こんにちは。今日は,私の好きな神道家で春日大社の前宮司さんでいらした葉室頼昭先生の御本とその御本の中に書かれている一部を紹介させて頂きたいと思います。神道と日本人と云うタイトル本ですが,この御本は多くの人に読んで頂きたいと感じる超優良本だと思います。私は元々,本が苦手でほとんど読みませんと云うか本が読めないのです。なんだか変な話をしておりますが,実はこのかたマンガ本も読んだことがなく,本を読むのに人の何倍も時間が掛ってしまい苦手なのです。以前,こんなので本当に大丈夫かと心配になってしまいいろいろ調べたら失読症と云うものあるのを知ってテストしてみましたがほとんど当て嵌まってしまい納得致しました。もちろん学校の成績は・・・?ご想像にお任せします。(笑)そんな私でもすんなりと読める本ですから普通に本が読める人にはおすすめです。葉室先生は生前に確か10冊前後の本を書かれていて,その内,数冊は過去にこのブログでも紹介させて頂きました。こちら「宇宙の構造と心の病 神道と現代医学」です。補足,葉室先生は神職になる前は形成外科のお医者さんでした。
それでは,以下が葉室先生が書かれた「神道と日本人」と云う御本の「おわりに」からです。
現代の日本人のなかには「この科学の時代に,神など信じない」という人も多いし,また「この世には,科学では分からないことがまだまだたくさんあるから,私は神を信じる」と云う人もいます。また「目に見えないものは信じない」「神がいるならどうして,この世に不幸だとか悩みだとか病気などがなくならないのだろうか。だから私は神を信じない」と考える人もいます。「神がいるならなぜ,悪いやつが金を儲けて幸福な生活をし,あんな善い人が不幸な生活をするのだろうか。だから神を信じない」「自分の人生は自分の力で築くものであるから,何ごとも神の導きに従うというような神頼みの人生は真実の人生ではない」などと思っている人もいます。また私に対して「お医者さんのくせに,なぜ神さま,神さまというのか」と聞く人もいます。
しかしこれらは,神とはどんな存在なのかということを知らないで,ただ神を信じるとか信じないとか言っているだけなのです。私はこういう態度こそ,科学の発達した現代の中で,非科学的なことだと思っています。神さまは,信じるか否かということではなくて,神の世界を見ることができるかどうか,なのです。
神の世界と,我々の世界は,別々に存在しているように思われていますが,本当はそうではありません。ちょうど夜の世界と昼の世界が別世界ではないように,宇宙の真実,神の世界は夜の世界であって,その中に我々のいる現世,昼の世界が一緒に存在します。昼の世界は,ただ日光の明るさで夜が見えなくなっただけです。だから昼でも日光を完全に遮断したら,闇,すなわち夜の世界がそこに現れるでしょう。でも夜の世界を知るためには,夜ばかりでは分かりません。反対の明るい昼の世界がなければ分からない。この宇宙の仕組みが本当に分かることが我々の役目なのです。つまり,神さまは,神の真実の世界を認めさせるために,わざと逆の世界を人間に与えておられるのでしょう。逆があるから真が見えるのです。それなのに人間は,病気だとか,不幸だとか悩みというようなものが,実在の世界であると思ってしまったところに過ちが現われ,現在のような乱れた世の中になってしまったのです。
古来より,日本人はそのすばらしい知恵で,病気だとか,不幸だとか,悩みなどは,神さまが本来神の姿に作られた人体を包み隠す(罪),また我々を生かしてくださる気を枯らす(穢)ことが原因であるから,これらを祓い除くことで神の真実の姿が現われることを知っていました。この罪・穢はすべて我欲であるから,その我欲を祓い除いたとき,神の姿を見ることができるのです。つまり神は外に求めるものではなくて,心の中の我欲をなくしたとき,はじめて神の世界が現われてくるのです。
私は子供のときから,いつも何かに導かれているという感じがして「これは神さまや祖先に導かれているのか,あるいは自分の心の錯覚なのか」と大いに迷い,中学時代から神社,仏閣をはじめ,いろいろな宗教から「神さまとは何か」ということを勉強してきました。それが大学医学部在学中に肺結核となり,悪化してついに死が目の前に近づいたとき,なぜか私からすべての我欲が消え,目の前に神の世界を見せられて,ただありがたさに涙が止まらず,気がついたら病気が消えていた,という体験をしました。その時の感動が忘れず,もう一度神の世界を見たいと思いましたが,恥ずかしながらまだまだ我欲があるために,現在まで二度と神の世界を見ることができていません。しかしながら,人生を振り返ってみると,いろいろと奇跡と思われるようなことや,厳しい状態もあり,それらを含めて神の導きと知らされ,それに順応して耐え抜く人生を歩まされてきました。そして,この年になってふと,私は進化させられ,神の世界に近づかされていることに気がつきました。
とくに春日大社の宮司に就任してからは,自分でも不思議なくらい我欲がなくなり,常に神の導きを感じるようになり,そのとおりに生活させていただいています。神を見るには理屈はいりません。日本人の祖先が伝えてきたように,すべては神の恵みと祖先の恩の導きですから,それに従って全力をあげて努力し,決して我欲を出さないことです。これは非常に厳しい人生ですが,神さまは厳しさの極限を耐えぬいたときに現われてこられます。
今までいろいろなことを述べてきましたが,すべては1人でも多くの方々に,神の真実の世界を伝えたいと考えたからです。私の申し上げたことが少しでも,皆さまの何かのお役に立てれば,幸いに思います。
以上が,葉室先生の「神道と日本人」と云う御本のおわりに書かれている内容の全文であります。冒頭でも少し書かせて頂きましたが,本を読まない私でも葉室先生の本は読みやすく,特別な宗教用語は使用していません。今でも人気のある本ですので,是非,読んでみて下さい。私がはじめて葉室先生の本を読んだとき,自分の考えていることと葉室先生の本の中に書かれている内容が一致する箇所が多く驚きと嬉しさを感じた覚えがあります。我々の祖先がいかに子孫を守ろうと命懸けて生きていてくれたことや日本語の意味や様々なことを勉強できる一冊であると思っています。今日は,おすすめの一冊からでした。拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝