみともこさんの問いについて神様からの返答は宗教家には「期待していない」と云うことであったからです。それは何故なのでしょうか。そして,この日本で,ミラクルが起きるのかを明日の記事にさせて頂きたいと思います。

このブログの左帯一番上に検索ツールが設けております。その検索ツールで,ひふみともこで検索してみて下さい。

タイトルの「僧侶の世俗化が仏法を滅ぼす」と言う言葉は,曹洞宗大本山永平寺 第78代貫首である宮崎奕保禅師が生前に若き雲水たちへ向けて書かれた著「髪を断ずるは-宗門の将来を想う-」の中にある3項です。私は,この御言葉は宮崎禅師の預言書であり,遺言書だと感じております。以前,2004年にNHKドキュメンタリー番組で放送された禅師さまでした。


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設49日目 記事数第57記 あさひのプチ預言  編