上の写真2枚は,連合国軍が撮影した神風特攻隊が突撃する瞬間と突撃後の写真です。
こんにちは。昨日は「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1」を書かせて頂きましたので,今日は続きを書かせて頂きたいと思います。以下の黒文字は昨日の記事の一部です。
>しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。拝
昨日の記事では,予科練と云う神風特攻隊に入隊することをほぼ前提とした若い14歳から17歳の少年兵について書きましたので,今日は主に予科練を卒業し,特攻隊へ入隊してから出撃するまでの内容を書かせて頂きます。予科練を卒業した予科練習生の多くは特攻隊へと入隊することになりましたが,特攻隊が本格的に部隊として編成されたのは昭和19年10月でした。アメリカ軍のレイテ島上陸作戦により,日本軍の最高統帥機関であった大本営は「捷一号作戦」を発令しましたが,フィリピンのマバラカット飛行場では第10期生を主軸とした特攻隊員13名が自ら志願し,第一次神風特別攻撃隊として4つの隊が編成されました。その4つの隊とは「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」であります。特攻一番機は第一次神風特別攻撃隊の総指揮官で且つ,敷島隊の隊長でもあった関行男大尉でありました。その戦果はアメリカ海軍の護衛空母であるセント・ローを特攻により撃沈しました。
今現在でもフィリピンでは,日本の神風特攻隊は英雄とされお祀りされていて祭祀施設も建設されております。
第一次神風特別攻撃以後,終戦に至るまで,航空機による敵艦船に対する攻撃は,主として20才に満たない予科練出身の少年たちの特別攻撃に依存せざるを得ない状況になっていました。また,日本軍はありとあらゆる特攻兵器を開発して行きます。たとえば「人間ロケット:桜花」「人間魚雷:回天」などは御存知の方も多いことだろうと思います。そして,この特攻兵器を操るのは未だ少年の域から抜け出ない若い10代の特攻隊員でした。当時,大本営は昭和天皇に特攻隊の戦果を報告すると,昭和天皇は「そこまでせねばならぬか」と大本営参謀に話されていたようです。一方,アメリカ海軍などの連合国軍は,日本の特攻隊と特攻兵器について正気の沙汰ではない。日本軍の上層部は何を考えているのか?まだ子供で若い兵士をしかも特攻させるなんて信じられないと驚愕していました。この特攻はアメリカ海軍にもの凄い恐怖を与えていたようです。特攻が決行された後の艦上は火だるまとなり,搭載されている爆弾や弾薬が四方八方に飛び散り,死傷したアメリカ兵の損傷状況があまりにも酷い状態であったようです。
以上,特攻隊のほんのごく一部を書かせて頂きました。現代は,インターネットなどでも予科練や神風特攻隊のことはたくさん勉強できますので是非,若い人たちは少しでも学んでほしいと思います。史実や歴史に学ぶことはとても素晴らしいことでありますし,社会に出ても必ず役に立つ時が来ると感じております。そして,自分の頭で考え,自分の心で感じ取り歴史から何を学ぶかでその後の生き方に良い意味で影響することであろうとも考えています。特に,先の大戦から学ぶことはとても多いはずです。
私も特攻隊や予科練について詳細に記事にすると3日間では到底,書き切ることが出来ないのでこの辺りで次回へ譲りたいと思います。特攻隊の多くの隊員が出撃の前に愛する家族に宛てた手紙や遺言があります。又,出撃する直前には七生報国と書かれた鉢巻をされておりました。この七生報国の意味は多くの方がご存知であると思いますが,特攻隊員がしていた七生報国の真の意味は「七たび生まれ変わっても祖国と家族を守るためならば,あと七回来てやる」と云う意味だと私はそのように思います。毎年,この8月15日前に政治家の靖国神社の参拝がテレビなどのニュースで騒がれます。毎年です。先般,防衛大臣に着任された稲田防衛大臣も靖国参拝はされないようですが,いつになったら近隣諸国の顔色を窺わなくても政治家が堂々と参拝できる日が来るのでしょうか。
最後に先の大戦後に各国の要人や著名人が日本と日本人のことについて述べているものをいくつかご紹介させて頂きます。
●ハーバート・フーバー(元米国大統領、ルーズベルトの前任者)
もし我々が日本人を挑発しなかったら、日本人から攻撃を受ける事は決して無かったであろう。
●スカルノ大統領
我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは,日本があれだけ戦ったのに,同じ有色人種の我々に同じことが出来ない 訳はないと発憤したからである。
●朴鉄柱(韓国 韓日文化研究所)
大東亜戦争で日本は敗れたというが,敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは,戦争目的を達成したかどうかによって決まる,というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり,日本の戦争こそ”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが,こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが,しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて,国民尊崇対象となるのである。
以下は,特攻隊員の遺言です。
大日本帝国海軍 林 市造少尉(大正10年生まれ 昭和20年4月12日 沖縄方面にて特攻戦死 24歳)
母への便り
その後元気の事と思ひます。
私達の名前は神風七生隊です。本日その半ばが沖縄沖の決戦に敵船団に突入しました。私達の出撃も二,三日中に決まっています。
お母さん,私が死んでも淋しがらないで下さい。名誉の戦死,それも皇国の興廃をかけた戦いに出て征くのですから有難いです。
飛行機で九州に入ってから博多の上は通りませんでしたが,腹一杯歌を唱ってなごりを惜しみましたよ。
もう余り思いのこすことはありません。
出撃の服装は飛行帽に日の丸の鉢巻をしめて,純白のマフラーをして,義士の討入りのようです。
お母さんの千人針は右に万人は左に,たおるとも・・・の書いてある国旗も身につけてゆきます。
お母さん達の写真をしっかりと胸にはさんで征こうと思っています。お母さんが見て居られるに違いない。祈って居られるに違いないのですから,安心して突入しますよ。
お別れには,いなりずしと羊かんがつきますよ。弁当をもって征くのもなかなかよいですね。立石さんからもらったかつおぶしもお守りと一緒に持ってゆきましょう。お母さんのとこにゆくのに一寸海の中をほってゆかねばならないのですから。
何だか夢のようです。明日はいないのですからね。
お母さん,ぐちをもうこぼしませんから、お母さんも私についてこぼさないで下さいね。泣かれたとてかまいませんが、泣いて下さいね。やっぱりあんまりかなしまないで下さい。
私はよく人に可愛がられましたね。私のどこがよかったのでしょうか。こんな私でも少しはとり得があったんだなぁと安心します。ぐうたらのまま死ぬのは、やはり一寸つらいですからね。
私は甘やかされましたね。今から考えると勿体ないです。境遇のよかったことは私の誇りです。この誇りを最後まで保持しようと思います。私から境遇を引いたら零です。随分ぐうたらですが、一人前で人の前に出られたのが有難いです。なにか変な話になりましたが、今日は一寸ねむいです。又時間があったら書き加えましょう。
もう余りなごり惜しまなくてもよいですね。ここらでお別れ致しましょう。なごりはつきませんね。お別れ致しましょう。
市造は一足先に天国に参ります。天国に入れてもらえますかしら,お母さん祈って下さい。
お母さんが来られるところへ行かなくてはたまらないですから。
お母さん さようなら。
英霊の御魂が天国で安らかでありますよう心より御祈念申し上げ,私たち子孫を見守り続けて頂けるよう励んで参ります。
花咲 あさひ 拝
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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ
互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,
共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,
如何なることにも先ずは感謝を。
謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気と素直さと。
時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。
高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。
神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。
たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。
たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。
この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。
2017.12.31 前段部 完成
補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。
そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。
後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。
大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝