パックンさんと大和藍足袋衆さんが,このブログを動画で世界に発信してくださいました。
まだテスト発信のようですが,ありがとうございました。
感謝。
花咲 あさひ 拝
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まだテスト発信のようですが,ありがとうございました。
感謝。
花咲 あさひ 拝
互いに支え 助け合い 足りないところを補い続け
共に手を取り 手を握り
互いの違いを認め合い 互いの違いを尊重し合う
如何なることにも先ずは感謝を
謙虚さ忘れずこうべを垂れて
自ら手を挙げ名乗り出る真の勇気と素直さと
時には省み反省し 人への奉仕を忘れずに
歓びもちて結びとすれば
怒りの心を鎮められん
こんにちは。
何年か前に,富士山を御神体とする神社「富士山本宮浅間大社」へ参拝させていただいた時に,
降ろされた祝詞「心御柱祝詞」の前段部分です。
毎日,大祓祝詞のあとに神棚に奏上させていただいております。
祝詞を唱える度に,世界の中の日本がいよいよ試されてくる時代へと移行したように日々感じております。
日本人の親をもち,日本で生まれ,日本で育つことが本当に日本人であるといえるのか?
そんなことを最近は考えてもいます。
それは,今年の10月を過ぎたころから様々な事柄として際立ち始めて来るのではないでしょうか。
姥捨山が復活し。餓死する人もたくさん出てくる。これまでに経験したことのない大不況。
治安は乱れ,犯罪も増え,人が人を信じなくなり,孤立していく。
人々は,自己保身を第一と考え,人のことなどどうでもよくなり,自己責任論が浸透する。
神も仏もあるものかと祈る人も居なくなり,自分だけが生き残れば良いと云う人が多くなっていく。
日本人も首の皮一枚です。相互扶助を取り戻さない限り。
花咲 あさひ 拝
こんにちは。今年もいよいよ大イベントである祖霊大感謝祭がやって参りました。この一週間は,私にとっては特別な日々であります。特に,春のお彼岸や秋のお彼岸と違ってお盆はとても重要でもあります。それは,前にも記事にさせて頂きましたが,人が亡くなりあの世に帰ると生前の行いにより自分に見合った世界へ自ら行くことになります。本当は,自分自ら各世界へとさらなる修行の旅に出る訳ですから,その魂の向上にとっては一番良い場所ともいえます。このお盆の期間に限っては,あの世で私たち子孫を見守っていてくれている全ての御先祖様が,この世の子孫のもとへ戻って来れる唯一の期間,楽しみでもあるのです。
そして,その膨大な御先祖様の中には,この世で生を享けしときに様々な思いや為すべきことを為さずして亡くなった方や,飢餓や飢饉,病気などで亡くなって逝った方々も多いはずです。むしろ,そのような方の方が多いのではないでしょうか。平安時代や鎌倉時代などは正に苦しみの時代であったことだと思います。そしてまた,この世に生れ出ることが出来なかった水子さんもしっかりと供養すべきであります。神様から授けられた御魂でありながら何らかの理由で生まれて来ることが出来なかった水子さんにとっては無念であったことだと思います。今の私たちに比較的近い存在である御先祖様においてもあの世からお盆の期間中は帰還することが許されていますから,きっと,そばで孫やひ孫をじっと微笑ましく観ていることと思っています。
正に,祖霊大感謝祭に相応しい期間であるのがお盆であります。しかも,1年に一度しかない大イベントです。以前も少し記事にさせて頂いたことがありました。もし宜しければお読みください。「観世音菩薩と共に。これが本当の理由です。」
私はいつもお盆当日若しくは,前日に,先ず氏神様と地域の一之宮の神社へ今年も無事にお盆を迎えることができ,祖霊大感謝祭をさせて頂けることに感謝させて頂くために参拝し,そのあとに自宅の神様への御神酒を奉納してから事前に決めておいた献立に沿って,御先祖様の御供物を買い出しに行った後に供養させて頂く慣例であります。貧乏の時代には御線香と御水,御茶と御団子が精一杯でしたが,今では豪華にお供えが出来るようになりました。本当に有難いことであります。
それとお風呂に湯をいっぱいに張り入浴準備を整えます。日本人でお風呂が嫌いな人はほとんどいないと思いますし,私自身がお風呂が好きであるので,きっと,御先祖様もお風呂に入ると想いお風呂に湯を張っています。実は,私の母方は銭湯を営んでいたので,私にとってお風呂はとても大切であり,疲れを癒やす最高の場ではないかと思っています。あの世で忙しく修行されているたくさんの御先祖様が疲れを癒やせる場がお風呂と云う訳です。狭いお風呂なのでいっぺんには入れませんけどね。
元々,先祖の供養と云うのは仏教の思想ではありません。実は,縄文時代には既に確立されておりました。そして,今で言う追善供養も実に丁寧に斎行されておりました。また本来,祈りには自分と云う概念は存在しないのであります。しかしながら,今では祈りの対象が先祖の御霊を供養すると云うよりも自分自身の幸せの為の供養とになってしまっています。これは祈りではなく,単なる取引です。せめて,自分の先祖への祈りは感謝のみを捧げては如何でしょうか。子孫の純粋で無垢な感謝の祈りほど,御先祖様の供養になることはないと私は感じております。高額のお金を掛けて寺院へ御願いする祈り方も先祖にとっては嬉しいことではあると思いますが,それよりも真心が籠った子孫の祈りほど尊く,嬉しいものはないのではないでしょうか。
このお盆の期間中,たくさんの御先祖さまと楽しく過ごし,ともにいたいと思います。拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝
こんにちは。
最後の宮大工である西岡常一棟梁の記事は,明日にまた続きを書かせて頂くとして今日は,違ったことを書きたいと思います。私たちは,これまで続いて来たタテ型社会からヨコ型社会に移り変わる過渡期に存在しています。自然崇拝,祖霊祭祀をしている一般人の私からするとただ太古の昔に帰るだけと感じていますが,タテ型構造の上に存在していた人たちにとっては嫌でしょうね。
でも,いくら嫌がっても無駄であります。もうそうなってしまうのですから無理です。
それはそれとして,今月は,春の祖霊感謝祭があります。
一年間に春と夏と秋の3回の祖霊感謝祭を自宅でひっそりとお祭り致します。御水にお茶に,そして白湯を位牌の正面に置いて,その両脇に御団子や和菓子に煮物に漬け物。さらに玄米に白米,お味噌汁と御赤飯と御酒も忘れずに捧げ先祖と共に過ごしています。毎回,きっと,先祖はこんなものが好物だったのではないかな?水子さんはミルクを欲しがっているのではないかな?などなど想像しながら献立を考えています。普段の祖霊祭祀は,御水と御茶と白湯でけです。何で白湯?と思われる方もいらっしゃると思いますが,白湯は病気で亡くなった先祖の為に捧げます。特別な意味はありませんが,病気には身体を温めることが大切だからです。
古神道には死生観と云うものがあります。あの世に帰った祖先が,私たち子孫を見守り続けていると言った考え方も古神道の死生観のひとつであります。又,人は誰でもあの世に帰ると仕事をしていると言われています。この世で経験した内容に基づいた仕事をあの世でも行うのです。この世で経験した内容と言っても仕事で成功したとか達成したとかいうことは何も関係がありません。
以前にもブログで記事にさせていただきましたが,あの世のどんな階層に自分が進もうが課題となるのは「奉仕」のみであります。奉仕に基づいた仕事をすることになります。ひとつの食べものを皆で分け合う世界です。しかし,この世で自分の思う通りに他人の迷惑も省みず,自分の好き勝手に生きた御霊ですとあの世に帰ったあと他の御霊の為に奉仕するということが出来ず厳しい体験をしているようです。つまり,これが修行です。とても辛抱を伴い,融通もわがままも忖度も損得も通すことが出来ませんので,生きている間にやりたい放題好き放題してきた御霊にとっては非常に苦痛であります。これを地獄と申します。ズルは一切通用しません。
一方,この世で生きている間に,どんな小さなことでも他の為に奉仕していた人は素直に奉仕を実践できるのであります。私たちが考えている素直というものは,あの世では大きな財産「徳」になっているのです。しかしながら,人間と云うものは自我の塊と申しますか,自分中心にどうしても考えてしまいがちです。駄目だと頭で分かっていながらも自分を軸に中心に据えてしまいます。この自我と自分が向き合い,受け入れ,認めて行くことで段々と自我が薄れて行き無理なく無駄なく生き易くなって行くようです。
したがいまして,この世で生きている間に経験している一切は,実は,あの世での自分の位置「御霊の階層」を形成する過程であると考えることも出来るのであります。人間と云うのは,死んでしまえば同じ。あの世なんて言うものはない。だからこの世で生きている間に自分の好きな様に生きる。他の人なんてどうなっても良いということではないのであります。まして,生きているときに体験や経験していない事をあの世に帰って出来るわけありません。この世でどう生きたのか?それ次第であります。
人は生きていることにこそ意味があるのであります。
この世で成功するとかお金持ちになるとかそう言った小さなことではありません。
生きていることに価値がある訳です。拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。
又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。
わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。
心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝